紙の本
現在と過去の交わり
2014/08/17 08:15
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投稿者:さもさも - この投稿者のレビュー一覧を見る
柴崎友香が『春の庭』で芥川賞を受賞した。今回はどうかなあと気になっていたので、とても嬉しかった。自分の贔屓の作家が評価されたことはもちろんだけれども、自分が好きだと思ってずっと追いかけてきた作家が晴れ舞台でテレビに映っているのを見れたのが、こんなに嬉しいとは知らなかった。
で、発売日にいそいそと本屋に行き、買ったその日に読みはじみた。柴崎作品のひとつのスタイルとして「古い写真などを通じて過去と現在が交錯する」というのがあるが、『春の庭』はそれがよりこなれてあからさまでないように描かれていたように思う。
僕も古い写真などを見るのが好きで、去年実家のリフォームのとき出てきた昔の写真には思わず興奮したものだが、それは柴崎友香の描くように、過去と現在の交わりに人生や社会や歴史の意義深さを感じるからだろうか、と思ったのだった。
紙の本
一緒に覗いている感じ
2020/08/31 17:09
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投稿者:くつした - この投稿者のレビュー一覧を見る
全く関係ありませんが寺山修司と九条今日子が住んでいた家を思い出しました。仰々しくなく、普通のようだけど所々こだわりのある家、そんな場所を覗いているような気分になる本でした。
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投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近の芥川賞受賞作品は、だいたい読んでいます。時々、どうしてこれが?というのもあります。評判はいいけど、なぜ?と首をひねるものもあります。しかし。本作は、まさに芥川賞。芥川賞受賞作品らしい作品でした。ネタバレはしません。安心してお読みください。
紙の本
あの家どんな家?誰にもありうる好奇心
2015/09/30 13:32
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投稿者:Toyo - この投稿者のレビュー一覧を見る
隣の家にいたく関心を持つ女にさそわれて、うかがううちに男もまた。実は彼女は、その家の内部を撮った写真集が元でその家に好奇心満々。二人してその家の住人に接近して、親しくなって、ついに家の中にというシチュエーション。別に犯罪的なことをするわけでもなくて、好奇心を満足させたいという単純な動機。男女の関係もそれ以上にはならないゆるい関係のまま。まあ、今風というのか。
紙の本
思いこみと現実との狭間を揺れながら溶けてゆく。
2018/11/19 18:18
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投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
太郎はアパートの一階に住んでいる。
もう取り壊しが決まっている。全部で八室で、四室が入居中。
ほかの部屋はもう出ていった。
L字型のでっぱった部分の部屋から外を見ていると、
二階のベランダから女が頭を突き出しているのが目に入った。
よく見るとスケッチブックを開いている。
しきりに何かを覗いている。
太郎は、女や、ほかの住人とも顔見知りになる。
じわじわと広がっていく人間関係。
これまでも人は住んでいたはずなのに、アパートに残る人が
少なくなるのに反比例して結束のようなものが芽生えている。
消えゆく人間関係、消えゆく建物、残された現実。
その狭間に揺れながら場面が展開していく。
前半は普通に読めていたのだが、中盤から誰の言葉か
考えるようになり、終盤はセリフが完全に入り混じってしまう。
そういう演出なのである。
ついには、太郎も、女も、アパートも、女が見ていた水色の洋館も、
場面や舞台までもがモザイクに吸い込まれて溶けてゆくのである。
春の庭という幻想空間。
わざとそうしているのは分かったのだが、
残念ながらうまく入れなかった。
それにしても最近の芥川賞受賞作は難しいなあ。
前からかもしれないけれど。
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み始めて訳が解らず、訳が解らないまま読み終わった。苦痛の一言。ストーリー性があるでもなく、心理描写に秀でているとも思えない。太郎が引っ越してきたアパートの住人達も淡々として日常性に欠ける。これが小説で、しかも芥川賞。まったく、文学はよく解らない。
