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「くまうち」を読んでいると思っていて,よくよく見ると「ひぐまうち」:1947年生まれの現在は牧場主兼羆撃ち猟師でローマ字を読んで「くまうち」と読ませると再認識〜小樽に生まれ,銃猟が好きだった父の影響で大学生の時に免許を取り,山での暮らしを選択した。小樽周辺では鹿を撃ち,標津に羆が出没すると聞いて勇んで行く。アイヌ犬のフツを手に入れて,訓練を施してからは楽になったが,犬と離れるのは引き裂かれる思いだが,アメリカのハンタースクールで,優秀な成績を残して,ガイドの資格と仕事を得たが,戻る約束をしてビザが切れて北海道に帰ると,犬と共に獲物を求めるのが本当の猟師の姿だと認識を新たにし,標津に空き牧場があるからと誘われて行くと牛の世話に追われて碌に山にも入れない。フツの仔が取れたら猟が楽になると思い,牡犬を飼う決心をするが,じゃれ合っていた時の怪我が原因か,フツの鼻にポリープができ,躰の一部と化していたフツを失ってしまう。自然を貪ろうとする気持ちがあったのだ〜その後,一人で入山して羆を撃てるようになり,漫画家の女性と結婚し,娘が二人出来て,その娘達を鹿猟には連れて行くようになって,ドキュメンタリー番組として草原の暮らしが紹介された。牛の出産を待つ牛舎で子どもの頃からの思い出を大学ノートに書きため,妻の薦めで刊行の運びとなったが,2006年妻は先だった・・・という不思議な体験もしているし,九死に一生も得ている。波瀾万丈の人生で,羨ましいよな,自分には絶対無理と突き放したくなるような,矛盾が生じる。相棒・愛犬との出会いと別れ。獲物と対峙する人の中の野性。彼のような生業はアメリカではマウンテンマンと呼び,ハンターとは云わないそうだ。いや,良い本と出逢いました
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2009年4月25日 初版弟1刷発行(5月中に増刷決定)
うまく文字にできず、読後ずいぶんたってしまった。
理由は二つ。ひとを食うヒグマの恐ろしさに怯えたことと、作者の文章がうますぎること。
ノンフィクションなのに小説を読むように感じてしまったからだ。
熊は世界では7種いて日本にはツキノワグマとヒグマ。ヒグマのほうが大きくて獰猛。
ディズニーの黄色いクマのプーさんは7種にはいっていない。
タイトルの「羆」はヒグマと読む。
吉村昭氏に「熊撃ち」という同タイトルのノンフィクションがあるので、あえて羆(ひぐま)という漢字を使ったのかもしれない。北海道のクマはヒグマだから、羆撃ちなのかもしれない。kumauchi とルビがふってあるので、クマ撃ちと読んでいいのだろう。
現在62歳になる著者の羆専門のハンターになろうとする20代ころから30代前半まで。
猟犬フチとの出会いからフチとの猟フチの死までが全編を通してつい昨日のことのように生き生きと描写されている。
作者は、時に母熊を撃つ非情なハンターである。非情なる理由は人を襲う熊だから。
羆のテリトリーに侵入した人間が悪いのかもしれないが、羆が獣であることを忘れてはいけないと教える。
こういうノンフィクションは初めの20ページがおもしろいだけであとはな〜んだが多いが、これは、逆である。初めは動物愛護教会からクレームがくるだろうな〜とか、女の私が好き好んでこういう本を読んでいるなんて人はなんておもうだろうかとか。フチがでてくるあたりから現実のすごさに動揺しながらも、自分とはかけはなれた、生き方を選んで生きている姿に魅かれてゆく。
フチは小柄なアイヌ犬のメス。
猟犬にはオスが良いとされているが、作者はタフだが放浪癖とむら気のあるオスを嫌い、子育てをする情と忍耐強さのあるメスを選んだ。生後2ヶ月から厳しくかつ愛情をかけて育てる。
フチに、撃った羆のうまい内臓を分け与えて食べさせ、羆を捕らえる喜びを体に覚えさせる。
山奥で猟中にはぐれてもフチを置き去りにして帰る。たとえ羆の餌食になろうとも自分で帰ってこれないような犬なら猟犬にはなれない。
フチという名は、アイヌ語で火の女神を意味する言葉なのだが、フチと決定する理由がすごいリアリティである。
場所は北海道の山の中。猟期は冬。解体した熊や鹿の心臓を雪の上におくと、凍ってしまう寒さなのだ。
寒く震えた唇でも「フチ」と発音できるからだという。凍えた唇では、ポチやタマとは言えない。
ためしに薄く口を開いて口を動かさずにフチといってみてほしい。
フチは、羆を見つけ、作者が追いつくまで、羆をその場にとどめておく役だ。
羆に噛み付いてはいけないし、自分がやっつけられてはいけない。
羆に逃げられたらもっといけない。山奥の道のないような茂みや崖で、羆の周りを走り周り、逃げ道をなくしながら、忍耐強く作者が追いつくのを待つ。作者が追いつく気配で、より一層激しくほえる。羆を鳴き声でまどわし、猟師が近づいていることに気づせないためにだ。賢い犬だ。
