電子書籍
死の泉
著者 皆川博子 (著)
第二次大戦末期、ナチの施設〈レーベンスボルン〉の産院に端を発し、戦後の復讐劇へと発展する絢爛たる物語。去勢歌手、古城に眠る名画、人体実験など、さまざまな題材が織りなす美と...
死の泉
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死の泉 (ハヤカワ文庫 JA)
商品説明
第二次大戦末期、ナチの施設〈レーベンスボルン〉の産院に端を発し、戦後の復讐劇へと発展する絢爛たる物語。去勢歌手、古城に眠る名画、人体実験など、さまざまな題材が織りなす美と悪と愛の黙示録。1997年の「週刊文春ミステリー・ベスト10」の第1位。第32回吉川英治文学賞受賞の奇跡の大作!
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紙の本
美と愛と悪の熔けあう物語
2005/10/02 10:00
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yu-I - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉川英治文学賞受賞、文春ミステリーベスト一位も納得の奇跡のような大傑作である、とまず太鼓判を押しておく。
舞台は第二次大戦下のドイツ。ナチの施設レーベンスボルンの産院から、この物語は始まる。
芸術を偏愛し、少年の歌声に魅せられた医師クラウス。マルガレーテは彼の求婚を承諾するよりほかなかった。
謎めいた研究。交じり合う数々の悪意。死。少年歌手の美しい声への執着はやがて狂気に変貌し、戦争は激化してゆき、逃げのびようとした先に辿り着くのは怪しい古城…。
壮大な物語である。凄惨な物語でもある。
大胆なストーリーテリングと繊細なディテールにあわせ、自由に変幻する筆使いは見事の一言。異常な物語でありながら、目に浮かぶ情景、生々しい人物の造形。主人公も清く正しいばかりでなく、人間らしい意地悪さや打算を持っているところはとりわけ好感が持てた。長大な作品ではあるが、こうした著者の手腕に酔いしれるうちに物語は佳境を迎えているであろう。
そしてこの作品には、手にとれば一目瞭然なのだが、ある仕掛けが施されている。この仕掛けについては、様々な解釈があろう。筋道立ててしっかりと理解したい欲求をかき立てる半面、わからないものはわからないままで愛しんでいたいような、そんな魅力的な罠が隠されている。
偉業であり、異形。美しくもおぞましい人工楽園である。
紙の本
北欧系アーリア人種による純血社会を実現しようとしたナチの施設、美しいボーイ・ソプラノを保つために去勢されたオペラ歌手など、人類のおごりの極みを描きだした恐るべき大著。
2001/04/30 15:48
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二次世界大戦下のドイツに「生命の泉」を意味するレーベンスボルンという施設があったということである。
北欧系のアーリア人種である女性が私生児をみごもった場合、そこの産院で出産し乳児院・孤児院が「帝国の子」として育てる。子どもは養子を望むナチ親衛隊の家庭にひきとられていく。
純血を求めて、占領地のポーランドの家庭から、親と引き離されて刈り立てられた子どもたちもいたらしいし、生まれた子が純血でない場合には人体実験に供されていた事実もあったらしい。
この小説は、著者がその施設のことをずっと物語に生かしたいと心にあたため、美声を保つために去勢されたカストラートと呼ばれる歌手を知ったことをきっかけに構成した長編であるが、ドイツで出版された本を翻訳したという設定で中扉が設けられたユニークなスタイルになっている。
壮大な物語なので、その凝ったプロットを手短にまとめようとしても手に余る。美や芸術を極めようとする余り、狂気の世界へ踏み込んでいく人間の精神、その犠牲となった者たちの憎悪の深さ、歪んだ愛と肉欲のかたちなど、全編を貫く耽美で退廃的、絢爛にして重厚な雰囲気も、物語に取り込まれる実体験を経なければ伝わらないと思う。
わずかに、そのようにして物語に全身全霊取り込まれてかまわない、取り込まれたいというタイミングにこの本を読み始めた方がいいと感じたということぐらいしか言えない気がしている。
翻訳小説の長編によくある主要登場人物表が、中扉の何ページめかにある。その一部を物語にそって紹介することにする。
マルガレーテは、レーベンスボルンでミヒャエルという私生児を産む女性で、妊娠中は無資格の看護婦として働いていた。彼女は、産後、絵画やオペラを偏愛する容姿が醜い医師のクラウスに求婚される。
ドイツを代表するコンツェルンのオーナーの血筋を持つクラウスは、施設の敷地の中でナチの高官として特権的な贅沢な暮らしをしながら、子の成熟を早めたり、双生児の体を縫合するなどの人体実験を行っている。
