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作者・井上荒野(あれの、と読むらしい)の本は初めてです。
2008年に直木賞を受賞していることも知らずに買いました。
短編集。200ページにも満たない薄い文庫本。
女性が書いたハードボイルド、とでも言うのかなあ。
かなり「がんばっている」というか、「かっこつけてる」というか。
いや、「強がっている」という方が当たってるかな。
そんな都会的な女性の強さと寂しさを表現しながら、
背景であったはずの「旅」に主題が移ることで、
(作者にとってはもともとの主題が「旅」なのだろうが
読んでる方としては一旦主人公に心を奪われるので)
その「旅」の終わりとともにストン、と唐突にピリオドが打たれる。
女性的な生々しさが印象に残った。
あまり得意ではないけど文章のテンポはあうようなので、
直木賞受賞作も読んでみようかな。
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屈託にまみれた8つの小旅行を描く短編集。
通り過ぎた後には違和感と不快だけが残るけど、これが井上荒野の持ち味なんだと思えばそれをそれとして味わえる。
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とても短い、旅にまつわる話がたくさん。
すべての話、旅が、何かからの逃走となっている。旅の意味とはなんだろう。と、考えるけど別に意味なんかない。ちょっと別のものを見たいから電車や飛行機に乗るのだろう。手軽に文庫本を買うように。
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短編小説。久しぶりに誰も死なない本を読みましたけど、おもしろかった。いい話ばかりです。いいっていうのはアレですけど。「深いイイ!」的なアレじゃなくて、なんか、くる。
別にポエティックでも格段おセンチなわけでもないのだけど、血が通ってくる感じがする。
とりあえず最近本読んでないしなんか読みたいってヒトはまずはコレをおすすめします。僕の好きな文体。読みやすい。
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最後の最後まで、ずっとどんより曇り空であけそうであけない、降りそうでじくじく降らない、なんともキレない本だったが、あとがきから奥付で、ああっ、やっぱり女の書いた本!というショックに打たれ、もう読まないかなと。なんで、女性が書くとこうなるの?何がいけないのか考えないと、と思うくらい女流文学との相性悪い。
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全体的に刹那というか、でも生々しさもあり。最後におちないのは嫌いじゃない。
はじめての作家さんだけど、とても女性的な印象。
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井上荒野は初めて読んだ
うーん、短編集だったから、まだ好きかどうかわからないなぁ
嫌いじゃない
タイトルの付け方がいいなぁ^^とは思う
違うのも読んでみないと・・
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短編集。
人生の機微というものなのか、どう形容していいかわからない。
読後感もいいような良くないような。
不倫ものが多い。
(図書館)
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「静子の日常」が自分の生き方を少し変えてくれる本だったので、
井上荒野という人に興味が出て色々調べてみたときに出会った本。
8篇の旅にまつわる短編集というところが気になった。
紹介の通り、日常からふっと離れる瞬間が8篇おさめられている。
人物の気持ちや、感じたことをいちいち細かく説明してくれる本ではないので、
はっきりすっきりと分かる気持ちの良い本ではない。
悪く言えば、なんだかごまかされている感じ。
「感じなさい」と強制されている感じがする。
私はうまく感じることができなくて、いつまでも釈然としない感じだった。
でもたぶん、あそこに書いてあったことが全てなんだ。
すっきりとしない、釈然としないものが残って、それが全てなのだと思う。
普段生きているときだって、
自分の中のモヤモヤとしたものの正体を見破るのはずいぶんと経ってからだ。
たぶん、本の中の登場人物だってモヤモヤしてるのだ。
彼らはそのもやもやを抱えて、また生きていくのだ。
物語の登場人物が、いつでもすっきりはっきり成長するわけではない。
むかし私は「おしなべて全ての物語は旅である」と習った。
主人公は、物語の中で自分の日常から非日常に旅立って、何かを得て帰ってくる。
そう習った。
何かは得るのだ。
でも、その何かがあいまいではっきりしないことだって、
あって当たり前なのだ。
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不倫くくりの短編集かと思ったら、旅くくりの短編集だった。不倫すなわち旅である?ちがうか。でも楽しくない日の方が多いよな、はっきりしていない日の方が多いよな、そうだなって思った。