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第151回芥川賞受賞作。
ほかの候補作、未読なのですが、これを読み終えた後相応しい、とわたしは思いました。
柴崎さんの作品、数点ですが過去に読んでおり、なんかうまがあわないなと感じていた作家の一人。なんかあわない。つまらないわけではないのだけど、すとんとなにも落ちないと思っていたんです、これを読むまでは。
はじめから吸い込まれてしまった。あの西さんが吸い寄らせたあの家と同じような感じかな。淡々と、第三者の視点で物語が進行していくなか、平凡ながら様々なことが起き、終盤、〈わたし〉が物語を語り始めるところから、個人的に目が覚めた感じ。それまで微睡みながら話は進んでいて、ふわふわとした物語だったのに、ハッとして、そこから急降下。好きだなぁと読み終え、しばらくのあと思った。なにが、と言われたらわからないけれど、雰囲気が、かな。これをうまく評するのはとても難しいけれど、好きだなぁと思った作品です。
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なんとも感想が難しい。 淡々としすぎていて途中で挫折しそうだったけど最後まで読むとなんというか「これはこれでありかな」という気にもなる不思議な本だった
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読者の文学的センスの問われる作品かもしれない。そのセンスに乏しいぼくにはなんだかちょっとピンと来なかった、ごめんなさい。
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離婚して一人暮らしの太郎は、取り壊しが決定しているアパートで暮らしている。
ある日、同じアパートに住む西という女性がアパートの裏にある水色の家に、かなりの興味を抱いていることを知り、太郎もその家について注目し始める。
その水色の家はかつてCMディレクターだった男とその妻が住んでおり、『春の庭』という写真集の被写体となっていた。
時間と場所が複雑に入り組み、最後の方では語り手が急に太郎の姉になったりします。
今までの柴崎さんの作品同様、街と時間というモチーフが今度は過去も含めて何層にも重なっているイメージでした。
例えば、『春の庭』で写真として残っている家と現代の森尾さんが住んでいる家は、家自体は同じなのに住む人が違うと、そこに置かれているもの(家具など)ももちろん違うし、家の雰囲気自体も変わってしまう。
同じものなのに、違う。
月日の流れとそこにいる人で
見た目は同じまま残っているように見えても
経過した時間で変化してしまうような感じ。
当たり前かもしれないけど、
そんな変化に着目した作品なのかなあと思った。
柴崎さんの作品は、さらっと読みやすいようでいて、なんか含みがあるような解釈がたくさんできる気がして、難しい。。
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ついに柴崎友香が芥川賞とった!と思って、サイン本が出るまで買わずにいようと思っていたけれど、我慢できずに購入。デビュー作から読みつづけている柴崎友香のファンなんです。
さっそく読んでみると、うん、これこれ、という感じ。
でも本当のことを言うと、
『その街の今は』の方がずっといいと思った。情景描写の積み重ねがあそこまでうまくいっている小説はないんじゃないかと思う。
なんであれが芥川賞とれずに『春の庭』がとれたんやろう?と不思議でならない。
『その街の今は』を読むと、夏のクソ暑い大阪に行きたくなる。そういう魔力をもっている小説こそ、正しい評価がされてほしいと思う。(なんかもっと権威的な文学賞を取っていた気がするけれど)
なんか知らんうちに『春の庭』のレビューじゃなくなっている。。。
とにかく、柴崎さん、おめでとうございます。
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それまでは泣ける要素なんて全くない場面なのに、その一文に出会った瞬間、グッと胸があつくなって、目の前がかすんでしまう、そんな感じの繰り返し。芥川賞をとったって、今回も、何も際立った事件は起こらない柴崎さんの本。でも、本を閉じたあと、ふと目を落とした道路のタイルや、知らない誰かのイヤホンのコードですらひどく美しく見え、きっとわけあってそういう形をしてるんだろう、とおもってしまう。心にぽっかり空いた穴をむりやり埋めずに、受け入れ、欲張らない人生を一生懸命生きてく人々が、この本の中で、息づく。静かに、のめりこんで読めた。いつもありがとう、そしておめでとうございます、柴崎友香さん。
