紙の本
いちきゅうはちよんって
2009/06/06 08:02
20人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トム君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
手にとって読み始めるまで題名はてっきりIQ84だと思ってた。IQは100が標準だから、きっと知恵遅れというか知的障害者の話なんかなあと思っていたら、なーんだ、ジョージ・オーウェルの「1984」のオマージュかよ。そろそろ春樹もネタが尽きたか。それにしてもセックス教団が舞台なんてなんだかなあ。村上春樹ならとにかく買うという思考停止の奴が多いから本書も売れているみたいだけど、そんなに面白いか、これ。石原慎太郎「弟」、山口百恵「蒼い時」。。。かつてのベストセラー本が今、どこかで平積みになって叩き売りされている、なんだか本書の明日をデジャブしているみたいな。。。
紙の本
村上春樹は三島由紀夫を超えられない
2020/04/30 08:01
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ライサ - この投稿者のレビュー一覧を見る
どれだけ辛辣に三島を批判しようが、彼の浅はかさを露呈したように。
この作品は1984年が舞台となっている。それ自体は問題ではない。
ちょうど私が生まれた頃の時代であるがそれもさして問題ではない。
しかし村上作品はどれも「何かを読んだ」「何かを得た気分」にはしてくれてもそれを言語化できる人は少ない。他人に「どこがどうおすすめ」か説明する際に具体例をもって話せる人はさらに少ない
この小説も同じ特性を持っている
村上春樹が金太郎飴しか作れないと言われる所以でもある
読みやすい小説ではあるがだからと言って歴史に残る作品ではないレベルの小説にはやはり厳しい評価しかしにくいものだ。
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この世界はさっきまであった世界なんだろうか?
「青豆」と「天吾」
2本の糸が細く伸びる。
一瞬交わったような気がして、それは全く交わっていなかったり、
何のつながりもないような2人。
でもどこかがつながっている。
今日の夜、もしかして、月は2つあるのだろうか?
淡々と進む物語。でもぐいと引きこまれる物語。
臭い言い方をすれば、ページをめくる手が止まらなかった。
Book2への序章。
たしかにこれは読む価値はあり!!
'09.06.03読始
'09.06.05読了
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1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。
そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。
そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。
私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。
心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。
天吾と青豆という2人の人物の視点から交互に物語が展開していくのだが、天吾が執筆に関わった「空気さなぎ」という1つの小説をきっかけに別々の視点で語られていた2つの物語がリンクしていく。
発想力、物語のスピード感、人物描写のどれも優れていてとても満足できた。
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まだ発売してないけど忘れぬようにメモ。
「IQ」ではなく「1Q」なのがミソ?
(数字タイトルだと「1973年のピンボール」を思い出す)
タイトルから内容が全然想像できないのが何とも悔しい。
解っているのは作品のポイントが『恐怖』ということ。
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【その1】文学界の大スターの5年ぶりだとかの新作が、まだ発売もされていないのに2巻合わせて48万部の予約だというので話題騒然です。
そういえば、2月15日のイスラエルでのエレサレム賞授賞式での批判的なスピーチも彼らしいと評判でしたね。文句があるなら、わざわざ出向いて行かずに、受賞なんか断ればいいのに。
一応人並みに、エッセイも含めて全ての作品を読んできていますが、一度も気にいるとか・感動するとか・琴線に触れるとか・すばらしいとか・なかなかの物語だとか・ちょっとしたフレーズが気が利いているとか、少しも思ったり感じたことのない私は、ただ唖然とするだけです。この人ほど世間の評判と乖離した興醒めな小説を書く人を他に知りません。