そのクラウスに養子にと望まれたのがポーランドからさらわれてきた少年エーリヒで、天性の美声の持ち主である。彼は少し年上の少年フランツとともにいることを望んだため、二人そろってクラウスの養子となり、声楽の心得があるクラウスの発声練習を受けることになる。
マルガレーテは、この二人の母として務めを果たすよう求婚されたのである。
この継ぎはぎのような家族が形成されていくのが第1部、戦後亡命したアメリカから帰国したクラウスとマルガレーテ、ミヒャエルの三人家族が、地下の塩坑に名画が眠る廃城を買おうとするのが第2部、そして、大道芸人となったエーリヒとフランツがクラウスに復讐を果たさんとするのが第3部である。
5人の他に多くの人物が絡み合い、事実が二転三転していく。
複雑な絵柄のタペストリーのように細心の注意が傾けられて折られた見事な物語である。圧倒され、しばらく引きずられては、あれやこれやと考えさせられる。
紙の本
死を湛えた泉。
2002/07/20 01:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
皆川博子氏は本当に多才だと思う。小説でも幻想、時代、ミステリー、と全て成功しているし、舞台の守備範囲も現代日本は勿論、過去の日本、そして外国にも及ぶ。全く凄い。
この作品はミステリーではあるが、幻想小説や歴史小説の趣もある。まさしく皆川博子氏の集大成、一大傑作であろう。主人公のマルガレーテは皆川作品の女性らしく、悲惨な目に合いながらも運命に立ち向かう、というよりはどこか冷めている。
作品には幾重もの趣向・仕掛けが施され、皆川氏が丁寧にこの作品を創り上げたのだろうということを窺わせた。作品世界はやはり暗く陰鬱だが、本の中に本があるという仕掛けは作品としての必然性もさることながら、皆川氏のユーモアセンスも感じさせた(皆川作品は暗い物が多いが、一部にユーモア溢れる作品もあるのだ)。ストーリーは緊張感があって面白く、最後の最後にも仕掛けがある。その仕掛けこそ、「やはりこれこそ皆川作品!」と思わせるものである。
間違いなく大作、傑作である。
紙の本
作品世界に浸る愉しみ
2002/06/08 23:22
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
わたしが小説を愉しむときの基準のひとつに、
「その作品でしか味わえない世界がそこに在るか?」
というものがあります。
「小説を読む」という行為は、意外に読者に集中を要求するもので、少なくとも、ある作品を読んでいる間は、その作品によって視覚を塞がれていることを意味します。視覚を奪われてしまったら、読者にほかに他にできることといったら、せいぜいBGMを流すことぐらいでしょうか?
それだけの負担を読者に強いる娯楽なのですから、小説は、けっして安易なものであってはなりません。少なくとも、読んでいる最中は、作中世界に没頭させる程度の「密度」は、あらかじめ用意されていてほしいものです。
この作品には、この作品の中でしか表現し得ない、固有の「世界」が存在します。まず、冒頭の、「わたし」が思い出す、わたしの祖母が幼い頃に語ってきかせた北欧神話の昏さからして、ひどく蠱惑的でした。
それから、下世話といってもいい、ナチス治世下の「私生児を孕んだ女性を擁護する施設」内で、「わたし」がいかに適応していくかという話になっていきます。その施設には、ポーランドなどの東欧の占領地域から、「アーリア的な」特徴を持っている子供たちも集まっていて、ところどころに「わたし」のそれまでの人生を回想するシーンが挟みながら、特異な環境下で「わたし」がどのように立ち回ったかが書かれていききます。
戦況はどんどん悪くなり、「わたし」の身の回りにも様々な変化を減るうちに、空襲の中、「わたし」にとって危機的な状況下で、第一部はプツリと幕をおろします。
第二部と第三部は、時間的には隔絶した「戦後」が舞台になっているのですが、第一部から周到に用意された伏線が、次第に収束していく様子は、見事というしかありません。
全編に漂うほの暗い「雰囲気」も非常に魅力的なのですが、考え尽くされ、精緻に組み立てられた「作品世界」そのものが、なんともいえず魅力的な一遍でありました。
紙の本
狂気と美学
2023/07/12 08:45
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:M★ - この投稿者のレビュー一覧を見る
分厚い文庫本でも納まりきらなかったらしくて、活字が小さい。
電子版にしたら良かったと、後悔
この本の後「「開かせていただき光栄です」を読了。
戦争中、ヒットラーと思しい権力者が、
伝説のアーリア人を復活させようと、いろいろな非道を行っていた、という内容。
