紙の本
「知性は死なない」--読了後に、このタイトルが体の中に深く定着していた。 本書には、著者自身の体験と、それに基づく明晰な英知の言論が輝いている。
2022/08/13 05:57
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投稿者:mitu - この投稿者のレビュー一覧を見る
2021年12月17日。
大阪市北区の「西梅田こころとからだのクリニック」で放火事件が発生。
たくさんの方が犠牲になった痛ましい事件。
ここでは「リワークプログラム」が実施されており、多くの人たちが心の病から社会復帰を目指していた。
事件の数日後の新聞に、本書が紹介されていた。
著者は、大学の教員時代に心の病を患った。そして、退職を余儀なくされた。
精神科病棟への入院後、「リワークプログラム」に参加。
現在では「元歴史学者」として、新たに活動を展開している。
私自身も、心の病により休職を経験した。
2014年にリワークプログラムに参加し、職場復帰を果たし今日に至っている。
「あなたには、あなたの『属性』も『能力』も問わずに、あなたを評価してくれる人がいますか」(P260)
老若男女が集うプログラムにあっては、肩書を名乗る必要もない。
ただ、健康になるために、その人そのもの。人間性だけがすべて。
そうした人と人のつながりこそが、心の病を回復させていくのだ。
プログラムだけではない。
ランチタイムの何気ないおしゃべり。
休憩時間の雑談。
すべてが有益だった。
一つひとつが人生の宝物になった。
病気から回復していった時のことを振り返りたくなり、そしてこれからのことを立ち止まって考えるため、本書を手に取った。
「知性は死なない」--読了後に、このタイトルが体の中に深く定着していた。
本書には、著者自身の体験と、それに基づく明晰な英知の言論が輝いている。
それ自体が、力強いレジリエンスの証であり、歓喜の歌声のようだ。
紙の本
著者の思索と鬱の中の苦しみが迫ってくる
2018/12/01 20:46
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投稿者:パニャンダルバルマン - この投稿者のレビュー一覧を見る
進学率が増加した今日の大学という場で著者の体験した、アカデミズムの歪んだあり方や知性への俗世間の軽薄な眼差し、教授陣の政治的思想と実際の言動の齟齬や、研究費大幅削減、一貫性を欠いたお上の教育計画など、現実の世知辛さ、生き辛さ、しんどさが肉薄してくる。鬱病に関する章の内容の濃さもさることながら、現代という激動の時代を帝国主義など歴史的観点から構造的に考察したその教養・知識の高さに驚愕するとともに恐れ入る。繊細な言葉で伝えられる平成という時代、現在、過去、未来。大真面目な話だけでなく、日常が大きな流れの一端に直接結びついているという感覚を味わわせてくれる本だと思う。
個人的には、鬱病の章で述べられている、著者の入院中の他の患者との交流の場面に「ゲーム」が登場するのがとても興味深かった。ゲームという仮想の秩序のロールプレイングを通して少しずつ現実の社会生活の秩序にも再適応していく様子は、多くの知識人の「想像の共同体」的な主張にもぴったりと当てはまる。危うさを秘めた、交換可能な共同体を運営する幻想体系に馴染むための練習の様子を、著者という知識人、そして一精神病棟入院患者の観点から眺められるのが面白かった。
電子書籍
うかがい知る大学という社会
2018/05/16 08:25
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投稿者:qima - この投稿者のレビュー一覧を見る
期待した内容だったかというと・・・若干物足りなかったですが、予期せぬ収穫もありました。それは、この本をめぐるツイッター界隈での研究者たちの議論。普段はおそらく個人間でかわされるだけの、文系研究者や研究活動をめぐる問題が、ツイッターで可視化され、とても興味深かったです。それだけでも、この本には価値がありました。
紙の本
いまいちかなあ
2019/03/10 21:06
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投稿者:はるはる - この投稿者のレビュー一覧を見る
うつ体験について記されたものならば、先崎学九段の「うつ病九段」の方がその病状がよくわかります。大学現場の話とは別の本として記された方がよかったのでは?
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【「知」に興味を抱くすべての人に――】私を育てるとともに、追い詰めた「平成」の思潮とは何だったのか。「知」はどうあるべきか。自身の体験とともに綴られた、待望の書!
