紙の本
不条理という名の怪物との直視へ
2018/05/15 22:37
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はいわゆる、ニートやヒモと言うような人間のための本ではない。仕事をしていても何も感じない人、社会から恣意的な言葉で逃避する人、何も考えずに働いてきたけどふと立ち止まって見るとなぜ働いているのだろうとふと思った人。そういう方向けの本である。架空の対話形式の形をとりながら中島氏の仕事観や社会観や人生観について記述している。一言でポジティブに表現すれば「社会は不条理に満ち溢れている。それにどう立ち向かうか」というような内容である。中島氏自身が社会不適合者であることをありありと表現しており、どのようないきさつで今の状態になったのかを語ってもいる。決して、エールを送るような書籍ではない。そのことだけは頭に入れておかないといけない。
紙の本
可もなく不可もなし
2022/06/18 12:24
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きが - この投稿者のレビュー一覧を見る
働くことがイヤなので読みました。
人生がしっくりこない人物達との架空の対話を通して人間が「よく生きること」の意味を探求していく形式の本です。
個人的にはあまり参考にはならない内容でしたが、啓蒙書としては特に悪くはない印象。
だいたい想定していたような結論で締められており、読んだことで新しく何かを得た感覚はなかったかなと思います。
投稿元:
レビューを見る
人生とは「理不尽」という一言に尽きるということ 人生とは「理不尽」という一言に尽きるということ(中略)、そして、社会に出て働くとは、このすべてを受け入れるということ、そのなかでもがくということ、そのなかでため息をつくということ。(p.40)と、著者は言う。そして、だからこそ人生は尊い、なかなかわかってもらえないからこそ著者はこれを言い続けるという。そして、著者は、「一生懸命生きれば人生に成功も失敗もない」という綺麗ごとをいうことも良しとしない。それは完全にウソであると。しかし人はこれを信じたくないばかりに、成功した人は尋常ならざる努力をしたと思いこもうとする。
著者の語りは非常にわかりやすくて、心に届く。架空の4人の登場人物との対話形式で語るのも読みやすい。この本を読むことによって読者は、働くということの理由を考えるだろう。それまで、「働くことは常識だ」という、思考停止状態に陥っていた人には理解しずらいかもしれないが、働くことは生きていくということが理由で、それ以外の働き方もある。働くということを普通に捉えなおすためにはよいかもしれない。脳の体操的。
投稿元:
レビューを見る
カテゴリは哲学にしたけど、哲学書ではない。基本的に中島義道は好きでないんだけど(自分を見透かされている気がする)、この人は自己欺瞞に陥ったりしないし、自分をさらけ出している。そういうところは学ぶところだし、尊敬している。この本も将来の事を悩んで鬱々としたときに読む。なんだかんだで好きなのかも。
投稿元:
レビューを見る
難しいのなんのって。言っている意味は分かるけど、自分はそこまでの決意は出来ないかな、っていうか、もっと前向きに行きたいぞ、っていうか。。文庫のためのあとがきに斉藤美奈子さんが言葉を寄せて居るんだけど結構的確で救われる。(2005/3/29読了)
投稿元:
レビューを見る
仕事に生きがいを見出せない主要因として、世の中の「理不尽」に耐えられないことが挙げられていた。「理不尽」の詳細を議論した上で、「理不尽」を自覚すること・呑み込むこと(無視しないこと)が大切(「よく生きる」ことに通じるもの)であると言及していた。これらを踏まえ、人生において大事な仕事は、「具体的に何かをすることでなく、生きることそのものを常に優位におくこと(仕事を通じて自らを完成させていくこと)」であると結論していた。 本書は、20代から50代までの著者分身を設定し、著者との対話形式という形で話が進められていた。その対話の中で、仕事に対する固定観念の再考を促すような具体的記述が随所にみられ、自分の仕事に対する考え方を見直すきっかけが得られたのがよかったと思う。
投稿元:
レビューを見る
