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泥棒日記 改版(新潮文庫)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.2 18件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:1990
  • 出版社: 新潮社
  • レーベル: 新潮文庫
  • サイズ:16cm/426p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-211901-9
  • 国内送料無料
文庫

紙の本

泥棒日記 改版 (新潮文庫)

著者 ジャン・ジュネ (著),朝吹 三吉 (訳)

泥棒日記 改版 (新潮文庫)

810(税込)

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みんなのレビュー18件

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紙の本

泥棒日記

2001/10/04 20:00

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あんぱん - この投稿者のレビュー一覧を見る

 題名から察せられるとうりこれはもと泥棒により書かれた小説である。
 作品は元泥棒が書いたとは思えないほどに完成度の高いものであり、作品で提示されている哲学的な悪の思想は泥棒という異色の職業を経てきた異端児ジュネだからこそ書き得たものであろう。
 傑作である。

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2006/12/24 15:10

投稿元:ブクログ

少し(というか大分)前に出版された本だったので、文字が小さく詰まっていて、見かけ以上に長い話でした。
ジュネは醜いものを、本来醜いものに使うべきではない美辞麗句によって美しく描いているが、決して美しいものを醜く描いていると言うわけではない。それでも、あまりの乞食っぷり(当時それが至る所で見られたものとはいえ)の描写には驚きました。泥棒としての罪悪感のなさも。
ジュネの愛(男色)は配偶行動抜きの、まさに真実の愛だったといえるのではないのだろうか?そう思わせるような日記でした。

2007/01/16 16:22

投稿元:ブクログ

彼の小説の中ではこれと、「葬儀」が好きでした。もちろん、「薔薇の奇蹟」「花のノートルダム」もいいです。
ジュネに関しては堀口大学さんの訳も合ってますよ。

2011/08/14 14:24

投稿元:ブクログ

はじまり
従刑囚の服は薔薇色と白の縞になっている。もし、この、わたしが居心地よく思う世界を、自分の心の命ずるままに選びとったのだとすれば、わたしには少なくともそこに自分の欲するさまざまな意味を見いだす自由はあるだろう、——それで、花と従刑囚とのあいだには緊密な関係があるのだ。一方の繊弱さ、繊細さと、他方の凶暴な冷酷さとは同じ質のものである。わたしは、従刑囚——か犯罪者——を描くことがあるたびに、その男を数々の花で飾ってやるだろう、そのため彼は花々の下にその姿を消し、そして彼自身一つの巨大な、新しい花となるだろう。人々が悪とよぶものに向って、わたしは愛ゆえに、監獄へとわたしを導いた冒険を今日までつづけてきたのだった。

P126
——16歳から30歳にいたる期間、感化院や刑務所や酒場で、わたしは英雄的な冒険を捜し求めていたのではなく、最も美しい、また最も不幸な犯罪者たちとの同一化を追い求めていたのだ。わたしは、恋する男についてシベリヤへ行く若い淫売婦、あるいは、彼の復讐をするためにではなく、彼を悼んで泣き、そして彼の名を顕揚するために、恋する男の死後も生き続ける淫売婦のようでありたいと・・・。

P138
この書物『泥棒日記』は、すなわち、「到達不可能な無価値性」の追求、である。

P175
わたしは先刻から語っている人間は、そもそもの始まりから死んでいるのだ、つまり、定着されているのだ。なぜならわたしは、始源の不幸を包含するとわたしが考えた終末以外、他のいかなる終末のためにも生きることを拒否するのだから。——わたしの生涯は伝説、すなわち、読みうるもの、であらねばならぬ、そしてそれが読まれるとき、わたしが詩(ポエジー)とよぶある新しい感動を生じせしめねばならぬ。わたしは、媒介具(プレテクスト)である以外、もはや何ものでもないのだ。

P263
大多数の不良少年と同様、わたしは、感化院製となるものを実現させる多くの行動を、熟慮のうえではなく、自然に遂行することもできただろう。そしてわたしは素朴な苦痛と喜びを知り、その生活は、誰もが表明することのできる、月並みな考えしかわたしに抱かせなかっただろう。しかしメトレーの感化院は、わたしの性愛上の嗜好をこそ十分に満足させてくれたが、わたしの感受性を絶えず傷つけていたのだ。わたしは苦しみ悩んでいた。わたしは、頭を丸坊主にされ、穢らわしい制服を着せられて、この卑しむべき場所に拘禁されていることの恥辱感に苛まれていた。——わたしに対するあらゆる非難に対して、たとえそれが不当のものであっても、心の底から、然り、と答えよう——

彼の自己憐憫は、自己憐憫を、つきぬけている。なんて気持ちいいんだ。

2007/05/15 21:26

投稿元:ブクログ

愛すべきジュネ(笑)自分に誇りを持っていいんだよ?と教えてくれたのはジュネでした。もう、そんなの、忘れてしまってますけど。しかし、長くて濃かった…(笑)20代前半で読んだもの。捨てられず、売れなく(笑)納戸の本棚にも仕舞えない大切な本です。

