「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
- カテゴリ:一般
- 発売日:2011/02/01
- 出版社: 東京創元社
- サイズ:19cm/348p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-488-01332-5
紙の本
忘れられた花園 下
2005年、オーストラリアのブリスベンで祖母ネルと暮らしていたカサンドラは、亡くなった祖母からイギリス、コーンウォールの崖の上にあるコテージを相続した。1975年になぜネ...
忘れられた花園 下
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
2005年、オーストラリアのブリスベンで祖母ネルと暮らしていたカサンドラは、亡くなった祖母からイギリス、コーンウォールの崖の上にあるコテージを相続した。1975年になぜネルはそのコテージを買ったのか?ネルの書き残したノートと古いお伽噺集を手に、カサンドラはイギリスに渡った。今はホテルとなっているマウントラチェット家の豪壮な屋敷ブラックハースト荘、その敷地のはずれ、茨の迷路の先にあるコテージが彼女のものとなったのだった。カサンドラは、コテージの手入れを進めるうちに、蔓植物に埋もれるようにして閉ざされ、ひっそりと忘れられていた庭園を見出す。封印され忘れられた花園が彼女に告げる驚くべき真実とは?ネルとはいったい誰だったのか?そしてブラックハースト荘の秘密とは…?サンデー・タイムズ・ベストセラー第1位。Amazon.comベストブック。オーストラリアABIA年間最優秀小説賞受賞。【「BOOK」データベースの商品解説】
【オーストラリア出版業界ABIA年間最優秀小説賞(2009年)】【翻訳ミステリー大賞(第3回)】2005年、オーストラリアのブリスベンで祖母ネルと暮らしていたカサンドラは、亡くなった祖母からイギリス・コーンウォールの崖の上にあるコテージを相続した。イギリスに渡ったカサンドラが見出したものとは…。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ケイト・モートン
- 略歴
- 〈ケイト・モートン〉1976年南オーストラリア州ベリ生まれ。クイーンズランド大学で舞台美術とイギリス文学を修めた。2006年「リヴァトン館」で作家デビュー。ブリスベン在住。
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
大陸に住む、という国民性と、かつての宗主国との複雑な関係
2016/04/16 16:49
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京創元社が大プッシュしてたので、読んでみた。
タイトルからもバーネットの『ひみつの花園』を連想させるではないですか(実際は『秘密の花園』なのでしょうが、最初に読んだのはそういうタイトルだったのです)。 ゴシックロマンかなぁ、と思って。
1913年、ロンドンからの船がオーストラリアの港に到着した。 乗客が去った後、一人の少女が取り残された。 自分のことを何も覚えていない少女は港湾職員夫妻に引き取られ、ネルと名付けられて過去のことはすべて忘れて育てられるが、21歳の誕生日に父親から真実を告げられる。 そのとき持っていたトランクの中には身の回りの品と一冊のおとぎ話の本。
2005年、ネルの孫のカサンドラは祖母を看取り、自分にイギリス・コーンウォールのコテージが遺産として譲られることを知る。 何故祖母はイギリスの不動産など持っていたのか。 カサンドラはネルの過去を追い、ネル自身が探し求めた自分の過去を追体験する・・・というような話。 これに、おとぎ話の作者イライザ・メイクピースの生きた時間1900年前後の時代が絡み、100年以上にわたる物語がタペストリー状に展開していくのです。
ミステリを期待すると、正直ちょっと肩すかし。
でも『ひみつの花園』や『嵐が丘』、『オリバー・ツイスト』などなどの作品群の雰囲気が漂い、程よいゴシックロマンが楽しめます。
しかし作者ケイト・モートンはオーストラリア人だそうで、以前に別の人の作品ではあるがオーストラリア人作者による『古書の来歴』を読んだときにも感じたのだけれど、結構大雑把というか、「えっ、それちょっと無茶だろ!」な描写がみられる・・・オーストラリア大陸に育つが故のおおらかな国民性ですか?(そのあたり、訳者あとがきにも書かれていて大爆笑であった)
が、なにより特筆すべきは翻訳がいいこと! あたかも日本人作家が書いたかのような自然な文体が素晴らしい。 装丁もシックだし、中身も語り手によって活字を変えたりするといった工夫が素敵。 内容が一部あれなので子供には薦めにくいが、でも小学校高学年ならば十分読めるし、もしかしたら自分の趣味嗜好を変える作品になるかもしれない。 三つ子の魂百まで、です。(2011年10月読了)
紙の本
家族を中心にまとまろうとする力、家族から遠くへと離れようとする力。その緊張関係がもたらすいくつものドラマ。これはある血族の悲劇、ビクトリア朝末期の世紀末から現代に至る血の相克である。
2011/04/29 18:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
1913年、ロンドンからオーストラリアに着いた船にたったひとり残された少女ネルに何があったのか。
魔法の組み紐が遡る謎の原点には名門貴族・マウントラチェット家の家族関係があった。
ビクトリア朝世紀末と現代にまたがる家族関係の普遍性とは?