フチは、老いて腫瘍ができやがてひとり���静かに死んでいく。
この本は、フチという犬との感動の人生物語だ。
50年ほど前まで、作者の周りの日本の熊は生きた鮭を食べる習慣はなかったという。
飛び跳ねるサケやマスをくわえた熊を撮りたい写真家が餌付けし、生きたサケを食べるのが熊の文化となったのだという。
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親について狩猟をするうちにその魅力に取りつかれ、職業としてしまう著者の半生。文章は小説家のようにはいかないが内容は波乱万丈で、どきどきさせられる場面が続く。その場に居合わせた者にしかわからない緊張感を第三者に説明することはかなり難しく、そこは読者の想像力でカバーするしかない。フチの登場ですばらしい盛り上がりを見せるが、比較されるユクがかわいそうで、いらいらさせられる。著者の生き方に共感する人も多いと思うが、実践できる人はアーブさんの言われるように有能な人の中でも千人に一人もいない。
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大学卒業後、プロのハンターになった若者の半生記。北海道、アメリカンロッキーを駆け巡る。狩猟犬「フチ」との関係が愛おしい。
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日本唯一の羆ハンターの話。
本人が書いたノンフィクションのドキュメンタリー狩猟話でした。
事実なだけにリアリティがあってまぁ面白かったかな。
文体も癖がなくて読みやすかったです。
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【ネタバレあり】
週間ブックレビューで紹介されていてとても興味を持ったので、図書館で借りて読みました。今年2冊目の熊狩猟関係の本です。
とても良かったです。
とつとつと語られる素直で読みやすい文体が筆者の人間性を表しているようでとても好感が持てました。これまで何冊も書いてきたかのような文体ですが、初めての著作なのですね。びっくりしました。そして、文章の端々に印象的な文が多々見られ、この筆者の表現力の豊かさに感心させられました。
今年「マタギ 矛盾なき労働と食文化」を読んだ私にとっては、すーと頭の中に入ってきて何の違和感無く、読むことができました。筆者が狩猟に魅了されるに至った経緯、そして、狩猟で食べていくんだ、これを生業としていくと決めて生活していく光景がとても克明にまた分かりやすく書かれています。
羆一頭で何十万円、鹿二頭で何万円、狸、兎・・・で年間計80万円ほどの収入で、諸経費込みで50万円で生活できるなどと書かれたくだりには狩猟を生業としている人(現在はほとんどいない)の生活
感が現れ、とても興味を覚える部分でもありました。
また、自然の中で感性、感覚が研ぎ澄まされ、自然と殺気が身についてしまったことや、狩猟で得た獲物をその場で解体し、心臓を火に炙って食べる様子なども、非常に印象に残っています。
そして、忘れてならないのは愛犬フチのことです。フチに対する筆者の愛情が溢れんばかりに表現されています。人間と犬はこんなにも互いを信頼できる関係になれるんだということに驚きを覚えました。
後書きはほんの数ページですが、その中に筆者の結婚後の生活、先に逝かれた奥さんのこと、大自然の中で生きる二人の娘さんのことなどが凝縮されていて、ちょっと泣けます。
読書期間:2009年11月中旬頃
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簡潔な文章で分かりやすく、その類い稀なる経験に圧倒される想いがした。命に対する畏れ、大切さ、そしてフチとの絆、筆者のタンタンとした語りにあふれている。
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長年にわたり羆撃ちとして活躍してきた作者の狩猟生活の記録。
北海道での数々の狩猟やアメリカでの修行、そして猟犬との生活について記されています。
作者の純粋な狩猟者としての、狩猟や生命との向き合い方を知ることができ、深く考えさせられる内容になっています。
ちょっと長いですが、読みやすく非常に面白い本です。自分なりの生命との向き合い方を狩猟の中で見つけたい、と強く思わせてくれる素晴らしい一冊でした。(三井)
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ハンティングってどこが面白いんだろう、と思っていたが、ちょっとわかったような気になった。が、覚悟と代償が大きすぎる。命は奪っていない、といいわけのできるFFがぼくにはお似合いだ。
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私の親世代