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読後感の著者の印象は、真摯な方だなと。
こういう人が、まだインテリの中にいるんだな、少し驚きました。
非常に自分の能力を客観的に見ているというか、
その見方は、やはり、学問で培ったものかもしれません。
非常に、著者の人柄に、好感を持つことができました。
新進気鋭の学者だったので、著者の論文というよりも、
一般書に目が行っていましたが、
機会があれば、著者の論文にも目を通したいと思いました。
大学は、著者曰く、また、多くの人が思っているように「斜陽産業」です。
恐らくは、これから、淘汰と合併を繰り返して、あと20年もしないうちに数割は、
無くなるでしょう。
また、昨今発表された科学技術白書を見れば、
一目瞭然、日本の研究・学問の凋落は明白です。
一部の良心ある方は、指摘をしていますが、日本の教育機関は、
学問や教育を行う場所ではなくなっているかもしれません。
この著作の中にも、えっ、これが、大学人の話すこと、考えていることなのと、
思われる個所が多数あります(著者の発言内容ではありません、著者が見た、
教授会だったり、大学運営側の姿勢です)。
現在、あの手をこの手を使って、
国内、国外関わらず、学生を集めていますが、
この本を読む限り、学校運営している職員側や、教授陣のレベルが、垣間見ることができて、
これからも、日本の大学教育は、ますます下がっていくだろうなと思います。
日本の大学生の質は、世界的に見て、かなり低いですが、
その最大の指標が、1ヶ月に本を1冊も読まない学生は半数いて、
学習時間は平均数十分という調査結果です。
この結果を見ても、もう、日本の高等教育は、とっくに崩壊しています。
これは、まぁ、大学だけじゃなくて、企業経営や多くの分野に及びますが。
著者の自分の能力を失った時の絶望は、
想像することができませんが、
そこから、這い上がっていく著者の姿は、
やはり、知性を感じさせるものでした。
普通は、誰かのせいにしますが、
あくまで、著者は、かなり客観的に自分の状況を把握しています。
日本の自殺の理由の第一は、病気を苦にしてのものです。
その病気が、自分の核となる能力を奪うものなら、本人のダメージは相当なものでしょう。
準教授という肩書きが、何の意味もなさなくなるわけですから。
多くの人は、肩書きを求めて努力をして、結果として、得ても、
いつなくなるかわかりません。
特に日本人は、自分の安定を、組織への所属におきます。
組織への所属がなくなると、アイデンティティーや心の置き所がなくなり、
精神疾患に陥る可能性の高い人が多数います。
「この所属先では、そこそこだけど、もしなくなったら、何も誇れるものなんてないな」
と思っている人は多数います。
日本は、この20年、経済も全くだめ、教育も全くだめ、政治になると、絶望的にダメです。
では、未来は?おそらく、多くの人が感じるているように、もっとダメで���ょう。
中高生の7割は、自分に自信もなく、つまり、自尊心が異常に低く、
この国に希望もないという調査結果もあります。
まさに、日本が、絶望の状態です。
著者は絶望の中で、希望を見つけました。
それは、この著作の中で、もっとも、良い箇所だと思います。
人は、人生の中で、どこかで、絶望を感じることがありますが、
それを共有する人がいるだけで、絶望を「絶望」と客観的に認識でき、
共有性のおかげかわかりませんが、その状態から、這い上がるチャンスを与えてくれます。
著者が、これから、どういう言論活動が可能なのかは、本人のみぞしりますが、
その明晰な頭脳は、この絶望的な経験をして、より一層、役に立つと思います。
是非、広範な活躍を期待しています。
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論拠に乏しい情報や内実を伴わない情報が蔓延している現代において蔑ろにされてきた「知性」について、大学教員時代に躁うつ病を患った著者が、これからの社会を変えていくためにそれをどのように活かすか、考察している。
史実や現代社会論などの視座のほか、大学の現場で起きていた出来事や自身の疾病経験など多岐にわたる切り口から「知性」を見つめる展開が個人的に斬新であった。
病気の症状として能力(≒知性)の減退を経験した著者だからこそ、その偏りや差異を前提とした社会づくりの提唱には説得力を感じた。
これから求められる社会は万人の能力が高い社会ではなく、能力の高低を共有し、互いに心地よくいられる社会であり、その実現にこそ知性が必要となる、という考えには非常に共感し、また能力に自信のない私自身の肩の荷を少し軽くしてもらった感覚も持てた。
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與那覇先生の「中国化する日本」は、歴史研究のダイナミクスを教えてくれる興味深い本だった。学生時代に退屈な歴史を退屈に感じていたが、與那覇先生は大胆な仮説を立てて説明していく。そのやり方に衝撃を受けた。