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第151回芥川賞受賞作品。いまいちピンとこなかったけど、それが日常のひとこまを取り上げて、題材にした、本作の、この著者作品の魅力なのかもしれません。
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『死んだら寒くないよと太郎は言いかけたが、その時唐突に、沼津が自分に向かって話しているのではないのがわかった。心に浮かんだことを口に出しているだけで、回答を求めてはいないと』
柴崎友香は新刊が出るのを待つ作家の一人。 「きょうのできごと」から読み繋いで十四年。 その頃から何も起こらない小説と批評されることが多いけれど、自分にとって柴崎友香は普通の日常の中に詰まっている小さなできごとを拾って見せることができる作家で、何も起こらないことが、むしろ刺激的だとさえ思う。あるいは、ありふれた言い回しだけれど、柴崎友香は等身大の人物の描写に長けた作家であると思う。恐らく作家自身の年齢に近い登場人物を描く限りにおいては、と言い添えた方がよいとは思うけれど。
若い男女が登場すると必ず恋愛沙汰に話を展開させる小説家もいるし、それに比べれば、柴崎友香の小説では確かに陳腐で大袈裟なことは起こらない。しかし、登場人物の心の内は風景の描写に大概は色濃く反映していて、それが瞬時に変わってゆく様が描かれている。そこを読み取ると、皆が小説の中だったらこんなことが起こるのになと想像するようなことを主人公も感じていることも解る。しかし、日常茶飯事にそんなことは起こらないよなと主人公が理解していることも同時に伝わる。そんな構図があるのが柴崎友香の小説だと思う。それは多分僕らの日常の中でも起きていることで、だから優れて日常のできごとを写し取る力が作家に備わっていることの証しでもあって、何も起こらない日常の話が逆説的に自分の人生を肯定してくれる感じにも繋がり、そこはかとなく気分がよい。柴崎友香の作品の中では何も起こらないと自分は感じない。もちろん小説の中でくらい夢をみたいという気持ちの読者の居ることも解るけれども。
その基本的な態度は変わらないと思うけれど、最近の作品は主人公の心情がどんどん淡白になってきているようにも思える。風景の描写に託すような書き方が減っている。何をどう感じるかについて保留する様が描かれることが多い。それが作家の年齢に起因するものだと言ってしまうのも単純過ぎるだろうか。
人生の選択は常に自分自身の意思で選び取ることができると考える人もいる。自分の好みは自分で判っている、と。しかし重大な選択もそうでない選択も、数を重ねてみて思うのは、それが如何に偶然に左右され易いかということ。もちろん基本的な志向は誰にでもあるので、同じような選択を迫られた場合、大体は同じ結果になる。しかしこれは確率の問題だとも言える。確率的には低くても同じ選択を重ねていくと何回かに一度は別の結果になる。あれ、何故自分はこちらを選んだのかなと自身を訝しく思いつつ。そういうケースが年齢を重ねると嫌でも溜まってくる。柴崎友香の描く主人公の心情が見えにくくなっているのは、そういうことがもたらす効果なのかなと思う。柴崎友香の中でそんな微妙な変化が起きているように思う。
よう知らんけど、と言いながら若者は自分の直観を大事にして物事を判断する。年寄りは、色々と経験豊富な筈なのに判断しない。人生が五十年しかなったら惑うことなく決断もできただろうけれど、今の世の中、自分���決めたことが回り回って自身に降りかかって来る程に人生は長い。短絡的に結論を出さずいることは苦しい。ややもすれば物事を単純化して断定したくなる。その方が爽快でもある。しかしそこを我慢する。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」。そこを我慢すると見えてくる筈と信じたい。そんな道の半ばに差し掛かってきたのかと想像する柴崎友香の作品が、面白い。
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http://book.asahi.com/booknews/update/2014072500001.html
これの記事を読んで,きっとこの本は好きだと思って読みました。思った通り,この本好きです。「テレビを通してみえる空間が現実にある」って実感に境目がないって感覚がね,ヒトはどこでどう処理しているのかわからないってのがしっくりとあとに引いた。今があれば昔があるわけで。その境目をどう処理したらいいのかわからない。”なつかしい”って言葉はいったいなんなんだろうね?
父親の遺品がすり鉢と乳棒しか残っていなくて,けどそのすり鉢と乳棒を父はみたことがなかったってところがお気に入り。そして最後に父親を思い出すきっかけが別のものに変わったところがとっても好きです。