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紙の本
大化改新を考える (岩波新書 新赤版)
著者 吉村武彦 (著)
645年の蘇我入鹿暗殺を契機として始まった「大化改新」は、社会、民衆をどう変えたのか? 「日本書紀」などの文献の徹底した解読と考古資料の検討を通じて、大改革の実態に迫る。...
大化改新を考える (岩波新書 新赤版)
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商品説明
645年の蘇我入鹿暗殺を契機として始まった「大化改新」は、社会、民衆をどう変えたのか? 「日本書紀」などの文献の徹底した解読と考古資料の検討を通じて、大改革の実態に迫る。【「TRC MARC」の商品解説】
社会や民衆にとっては果たしてどのような〈改新〉だったのか? 徹底した史料解読から実態に迫る。【本の内容】
著者紹介
吉村武彦
- 略歴
- 〈吉村武彦〉1945年朝鮮生まれ。京都・大阪育ち。東京大学大学院国史学専修中退。明治大学名誉教授。専攻は日本古代史。著書に「日本古代の社会と国家」「聖徳太子」「古代天皇の誕生」など。
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「改新の詔」の潤色の紐解きから孝徳朝のスピード感ある施策に脱帽の一方で・・・
2019/04/28 18:25
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の「蘇我氏の古代」の第4章「大化改新―蘇我氏本宗の滅亡」で、「646年3月の「改新の詔」での社会風俗の改革(殯の規制や殉死の
禁止(大化薄葬令)や、婚姻規制、農繁期の魚酒の振る舞い禁止等)までを孝徳朝が実施していたこと、それから判る当時の農業経営が共同
経営でなく個別経営であったこと」を知り、「大化改新」の制度面からより詳しく知りたくなり、本書を手にとりました。
まず、同書で大宝律令等の内容で潤色されていたと指摘されていた646年正月に発布と「日本書記」のみに記載の「改新の詔」を本書では、
4つの主文と13の副文を対比、また該当する令条文を対比させながら丁寧に検討し、潤色された箇所(例えば、第二項の「郡司」と副文第3条
の「郡」は同時代の木簡では「評」で、大宝律令で規定された行政組織の「郡」の表記例外が一つもない(p.53)、同第二項の「坊」のみでよい
ところを京には存在しない「里」まで記載(p.61)し、改新時は「五十戸」(649年~664年に作成の「白髪部五十戸」木簡や665年の「三野国ム
下評大山五十戸」木簡(p.55)や、670年の庚午年籍でも「五十戸」(p.56)で「里」の記載はない、第三項の「町段歩」も大宝律令で規定され、
それ以前は「代」)、逆に潤色されていない箇所(第四項副文第10条の「官馬」、第11条「兵」、第12条「仕丁」、第13条「采女」は新たな租税
(p.68)、潤色を除外した4つの主文(p.70~71))を示しています。
「改新の詔」の最大の目的は、「ヤマト王権を構成する職能集団で、社会的分業の一翼を担っていた(p.74)」部民(子代の民、部曲の民)や屯倉
、田荘を廃止し、所有者である「部」に「食封」と「布帛」を支給し、国家的支配の公民制(p.73)」への移行の必要性を示す例として、「屯倉」の主
管者が天皇に限らず蘇我氏や物部氏等の大臣・大連・大夫が関与していた「那津官家」の例や、教科書で記載の「公地公民制」の公地は誤りで、
班給される口分田は「私田・私地」の指摘(p.51)も首肯させられました。
また、645年6月の「乙巳の変」の直後の8月の尼僧に対する「詔」で、仏教興隆に貢献した稲目と馬子を正当に評価し、今後は天皇自らが仏教
振興策をとると宣言(p.201)し、具体的には647年の「冠位(七色)十三階制」で「四月、七月の斎時(灌仏会、盂蘭盆会)」に冠の着用を定めて
いる指摘(p.203)や、更に、大化改新のきっかけとなった高句麗、百済の政変に影響された「乙巳の変」の直後の646年9月の「任那の調」廃止し、
新羅に対する服属体制の強化として「質」(人質)の要求(p.144)の指摘には驚かされました。
このように「乙巳の変」の直後に立て続けに「詔」が発せられている孝徳朝のスピード感ある施策が、同変に至るまでには相当に練られていた筈で、
一般的には中大兄皇子が体制を刷新し、この大化改新と呼ばれる改革を断行と言われていますが、巻末の年表を俯瞰すれば645年から652年の
難波長柄豊碕宮が完成にも拘わらず、翌年には皇太子の中大兄皇子が母の皇極天皇や妹で孝徳天皇皇后の間人皇女も引き連れ、飛鳥に
戻り、一人残され654年に没した僅か9年の在位であった孝徳天皇がどのような心境であったか・・・
プロローグにある「『書記』の改新詔に大宝令文が引用され、あたかも改新詔が律令制国家と関係があるような書きぶり(p.17)」や、あとがきの「『書
記』の編者は、改新の原詔を大宝令の条文で修飾し、あたかも大化改新が律令制の起点であったかのように、歴史を『修正』」した(p.223)」の
指摘を振り返り、改めて天皇としてこの改革を推し進めた孝徳天皇にスポットが当たってしかるべき思いばかりでした。
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大化の改新の実情に迫ったか?
2019/03/21 11:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nobita - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本書記をベースに社会習俗・評とのつながりでどのような変化が改新前後に起きたかを精緻に分析している。読み応えがある本。
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乙巳の変で朝廷はどう変わっていったのか
2023/06/01 22:08
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、他の本の様になぜ中大兄らが乙巳の変で蘇我氏を滅ぼさねばならなかったのかという政治史をたどろうとしてない、この変により地域支配はどう変化したのか、唐、新羅との関係はどのだったのか、というところに主眼が置かれていてとても面白い
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孝徳朝の先進性
2019/03/11 12:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K2 - この投稿者のレビュー一覧を見る
思想・文化・習俗といった面から大化改新を考察。かつては改新否定論もあったが、今はそんなことはないようだ。孝徳朝が先進的な時代だったことがわかる。前期難波宮にそれは象徴されるのだろう。風土記の説話を取り上げて、各階層の意識の変化やその違いなども解説。全体的に落ち着いた論調である。