2007/09/07 11:45

投稿元:ブクログ

この書物『泥棒日記』は、すなわち、「到達不可能な無価性」の追求、である。

この本、凄い。

善悪とか美醜、そんな基準を超えた、常識をぶち壊すジュネの感性。それが、視覚的でなく感覚的に迫ってくるから、怖くてしょうがない。脳みその1しわ1しわから、あぶら汗がびっしり出てくるような恐怖とスリルは、もう、楽しむ以外に為す術が無い。興奮と感嘆の中に僕は取り残される。自分の母親に「涎をたれ流すか、彼女の両手の中にげろを吐くだけで我慢しよう」とか、「痰が人を感動させずにはいない生命力に満ち」ているとか、「糞をする犬が感動的」だとか、モノの観点が全然違う。真の芸術家の狂気、始めて感じた。

2007/09/15 10:27

投稿元:ブクログ

父なし子として生まれ、母に捨てられ、裏切りと盗みをおぼえ、泥棒と男娼をしながらヨーロッパを放浪し、前半生のほとんどを牢獄ですごしたジュネの自伝的作品。

2009/03/30 18:53

投稿元:ブクログ

圧倒的に重い小説でした。
理解できないことを当然のように並べられ、理解できるかと問われる。
「理解できない」と答えるしかないけれど、それでもその表現や奥にあるものは何なのか、必死で目を凝らす。
そんな作業の積み重ねで、読み終えた頃には疲労困憊でしたが、そういう作業と向き合わせてくれる何かがある、そんな小説であるように思います。

2009/06/11 12:53

投稿元:ブクログ

ピカレスク(悪態)文学の最高峰とも言われる作品。
1人の泥棒(脱走兵∧男娼)の目線を通して既存の価値観に真っ向勝負して、そして敗北する。
「背徳の美学とは、いかなるものか?」ということが知りたければ是非一度手に取ってみてください。
ここまで世の中を斜めから見れたら『ホンモノ』だと思います。

この作品に関連して、
第一次世界大戦後に欧州でおこったダダイズムや
デカダンスの概念などを一緒に考察すると
非常に深みのある社会の一面が垣間見えるように思います。

このジャンルに興味のある方は。
○ランボー「地獄の季節」(これもある意味詩集です)
○ボードレール「悪の華」(詩集)
など読んでみてください。

2012/04/22 17:24

投稿元:ブクログ

以下引用。

(……)彼はやにわに親元の金を奪いとった。相手の男はパッと立ちあがって、彼を蹴飛ばそうとした。ペペは体をかわして、わたしに奪った金を手渡した。わたしがそれをポケットにねじこんだときには、もう彼のナイフがひらかれていた。彼はただひと突きでそれをスペイン人の心臓に突き立てた。それは陽にやけた大きな男だったが、地面の上に倒れ、その陽やけした顔の色は見るみるうちに蒼ざめてゆき、身体を引きつらせ、身をよじり、そして埃まみれになって息を引きとった。わたしは初めて人が死ぬのを見たのだった。ペペはもう姿を消していた、が、わたしが死人から眼を離して顔を上げたとき、わたしはそこに、かすかな微笑を浮かべながら死人を見つめていたスティリターノを見たのだ。陽が沈みかかっていた。わたしの眼前に、世界のあらゆる国々から来た水兵や兵士やならず者や泥棒たちの群衆のただ中に、死人と、人間のなかで最も美しい男とが、同じ金色の埃の中で一つに溶け合っていた。地球は回ってはいなかった、――スティリターノを乗せて、それは太陽の周囲でただ顫えていた。わたしは同じ瞬間に、死と愛を知ったのだった。(p.51)

(……)わたしは独りだった。わたしはつつましく道路のいちばん端の溝のわきを歩いていたので、そこに生えている白っぽい草の埃がわたしの両足にくっついた。この難破の状態においても――というのは、この世のあらゆる不幸がわたしを絶望の大海の中に沈めていたのだから――、わたしはなお、ときどきは黒人の恐るべき、力強い一本の枝に齧りつく甘美さを味わった。世界のあらゆる潮流(ながれ)に打ち勝つこの枝は、あなた方の対立を全部合わせたよりも確乎とし、慰めに満ち、わたしの嘆息に値したのだ。夕方近くなる頃には、わたしの両足は汗にまみれていた。それで、夏の夕方はあたしは泥の中を行くわけだった。太陽は、わたしの頭の中を思想のかわりをする鉛で満たすと同時に、わたしの頭を空っぽにした。アンダルシアは美しく、暑く、そして不毛だった。わたしはこのアンダルシアをその隅々まで跋渉し尽した。その年頃ではわたしは疲れを知らなかった。わたしはあまりにも重い悲嘆の重荷を身につけて歩いていたので、わたしはこうして一生さまよいつづけるのだろうと思った。たんにわたしの生涯の飾りとなる一時のことではなく、放浪はわたしにとって実体となったのだった。わたしはわたしが何を考えていたのか忘れてしまったが、しかし神にわたしの悲惨さのすべてを捧げたことを憶えている。人間たちから遠く離れた孤独のなかで、わたしは、ほとんど、全身ただ愛であり、ただ献身であった。(p.105~106)

