紙の本
(ふた昔前のスタイルの)臨床現場の静かな時の流れが、印象に残った。
2016/02/21 14:24
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投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
深く印象に残る力作。
著者が取材のために著名な精神科医である中井久夫と何度か面談し、心理テストを受けたりして
その模様が記されているのだが、逐語録によってその場での静かで穏やかな時の流れが
伝わってきて、それがとても印象に残った。
著者は言う。
『それは、いまだかつて経験したことのない内容の濃い時間であるように感じられた。
これが、因果から放たれた対話の力というものなのだろうか。日々の暮らしの中にこんな時間が少しでもあれば、
人はもっと穏やかに、安らかに、生きられるのかもしれないと思った。』
本書が執筆されたそもそもの動機については、こう書かれている。
『そもそも私はなぜ専門機関に通ってまでこの世界を知りたいと思ったのだろう。
私の内面にどんな動機や衝動があったのだろう。
守秘義務に守られたカウンセリングの世界で起きていることを知りたい。人はなぜ病むのではなく、
なぜ回復するのかを知りたい。回復への道のりを知り、人が潜在的にもつ力のすばらしさを伝えたい。
箱庭療法と風景構成法を窓とし、心理療法の歴史を辿りたい。セラピストとクライエントが同じ時間を過ごした結果、
現れる景色を見てみたい。思いはたくさんあった。』
『箱庭療法や風景構成法は、数多ある心理療法の一つにすぎない。認知行動療法が隆盛の今、時間も手間もかかる
ふた昔前の療法を採り上げることにどんな意味があるのかという声も聞こえてきそうだ。
しかし、これらが日本で独自の発展を遂げ、数え切れないほどのクライエントを癒し、彼らの認知世界への理解を深め、
心理療法の歴史を塗り替えたのは確かである。
その担い手であるセラピストのことを胸に刻むために、私は本書を書いた。』
本書では、心理療法と精神科治療の、日本での歴史も書かれているが、これも面白かった。
1980年にアメリカの新しい診断基準である「DSM-3」が日本に入ってきて、
その後、広く受け入れられるようになっていった。
精神科医の中には、これを「黒船」と呼ぶ者もあったという。
そして精神科医も時代とともに多忙になっていき、患者の話をじっくりと時間をかけて聞き、治療していくような方針は取りづらくなっていき、
現代の薬物投与が中心の治療法になっていく。
本書のなかで主要なテーマが幾つかあり、それで多少は雑多な印象も受けたが、
著者の個性と関心が、取材テーマと共鳴したことによって、このようなスタイルの本になったのだろう。印象に残る一冊。
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すごい取材力と文章力
2015/09/04 23:05
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投稿者:ねったいぎょ - この投稿者のレビュー一覧を見る
精神病の治療というのは、非常に難しい。そもそも、何が正常で何が異常なのか、ハッキリしない部分がある。特効薬などはない。カウンセリングのやり方はそれぞれ違うし、料金も違う。作者はそんなカウンセリングに疑問を持ち、自らカウンセリングを受けてみることにした。
この作者の精密な描写、読者をひきつける文章力はすごい。分厚い本なのに、読んでいて飽きるということがない。知識もたくさん手に入る。それで、この値段は安い。買ってじっくり読みたい一冊だ。
紙の本
なぜ「カウンセラー」でなく、「セラピスト」なのか。そして、誰の「セラピスト」のことを書いたのか
2015/07/26 15:55
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投稿者:みなとかずあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
おそらく、一般的には心理士や精神科医が行っていると思われている「カウンセリング」が、実際にはどのようにして行なわれるのかということを著そうとした本なのだろうと思う。本書の帯にも、「心の病いは、どのように治るのか」「心の治療のあり方」といった文字が特に赤くなっているので、「カウンセリング」の実際や実態を著すことを意図していたのだろうと察せられる。
だが、そうだとしたら、これは非常に奇妙な本だと思わざるを得ない。
まずタイトル。
