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父の出家。母の再婚。サトラコヲモンサマ解体後、世間の耳目を集めてしまった姉の問題行動。大人になった歩にも、異変は起こり続けた。甘え、嫉妬、狡猾さと自己愛の檻に囚われていた彼は、心のなかで叫んだ。お前は、いったい、誰なんだ。(BOOKデータベースより)
感想を一言で述べると、「衝撃的」でした。人間として生きるのはいかに難しく、またいかにドラマチックなものであるのかを思い知らされました。
かつて自分は、何かに固執したり、憧れを持ったり、一箇所に留まったりすることは「ぬるいこと」「危険なこと」だと思っていました。所詮他人は他人だし、物事は移り変わっていく。だから絶対の信頼を置けるものなんて存在しないんだと考えていました。
しかし、就職・結婚・その他諸々…大小様々な選択を迫られる機会を何度も経験するうち、拠り所とすべき一つの大きな「基準」のようなものを決める必要があると感じるようになりました。それは言わば盲目的に信じることができる絶対的なもので、それに全力で寄りかかることで満たされた、納得感のある(と少なくとも自分自身が感じることができる)人生を送ることができる、と。固執しすぎることは危険なこと、でもそういうものを探していくことも大切なんだと思えるようになりました。一方で「基準」を探す作業というのは難しいもので、それは自分自身で身をもって経験したものの中にしか隠れていていないと思います。だからできるだけ若いうちにいろいろなことに積極的に関わって、考えて、失敗して、他人と想いを分かち合って、自分の中で昇華していくということが必要なのだと考えるようになりました。
この本を読んで、この「基準」を探す作業こそが「一生懸命生きること」なのだと感じました。だから、その作業を産まれた瞬間からスタートできた貴子の生き方がすごく羨ましい。ああ、自分はだいぶ出遅れてしまった。ショックで頭をガンと殴られたような気がしました。
でも、まだ遅くはない。自分自身にも30年余りの人生で積み上げてきたものがあり、その中から「基準」となるものを見つけることができるかどうかが重要なのだと思います。さあ、私も一生懸命生きてみよう。
余談ですが、この物語を最も端的に表した一言「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」と、私が敬愛する中島みゆきさんが作詞した『宙船』の一節「お前が負けて喜ぶ者にお前のオールを任せるな」って、すごく似てるなと思いました。
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イラン、大阪、エジプトで生まれ育った主人公。その主人公の経歴が作家の西さん同じ。年も同じ。生まれた月も同じ。この主人公は西さん自身なのかなあ。
生きていることに絶望する歩が、自分が信じるものを見つけ出し、再び力強く生きることを決意するんだけど、西さんもこんな思いを抱えて生きているんだろうか。
「あなたが信じるものを誰かに決めさせてはいけないわ」
あの変態の姉の助言を受けてカイロに向かった歩は、ヤコブに会い、かつてナイル川でみた白い化け物「サラバ」と再会する。そして、歩は、自分が生き続けることを信じ、サラバを陣し、今まで自分がたどってきた奇蹟を小説に残す。
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サラバ!下 - bookworm's digest
http://tacbook.hatenablog.com/entry/2014/12/18/071134
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周りの目や相手に振り回されて、信じるものを決めるのではなくて、自分がいたからこそ、だから信じるのだ。
以前より、世界には、宗教、文化、生活圏、人種など様々な違いがあり、そして、今ではパソコンなどにより、様々な情報が収集できる。とてもシンプルで当たり前のことだけれど、今の世の中で、自分の考えを信じて、進んでいくことはとても難しいと思う。
圷歩は、自由奔放に生きる父や母、また自己顕示欲の強い姉などに囲まれて成長していく。一見、要領よく器用な人間かと思うけれど、大人になっても、自分の軸が定まらない歩はどんどん振り回され、不器用にもがいていく。父母の離婚の秘密も、姉の存在にも、すべてに立ち向かい始めて初めて、動き始めた歩。不器用な歩に自分を少し重ね、姉の言葉に、はっとさせられました。
西さんの10周年の集大成ですが、自分が信じるものは自分が決めるということに、改めて考えさせられ、勇気づけられました。西さんの描く、個性豊かな登場人物に、これだけのびのびと自分らしさを出しても大丈夫なんだよということを教えられる。先日テレビで光浦さんが「西さんの作品で、こんな自分でもいていいんだと励まされる」とお話されていたことに、改めて共感しました。
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こんなに読んで泣いた本なんてなかった。
上巻は何度が読むのが止まったが、下巻はスラスラ読めました。
この小説は私の中でずっと生き続けると強く感じた。
毎年一回は再読したいと思いました。
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罪の告白にも似た一人称の語りは、藤谷治「船に乗れ!」を彷彿とさせ、久々に揺さぶられた。
しかしながら、物語は優しく、打ちのめされているのと同時に救われている気持ちになった。
拠り所のある人間のなんと強いこと。
