紙の本
パン屋を襲う
2021/04/29 22:25
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹の初期の短編小説「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」に、ドイツのイラストレーターがイラストを添えたもの。最初ドイツで出版され、それに触発されて村上春樹が日本語の小説に手を入れてタイトルを変え、日本で出版する事になったらしい。
初期の村上春樹作品に溢れるいわゆる「村上春樹らしさ」が損なわれずに残っており、とてもいい。
内容は腹をすかせているが、働く気にならない男二人がパン屋を襲うという話と、数年後、男のうちの一人が結婚し、夜に猛烈な空腹感に襲われて、夫婦でマックを襲うというシンプルな筋書きで、多様な解釈が出来る。
イラストも解釈の参考になる気がする。「再びパン屋を襲う」でドナルド・マクドナルドの同じ顔が三人描かれているイラストは、マニュアルに従うマックの店員の没個性な様子を表しているのか、など。とても面白い本だった。
紙の本
無軌道な若者と太っ腹店主
2020/02/28 23:03
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある日突然にパン屋を襲撃するふたり組と、無料で商品を提供する店主との鉢合わせがユーモラスです。10年の時を越えて主人公に降りかかる呪いと、すべてが解放されるラストが驚きでした。
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
30年前に読んだ村上氏の作品が、一部手直しで出版されたと聞き、購入。忘れていたところもあったが読み進むうち思い出し、懐かしくもあり、また、氏の才能に改めて感心したり。腹が減ったから相棒とパン屋を襲い、今度は妻と襲う。春樹氏らしい発想は、昔から変わらないのだと再認識。イラストも良い。
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改稿版アートブック。
時の経つ速さに驚く、20年振りの再読。
当時の衝撃もそのままに蘇る。彼の作品に夢中になった記憶に残る作品。
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プルリングが缶から外れず残るようになっていた頃の話。マクドナルドはまだあるし、ビッグマックもなくなっていない。プルリングだけが時代を感じさせ、物語は少しも古びていない。
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本書は村上春樹の初期の短編『パン屋襲撃』と『パン屋再襲撃』に手を加えて再出版したものだ。高そうな紙質に素敵で幻想的な挿絵、そして少ない頁数。あとがきで村上春樹も(ポジティブな意味で)「絵本」と呼んでいる。過去の短編に違う相貌をまとわせることで購入すべき理由と価値を付け加える。こんな贅沢が許されるのは今の日本の作家では村上春樹だけだろう。
「パン屋を襲ったときの話を妻に聞かせたことが正しい選択だったかどうか、いまもって確信が持てない。たぶんそれは正しいとか正しくないとかいう基準では推しはかることができないものごとなのだろう。つまり世の中は正しい結果をもたらす正しくない選択もあるし、正しくない結果をもたらす正しい選択もあるということだ。このような不条理性 ― と言って構わないと思う ― を回避するには、我々は実際には何ひとつとして選択してはいないのだという立場をとる必要があるし、おおむね僕はそんな風に考えて暮らしている。起ったことはもう起ったことだし、起っていないことはまだ起っていないことなのだ。」(P.26)
この一文に書かれたような、ものごとに対する姿勢というものは、著者自身が一貫して保持しているものである。手元の「パン屋再襲撃」の文庫本を手に取ってみると、冒頭のこの部分に線が引いてあった。この線を引いた自分はずいぶんと若い自分のはずだが、印象に残るフレーズというのは大して変わらないものなのかもしれない。
「選択」についていうと、パン屋を襲うという選択にも言及されていることに気づかないわけにはいかない。ここに出てくる「空腹」に何を象徴させるのかとともに色々な解釈が可能なテキストになっている。「空腹」を表現する独特の比喩表現も昔の村上春樹節が全開という感じでよい。そういう感想は若いころには持たなかったかもしれない。持っていたのを単に忘れているだけなのかもしれないけど。
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『パン屋襲撃』の方は文庫本には収められておらず、自分にとっては初出。『パン屋再襲撃』の前にこんな小品があったんだ。