『セラピスト』である。すごく簡略化してしまえば、「セラピスト」とは「治療者」であって、何もカウンセリングをする人だけを意味するわけではない。もちろん、精神療法・心理療法の世界で治療者のことをこう称することはある。だが、何か違和感が残る。
次に、ここで取り上げられている「カウンセリング」は大きく2つしかない。箱庭療法と絵画療法(その中でも、中井久夫先生の風景構成法)だ。この2つだけを取り上げて、「カウンセリング」を語ることができるのか。確かに中にはいかがわしいカウンセリングもあるが、ことさら言語に頼らないカウンセリングを取り上げることにどんな意図があるのか、それとも意図はないのか。
そのあたりのことは「第一章 少年と箱庭」で少し触れられているが、本書はそうした「カウンセリング」業界の実態を描こうとしたものとも異なる。途中で、日本に「カウンセリング」が導入された時代背景などにかなりのページを割いているところもあるが、それが本書のメインとは言いにくい。
むしろ、メインは著者自身が中井久夫先生のもとに通い、風景構成法などを実際に行った時の話であり、河合隼雄氏の流れを汲む箱庭療法家・木村晴子氏の古い論文にあるケース報告の経過とそのクライアントに実際に会う話の方だ。具体例から全体を描くというのはノンフィクションの手法の1つであろうが、あまりにパーソナルな部分が見えてしまうと、普遍性に欠けてしまうようにも思える。
これら奇妙な感覚がついてまわりながら本書を読み進めたのだが、最後にきて何となく、この奇妙さの理由がわかったように思う。
詳細は省くが、これは著者が主に非言語的心理療法による治療を受けようとした記録だ。著者が自分自身のために行なったことを、さも普遍的なことであるかのように1つのノンフィクションに仕立て上げたのではないのか。
本書で述べられていることや、そのために綿密に取材したことは、「カウンセリング」の業界の一端に身を置いている者としてはよくわかるし、そこには大切なこともきちんと書かれている。だが、それと自分のセラピーを一緒にしては良くないでしょう。
個人的には、途中に見知った人たちの話が出てくるので、そこのところは特に興味深く読んだが、あとは部分部分を拾い読みして参考にするしかないかと、今のところは思っている。
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セラピスト
2015/08/21 00:18
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投稿者:ほのぼの - この投稿者のレビュー一覧を見る
専門的な内容、読んで楽しいというものではない。興味がある方限定だと思う。
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「さあ、そろそろ書き始めてみようか。この五年間、おずおずと歩き回った心理療法の界隈について。
私が見たカウンセリングの世界、守秘義務という傘の下にある、人と人との交わりと沈黙について-。」(本書抜粋)
この言葉で始まる本書は、「人はなぜ病むかではなく、なぜ回復するのか知りたい。回復への道のりを知り、人が潜在的にもつ力のすばらしさを伝えたい。(本書抜粋)」という著者の言葉通り、病の症状ではなく、回復の道のりに焦点をあてた一冊である。
特に、現代においては医師・心理士の不足(患者の増加)や、時代の変遷による患者特性の変化により適用が難しいとされる箱庭療法と風景構成法に着目し、自らそのカウンセリングの実施・受診の両方を行い、それらを逐語録として本書に収納している。
現時点において、私(稲垣)は本書の内容について深く言及できるだけの能力を有していない。
一方で本書には、すぐにでも学び、日々の生活(公私とも)に活かすことができる、または活かさなかればならないこともまた、溢れんばかりに詰まっている。
読み進めていくうちに、今の自分もまた決して例外ではなく、もしかしたらなんらかの精神的な病を抱えているのではないか、少なくともその可能性を否定することはできない。
そのことに、思い至った。
自分を見つめ直すにも最適な一冊であったように感じる。
「回復への道のり」に焦点をあてた、稀有でありかつ、圧倒的な質を誇る一冊。
【本書抜粋 最相葉月】
カウンセリングが戦後の日本に持ち込まれてから、まもなく六十五年になる。
それは、心の声に耳を傾けるとはどういうことかという問いのもと、セラピストたちが手探りで歩いてきた歴史である。
他者の苦しみへの責任を負うために、自らを律する訓練を重ねてきた時間でもある。
