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投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
「★六つ」だ
広島にある原爆供養塔は引き取り手のない遺骨が納められている。本書は、被爆した女性が供養塔の引き取り手のない遺骨の親族を探す執念とその行為に至った半生を紹介。後半は、その女性の意思を引き継いだ著者のルポルタージュ。
被爆から70年以上たっている。親族を探すのは困難を極める。こうした中、著者は全国に足を延ばさざるを得なくなる。なぜなら、広島で被爆したのは、市民だけではなく、徴兵された兵士であったり、朝鮮半島からのの出稼ぎ者であったり、従軍看護婦であったり多様だからだ。
いろいろなことを考えさせられる。
被爆の惨状や遺族の無念はもちろんだが、
本書で紹介された原爆投下はやむを得ないという昭和天皇の言葉に、「そうか?」という疑問がふつふつと沸く。無差別の殺戮はナチのホロコーストと同様の戦争犯罪ではないのか。そのことの検証がないから、使いもしない原爆が世界中に広がってしまった。被爆国の日本の首相も、オバマ大統領が核を先制攻撃に使用しないと言ったのに、「それは困る」と言ったのだとか。
木の葉のように焼き尽くされた彼らは人間だったのだ。
全世界の人たちに読んでもらいたい。
紙の本
原爆投下は戦争犯罪
2017/10/15 14:03
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投稿者:hiroyuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、今年原爆で全滅した桜隊の悲劇を扱った『戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』を発表したが、その下地となっていたのが本作。というより、本作があって、桜隊の悲劇に行き着いたというべきか。
偶々この本を読み終わった後、本作の主要人物のひとりである佐伯敏子さんが亡くなったことを新聞記事で知った。ご冥福をお祈りしたい。
しかし、広島と長崎、一般民間人が多数住んでいる場所ヘの原爆投下は、ドイツのアウシュビッツ以上の裁かれるべき戦争犯罪だろう。
紙の本
忘れてはならない
2016/12/29 19:03
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投稿者:飛行白秋男 - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦争、原子爆弾、多くの遺体、遺骨、傷ついた人々。
ひとりひとりのご遺体に、当然両親がいる、いや、いらっしゃった。
ひとりひとりの人生があった。
その他大勢ではない。万分の一ではない。
涙が止まらない。
原爆供養塔を忘れてはならない。
戦争は絶対にしてはならない。
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永山則夫といい、本書といい、重いテーマをどうしたら書き続けることができるのだろう。評価をすることはできない。
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広島がヒロシマになった日のこと。70年経っても80年経っても次の世代に手渡していかなければ、とそう思う。
広島の人にとっては8月6日が終戦だ、という言葉に、あの一発の爆弾によってもたらされた想像を絶する苦しみと悲しみが込められている。
あの日まで、たくさんの人がそこで普通に生きていた。明日もきっと同じ日が続くと信じて。
なのに、その明日はもう二度と来ない。一瞬で奪われた多くの命をひとまとめにして語ることはできない。そこにはひとりひとりの人生があったのだから。
子どものころから何冊も原爆の本を読んできた。読むたびに苦しくて悲しくてそして怖くて。もう二度とその苦しみを現実のものとして感じることがないように、佐伯さんたちの言葉を次の世代に手渡していかねば。あと数十年で戦争を知っている世代がいなくなってしまう。そうなる前に、私たちにできることを、考える。
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原爆納骨安置所に眠る七万人もの遺骨。
〈ここに眠るのは『神』でも『仏』でもなく『人間』である〉
骨箱には遺骨と一緒に遺品が添えられているものもある。
広島の大母さんと呼ばれる佐伯敏子さんは、そのわずかな手掛かりを元に遺骨を遺族に届けてきた。
原爆が投下され亡くなった方は14万人。
ひとり、ひとりに名前があり、生きていれば違った人生があったはずだ。
〈死者の時間はそのまんま。あの日から何にも変わってはおらんのよ。〉と、佐伯さんの言葉。
ジャーナリスト、堀川さんの粘り強い取材に頭が下がる思いでいっぱい。
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2015年7月、広島市は氏名が判明しながら引き取り手のない遺骨
815柱について、遺族やゆかりのある人を探す作業をすると発表
した。
人類初の原子爆弾の実験場になった広島。強烈な熱線と放射能を
浴び、犠牲になった方々の遺骨が納められているのが平和記念
片隅にある原爆供養塔だ。
ある時から、そこに毎日姿を見せる小さなおばあさんがいた。佐伯
敏子さん。自らも被爆し、内臓のあらゆるところにがんを発症した。
しかし、彼女は原爆供養塔を掃除すると共に、その地下に安置され
た引き取り手のない遺骨の遺族を探し続けた。それも、ほぼ独力で。
現在、原爆供養塔の前に彼女の姿はない。雨の日も、風の日も、
原爆供養塔に通い、修学旅行で訪れた生徒たちに被爆体験を
語った佐伯さんは高齢者向けの施設に入所している。
著者は佐伯さんの想いを引き継ぐ。遺族を探す過程とその顛末、
そして遺骨になったであろう人の歩んだろう道筋を丹念に描いて
いる。
広島と長崎の原爆投下については、本も読み、写真も見、映像も
観て、テレビニュースやドキュメンタリーを通じて知っているつもり
になっていた。
だが、それはあくまでも「つもり」だった。何も分かっちゃいなかった。
そもそも原爆供養塔の地下に、多くの遺骨が眠っていることを
まったく知らなかった。
そして、その遺骨となった人、ひとりひとりに1945年8月6日8時15分
まで、それぞれの人生があったことに思い至らなかった。
膨大な数の死者数。数字として表せばなんとも味気ない。だが、そこ
には生きた人の証しがあり、家族があった。今まで、ひとりひとりの
背景にまで考え及ばなかった浅はかさに気づかされた。
原爆供養塔を守り続け、死者と生者を繋ごうとした女性の執念、
そしてその女性に対する著者の誠実さ。濃密で緻密なノンフィ
クション作品だ。
あまりの濃さに、この作品をうまく語れない。とにかく読んで欲しい。
戦争を、原爆を、知りたいと思っている人すべてに読んで欲しい。
「戦争という現場では、決断を下す者と、その結果を引き受ける
者はいつも異なる。彼らの存在は記録に残されていないどころか、
あまりに膨大な日本人の犠牲によって上塗りされてしまったよう
にさえ思えるのである。」
「戦争がもたらす不条理は、いつも非力な立場にある人たちへと
押し寄せる。究極の戦乱におかれた時、戦争指導者は国民の命
を最優先するだろうか──。そんな疑問を、現代へと照射しない
ではいられない。」
著者の言葉を噛みしめる。そうだ、この供養塔に眠る人々は
原爆で「死んだ」のではない。「殺された」のだ。
尚、原爆供養塔の地下には氏名の分かっていない多くの人の
遺骨も眠っている。
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原爆によって悲惨な家族の変遷を経験された佐伯さんの、「強ければ相手に優しくできるでしょ」という言葉の数々。丹念に記録を精査し調査に動き、その一文字に、文章に、力を込めた著者の伝えなければという思い。
そしてあの日、広島に存在して、亡くならなければならなかった方々の無念。その肉親を失った家族の慟哭。
2021年7月、1945年8月6日のその日に思いを馳せる。