紙の本
不条理を生み出し続ける
2018/05/01 05:43
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
無機質で巨大な工場地帯を描いた、表題作が圧巻です。迷い込んだ3人に訪れる予想外の結末には不思議な味わいがありました。
紙の本
緻密かつ奇妙。
2016/02/07 23:00
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
「穴」で有名な小山田浩子さんのデビュー作です。3つの中篇が収録されていますが、表題作「工場」が飛び抜けて好きな作品でした。以下、表題作の感想です。
都市1つ分の大きさを持つ巨大な工場で働く3人の従業員の視点で描かれた小説で、その設定が奇妙かつ超緻密です。
・工場が巨大すぎて何の会社か分からない
・工場にしか生息していない謎の動物がいる
・業務が単調で目的不明(文書訂正・文書裁断・コケ観察及び分類)
事細かに説明されているのですが、読めば読むほど分かりません。この人達は何をしてるんだろう?なぜ独自の生態系が生まれるんだろう?最後まで読むと納得できます。この物語は社会の縮図だったのか、と。
毎日同じようなことをしていると「これって何の意味があるんだろう」「自分一人さぼっても何も変わらないだろ」って思う時がありますが、この小説はその気持ちをよく表しているし、同時に人間社会の奇妙さも表しています。「あなたは小さい存在だ。ぼーっとしてると社会に呑まれるぞ」って言われているような気持ちになります。
緻密すぎて飽きてしまう方もいるかもしれませんが、ジオラマを眺めるような感覚でじっくり読んでみてください。
紙の本
阿部工房の薄い面影
2018/05/18 09:35
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投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「工場」に勤めることになった。世間から隔離された大きな敷地で、いったい何を作っているのかさえわからない。それでも仕事はたくさんある。工場の敷地内にはよくわからない生物がいる。そんな環境下での「工場」に従事する人々を描いた小説。結末は、あえて詳細は省くが、阿部工房の手法を取り入れているように評者には思えた。その試みが成功しているかどうかは、読んでみてのお楽しみというところだろう。
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工場。会社。熱帯魚。鳥。子ども。虫。不条理。久保田さんの「みなさん、さようなら」に似てるだろうか。団地の中ですべて。工場の中ですべて。『工場』と『いこぼれのむし』はずいぶん違う気がする。面白いかどうかといわれるとわからないけど、自分があちこちにいる気がした。
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装丁に惹かれ、衝動買い。なんだかいい。
不可思議な小説だ。
表題作は、その名の通り「工場」が舞台。
何を作っているのか、まるっきり分からない巨大な「工場」。まるで町。
部分部分の仕事が描かれるが、それらもなんだか不思議。
挙句に「妖精」まで現れるらしい。
全部が少しずつズレている、不可思議な世界。
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ただ書類をシュレッダーにかける部署の契約社員牛山佳子、屋上緑化推進室の古笛、書類をチェックしていく校正部門の派遣社員男の3視点で構成されている。バラバラだった視点が交差するさまが心地いい。
それにしても、工場外でもルーティン・ワークにぴったり当てはまり、読みながら頷いた。
他には「ディスカス忌」、「いこぼれのむし」が掲載されており、いずれも居心地の悪さだったり、シュールだったりとまた面白い新人が出てきたなと思いました。
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▼どれも不思議な感覚の物語でした。不思議というより不気味というか、3つとも爽やかではありませんでした。
▼どうもすんなりストーリーが頭に入ってこなくて、いっそのこと途中で止めちゃおうか、とも思いました。
▼『いこぼれのむし』はもう一度読み返してみて、やっと”この部分は誰が語り部か”を理解しました。
わかっちゃいるけど、やっぱり人の本心ってコワい。
み〜んな人前では出さないけど、心の中では、いろんな本音やつぶやきが次々とモコモコ・ブワっと湧いて出ているみたい。
▼まだ言葉になる前の心の中をそのまま文字にした=ズラズラと余白なく書かれている本書の読みにくい文章 と私は自分なりに無理矢理消化することにします。
▼うまくいっている時はいいけど、一人抜けても、一人入ってもバランスが崩れてしまう人間関係の危うさ・難しさ。それでも職場の中では何とか折り合いをつけてやっていいかなくちゃいけない。人間関係って、ホント大変…。
▼間宮さん「明日から、今日までの倍、香水つけて来てやろう」って…やめてっ!そんな嫌がらせ…。
きつすぎる香りは気持ち悪くなるし、香りがずっと鼻の奥に残ってしまって、食事も美味しくなくなってしまいます。何より自分の鼻だって辛かろうに…。
▼しかしラストは何だかよくわからなかったなぁ…。
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BGM♪ DONKY BOOGIE DODO / STRAIGHTENER
細かすぎる情景描写と独特の居心地の悪さ
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何とも不思議な「工場」である。何を生産しているかが分からないけれど、人が働いている。人は現実的なのに工場が非現実的。疑問はあれど働かざるを得ない人の弱さ。ほぼ改行なしのみっちりとした文章の中で、この謎の工場と振り回される人間のアンバランスに面白さを感じた。
