紙の本
秘伝書の中身をこれほどあけすけに語ってしまっていいのか
2005/03/22 13:59
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨年の暮れ、『死と身体』と『他者と死者』を続けて読んで、すっかり内田節に魅了されてしまった。とりわけ『他者と死者』は私の年間ベスト、それどころかもしかすると生涯にわたるベスト作品の候補にノミネートするべき本かもしれないと思った。で、何度も何度も繰り返し玩味し、余韻を味わっていた。(そういえば、毎日新聞の「2004年この三冊」で養老孟司さんが本書をとりあげていたし、朝日新聞の「今年の3点」でも高橋源一郎さんが推挙していた。内田樹さんは養老孟司の評価がよほど嬉しかったのだろう。2004年12月20日付けのブログ「内田樹の研究室」参照)
そうこうしているうちに、若い人たちを相手に「近所のおじさん、おばさん」が学校でも家庭でも学べない大事なことを教える、というコンセプトで創刊された「ちくまプリマー新書」に内田樹の『先生はえらい』がラインアップされていた。で、さっそく入手し一気読みして、こんなに難解でひねくれて謎に満ちた書物を「若い人」に読ませるのはとんでもないと思った。もったいない。秘伝書の中身をこれほどあけすけに語ってしまっていいのか。いいんです、そこに慈愛があれば。内田樹ほど「近所のおじさん」にぴったりの慈愛の人はいない。
電子書籍
せんせいをえらいとおもえるひとがえらい
2021/05/30 17:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の主張する考え方って、
人間関係を築く上で、
無限に応用できませんかね。
親はえらい、友達はえらい、
先輩はえらい、配偶者はえらい、
上司はえらい・・・。
結局、誰でも彼でもえらいと思える人が
本当にえらいということでしょうか。
おあとがよろしいようで。
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さすが内田樹。極論をまぁ、よくここまで流暢に信じ込ませられるもんだと感心しながらも、内田教の信者としては面白く読みつつ信じるわけですよ。救われるかもね。◆生徒側が先生を採点するなんてのはおかしいんでないの?みたいな話です。というよりも、採点されてる時点で、それは生徒をある一定のレベルに製造する作業員みたいなもんだということですね。そんなこと書いてないけど。◆教える教えられるってのは、もっと根源的なものだということですかね。いい学校に合格させるとかじゃなくてよ。そういうのは職業として教えてる予備校の先生の方が有利だもんな。勉強だけならば。そこにしか価値を見いだしてないから、先生というか教師と呼べる偉い人は見つからなくなったってことです。うん。◆あとコミュニケーションね。内田さんは哲学の人だから、よく話題に出るけども、コミュニケーションなしに成立するような関係ってのはないわけで、教師と生徒という関係性においても当然かかわってきますよね。そういうのも書いてあります。
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恋愛とは概して「私だけがこの人の本当の良さをしっているわ」という勘違いから生じる、と言い切る内田先生。そして、<人生の師匠>との出会いもそのような錯覚から起こる、という部分にひどく共感!あたしもそう思ってたよ!恋愛なんて勘違いから起こるモノなのです。非常に読みやすい、高校生向けの新書。学びたい、でも小難しい本はちょっと・・・ってな人にうってつけの、ちくまプリマー新書からの発刊もうれしい☆
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「私たちが『あなたはそうすることによって、私に何を伝えたいのか?」という問いを発することのできる相手がいる限り、私たちは学びに対して無限に開かれてい」るらしい。
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教育論かと思って手に取ったら,コミュニケーション論だった。
もういっぺんちゃんと読まないと,もやもやして終わってしまった。
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「先生はえらい」を述べるために、あれだけ豊富な話題、例えを出せるなんて…。
中高生向けということで、著者に興味を持った生徒が、彼の他の作品にも手を広げてくれたらいいな。
昨日読み終えたばかりの『下流志向』と同じことを言ってはる、というのもあってふむふむ頷きながら読んだ。あっという間だった。
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初めての内田樹。当たり前だと思っていることにメスを入れる人だな、と感じた。
「恋愛というのは客観的判断の断固たる無視の上にしか成り立たない」
うーん、確かに。
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目的:えらい先生ってなによ?
ラジオ文化放送にて放送中のラジオ番組
「武田鉄矢の今朝の3枚おろし」
ここでたびたび、まな板(話題)の上にあがるのが、
本書の著者である内田樹。
先生はえらいのである。
えらいから先生であって
えらくない人は先生ではないのである。
それぞれの人によって
先生は異なるのである。
みんなの先生なんてのは存在しないのである。
なるほど、
私が教壇に立つときに必要な心構えとは
なんなのだろうか。
みんなの先生ではない。
講師であり
先輩であり
先生であり
仲間でもある。
対して
どうでもいいのが、教官や教師である。
ただ、教えるだけ。
運転免許をとるのに、
わざわざF1ドライバーに師事する必要はないのである。
一流のドライビングテクニックを伝授するのに、
わざわざ自動車教習所に勤める必要はないのである。
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メインはコミュニケーションについて。コミュニケーションはなんだかよく分からないところが魅力なんだ。意図が伝わらないからこそ成立するんだ。って言ってました。目からウロコな概念でもなく、100%うなずける話でもなく、、、
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今年読んだ本の中で三本の指に入るいい本。中高生向けに書かれているため非常にわかりやすい。コミュニケーション論を話の大筋として、先生と学ぶ者の間にある関係性、先生の態度、学ぶ者の態度とは何かといったことについて語っている。読みながら、うんうんと納得してしまうことばかりが書かれていた。すごい。
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小一時間で読了。まず、私はこの人の人生に惚れた。どこぞの週刊誌で読んだんだけどね。すんごい。こういうのを見ると励まされるね。っていうか自分はまだまだって思うし。
それで先生って自分でいいと思った人なんだわ。そこら辺の学校の先生がみんなえらいんじゃないんだよ。
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コミュニケーション論、師弟関係論、交易論としても読める。おもしろい。「適当」とか「加減」とか正反対の意味がある言葉があるのは、そもそも言葉が誤読できるように作られているからであって、誤読や曖昧、謎こそがコミュニケーションの潤滑油なんだそうです。そして「良い先生」の条件は「謎めいていること」だそうです。こうやって結論だけ書くとなんだかよくわからないけどでも確かにそうかもしれないですね。夏目漱石など古典の引用もあって勉強になります。
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自分という人間は必ず「相手」を想定して接さざるを得ない生き物であることを説明しながら「人をえらいと思うってどういうこと?」や「コミュニケーションをとるってなに?」といったポイントを分かりやすく伝えてくれる本です。現代思想の分野でこれだけ分かりやすいというのはありがたいです。いずれ、ラカンやレヴィナスにも挑戦したいと思いました。
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教員を目指しているならば読むべき一冊というポップにひかれて買ったものの、
正直なところはどうだろう…
目からうろこ的な発想はかなりあったかもしれない。
尊敬できる先生とは恋人のようなものである。
いい先生というのはその子にとってだけのいい先生。
その子がその先生から学んだと思っていることは、実は自分で学んだこと。
だから、学びたいと思っていることがなければ、いい先生には出会えないということのようだ。
はっきり言って文章は分かりにくい。
しかし、筆者は「分かる」ということでコミュニケーションは終わり、それ以上の学びも生まれないという。
この分かりにくさはおそらく筆者の意図するところだろう。