中島氏のひねくれ炸裂。ここで想定されてる「働くことがイヤな人」ってあんまり居ない予感。[2006年後半読了]
投稿元:
レビューを見る
4人のヒキコモリや仕事にトラブルを抱える人や主婦との対談形式。「仕事」とは何か。「自分がたまたま生まれて、そして間もなく死んでしまう「意味」とは。仕事の成功によって「死」を誤魔化してはいけない。真面目に仕事をしている人を抜け出し批判することで自分が「正しい」と思い込んでしまうことへの批判。
投稿元:
レビューを見る
架空の4人の人物と対話しながら、「仕事」とは何かについて著者なりの意見を論じてます。
タイトルに当てはまるような人は一度読んでみることをオススメします。
自分はこの本を読んで少しだけ仕事に対する態度が変わったような気がします。
投稿元:
レビューを見る
高校の進路決定のときこの本を読んでいました。妥協せず(モラトリアムを)充実した(モラトリアムに)日々を歩んでいます。進路を考えている人にはオススメしません。
投稿元:
レビューを見る
哲学好きな知り合いに勧めてもらった著者。
ちょうど転職を考えているところで、
思わずブックオフで手にとった。
仮想の人々(それはあらゆる面での著者自身)との
対話形式で進められていく。
投稿元:
レビューを見る
想定読者として
A 20代ニート君、B 三十路の冒険家の卵、C レールにのっかってきた40代、D 哲学に再燃する50代、の4人が登場し、A君との問答を軸に他が絡むのが主な構成。
引きこもり思想のある人にはオススメの本です。「どうにかしなければいけない!」「どうにもならない!」の交錯で布団から出ない人は特に。
とはいえ、あなたもやればできると優しく諭す本ではなく、むしろ隠してきて腐りきった泥沼をこれでもかと暴きだしてきます。人の持つ怠惰な姿勢や欺瞞な態度が放つ悪臭を鋭く嗅ぎつけ、ほじくりだすのが哲学者という者の習性なのかもしれません。私も読んでいて痛い所を突かれ読んでいて赤面する事しきりでした。引きこもりの猛者(?)といえどもここまで暴かれあけすけにされたら布団から出てこざるを得なくなるんじゃないでしょうか。
一気に結論に移りますが、なぜ働くのか?の問いで「死生観」を重要視する点は先に読んだ田坂氏の本と一致しますね。生きることそのものが仕事であり、具体的な何かは自分の人生を形付けていく手段に過ぎないのだと理解しました。
終盤、特に最終章は違和感を覚えましたが、哲学は人の数だけあり著者と私の信条が違う、それだけの事なのでしょう。
投稿元:
レビューを見る
その通りだなと思うところと納得できない所が半々といった感じ。
自己の極端な正当化も卑下も、またケースバイケースという逃げもすべて怠惰な思考停止である、というのはそうだろうなと思った。
理不尽さのメカニズムの洞察についてもなるほどと思った。
しかしあらゆるものを疑う姿勢とっているようでいて、疑いの矛先の選択に若干バイアスがかかっているようにも見える。
あと解説の人はちゃんと文章よんだのかなと疑問に思った。
投稿元:
レビューを見る
ただ怠けたいから働くのがイヤなのではなく、働くことに多くを求めすぎてしまうがゆえに(それほど人生に対して真面目だから)働くことがイヤな人向けの本。頭でっかちのための本。どうしても中島義道さんは思考の体力旺盛である。紋切型の思考パターンに辟易している人向け。
結局この世は理不尽の塊なのだから何をやってもムダ。というニヒリズムを克服するひとつのキーになる(かも知れない)。
投稿元:
レビューを見る
「仕事とは何だろうか?」
「人はなぜ働かねばならいのか?」
「生きることがそのまま仕事であることは可能か?」
引きこもりの留年生:Aさん、
三十過ぎの未婚OL:Bさん、
中年サラリーマン:Cさん、
元哲学青年の会社経営者:Dさん
の架空の人物が架空の対話を通して人間が生きることの意味を探求する。
その中年サラリーマンCさんの悩みが自分の悩みとそっくり。
驚くのを通り越して呆れてしまうほど。
金のため妻子のため(わしは独身です)、
それに社会から落後することが恐ろしいため、
気乗りのしない仕事を続けてきた。
それに生き甲斐も喜びも感じないまま、ずるずる続けてきた。
すでに人生半ばを過ぎ、これからもこの仕事をダラダラ続けていってもいいのだろうか(わしはイヤだ)?