ノーベル賞がほしくて、様々な各国語に翻訳してもらいまくっている彼は、どうして自分より先に大江健三郎が取ったのか、悔しくて仕方ないと地団太踏んでいるのですが、2000回を祝ってもらった森光子が、若いころ思っていたことですが、といって一つ川柳でもと披露したものに、あいつより上手いはずだが何故売れぬ、というものがありましたが、上手いし売れているのに何故受賞出来ないの?というところでしょうか。
きっと、手から水が漏れっぱなしなのに気づいてないんだわ。
アラカンの村上春樹、そろそろ読み応えのある一冊を書けたかな? という三秋の思いで、一応私も予約しました。
【その2】(6月3日記入)
5月29日発売から6日が経過。ウハウハの78万部だとか、よく知らない人が2巻だけを買っていったとか、内容を告知しなかったのは何も購買意欲を刺激・脅迫・喚起するための販売戦略なんかではなく、『海辺のカフカ』の時に読者から何も知らせず発行してほしかったという声が多かったので今回はそうしたとか、今まで小説など読んだことがない人が・ましてや村上冬樹じゃなかった春樹なんか聞いたこともないという人が買っていったとか、ああ、めくるめく迷宮の彼方、すでに文学を超えた社会現象・事件の領域に突入しています。
例によって単純明快な構成・文章・起承転結なので、どんどんスラスラ読めること読めること、もう2回目を読了したのですが、感想なんか阿呆らしくて悔しくて、何も書きたくありません。またぞろSEXカルト教団とかが出てきたりして辟易してしまいました。
ベストセラーの王道でしょうが、週末の6月5日か来週初めには、大量に売れた反動でブックオフなどへは大量の読み捨て処分売却本が出回ることでしょう。
この感想へのコメント
1.anokeno (2009/05/27)
もう買った人がいるのかと驚きました。読んだらまた感想を書いてくださいね
2.薔薇★魑魅魍魎 (2009/06/03)
せっかくのご来店まことに有難うございます。
もう少し落ち着いたら、きっともっと綺麗さっぱり表わせると思いますが、今は極度の虚脱感と悔恨の念で身体が蜃気楼のような状態で、自分が自分でないようなのです。ごめんなさいね。
3.maugham (2009/06/10)
私もエルサレム賞は、ああいう批判をするくらいなら、受賞辞退の方がよほど、作家として誠実な態度ではないかと思いました。��かし、実を言うと、私は、村上春樹なる作家の作品を一度も読んだことがないのです。「積ん読棚」にはあるんですが。薔薇★魑魅魍魎さんのコメントを拝見すると、またして読む機会が遠のきそうです(笑)。
4.薔薇★魑魅魍魎 (2009/06/11)
申し訳ありません、そんなこと言わずぜひ。私のせいで村上文学の貴重な読者が一人減ったりしては面目ないですわ。読んでも得るものがないけれど読まずにいられない・何かあるはずと強迫観念に駆られて幾年月、きっと最後まで裏切られ続けるのでしょうね、幸薄い私・・・
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3回目になります。
1回目はもちろん出版された時。
2回目はBOOK3が出るということで、その前に復習のつもりで。
そして、今回が一番、ゆったりと落ち着いて読めたのは読めたけど、新たな疑問がわいてきて、ぐるぐると迷路になっている・・。(*^_^*)
初読時には、とにかく天吾のやった“不正”が露見するのでは?と怖くて、怖くて、天吾本人はそれ以上に大切なことがある、と落ち着いているようなのに私ばっかりがあたふたしていたような気がして可笑しいです。
で、今回、改めて、青豆と天吾の世界って、クロスしているのか、別物なのか、の疑問がふつふつと…。天吾の世界には月は1つしかない、ということで、青豆だけが別ワールドに行ってしまったんだ、と思ってたんだけど、「あけぼの」の銃撃戦は青豆にとって(そして私たち読者にとっても)なかった歴史なのに、天吾の住む場には確かにあったこと、ってどういうことなの??
・・・ただ、天吾にはかなり曖昧な記憶、ということになってるのが不穏というか、ますます、わからない、というか。(*^_^*)
私は、BOOK3まで読んでしまっているのだから、今後彼らがどうやって巡り合うのかわかっているのだけど、あれれ??私って勘違いしてた??と。
春樹さんが、謎をパズルが当てはまるようにすっくりと解明しないのはいつものことだから、物語の途中でピースをあっちにやったり、こっちに戻したりしても意味ないよね、と思いつつ、でも、こんな風に何回読んでも楽しめるところがまた、村上春樹の魅力だなぁ、と思います。
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おすすめ度が☆5つなのは、読んでもらうしかないからです。
個人的には人生の中で見逃せないキーワードがいくつか出て来て
重要な異世界に踏み込む気持で読み進めました。
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世界観は相変わらず理解できるようでできない魅力があり、純粋に引き込まれるものがあった。
個人的に、村上春樹の作品は読んでて笑ってしまうような表現や人物のセリフが好きなのだが、
今回の作品は容量の割にそういったものが少なく、どこか坦々としたものを感じてしまった。