私は『家政婦は見た』という二時間テレビドラマをよく見た。俗受けするドラマの典型で市原悦子の個性が大金持ち家族の内部事情を覗き見するところに面白さがあった。この作品の謎解きも、つまるところ家庭内事情の暴露にすぎないのだが………。『家政婦は見た』の金銭欲、相続争いとはまるで次元が異なる。
マウントラチェット家の家庭内事情とはなんであったか。
それはイギリス繁栄の絶頂期であったビクトリア朝末期、いわゆる「世紀末という時代」そのものであったことに気づかされる。
まだ身分制度の下で、王侯貴族が領民を貧しいままに支配する社会構造があった。一方で産業革命の成果を得た新興勢力が台頭し、労働者という新しい貧困層が量産されていた。光と影は交錯しながらも、堅固だったはずの貴族たちの楼閣は崩壊していく。
ところが貴族たちは以前にも増してその身分にふさわしい格式にこだわる。虚栄であり、偽善であり、はきちがえたプライドだ。欺瞞。世間をはばかる事件が起これば隠蔽する、身内を幽閉することもあったという。また性的関心については、実際にはどうしようもないスケベなのに、表ではまったく存在しないように振舞った。特に女性や子どもは性的なことに無知で無邪気が美徳とされた。カマトトの奨励である。これを「ビクトリア朝、偽善の道徳」とよんだ。
マウントラチェット家の主・「ライナス」(1860年生まれ)は隠微な倒錯の世界にさまようだけの男だが、幼児期に肉体的、精神的ダメッジをうけている。取り繕わねばならない男の卑しさでもあり哀しさでもある。ライナスの妻、身分の低い家柄から嫁に来た女主人・「アデリーン」はその劣等感の裏返しに、高慢だけのプライドで「お家の大事は許しません」とことごとくを差配する。「ビクトリア朝、偽善の道徳」を徹底する人格として登場する。もちろん彼女はそれが最高の道徳だとして疑わない。
19世紀から20世紀への狭間で彼等は19世紀の枠組みにとどまろうとしてあがいていた。
いっぽう、この時代は中産階級の勃興期にあり、既成の枠を破壊し、自由を求め、偽善は偽善だと指摘する合理主義の風潮が強まりつつあった。だからライナスの妹・「ジョ-ジアナ」(1870年生まれ)とその娘・「イライザ」(1888年生まれ)はマウントラチェット家の家柄とは反対の極へ向かおうとするである。彼女たちがゴロツキの一家と住んでいた貧民窟、その猥雑と喧騒には裏表のない本音の生活が見える。
ただ、彼女たちのように個を貫く生き方を評価するのは現代であって、20世紀初頭はまだ早すぎたのだ。
「ライナス」と「アデリーン」夫婦の一人娘「ローズ」(1889年生まれ)はマウントラチェット家のお姫様だ。既成の枠組みも新しい枠組みも無関係、自己なんて持たない、かわいらしいさがとりえの文字通り、深窓の令嬢だ。なに不自由なく夢のような生活を送っていた。だが、あるとき突然、過酷な現実に直面、眠っていた本能がさらけ、意表をつく醜怪な変貌をとげるのである。
この家族の一人一人の内面が、その内面の変化が実に詳細に紡がれる。愛憎の葛藤は単なる世代間の離反だけではない。惜しみなく奪う愛であるかもしれない。嫉妬という愛の反作用かもしれない。憎しみといっても変形した愛なのかもしれない。深く見つめれば、混沌とはしているものの、家族愛あるいは母性という本源的、普遍的な求心力がそこに見え隠れするのである。離反と求心の関係が妖しく描かれる。だからこそ、それぞれの悲劇は増幅される。
エロティックでグロテスクでサディスティックな「世紀末」であるから、いくらでも露骨なハードコアで描写できるのだが、そうはしなかったところがいい。なにせ、お伽噺だ。いかにも世紀末の偽善風にお上品なベールで包んで語るものだから、あれこれと想像をたくましくさせられ、むしろ余計に扇情的である。
そして1909年生まれの少女・「ネル」になにがあったか?という謎の原点が明らかにされる。
ところで、「ネル」という房のよじれを直して見たときに、著者が説明していない謎が二つ、読者の前に残されている………と私には思われた。
21歳のネルに義理の父が出生の真実を語ったとき、なぜ、彼女はこの家庭と一線を画することにしたのか?
67歳、長い努力が報われ、自分の過去が明らかになる直前に、なぜ彼女は真相究明をやめてしまったのか?
家族。血のつながった家族もあれば血のつながらない家族もまた家族であろう。養子縁組から連れ子、現代はさらに生殖医療の発達、代理ママの実際、まして先行きクローンなんてことになればますます複雑な家族の型がうまれる。しかし、どんな家族であっても、構成メンバーのそれぞれに対しどこか求心力が働くものだ。同時に構成メンバーは自分の人生を作り上げるためにその枠組みから離脱する遠心力を持っている。いつの時代でも、割り切ることが難しい、その綱の引き合いこそ家族とそのメンバーと家族問題なのだろう。
そう考えると「ネロ」の21歳では遠心力のほうが、67歳では求心力のほうが強く働いたと私には思われるのだ。
そしてその変化がネルの成長の軌跡だったのではないだろうか。
哀しい人生ばかりの物語だった。
最後になって、祖母「ネル」の過去を追った「カサンドラ」だが、さて何歳
だったかと冒頭へと戻ってみれば。若いエネルギーを感じていたのだが、実は人生も半ば、それなりの苦労を経験した39歳(1966年生まれ)だった。
いま、彼女はこのプロセスを経てネルへの求心力を肌で感じ始めている。
そして自己再生の飛躍と新しい家族関係構築を両立させるキラキラした明日を期待させて、物語の幕を閉じようとしている。
めでたし、めでたし。
紙の本
幻想的
2021/12/16 20:14
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
置き去りにされた少女の身元は?という謎を中心にオーストラリア、イギリスと舞台が様々に変わりまた年代も行ったり来たりするので誰が誰だか混乱しますが、次第に引き込まれて行きました。封印されてきた花園の描写、挿入される童話の雰囲気がとても幻想的です。