あと20年このつまらない仕事にしがみついて、
さらに精気のない老後を迎えるのだろうか?
考えれば考えるほどイライラはつのり
「どうにかしなければならない」
と思うのだが、
何をどうしていいかわからない。
今まで真の意味でみずから決断したことがないので
(ただみんなのする通りにしてきただけなので)
ことここに至ってさえ、
自分の本当の望みがわからないのだ。
私は自分が何をしたいのかわからないままに会社に就職してしまい、
気がついたら充実しない時を20年もおくっていたのです。
いままで自分をたましつづけて会社員をしてきましたが、もう限界です。
自分を騙し続けるのは、
実は容易なことではありません。
これまでの人生に何も賭けずに来た自分から見ると、
何かに賭けても成功しなかった人、
それにもかかわらずその仕事を続けている人もまた羨ましい。
彼らは敗北感をもって生きていける。
そして死んでいけるのですから、
それさえせずに、自分がこの歳までダラダラ来てしまったことに、
はなはだしい自己嫌悪を覚える。
作家、スポーツ選手、ピアニスト、画家、料理人、
どんな小さい分野でもいい、
個人として自己実現している人が私はたまらなく羨ましい。
でも、そうしようたって私にはその才能がない。
これも認めざるを得ない。
私は完全に失敗者ですから、
我が身に照らしてその残酷さは身に沁みてよくわかります。
私は仕事ができず何ごとにも自信がないので、
自分でも魅力に欠けていると自覚しています。
はじめは、
自分に魅力がないから仕事ができないんだと思っていましたが、
どうもこの歳になると、そうとは言えません。
むしろ逆ですね。
私の無能力が私をますますつまらない人間にしていますよ。
組織に属していることが嫌でしょうがないと思いながらも、
いまさら組織を離れられない。
ただ、無性に怖いからなんです。
100%まったく同じというわけではないけれど、
最近自分が考えてきたことものすごく似ているので、
まるで自分の心を読まれているような気さえした。
ジョナサン・ケイナーの占いでもたまにそんな気にさせられることがある。
働くのがイヤな人はどうすればいいか?
結論は「半隠遁=人生を半分降りる」に行きつくらしい。
わしはそう読んだのだが、
読む人によっていろいろな解釈があるだろう。
「よく生きる」とは?
幸福を求めることは第一の目標ではない。
第一に真実を目指して生きる。
外的・内的真実を含む。
死を見据えて生きる。
どうせ死んでしまうことの意味を問いつづける。
生まれた時から不条理な世界にいることの意味を考え続ける。
う~む。
わかったような気もするけれど、よくわからない。
「どうせ死んでしまう」のは確かにそうなのだが、
それを言っちゃオシマイだし、
何をやっても虚しくなってしまう気がする。
死を考えると怖くなってくるし、気が滅入ってしまう。
「命は永遠じゃない・どうせ死んでしまう」を前提に、
「生きているうちにやりたいことをやるにはどうしたらいいか」
を考えたほうが、正気でいられそうだ。
こうなってくると著者の意図とベクトルがかけ離れていってしまうが、
この本の通りにしろと誰かに命令されたわけでもない。
ワシ的には今までブログに書いてきた通り、
自分にとってもっとも大切なもの、優先すべきものを
自分の心と正直に向い合って考え続ける。
『人生を「半分」降りる』に書いてあったように、
決して妥協せずに自分の内部の声を聞き分ける。
自分はいったい何をしたいのか、
自分にとって何がもっとも重要な問題なのか、追求しつづける。
ニーチェの言葉をかりますと、
「いかにして自分自身になるか」
と問いつづける。
問いつづける上で
思考の内的・外的ヒントを得るためにある程度長い期間をかけて旅に出たい。
今とは違う環境に身をおいて、いろいろ考えたい。
そして、ある程度答えが見えてきたら、それを実行に移すときがやってくる。
自分を貫き通すには「みんな一緒の暴力」と戦うことになるだろう。
そんな未来像がおぼろげに見えてきた。