架空の話だけど、土台は史実。
史実を土台にした、妄想もの。
狂気にみちた美学を現実にしようとした、為政者。
その為政者が滅びると、施設に関わる全てが存在意義を失う。
とても気の毒で残酷な、多分実際にあった事。
あとがきが大事。
紙の本
個人的には好きだけど
2023/03/04 23:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:いしかわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
人に勧めるかというとそうはしない気がする。
読者の考察に委ねられる系が苦手なら勧めない。
虚構が入り混じっておぞましく美しかった。
紙の本
ナチズムの狂気を幻想的に描いた地獄図
2012/06/18 22:25
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
97年10月に発表された作品である。実はかなり前に買って読みかけたものの、ホラーか単純なミステリーであると誤解していたので、途中、ストーリーの展開に見えないところがあったために、読み続ける興味が薄れ、頓挫した。改めて手にとった次第だが、今回はそれなりに歳を重ねたのであろうか読み応えを感じた。
「第二次大戦下のドイツ。私生児をみごもり、ナチの施設(レーベンスボルン)の産院に身をおくマルガレーテは、不老不死を研究し、芸術を偏愛する医師クラウスの求愛を承諾した。が、激化する戦火の中、次第に狂気をおびてくるクラウスの言動に怯えながら、やがてこの世の地獄を見ることに………」と説明されている。
レーベンスボルンとは生命の泉であり、ナチが純正アーリアン種を大量生産するための私生児養育所を指す。医師クラウスはそこの最高責任者で絵画と男性ソプラノに異常な執着心を持つ。そしてグロテスクな医療研究に没頭する。虐げられた歴史を持つ流浪の民族ツィゴイネルの血が流れるマルガレーテ。そして彼女が養育する孤児たちのもつ天才的な歌唱力に魅せられたクラウスはこれを永遠のものにせんとする。さらに彼女を慕うドイツ貴族が加わり物語は空白の時をこえて戦後へと、その狂気と悲劇は血塗りの極彩色絵巻のように展開していく。
読み終えて練りに練った構成であることに驚く。幼児期の意識下にある幻影、それは抑圧された民族の呪詛であるのだが、わらべうたであったり、伝説であったり、白日夢かもしれないイメージが繰り返し、ヒロインの心象風景として物語の節目節目に織り込まれ、流れる。その技巧的語り口をたっぷりと楽しむ。さらに朽ち果てた古城、その地底には迷路と川で繋がった広大な岩塩建造物が眠り、黒い地底湖には舟がつながれている。腹部を縫合された双子のミイラ、眼球と内臓をすべて瓶詰めにされた母の死体を見る子、ナチの収集した名画の貯蔵庫。現実と悪夢が混沌とシュールに描かれてまさにゴシック・ロマンスの世界だ。
ミステリーとされるだけに最後にどんでん返しのオマケまで付いている。このオマケはあまり意味はないし驚くような仕掛けでもないのだが、むしろ著者のこの作品の特に構成に対する力の入れ方を実感する。
ただし、正直言って、この構成の巧さ・緻密さに感心させられただけで、そこを除外すると、ナチスの残虐行為に対する怒りでもなく、非抑圧民族に対する何らかの主張でもないのだから、やはりゲテモノをみせつけられた生理的なおぞましさが残る。
紙の本
戸惑い面喰らう、衝撃の小説
2003/06/05 12:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:PNU - この投稿者のレビュー一覧を見る
大戦下のドイツで、生きるために望まぬ結婚をした或る女性の人生。その決断が、将来血の惨劇を生むことになるとは、誰が予想し得たであろうか!? 我が子の幸福と日常の安寧をひたすら願っていただけの彼女。彼女の打算と保身は弱き人の心を体現しているのだろう。そんな儚い祈りすら叶わず、一人の女の運命は、そこから大きく揺らぎはじめる。
戦火の中、散り散りになる人々。だが、過酷な運命は彼女を安らがせることなく、神の手によって弄ばれるかのごとく、意図せずして再び人々は集うことになる。彼女をめぐる人々の描写の、実にリアルなことといったら! 普通の書き手であれば、設定の都合の良さが鼻につくであろうプロットも、この作家の手にかかれば偶然のいたずらのようにスンナリ受け入れられるのが不思議。底知れぬ実力ゆえか。
そして、芳醇な美酒、と思われたこの物語、実は強烈な毒酒なのである。真のラストは、はかりしれぬ衝撃を読者に与え、また翻弄する。虚構を楽しんでいるつもりが、背後から首筋に刃をつきつけられるかのような氷点下のつめたさを持つ本、とでもいおうか。私はややこの結末に酩酊し、宿酔を覚えてしまった。ある意味、不器用な男の、矛盾するようだが倒錯した純愛の物語であるかもしれない。繰り返すが、美味と思わせて毒なのである。そのため、個人的に評価を不当に下げたことをお断りしておく。