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父の出家。母の再婚。サトラコヲモンサマ解体後、世間の耳目を集めてしまった姉の問題行動。大人になった歩にも、異変は起こり続けた。甘え、嫉妬、狡猾さと自己愛の檻に囚われていた彼は、心のなかで叫んだ。お前は、いったい、誰なんだ。
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上巻が姉の奇行を糧に歩が自分の立ち位置を測る時代だとすれば、下巻は、圷(今橋)家の激動の時代だとは言え、歩にとっては手痛いから緩やかな下降の時とも言えるように思う。何もかもが思うようにはいかず、頭髪までもが徐々に30代の自分を見離し始め、幼いころから容姿にだけは自信があった歩の自我をさえ崩壊させるのである。下巻の後半では、姉は自分なりの信じるものを見つけて彼女なりに安定に向かっているが、歩自身はそれとは裏腹にこれまでの人生すらガラガラと音を断てて崩れていくような思いから抜け出せない。良かれ悪しかれ姉の存在の大きさを思わされる。そしてカイロへ……。「サラバ!」が歩の心のお守りになったのだと涙が出る思いのラストである。圷(あえてそう言いたい)一家がしあわせでありますようにと願わずにはいられない一冊である。
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何事も、姉のせいにして、母のせいにして、父のせいにして、周囲の人のせいにして、だけど、そういう生き方を選んできたのは歩自身だったんだと、姉からの痛烈な言葉を浴びせられ、変わっていく歩。鎖に縛られてるなんて言う人がいるけど、そんな鎖はないんだと言いたい。
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考えつく限りの人間の悪しき感情の吐露を著したかと思えば次の瞬間には涙ぐませるほどの気高い言葉を紡いでみせる、そんなドロドロした尚且つ呼吸そのままに人間味溢れる主人公、歩、いえ、作者西さんに寄り添う感情が私の中でも爆発します。というか、むしろ嫉妬に近い感情?!
とは言え、泣きながら(文字が見えなくなるほど)読んだ本は久し振りでした。
『上』の時には五つ星を付けたのだけれどこうも揺すぶられてしまっては星が倍の数あっても足りない気がします。
宗教感、震災、国際情勢など盛り込み過ぎて本来の家族・友情のテーマが薄れてしまうのか、と思いきや、何なんだ!この濃ゆさは!
と、やっぱり嫉妬にも似た感情。
こう、自分の内面を恥じらいもせず吐き出せるのは「サラバ!」という合い言葉(呪文)のおかげかもしれない。
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一人の人の生き方、家族、それを取り巻く環境や友達について、ここまで詳しく詳細に書かれた本に今まで出会ったことはなかったと思う。
上下巻と分かれているのもなんら苦にせずただただ先が知りたいと言う思いが溢れてページを捲る手が止まらなかった。
歩はこのサラバの主人公であって、全く自分とは関係のない物語の中の人物なのに、読んでる途中途中で必ず共感する部分が出てくる 。
エジっ子の乞食の子達に卑屈に笑ってしまったり、面倒に巻き込まれないよう存在を消したり。この人と関わった自分の体裁を考えてしまったり。
歩でなくてもきっと自分も同じようにするはずで、でも物語で読んでるとそのちょっとズルイなと思う事が浮き彫りになって見えてくる。
そうだな、自分もずる賢く生きてるなと思って妙に納得したり。
妙に納得出来ると言えば、小さい時って、何故か言葉があまり上手く喋れなかったり、知らない言葉の方が多いのに、何故か友達同士で特別な言葉で繋がれる時期がこの歩とヤコブの様に確かにあるなと思いだした。
でも大人になるとそれがどういう感覚でどんな言葉(力?又は能力?笑)だったか忘れてしまう。
だから最後のヤコブに会いに行った時に全然上手くヤコブに気持ちが伝えられないもどかしさも凄い伝わってきて、歩がとめどなく泣いてしまう理由を説明したいのに伝えられない苦しさも分かって、どうしたらこの思いが…って状態だったとこにヤコブから伝えられた
『サラバ』
その瞬間ぐっと一気に身体中に熱い思いが溢れて次の瞬間には泣いていた。
なんてない言葉でも、そこに意味と信じる物を見出して使うことで、とても大きな力を持った言葉になるんだと感じて、言葉と思いの強さに改めて感動した。
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阪神淡路大震災との遭遇。
サトラコヲマンサマと離れた姉は“自分で、自分の信じるものを見つける”ために、父と一緒にドバイへ。
大学入学をきっかけに上京した主人公歩は、チャラい大学生になって女の子と片っ端からやりまくり、野生が理性を凌駕した最初の一年を過ごす。
二年生になり、映画サークルに入部し、下半身が奔放な鴻上との出会い。
父と姉の帰国。
姉の奇妙な行動。
父の出家。
母の再婚。
姉の唯一の心の支えであった矢田のおばちゃんの死。
三十代になった歩に起こった肉体的異変。
歩はそれまでいろいろなものから逃げていた自分に気づく。
葛藤、自戒。
そんな中での須玖との運命的な再会は大きな希望だ。
父と母の離婚の本当の理由を知ることになる歩。
毅然とその話をする姉は、昔と同じような自分勝手のようでありながら、どこか違っていた。
そして、生涯の伴侶を得てサンフランシスコに住む姉から届いた手紙。
274P
“ そして歩、あなたの名前は、歩よ。
歩きなさい。
そこにとどまっていてはだめ。あなたの家のことを言ってるのではない。分かるでしょう。
あなたは歩くの。ずっと歩いて来たのだし、これからも歩いてゆくのよ。
お父さんに会いなさい。話を聞きなさい。
そして、また歩きなさい。自分の信じるものを見つけなさい。
歩、歩きなさい。”
自分は何がしたかったのか?