心の病とは、暗闇の中で右往左往した挙げ句、ようやく探し当てた階段の踊り場のようなものなのかもしれない。
踊り場でうずくまるクライエントのそばに、セラピストはいる。
沈黙に耳を澄まし、クライエントから再び言葉が生まれるまで待ち続ける。
クライエントが立ち上がったとき、彼らもまた立ち上がる。
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職場である図書館にも統合失調症とみられる利用者が来館していることや、新型うつ病についての報道で精神医学に興味が増した。
何から読もうかと探しているところに本作を知り。
河合隼雄さんは作家との対談を何作か読んだこともあるが、中井久夫さんはお名前を知っている程度だったので、今後、著作に触れたい。
まずは精神医学と心理学の入門書から始めなくては、と強く思った。この領域に興味が強いということは自分が患者にもなり得ると、どこかで感じているからなのかもとも思った。そのためにもまずは知りたい。
今世紀に入ってから、自分の抱えている問題を表現できない主体性のない相談者(大学生)が増えたというスクールカウンセラーの話が特に印象に残った。
想像力の欠如は日頃、学生と接していて痛感してはいたので、やはりというか・・・。
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昔より身近になったとはいえ、よく見えていない、カウンセリングや心療内科というものを 、その歩みを追いつつ、またその実際も交えつつ、解きほぐしてくれる。
ここにあるのは大きな流れのことなので、実際に時間をかけて、じっくり患者と向き合ってくれる医師やカウンセラーと出会えることは、なかなか難しいだろう。そういった部分も知りたいと思う。
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著者自身のカウンセリングの結果について記された部分と、通常のノンフィクションの部分の違いがとても興味深かった。ノンフィクションのパートは無機質で、事実が羅列されているために、私には大変読みにくかった。ところが、間に挟まれている「逐語録」のバートになると、急に内容がカラフルに感じられ、面白み(といっては失礼になるかもしれないが)が感じられるのだ。
箱庭療法というのは、聞いたことはあるし、若干関心を持っている療法なのだが、どうやら本書によれば、最近はあまり行われていないようである。
本来なら心の問題は時間をかけて取り組まなくてはならないのだが、そういう余裕がなくなってきているのかもしれない。
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没頭し深く自分自身を省みた。読むことに心の痛みを感じる。もう一度自分自身の置いてきた過去に戻りたい。
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おそらく、取材形式でのノンフィクションで扱うには難しいジャンルかもしれない。でも、だらだらと箱庭や絵のことが続くのは辛い。根本的に絵を言語化するのはめんどくさいのし、言語化された絵を視覚化するのも難しい。
著者の個人的なことがでてくるのもしんどい。成功しているようには思わない。
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単にノンフィクションを読んだというより、最相さんやセラピストの世界に潜っていく感覚になりました。
「セラピスト」という職業は、素人目に見ると結局何をする人なのかわからない存在でした。
医者とは違うのか、心理テストみたいなのをされるのか、なんか怪しいことをされて法外なお金を巻き上げられるのではないか…などなど。(ごめんなさい)
そんな、私にとっては謎に満ちた世界を覗くことができ、セラピストへのイメージがガラリとら変わりました。
こんなに研究を重ねられて体系だてられているとは思わず…。
言葉と心の関係や、パーソナリティについてドキッとさせられる文章が所々に書かれていて、自分自身のことやコミュニケーションについて考えさせられました。
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すぐに本書を買おう。
私のバイブルとしよう。
読み終えて、まずそう思った。図書館で借りた本だったが、即、購入した。
医者でもいい、看護師、臨床心理士、介護士、カウンセラー、教師でも誰でも、人に接し援助する仕事に携わるなら、それを目指す人なら必読の書だろう。