紙の本
死の泉
2016/11/07 13:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:によ - この投稿者のレビュー一覧を見る
史実と虚構と幻想が入り乱れて読書酔い。
読み終わって本を閉じると同時に出たため息がほとんど深呼吸。
題材が<戦中戦後のドイツとポーランド・自分の美意識に取りつかれた学者・傷つけられる美しい若者たち>と似ている「薔薇密室」もすごく好きだけど、これは全く、素晴らしいな…。
史実が濃い分虚構も狂気も影を増すような。
最後に謎が解けてひっくり返されるミステリ要素も強烈だし…。
休憩本など言語道断。
読めるだけ一気に読んで浸る以外に道はなかった、という程好み。
紙の本
4月25日今日のおすすめ
2001/05/21 21:43
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒットラーやナチズムや第三帝国にまつわる物語では、かならずアウシュヴィッツ強制収容所やユダヤ人ジュノサイドが語られる。しかしレーベンスボルンについては誰も語らない。レーベンスボルンは第三帝国時代に創られた言葉で、ドイツ語のレーべンス=生命、中世語のボルン=泉との合成語である。レーベンスボルンとは何か。
一九三一年に創設されたナチの種族・植民地総局(RuSHA)は、純血アーリアン種族の創造のために、選別という手段による種族の改良、純血な人間のための結婚のコントロール、国家施設内での子供の養育というレーベンスボルン計画を提出する。この計画によってレーベンスボルンはヨーロッパ各地に設置され、数十万の子供たちが各国から誘拐され、集められた。子供たちはレーベンスボルンのために国を、親を、過去を失い、現在もヨーロッパをさまよっていることになる。
このレーベンスボルンに関しては、日本でも七〇年代に一冊の翻訳書が刊行された。それは原書の内容とそぐわない『狂気の家畜人収容所』というタイトルで出版され、その扇情的な書名ゆえか、話題になることもなく忘れ去られた。
皆川博子の『死の泉』は紛れもなく、この『狂気の家畜人収容所』に描かれたレーベンスボルンをテーマにし、そこに集められた子供たちの戦後の物語なのである。『死の泉』というタイトルも『狂気の家畜人収容所』の第十三章からとられている。皆川博子自身も「あとがき」で、「レーベンスボルンの存在を知ったのは、二十年あまり昔になります。原題をAu Nom de la Race という一冊の翻訳書によってでした。戦争が子供にもたらした不条理として傷のように深く心に残り、いつかこの素材を物語に生かしたい」と考えていたと記している。
したがって、『死の泉』は何よりもレーベンスボルンとそこに収容された子供たちの物語として読まれなければならない。ドイツの敗戦によってレーベンスボルンは消滅したかのようにみえるが、子供たちはレーベンスボルンのトラウマを負いながら、戦後を生きなければならなかった。そしてレーベンスボルンもまた形を変えて存在し続けているではないか、それが『死の泉』を貫く物語の経糸である。
そのために『死の泉』は戦中、戦後を通して複数の視点によって描かれることになり、小説のなかの小説という形式をとって始まる。登場人物のひとりであり、レーベンスボルンの子供の父、ギュンターの著、野上晶訳として。小説のなかの小説『死の泉』は生命の泉、ミュンヘン、城の三部からなっている。
第一部「生命の泉」では戦中のレーベンスボルンがマルガレーテという私生児を妊った女性の視点で描かれていく。各国から誘拐されてきた子供たちと人種改造政策、これが第一のレーベンスボルン。マルガレーテは子供を出産し、所長のクラウスと結婚し、その家で暮らし始める。美術と音楽を愛好し、人体実験を行うクラウスの家。これが第二のレーベンスボルン。そして敗戦。しかしレーベンスボルンは終わらない。第二部「ミュンヘン」ではギュンターの視線で、クラウスの自宅と研究所と生活が浮き彫りにされる。これが第三のレーベンスボルン。さらに第三部の「城」ではレーベンスボルンゆかりの人々が一堂に会する。第四のレーベンスボルン。著者であるギュンターと二人の子供を除いて人々は死に、「城」で一応物語は終わる。しかし、訳者のあとがきに著者ギュンター訪問記が添えられている。書棚にあったマルガレーテの手記、それによるとギュンターは第三のレーベンスボルンで死んでいる。それならばギュンターと名乗る人物は誰なのか。隣室ではあおざめた女性がソファにもたれている。第五のレーベンスボルン。レーベンスボルンは現在でも存続している。(bk1ナビゲーター/小田光雄)