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旅をテーマにした八編の短編集。
とは言え本格的な旅の話ばかりではなく、学校をさぼることに決めた女子高生が見知らぬ駅で降りて過ごす話や、夫の浮気を突きとめるために妻が夫を追う表題作など、日常の延長にある突発的な旅めいた話もあって、一見すると旅がテーマだということは気づかない。
どの物語にも何かしらの男女の関係があって、それもどこか歪であるのが、全体的に寂しい感じを纏わせている。
「夜を着る」は一編の物語のタイトルだけど、全体のタイトルとしてもとても合ってると思う。
これからどうなるのだろう?と読みながら考え始めたところで物語がぷつっと途切れたものもいくつかあって、驚くのだけど不思議としっくり来る。
一言で言うと「こういう雰囲気、好き」。
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『知らない町や、知らない景色を知る楽しさ ー 厳密に言えば、それは「楽しさ」とは少し違う気分ではあるけれど ー も、わかるようになった』と『旅』を語る井上荒野さん。
私は『旅』が大好きです。父親が旅好きだったこともあって幼い頃から全国各地へと連れて行ってもらったことをよく覚えています。47都道府県の県庁所在地を全て制覇した!定年を過ぎても『旅』を続けた父親からそんな電話がかかってきたこともよく覚えています。父親の影響もあって一人旅もよくしてきた私。それは、家族を持った後も続き、そんな経験が今度は自分の子供に感覚として引き継がれていくのかな、とも思います。
そんな『旅』に私たちは何を目的に出かけるのでしょうか?出発前に綿密に計画を立てられる方は、そのすべてに意味を込められる場合もあるでしょう。一方で『知らない町を通ったり、知らない景色を見たりする』ということ自体を『楽しい』と感じる、特に準備などしなくとも『旅』に出るということ自体に意味を見いだす方もいらっしゃるかもしれません。
さて、ここにそんな『旅』をテーマにした短編集があります。それぞれにそれぞれの目的地へと赴いていく主人公たちの姿を見るこの作品。よく見られるプラスの感情ではなく、マイナスの感情の先にある情景がそんな旅先に描かれるこの作品。そしてそれは、『旅』の中で主人公の心に何らかの変化が生じる様を見る物語です。
「夜を着る」という八つの短編から構成されたこの作品。2005年から2007年にかけて「オール讀物」および「マリ・クレール」に掲載された作品を集めたものです。そんな中からこの短編集を代表しそうな〈ヒッチハイク〉の冒頭をいつもの さてさて流でご紹介しましょう。
『その青年に出会ったのは葬式の帰り道だった』と主人公の治子は、夫の陽輔と共に自宅へと車を走らせている途中で『「川崎」と書いたホワイトボードを恥ずかしそうに』掲げる一人の青年の前で車を停めました。『後部シートに乗り込んできた青年』は、喪服姿の二人に気が引けている様子も車は走り出します。『「俺、クマキといいます」と名乗った』二十五歳という青年は北海道を三ヶ月前に出発し、『ヒッチハイクだけで移動していること』を説明します。そんなクマキに『どうして旅をはじめたのかな』と陽輔が訊くと、『今しかできないから』とぽつりと答えるクマキ。場面は変わり、『あれからひと月ほどになる』とあの時のことを思い出す治子の脳裏にクマキが語った『イマシカデキナイカラ』という言葉が蘇ります。『陽輔と結婚したのは三年前』という治子。そんな治子は『結婚するまでずっと、母と二人の暮らし』でした。『病気がわかったときはもう手遅れの状態』で『積極的な治療を拒否し』て死んでいった母親。『治子は、自分が愕然としていることを』感じます。そして、『同じ頃、生理が来なくなった』という現実に、『更年期のはじまりという可能性もあ』るという医師の診断もあり、陽輔にも伝えようとします。そんな時、『あのヒッチハイクの子から葉書がきたよ』という陽輔は現在『伊豆のペンション』で働いている熊木太郎から届いた葉書を見せてくれました。それから一週間の後、治子は陽輔がつみれ汁に文句をつけたことをきっかけに『突っかか』ります。『あなたってつまらない』から始まる言葉の数々。そんな治子は『昨日、あの子の夢を見たの』、『夢の中にあの子が出てきて、私たち、セックスしたの』と語ります。そして、『私、熊木君に会ってくるわ』と続ける治子は伊豆へ向けて出発します…そんな治子が急に思い立った旅路の途中での出来事が治子の心に変化を与えていきます…という短編〈ヒッチハイク〉。私は『ヒッチハイク』をしたことも、されたこともないですが、なんの縁もゆかりもない人と人がこういう形で繋がる先には思っても見ないようなドラマが生まれるんだと、そんな行為に少し興味が湧いた好編でした。
まずご紹介させていただいた〈ヒッチハイク〉の熊木太郎は北海道から三ヶ月間『ヒッチハイク』で旅をしていると主人公たちに答え、また主人公の治子も旅へと出ます。この作品は短編間に繋がりは全くありませんが、主人公となる人物が旅(類するもの含む)に出る姿が描かれた短編がまとめられています。そんな旅のイメージを八つの短編の中から私が気に入った三つの短編で簡単に触れたいと思います。