大学を卒業後
職業ハンターとなり
猟だけで生活を送る
獲るもの、捕らえるもの
との間には
一瞬の隙も許さない
「気」があり
研ぎ澄まされた感覚をいっぱいに広げ
全人格で対峙する尊厳
が必要なのだ
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小さな頃から父に連れられて猟に出ていた私は
成人を迎えてすぐに銃のライセンスを取り
大学卒業後は故郷の北海道でプロの猟師になった。
雪の中にテントを構えビバークを繰り返しながら
何日もかけて羆やシカたちを追う。
猟師になって2年後に猟の方法を掴んだ私は
猟犬を育てるという夢を実現するため犬探しをし
生れたばかりの雌の北海道犬、フチと出会った。
賢く忍耐強いフチはすぐに追い鳴き、止め鳴きを覚え
頼もしいパートナーとして成長する。
次にもうひとつの夢、ハンティングの本場アメリカで
腕試しをするためにプロハンター養成学校への留学を決意する。
フチを置いていかなければならなかったが
5週間に及ぶ集中講義が行われて見事17/19科目に
エクセレント印をもらう。
その後インストラクターやガイドの仕事を得てアメリカに滞在するが
ビザの期限が切れるため日本に戻り再びフチと共に猟に出る。
夢はさらに膨らみ、牧場経営もしたいしフチの子供も欲しい。
しかしフチの鼻に悪性のポリープが見つかってしまう。
装画:松尾たいこ 装丁:高柳雅人
日本唯一の羆ハンターである著者と猟犬フチの物語。
最初はどうして羆を殺して生活しようと思ったのかわかりませんでした。
フィクションでよく出てくるような
獲物を的としか思っていないようなハンターのイメージが強かったからか
あまりいい印象を持たずに読み始めました。のですが。
ありきたりな表現ですが命と向き合う真剣さに胸を打たれます。
「ナイフを取り出しシカの腹を裂いた。その腹腔に凍えてかじかんだ両手をもぐりこませて温める。シカの最後のぬくもりが、痛いほどの熱さで両手に染み込んでくる。私はそのまましばしの間じっとしていた。最後の温もり、生命の温もりの全部を両手にもらった。」
こんな凄い文章経験してなければ絶対に書けません。
そして中盤からはフチの健気さがとても愛しい。
ペットとしての犬には可愛さしか求めていませんが
猟犬となると賢さや従順さ、忍耐強さなどが必要となり相性も大切です。
「アイヌ語で「火の女神」という意味を持つ「アペ・フチ・カムイ」から取って「フチ」と名づけた。この名前なら冬の凍えた唇でも呟ける。」
この文で泣きました。
苦境を共に乗り越えるためのパートナーとしてフチを選んだのだということが
ひしひしと伝わってきます。
「大草原の少女みゆきちゃん」という家族ドキュメンタリーもあるそうなので
見てみたいのですが86年度文化庁芸術作品賞受賞って
今でも見る機会あるのかしら。
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北海道の道東で実際に羆撃ちをしていた方の実体験を元に書かれたエッセイ風の小説。
私自身が歩いたことのある地域に近いこともあり、切々と感じるリアリティと、雪山の静けさ、羆への敬意と恐怖、猟犬「フチ」への信頼と愛情が伝わってくる。
こういう生活に憧れる一方、作者自身も牧場を持ち、山での生活に区切りを付ける姿が印象的。
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自分の命をみつめるということは
他者の命もきちんとみつめることなんだと思わされた
例えそれが獣や草木だとしても、何かの命を奪っていること
そのことを忘れてただ奪っていては、自らの命さえみつめられない
自分の命をしっかりみつめられれば、他者のいのちをみつめられる
そして生態系から外れることはない
と思った
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小学生の頃、秋田のマタギを知って、猟師に対する畏敬の念を抱くようになった。
本書はその気持ちを改めて思い起こしてくれた。
同じ日本で、このような自然と、その真ん中で暮らす人がいる事に、勝手な感動を覚える。故星野道夫氏の言葉に通じるものがある。
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筆者が初めて羆を撃つシーン。最初に放った弾は生まれたばかりの小熊に当たる。怒り狂い猛然と立ち上がる母熊にもライフルを向け、仕留める。その側には母親と兄弟をなくしたもう一匹の小熊が。淡々と綴られるこのシーンを受け入れることが出来るかどうかで、その人にとってのこの本の価値は決まるだろう。
過剰な生命賛歌、自然保護、大自然との対決、など、妙な主義主張を振りかざすことなく、猟をすることが生活そのものであり、その様子を丹念に描いていく。私にとっては良書であった。