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そこにあるのは、自らのうちにある微かな迷い、それとも疑念…何かの役に立つこと、誰かの役に立つこと。それは疑いようのない正しい行い。為すべきことに意義を見いだせるなら、9割以上、勝ったも同然。でもやはり迷って、立ち止まって後ろを振り返らずには居られない。視線の先には、普段通りの景色が広がっている。だからまた前を向いて、未知なるものを求めていく。繰り返し追いかけていく。届かなくても…
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工場の様子が少しずつわかっていくときの、はっとする感じがよかった。
いろいろな登場人物がすこし皮肉めいて描かれていて、
同時収録のほかの2編と合わせて、作者は企業のなかで揉まれた方なのだろうと思う。
将来芥川賞候補を書きそうだなと思わせる雰囲気があった。
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最後まで何を作っている工場なのかわからず、不思議なことが多いのに、
正規/非正規、本社/子会社の区別はハッキリしていて妙に現実的。
そこで働いている人の仕事内容も不思議だ。
ラクでそれなりに待遇も良さそうなので、一見うらやましく思うが、
登場人物たちはみんな虚しさを抱えている。
誰でも出来る・目標や評価が見えづらい・誰かの役に立っている実感が
無い労働ではやっぱり人は満たされないらしい。
セリフや場面の変わり目でも改行無しでびっちり埋まった文章は
読みづらくて途中で投げ出しそうになった。
でも最後まで読み終わると、人は「労働」に色んなものを
求めているんだなと考えさせられた。
一緒に収録されている「いこぼれのむし」も面白かった。
職場でこういうポジションの人は本当にこういう事を
考えていそうだなと思えた。
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http://tacbook.hatenablog.com/entry/2013/07/02/210003
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何を作っているのかわからない、巨大な工場。敷地には謎の動物たちが棲んでいる――。不可思議な工場での日々を三人の従業員の視点から語る新潮新人賞受賞作のほか、熱帯魚飼育に没頭する大金持ちの息子とその若い妻を描く「ディスカス忌」、心身の失調の末に様々な虫を幻視する女性会社員の物語「いこぼれのむし」を収録。働くこと、生きることの不安と不条理を、とてつもなく奇妙で自由な想像力で乗り越える三つの物語。
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まるでひとつの町のような巨大な工場が舞台である。タイトルは「工場」だが、スポットライトが当たっているのは「人」である。特に三人の、エリートにはなり得ず、どちらかといえば落ちこぼれ的存在であり、だが、それなりの矜持は持ち合わせている三人。何かを成し遂げることもなく、カタルシスを得ることもない。それでもそれぞれなりに真面目に仕事に取り組む毎日なのではある。小川洋子さんの世界観に似ているかな、と思うところも所々にあったが、あれほど別世界へ連れ去られる感覚はなく、どこまで行ってもそれは工場の敷地内であるところに、得も言われぬ閉塞感を覚えるのである。体力がないときに読むと引きずりおろされそうな気もする一冊である。
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『まもなく十三時になろうというところで、急に、わっという声の塊が私の体にぶつかった。ドアが開いて、今まで外にいた女性社員がフロアに戻って来たのだ。数名の女性の、高かったり、低かったり、くぐもったり、響いたりするいろいろな声の筈なのだが、区別できないほど溶けあい、絡み合っている』ー『いこぼれのむし』
自分の生きているこの世界が自分自身の夢ではないと、人はどのようにして確信できるのか。そんな堂々めぐりに陥りそうな思考がこの小説には渦巻いていると思う。どこまで行っても個の壁を人は越えられないのかも知れないという恐ろしい予感めいたものが、ふつふつと湧き上がる。もちろん、これは多分に実験的な小説であると思うけれど、実験的だからといって全てが虚構であると言い切ることは難しい。何がしかの真実がそこにはある。
世界の中心が自分自身で、それ以外の世界は自分がそれをどう感じるか次第だというのは、ある意味で正しい唯脳論的帰結だ。でも、日常われわれは他の個人というものの存在を自分自身と同じくらい確かなものとして捉えてもいるし、他人の感情や考えを忖度したりもしている。その無意識の認識の仕組みのスイッチを意図的に切ってみる。すると、自分以外の個は個としての輪郭を失い、周囲に存在するものと渾然一体となる。渾然一体となればますます個としての認識は持てなくなり、せいぜいプラネタリウムの壁に映る星々のようなものとして、背景に後退する。そんな他に誰も住んでいない小さな星の王子さまのような世界は寂しかろうと思うけれど、雑踏の中でも孤独を感じることができるように、何かの切っ掛けでそんな寂しい世界認識が始まってしまう可能性は確かにある。
そんな世界認識の人々ばかりが暮らす世界を極端な形で示して見せたのがこの三つの短篇だ。そう整理する。その整理はまずますの整理だと自分自身思うけれど、どこかで急いでそんな風に整理して仕舞いたがる気持ちがあることも同時に感じている。それは、この架空の工場や架空の会社が、現実の会社や職場を彷彿とさせることで産み出す不安感に由来する思いに他ならない。そう、こんな誰しもが理不尽だと思う世界は現実にある。だからこそそこには滑稽さがあり、悲哀がある。そして、この架空の世界と現実の世界の差を明確に示すことが思った程には単純ではないのだと気付いてうすら寒くなる。
一人称の視点は次々と入れ替わり、それを俯瞰的に見ている読みてのみがそんな現実を模写した動くジオラマをながめている。そのジオラマの動きを読み解く推理小説的なナイーヴな読み方も可能だとは思うけれど、ジオラマの中にジオラマを眺めている自分自身を発見しそうな恐怖もそこにはある。人と人の関わり合いを、ピンボールの弾性的リアクション程度に矮小化し、それでもそこに現実の世界のあり様を写し取る。何とも恐ろしい小説であると思う。