・〈映画的な子供〉: 『毎朝二時間半かけて』高校へと通う主人公のしぐれは想像と全く異なる高校生活に失望し、『中学の同級生だった』という石坂が日曜日の午後にやってくるようになったことだけを楽しみにしています。そんなある日あることがきっかけで通学の『乗り換え駅』で降りてしまい一人、そんな街を彷徨います。
・〈夜を着る〉: 『めずらしく夫の光二が十二時前に』帰ってきた時、隣家の呼び鈴が止まないという一件が起こりました。それを見に行った夫が実は女に電話をする口実だと知っている主人公の美穂。戻ってきたバンドマンの夫は『今週末、東北行くから』と言います。場面は変わり、何故か隣家の主人・秋郎と東北新幹線に乗る美穂は、東北のT温泉を目指します。
・〈三日前の死〉: 『パリ滞在の八日目』という主人公の真希はカレの秋則、友人の僚子、そのカレの圭一と卒業旅行の最終日を迎えました。そして、『同じホテルに逗留』する叶野夫妻と知り合います。そんな中、圭一が『陣内が死んだって』と友人からの情報を伝えます。四十二、三で『離婚して今は独り身』という英米文学の陣内教授の死に『どうして?』と動揺するのは…。
ご紹介した三編共に、上記で触れた通りそこには旅(類するもの含む)の情景が描かれています。一方で『小さな頃、旅がきらいだった』と語るのは井上荒野さん。そんな井上さんは『家族旅行などめったにしない家だった。出かけるときは、父の気まぐれで突然決まる』と幼い頃のことを語ります。『父が行きたいところへ行くので、子供には退屈な場所ばかり』、『父は不機嫌になり、そのくせ私たちが楽しそうにしないことに腹を立てた』と続ける井上さんは一方で『あいかわらず旅慣れてはいないけれど、旅は好きだ』という今の心境を語られます。
あなたは『旅』が好きでしょうか?そんな『旅』には何があるのでしょうか?
八つの短編に登場した主人公たちは年齢も境遇も全く異なる女性たちです。旅(類するもの含む)に出る目的も多種多様です。しかし、旅とはそういうものなのだと思います。こういう時には旅に出るものだと目的地まで決まっているのは学校の修学旅行くらいのものでしょう。上記でご紹介した短編の主人公たちもそれは同じでした。〈映画的な子供〉の主人公・しぐれは、あることがきっかけで毎朝乗り換え駅として利用するものの、決して改札の外へと出ることのなかった街へと足を踏み入れました。『すすけたような道だった』、『うなぎ屋、ヤキトリ屋、居酒屋、カラオケスナック』とそこには決してそこでなければ見られないような景色が広がっていたわけではありません。〈夜を着る〉の主人公・美穂の訪れたT温泉も『ほとんど人気のない温泉街をのろのろと歩いた』という中、『見るからにやる気のなさそうなラーメン屋』といった決して前向きでない景色がそこにはありました。そして、〈三日前の死〉の主人公・真希も旅の最終日となり『買物も散歩も飽きたし、何よりも一人でパリの町をうろうろする気力がなかった』という時間を過ごす様が描かれています。旅を題材にした小説は多々あります。そこには、美しい景色を見て、美味しいものを食べて、そして優しい人々と触れ合っていく、そんな主人公の姿が思い浮かびますし、私がこれまでに出会ってきた小説の中の『旅』はまさしくそのイメージです。それが、この作品ではまさに真逆のイメージが描かれています。せっかく旅先を描くのにマイナスの感情に溢れたその情景。しかし、そんな真逆に描かれた旅先にも関わらず共通することがありました。それが、そんな旅先で主人公が何らかのきっかけを得る、何らかの感情の変化を見る、それがその先の主人公の人生に変化を与えていく、それを感じることのできるのがこの物語でした。井上さんのこの作品では、かなり唐突に結末が切られる短編が多い印象を受けます。しかし、そんなブツっと切られる先の主人公であってもこう生きていくのではないか、物語はこう繋がっていくのではないか、そんな未来が朧げながらにも予想できます。そして、その印象は決して悪くない、旅先の情景こそマイナスの感情に包まれているものの、結末の先に続く物語はプラスの感情が予感される物語、この短編集を読み終えて、その読後感の良さにそんな思いを抱きました。
『旅先は「よそ」だった』と語る井上さん。『よそでは何かが起きそうな気がする。何が起こっても、家に逃げ込むことはできない』と旅を『こわい』と思っていたという井上さんが描く八つの短編は、逃げ隠れできないからこそ、主人公に日常では経験できないさまざまな思いを感じさせてくれたのだと思います。そして、そんな経験は日常の連続では決して変わらなかった主人公の未来を少なからず変化させました。もちろんそんな風に変化した先に続く未来が必ずしも正しいかどうかは分かりません。しかし、その未来は当たり前の日常の中に生きるだけでは決して得られないもの、非日常の『旅』を経験したからこそ得られたものなのだと思いました。
『旅』をテーマに描かれた短編をまとめたこの作品。ああ、私も『旅』に出てみたい、ふとそう感じた作品でした。
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「自分だけはみだしている感じ」がうまく書かれていると思う。
しかしいつまでたっても父が笑い出さないので、私は、自分たちが一枚の写真の中に閉じ込められたような気がした。(『よそのひとの夏』)
など比喩も秀逸。