図書館本にはなかったのでわからなかったが、購入した本書についていた帯には「心の病はどう治るのか」とあった。これは少し違うな、と思った。
セラピーのメカニズムを解明する本ではない。
今、人と向き合う立場にいる人、向き合わねばならないが、本当にこれでいいのかと不安に思っている人に、それでいいんだよ、と背中を押してくれるような本だ。
そういう意味では、上記のような既にその道のプロとしてやっている人より、その道の入り口にいる人が読むべきなのかもしれない。
カウンセリングも、傾聴も、いのちの電話も、犯罪者の精神鑑定のための聞き取り調査ですら、語り手の本心を引き出すには、ひたすら聴く(「聞く」ではなくて「聴く」)ことがまず基本中の基本であり、帰結するすべてなのだ。そこに、どんな専門性もいらない。ひたすら相手の言葉に、態度に、表情に、沈黙にさえ、耳を傾ける。待つ。
人には自分自身で問題を解決する能力がある。自分の言葉で因果を紡ぎ、物語をつくることで、自身を統合させ一個の人間として心の安定を図る。他人の言葉ではなく、自分の中から湧き上がる言葉で初めて成し得る作業だ。
それを自分一人で成せなくなったとき、その話を聴いてくれる相手、セラピストが必要になる。徹底的な受容をもって話を聴いてくれる相手、その存在そのもの、実はこれこそが幼児にとっては母親なのだろう。徹底的な受容を実感できたとき、人の心は一個の人格として安定し統合されていくのだろう。
本書には幾人もの心理学者、精神科医が登場するが、やはり中心は河合隼雄と中井久夫だ。両名とも、クライエント自身が紡ぐ言葉(言葉がなければ箱庭、風景)を何よりも尊重し大切にした人物である。
実はいくつかの臨床例が紹介されている中、中井久夫と統合失調症の患者との逐語録で、泣けてしまった。こんなところで何故と思いながら、泣けてしまったのだ。
患者の心に寄り添った中井氏の言葉がそのまま、私自身の思いをも揺り動かしてしまった。
気になる箇所に付箋を貼ったら、数十か所にもなってしまった。
何か行き詰まったら、また本書を読み直そう。
もう一度、原点に立ち返ろう。
久しぶりに、河合先生の本をまた読みたくなったな。
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB14830550?caller=xc-search
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最相葉月さんが心理療法について書く。しかも河合隼雄、中井久夫両氏に焦点を当て、自ら中井氏の被験者となって。これが期待せずにいられましょうか。ところが…。
うーん、なんとも中途半端な気持ちになってしまったんである。日本で心理療法がどのように始まり、どうひろがってきたか、その経緯が軸となっているのだが、この点が煩雑でわかりにくい。もっと整理してあれば読みやすいなあと何度も思った。
また、実際に行われたセラピー(箱庭療法が中心)の例が多く挙がっていて、実に興味深いのだけれど、やむを得ないこととはいえ、「解釈」はされず、あくまで事例報告にとどまっている。ここがもどかしい。
自分自身療法としてのカウンセリングなどを経験したことはないが、見聞きしてきたことから、それが臨床的に有効だとは思う。ただ、理屈がわからない。もちろん、この本は心理療法のガイドではないのだから、ない物ねだりだろうが、「どうしてそうなるの?そう言えるの?」というモヤモヤが晴れない。
これは一つには、「心理」とか「カウンセリング」とかがとても一般的なものになって、中にはなんだかあやしげなものもあることへの、うっすらとした不信感も関係しているのだろう。深い見識を持つ人と、素人に毛の生えた人との見分けがつきにくいのだ。だから、そう合理的に説明したり割り切れるものではないとわかってなお、「理屈を教えて」と言いたくなる。
自分の経験をつらつら考えてみると、カウンセリングについて興味を持ち、勉強もして、「この分野のことは知っている」と自認している人で、心から信用できると思った人は、あまりいない。人間関係のことなら私にまかせて!という態度がどうにも…。
著者も書いているが、セラピーは「療法」であって、「自分を知る」とか言うたぐいのこととは別物なのだろう。その意味で、取材動機が明かされるあとがきは納得だ。
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烏兎の庭 第五部 書評 2.28.15
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto05/bunsho/sishunki.html