 わたしは黙ったままでいた。わたしは注意深くわたし自身を観察していたのだ。わたしの裡で、ゲシュタポという言葉が巻き起こした波が、激しく打寄せていた。その波濤の上を、リュシアンが歩いていた。波は乗せていた、彼の優美な足を、彼の筋肉隆々とした身体を、そのしなやかさを、彼の脛を、きらきらと光る髪をいただいたその顔を……。わたしは、この肉体の宮殿の奥深くに完全な悪が棲み、それがこの四肢の、胴体の、この影と光の完璧な均勢を作りなしているのだろうと想像して恍惚と���っていた。やがてこの宮殿は徐々に波の中に沈んでゆき、しばらくのあいだ、我々が歩いていた岸辺に打寄せている海のただ中に漂っていたが、やがて次第に液化して、しまいにこの海そのものと化してしまった。言うに言われない安らぎ、優しい感動が、この豊饒な宝庫の中の、このように尊い孤独を前にしたわたしをいっぱいに満たした。わたしはできれば寝入りたかった、眠らずに、この波の上で、両腕を胸に組んで、寝入りたいと思った。外界の陰、空の、道の、樹々の陰がわたしの両眼から入ってきて、わたしの裡に隅々にまで拡がっていった。(p.222~223)

2010/06/09 18:06

投稿元:ブクログ

ジャン・ジュネの『泥棒日記』は、まさしくフランス的だと思う。
華麗で洒落ていて繊細でいて装飾過多。
左脳じゃなくて右脳。
言葉を言葉として考えるのではなく、言葉の持つイメージだけがするりするりと脳の中に染み込んでくる。そして染み込んだそれは、忽ち像を成して広がってゆく。

たとえば他の本(文章)から、私は時々イメージを思い浮かべたり創作意欲が湧いたりインスパイアされたりするのだけれど、ジュネの文章はそれ自体がまるで美しい絵画のようだと思う。
だから私はそこから何かを得るのではなく、ただそこにある世界を受け入れ、鑑賞し、味わう。
まるで言葉が踊っているような感じ。

こういう文章は苦手な人もいると思うので、積極的におススメはできない。途中ちょっとつまらなく感じたりもするし、尻窄みの印象も否めない。読み終わった後の全体的な評価としては微妙。
でも私は案外好き。悪くない。
さらりと読める本に飽きた方、右脳で読むのが得意な方は是非どうぞ。

2011/05/29 16:04

投稿元:ブクログ

言語の力によって現実世界の価値をことごとく転倒させ、幻想と夢魔のイメージで描き出される壮麗な倒錯の世界。――裏切り、盗み、乞食、男色。父なし子として生れ、母にも捨てられ、泥棒をしながらヨーロッパ各地を放浪し、前半生のほとんどを牢獄におくったジュネ。終身禁固となるところをサルトルらの運動によって特赦を受けた怪物作家の、もっとも自伝的な色彩の濃い代表作。

2013/12/01 22:59

投稿元:ブクログ

普通の人間にとって正真正銘の別の世界の住人である筆者が送る言語という道具を最大限に駆使した自伝的文学。彼の紡ぎ出す言葉の連なりは独創的で繊細な彼の感受性によってたっている。偽ることなくありのままに描き出されている豊穣で粘りつくような世界は目も眩むばかりで底なしに壮麗である。

2012/04/21 16:54

投稿元:ブクログ

文字が多い。ところどころ素晴らしく面白い。俺とアル中はもう兄弟分じゃあないんだ。彼は未だ汚辱の中だ。俺とは見てきた世界が違いすぎる。

2011/11/06 16:33

投稿元:ブクログ

美とは決して皆が賞賛する様な物のみだけならず、
皆が避け、侮蔑するような醜さと卑しさの中にも存在するのだということを、
彼自身の半生を詩的な表現で彩りながら示していく自伝的小説。
価値観の反転と倒錯。

著者であるジュネは、父の顔も知らぬ私生児として生まれ、
盗みと乞食として生計を立てながら、
人生の半分を獄中で過ごしてきた。

「私は今でも、人間であろうと物質であろうと、最も卑しい屑に向かって優しく微笑みかけることができる。唾液やげろにさえ、諸君の排泄物にさえ…」
と述べる彼の目に、世界はどのように見えていたのだろうか。

全ての落伍者とはみ出し者に、花束を。