だからこそ読みやすさという点では一級品で、すばらしく完成された作品だと思う。
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話題になっていたので、初めて村上春樹の作品を読んでみた。
スポーツインストラクターであると同時に暗殺者としての顔を持つ青豆の物語と、
予備校教師で小説家を志す天吾をの物語を交互に1章づつ描く形。
読んでいて思ったことは、何でもかんでも性に繋げるということ。
何でもない文章でもその帰結には性に関する言葉が用いられていて、正直あまり気分がよくなかった。
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読む前に想像していた感じと違い、抽象的で意味がつかみにくい小説ではなくて、かなりはっきりとした筋があって、その示唆しているところも明示的な小説だと思った。読んでいて、文章がとても気持ちよかった。
この作品については、おそらく、この先多くの研究家や有識者と呼ばれる人たちによって、解体されて無数の批評が加えられることになるのだろうけれど、そういう分析的な観点をまったく無しにしたとしても、単純に、読みやすくて面白い話しだと思う。
ジョージ・オーウェルの小説で描かれた1984年とは異なり、現実の1984年には「ビッグ・ブラザー」のようなわかりやすいアイコンは登場しなかった。しかし、それと対をなすような形で「リトル・ピープル」という存在が、はっきりとは見えにくい形で人々の間には潜んでいる。この「1Q84」というタイトルが示す本当の意味は、物語のだいぶ後になって明らかになってくる。
青豆という、女性の主人公のキャラクターは結構すごいと思った。顔をしかめると極端に人相が変わるとか、人体の筋肉への徹底的なこだわりとか。そのエキセントリックさには、何箇所か笑った。
それとは対照的に、男性の主人公には、多少風変わりなところはあったとしても、根本にはちゃんとした生活の雰囲気があるというところが、なんだかホッとする。この、まったく無関係に見える二人の人生が、少しずつ少しずつ重なっていくところがいい。
物語の中に、もう一つの物語が登場して、「文章を書く」ということが一つのテーマになっているというのは面白かった。
「人が文章を書いている時、文章を書いているのは誰なのか?」ということは、とても興味深いテーマだったし、それをさらに一般的な概念へと広げて「自分の人生を生きていると思っている時、そのように生かしているのは誰なのか?」という問題提起には、ものすごく強烈なインパクトがあった。
サイエンス・フィクションのような現実離れした場面もいろいろとあるけれど、その乖離の度合いというのは、人類の口承や神話が民族を超えて共通に持つ、無意識の領域が紡ぐ物語と同じ程度の、現実からのズレなんじゃないかと思った。
こういう普遍性を、日常生活の出来事に溶かし込むように、感覚的にスッと入りやすい形で表現出来るというのは、本当にすごいことだと思う。
彼女の半分はとびっきりクールに死者の首筋を押さえ続けている。しかし彼女のあと半分はひどく怯えている。何もかも放り出して、すぐにでもこの部屋から逃げ出してしまいたいと思っている。私はここにいるが、同時にここにいない。私は同時に二つの場所にいる。アインシュタインの定理には反しているが、しかたない。それが殺人者の禅なのだ。(p.74)
「数学というのは水の流れのようなものなんだ。水が高いところから低いところに向かって最短距離で流れるのと同じで、数字の流れもひとつしかない。じっと見ていると、その道筋は自ずから見えてくる。君はただじっと見ているだけでいいんだ。意識を集中して目をこらしていれば、向こうから全部明らかにしてくれる。そんなに親切に僕を扱ってくれるのは、この広い世界に数学のほかにはない。」(p.89)
何であれ、目の前に自分が所有するものが溜まっていくことが彼女には苦痛だった。どこかの店で何かを買うたびに罪悪感を感じた。こんなものは本当は必要ないんだと思う。クローゼットの中の小奇麗な衣服や靴を見ると胸が痛み、息苦しくなった。そのような自由で豊かな光景は、逆説的にではあるけれど、何も与えられなかった不自由で貧しい子供時代を、青豆に思い出させた。(p.329)
「あなたは間違いなく正しいことをしました。しかしそれは無償の行為であってはなりません。何故ならあなたは天使でもなく、神様でもないからです。あなたの行動が純粋な気持ちから出たことはよくわかっています。だからお金なんてもらいたくないという心情も理解できます。しかし混じりけのない純粋な気持ちというのは、それはそれで危険なものです。生身の人間がそんなものを抱えて生きていくのは、並大抵のことではありません。ですからあなたはその気持ちを、気球に碇をつけるみたいにしっかりと地面につなぎ止めておく必要があります。」(p.330)
「メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ。」(p.344)
「そして王国がやってくる」と青豆は小さく口に出して言った。
「待ちきれない」とどこかで誰かが言った。(p.353)