何をしたいのか?
家族に何を望んでいたのか?
そして、これから何を信じて生きていけばいいのか?
自分の周りで起こる事件に出会う度、歩は葛藤し、もがき、苦しみ続ける。
そんな歩の最後に向かうべき場所は───。
341P~342P
“ 僕は禿げていた。僕は無職だった。僕は34歳だった。
僕はひとりだった。
信じるものを見つけられず、河を前に途方に暮れている34歳の僕は、きっと幼い頃の僕よりも、うんと非力だった。
僕が手放したものは、どこへ行ったのだろう?
輝かしい僕の年月は、どこへ行ったのだろう。
涙は止まらなかった。”
345P
“ 僕は生きている。
生きていることは、信じているということだ。
僕が生きていることを、生き続けてゆくことを、僕が信じているということだ。
「サラバ。」”
この二カ所を引用しただけで、私は再び涙が止まらなくなる。
私たちは何かを信じて、生きることを諦めてはならない。
今、生きることや、人生に問題を抱え悩んでいるすべての人々にこの本を読んでもらいたい。
ここには、今後そういう人たちに優しく手を差し伸べてくれる何かがきっと詰まっているはずだ。
直木賞受賞作は数多あれど、これほどの傑作は類を見ない。
読んでいる間、特に後半に進むにつれて胸が震えた。
読み終えるのが残念だとさえ思った。
こんな素晴らしい小説に出会えた私は幸せものだ。
私の読書人生の中でも三本の指に入るほどの心に残る名作。
これほど素晴らしい作品を書いてくれた西加奈子さんに感謝した��。
ありがとう───。
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久々に買った単行本。
表紙の絵に一目惚れしたから!
読み終わってから知った、絵も西加奈子なんだって!!
そして今知った直木賞!!!
まだ「円卓」とこれしか読んでないので
全作品読破したい。
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大切なのは人がひとりひとり違うことを
認めることだ。
エジプトで少年期に出会ったヤコブと再会した後
ヤコブから主人公の歩が言われた言葉。
すごくすごく簡潔に物事の確信をついていると思う。
宗教観の違いからくる中東各国の争いも
例えば戦時のユダヤ教徒の迫害も、自分たちと
違う異分子を見つけ出し糾弾する、争って
自分たちが正しいと証明しようとする
それが、人はひとりひとり違うことを認め
容認して生きていくならば、争いごとは
なくなるのではないかと思った。
そう簡単にはいかないけれど、相手を憎み
それを糧に生きるよりも、相手を認めともに
生きていく方が断然幸せだと思う。
下巻は歩の成功、落ちぶれ、放蕩という感じで
物語が続き、対して一家の迷惑者の姉の貴子は
放浪、定住、安定と徐々に自分の居場所をみつけ
幸せになる。
長い長い物語だけれど、歩の両親の別れた原因は
なんなのか、サトラコモン様ってなんなのか、
その他いろいろなキーワードが気になって
先へ先へと読み進められる話だった。
そして、大切なことがたくさん入った
とてもよい物語だった。
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何度も心をえぐられた。
信じるもの。
信じたいもの。
西加奈子さんの本にいつも救われる
サラバ!はそれがいっぱい詰まってる。
読み終わった時
きれいな夕暮れの空に泣いてしまった!
世界は広くて
楽しい事も悲しい事もたくさんあって。
絶望しそうになっても、
止まっても、また歩きだす。
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上巻では家族や友情のストーリーだったが、下巻で主人公の周りの人達が成長していたり様々なことが起こり常に見どころ満載でよかった。周りの反応やプライドじゃなく、自分が信じるものは自分で決めるべきだと思えた大切な作品。