最近ツイッターで見かけないなと思っていたのだけど、双極性障害を患って大学を退職されたことは、本著が日経新聞の書評で紹介されていて初めて知った。
本著は、今の世界を覆う反知性主義、それに至る現代史、著作自身の病気との闘い、アカデミズムの世界で真剣に取り組むゆえの苦悩など、様々なことが書かれている。人文系の研究者の一般書は、自身の経験とは切り離して書かれることが多いため、これらの点は新鮮だった。
切り取って語る與那覇先生の大胆さは、少しも失われていないなと感じた。
今後アカデミズムに戻るのか、あるいは在野で生きていかれるのか、本著には書かれていない。
私は今後も與那覇先生の本を読むのが楽しみである。まずは快復をお祈りしております。
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こんなにリベラルな本は初めて読みました。とはいえ、躁は言語に鬱は身体にという仮説はとても納得度が高い。
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スティーブジョブズ単体であれば、ただの無能者。話し上手が存在できるのは、往々にしてまわりに聞き上手がいるから。あらゆる能力は、究極的には「私有」できない。その能力は私有財産のように、その人だけで処分できない。人が人といやおうなくつながる理由。だから他人を思いやり、大切にしないといけない、傷つけてはいけない。
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自らの鬱体験を率直に語りつつ、世の鬱に関する言説を分析してみせる第1~2章、躁鬱病を哲学的に解釈する第3章、また、反知性主義を言葉としての帝国と身体としての民族という枠組みで分析してみせる4~5章は面白かった。このあたりだけなら星5つ。第6章は能力やコミュニズムという概念のとらえかたになるほどと思わせる面があるものの、論の進め方やそこであげられる事例には、自分の感覚からするとしっくりこないものが多かった。何にせよ、頭のよい人だなと思った。
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久しぶりに与那覇さんの本を読読んだ。
共感しながら読めた。自分が普段感じていた事、考えていた事を的確に分析して考察し、表現されてる本に出会えてラッキーだったな。
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出だしが良かった
基本的に、僭越ではあるけど、考え方は似ているような気がした
専門じゃないから仕方ないにしても、ただ病気のところで相反するような記述があって
その後箇所でもちょくちょく不正確、というかそれは違うんじゃってのも割にあった気がした 中国こそ易姓革命の歴史があるだろうとか、アメリカの大学も大衆化してるだろう、とか.....
ただ一歩下がって物事を、ちょっと立ち止まって考える視点とかは大事よねってところは当然共感できたし、右左共に感じる苦々しさは、まさにそれそれという感じで共感できた
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アカデミズムの世界の暗い側面から滑り出して、平成という時代を軸に次々と小話のように論を展開していく。鬱病患者として精神病棟で治療にあたった時の記述が興味深い方の意味で面白かった。
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平成は「戦後日本の長い黄昏」
大学准教授で躁鬱病になった作者
「うつはこころの風邪」 は誤解
気軽に医者に相談していいという意味では成功したコピーだが、風邪のように薬を飲んでもすぐに治らない
ストレスを除去して軽減する場合はうつではなく適応障害
ハイデガー「現存在」
私とは、つねに自分の思考や身体をあやつっているのは、ほかならぬこの私だ、と想い続けることでのみ私でいられる
「人間中心主義的」→サルトルの実存主義に帰結
左翼思想、マルクス主義が流行した主因は「なぜ、われわれは無謀な戦争をしてしまったのか」を分析的に語ることに成功したから
なんとなくあいつムカつく、という身体的な感情が先にあれば、それを正当化してくれることばなんて、いくらでも後からあふれてくる
フルシチョフやチャーチルも躁うつだった
エクリチュール=書かれたもの
書かれたものに影響を受けたりしながら自分の思想を作っている
身体的なのがカトリック、ロシア正教
言語的なのがプロテスタント=アメリカ
トランプの政治は身体的「私が民族だ」
俺はアメリカ人。俺が感じることと同じように感じるのがアメリカ人。そうじゃない人はアメリカ人じゃないので言うこと聞かない。
象徴天皇というかたちで、政治的な実権と離れたところに「民族の身体」を持っているのは、目下の日本社会にとってはあきらかなメリット
でもそこにはやはり無理があったから「生前退位」につながったのでは?
しあわせとは旅の仕方であって、行き先のことではない。