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いやはや、本屋で見つけてうっかり買ってしまった。無性にまた読みたくなって。文庫を引っ張り出せばいいんだけど。
前に読んだ時よりも、比喩がしっくりくる。改編のためだけではないと思う。年をとったのかな。
オバサンがパンを選ぶくだり最高。
2013/03/03読了。
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パン屋襲撃はたぶん初めて読んだ。
こうして再襲撃と合わせて読むと、ボニー&クライドと思っていた夫婦が、
ゴダール映画から出てきたアンナ・カリーナとジャン・ポール・ベルモンドのようにリアルに思えてくる。とてもシュール。
ボートから湖の底を見るくだり、すごく好きだ。そんな風に意識がトリップするあの瞬間を、見事に言葉にして表現してくれる村上さんが、やはり私は大好きだな。
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単行本になった1980年代に読んだときのような面白さはなくなっていました。自分が変わったんでしょうね。
イラストはいいのもあるし、なんだかなーというのもありました。
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『このような不条理性ーと言ってかまわないと思うーを回避するには、我々は実際には何ひとつとして選択してはいないのだという立場をとる必要があるし、おおむね僕はそんな風に考えて暮らしている』-『再びパン屋を襲う』
村上春樹の描き出す、現実に似ているけれど根本的に何かがずれている世界に興味がある。その根本的にずれているもののためだろうか、現実によく似た世界はどことなく平べったくて、その中を動き回る人物たちも映画のスクリーンに映し出される影のように見え、語られる言葉はあらかじめスクリプトされた台詞のように響く。それを御伽草子的な雰囲気と言ってもよいのだが、そのくせどこかでスクリーンのこちら側の現実に響き、観客席に座るものを落ち着かない気分にさせる。これは暗喩に満ちた架空の世界なのだ、と。
その作品について何かを語ろうとするもののすぐ目と鼻の先で、スクリーンの上の影はぺろりと舌を出し、単純な言葉に矮小化されてしまわれるのを拒絶する。何かをそのエッセンスとして抽出しようとする試みを、悉く退けてくるような手応えが、手元に残る。
それ以上に何を言うべきか。村上春樹は、読むものにたっぷりとした余地を与えつつも、自分自身に言及されることは許さない、という雰囲気もまた同時に醸し出す。脳みそを存分に刺激するだけ刺激して、しっかりと握りしめていた筈の手の中からいつの間にか消えている。その喪失感が意味するものは何なのか、その答えを希求することが正しいことなのだという意識だけを植えつけて。
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シュールで不思議なお話。比喩も冴えてる。再 は読んでたと思うけど、襲撃は初かも。オバサンとパン屋の主人いいなぁ。
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1980年代に書かれた初期の短編小説2本に、ドイツ人イラストレーターのカット・メンシックという人が2~3ページ毎にイラストを入れた、薄っぺらく装丁は紙質からして豪華な本。
難しいことを書いた、絵本という感じでした。読むだけなら1時間かからない、謎の1700円の本でした。うーん。
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世界の根本的なレギュレーションはおかしいんだけど、そのおかしな世界の中でのリアリティが死守されているのが、この人のお話に共通する魅力だと思う。
『襲撃』『再襲撃』どちらも背景のガジェットがちょっとだけアップデートされているけれど、お話の根幹はまったくいっしょ。絵本になっているので、イメージにある程度のベクトルができてしまっている。それをよしとするか否かは読み手しだい。
ぼくは最初は挿絵を見ずに読み、二度目は挿絵をじっくり見ながら読みました。二度おいしかったです。いや、以前に読んだのも合わせると三度おいしかったか。
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この方の短編は何故にこんなに不気味なんだろう…
モヤモヤとした気分のまま読み終わるのであんまり好きじゃない。
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村上春樹の短編の中で「パン屋再襲撃」が最も好き。この本は、「パン屋
再襲撃」とその前作である「パン屋襲撃」を一部改編してイラスト付きの絵本にしたもの。
長年再読し続けたせいで、潜水服のイラストの方がしっくりくる(文庫本表紙)が、内容はやっぱり面白い。