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アメリカの鱒釣り みんなのレビュー
- リチャード・ブローティガン (著), 藤本 和子 (訳)
- 税込価格:737円(6pt)
- 出版社:新潮社
- 発売日:2005/07/28
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文庫
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紙の本
地図から拾える記号を頼りに、少し古い時代のアメリカ、その失われた「信じられる何か」を探しに出かけるように——。
2005/08/12 15:42
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
それほどしょっちゅうではないけれども、「自分は本を読むのがへたくそだな」と感じることがある。理論に立脚するにせよ想像力に立脚するにせよ、何らかの筋運びがある本を手にする場合の話だ。
「好きなものを好きなように読めばいい。本を読むのに、こうしなくてはいけないという規則などない」と、読者の数が増えれば歓迎する人たちは言うが、それはしょせん慰めだろう。本を読むには「うまい」「へた」が歴然としてあり、それは技術や感性や経験、性格や志向などを要素とする全人的な能力の問題である。と私には思えてならない。集中力を保ち、内容に知力を擦り寄らせながらサクサク読み進めていくことができない。へたくその原因の一番はそういう厄介な資質だ。
本のなかには、読むのに技術を必要とするものがある。それは読者にとって非常に挑発的なことだ。ブローティガン作品は、私にとってその最右翼にあるものと言える。
幻想性や象徴性が高く、詩的に流れ行こうとする物語であり「理」には落ちない。象徴性と言っても、現実の何かのことをたとえて表現しようというわけでなく、何かに感じた「美」をほかの「美」に移し変える——抽象から抽象への曲芸が彼の本領とするところではないか。
起承転結の構成で説明されず「腑に落ちる」カタルシスに欠ける上、裏読みや深読みで意味を読み解こうという楽しみも拒絶される。ところどころに「いい感じ」「この言葉の組み合わせはきれい」と思わせるかけらが混ざっていても、総体としてわけのわからない世界である。衒学的な一種の気取りからくる難解さとは一線を画すものの、日常的で優しい響きの言葉の集成なのに、「理解」を拒む難解さがつきまとう。
『アメリカの鱒釣り』というから、雄大で涼しげな渓流での楽しみにまつわる小説かと思って読み始めると、「鱒」や「釣り」がそのままの意味で使われない。アメリカの鱒釣りという名をした人物のように思える物語も多いが、現象や物などを指し示すオールマイティな言葉として、それが47の小さな物語の間に響いている。
「アメリカの鱒釣りテロリスト」「アメリカの鱒釣りちんちくりん」「アメリカの鱒釣り平和」と並べられ、この「アメリカの鱒釣り」というのは一体何なのかを問い掛けても、確とした答えの戻ってくる小説ではない。
わからないから途方に暮れるのだが、言葉の並びに退屈しないので目で追って行くうち、「そう読んでいく手があるか」と気づいた。「へたくそ」を自認する者は、上手になりたいがために、あれこれ方法を考えてみる強みがあるのだ。
何が書いてある文章なのかという意識の働きを極力押え、記号としての文字を拾うように目で言葉を追う。すると、うすぼんやりとした魚影としてしか確認できなかったものが、徐々に水面に浮かび上がってきて、その姿を露わにする感覚が得られた。自然やアメリカや時代、そしてそれらとの関わりを表す言葉がいくつもあり、それが水面下から水面に浮かんできたところで、依然全体は読み解く種類のものでない。したがって「理解」は覚束ないが、拾われた諸キーワードから受ける印象が、ブローティガンが美と捉えたものであろう世界に近づいた感じがあった。
記号として言葉を拾う作業は、大きな地図のなかにある「果樹園」や「灯台」「発電所」「遺跡」の位置を確認するのに似ていた。それはどこかへ案内するために作られた地図ではないのかもしれない。しかし、広げると上の端に「信じられる何か」という名称がついている。少し古いアメリカへの優しげな視線で作られたもののようであった。
紙の本
この作家の作品を前から読んでみたかった
2019/01/28 14:49
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んでいるうちに、これは日本の私小説でいえば短篇の手練れ、永井龍男氏の鎌倉周辺を描く作品に近いなと感じた。私小説というのは、日本独特の小説ジャンルなのかと思ってみたりしていたのだが、この作品はまさに私小説そのもののように感じた。永井氏の鎌倉に籠った愛情と、作者の鱒釣りに籠った愛情は非常によく似ている。この作品の中で、やはりおもしろいのは「アメリカの鱒釣りちんちくりん」シリーズだろう。両足のないアル中男にはぜひともあってみたい。会ってもやさしくなんかしてあげない。「ちんちくりんおやじ」あっちいけとどやし付けてみたい