「正しい歴史を奪うことは、人格の一部を奪うのと同じことなんだ。それは犯罪だ。僕らの記憶は、個人的な記憶と、集合的な記憶を合わせて作り上げられている。その二つは密接に絡みあっている。そして歴史とは集合的な記憶のことなんだ。それを奪われると、あるいは書き換えられると、僕らは正当な人格を維持していくことができなくなる。」(p.459)
爪を見ていると、自分という存在がほんの束の間の、危ういものでしかないという思いが強くなった。爪のかたちひとつとっても、自分で決めたものではない。誰かが勝手に決めて、私はそれを黙って受領したに過ぎない。好むと好まざるとにかかわらず。いったい誰が私の爪のかたちをこんな風にしようと決めたのだろう。(p.484)
人は脳の拡大によって、時間性という観念を獲得できたわけだが、同時に、それを変更調整していく方法をも身につけたのだ。人は時間を休みなく消費しながら、それと並行して、意識によって調整を受けた時間を休みなく再生産していく。並大抵の作業ではない。脳が身体の総エネルギーの40パーセントを消費すると言われるのも無理はない。(p.491)
ディッケンズのロンドンを照らす月。そこを徘徊するインセインな人々とルナティックな人々。彼らは似たような帽子をかぶり、似たような髭をはやしている。どこで違いを見分ければいいのだろう?(p.554)
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青豆と天吾の二つの物語が奏でる“シンフォニエッタ”は、村上春樹がデビューから常に小説で問いかけているテーマ―我々の居る世界に対するちょっとした違和感―を、珍しく真正面から詳らかにしようとしている。現在だけではなく過去までも書き換えて「そうではない(なかった)何か」を、恋愛とハードボイルドというオーソドックスで陳腐とも思える手法で描いている。総合小説を目指す春樹らしいといえばそれまでなのだが、やはり魅かれる。ちょっとした違和感が音叉のように現実世界と乖離していく様は、さすがとしか言いようがない。
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まだ 物語は始まったばかりで。「Q]が何を指すのか。交互に語られる物語がどういうつながりを持っていたのかが分かっただけで。いや、詳しくは書くまい。しかし驚いたのは、村上春樹氏が60歳だってこと。私の中では、J'Sバーで鼠と一緒に浮遊する絶望をすって孤独を吐き出す大学生だったり、双子の女の子と一緒に忍び込んだゴルフ場でそこかしこに落ちている暗い未来の白いボールを拾ったり、中国への井戸をもぐっていたりしている「若者」のはずなのに…
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正直なところ、序盤は置いてけぼりにされているような気分だったけれど、中盤以降からは落ち着いて読めた。発行部数とか側面的なことでよく騒がれているけれども、内容としてはそれほどムキになって否定したくなるようところもなく、早く続きを読みたい気持ちが最後まで持続した。ただ、1冊だけではなんとも言えない部分が多く、それは2冊目を読んだ後でも解消されなかった。1、2と振っていることから、続編があることが想像されるけれども、現段階でアナウンスがないので3が出るのか、出るとしたらいつか、そういったことがわからない以上、なんとなく宙ぶらりんな読後感になる可能性大。
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2009/06/13読了
話題の村上春樹の新作。青豆という女性と天吾という男性の二人を中心に、1Q84という世界で起こるストーリー。
なんとも、あらすじを書くのは難しいものである。あらすじの紹介は、プロに任せたい。説明するにはずいぶん複雑であるし、私は説明しようとしてうまく説明できることなんて、まずないからである。
ここでは私自身の感想を述べておこう。
「作品は作者を離れれば、自由に歩く」というのは私も同意するところである。しかし、村上春樹がその深いところに持っている独特の世界観がやはりここでも表現されていると私は感じざるを得ない。「ノルウェイの森」でも「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」でも描かれていたことは今回の1Q84でも読むことができると思う。それは「愛」の重要性とパワー、「生きる」ということへのこだわり、正常/異常の区別の曖昧さと流動性・・・。など(などとしか言えない。)
彼の作品は、もちろん共通する世界観があると思うんだけど、でも読んだ時に出てくるイメージや私が感じるものというのはそれぞれ違っている。この1Q84は、はらはらどきどきを与えてくれる一冊であった。これから読む方には、一気に読むことをお勧めする。
という感想を述べたものの、私は小説を理解したというよりは、小説を「感じた。」という言い方のほうがあっているのかもしれない。1Q84はまだ私にとって漠然としていて、これからもう一度、読みなおし、もう一度この作品と向かいたいと思っている。