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実は「マイ・バック・ページ」は妻夫木聡&松山ケンイチ出演でちょうど映画化されている。
映画も先日観てみたのだが、この原作本の幾つかの章をエピソードとして散りばめながらストーリーを展開。
そして映画の幹となるのは、「逮捕まで」という章になっている。
全体を通しての「どんより感」・・・これは60年代には仕方の無いことか。
川本三郎氏は「週刊朝日」の記者であるが、映画では「週刊東都」という設定になっている。
この時代のジャーナリストというのは、ホントに命かけて果敢に取り組んでいたのだろうな・・。
原作本自体は、ドラマティックという感じでなく、川本氏の全くの回想録。
そして回想録だからこそ、話せる本当の事実がある。
「実は大変なことがたくさんあった。あんなことがあって、結局オレはこうなったんだ」
端的に言えば、こんな感じの本である。←強引にまとめすぎ。
原作本を先に読んでいる人は、「あの本をこういう形でまとめたのか」と思うだろう。
しかし映画を観た後に、原作本を読んでも・・おそらくあまり感動は無いだろうね。
(川本氏の本がつまらないということでは、決してありません。)
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ノンフィクションの読み物としては興味深かったが、引き込まれるような文章力は感じなかった。自分は団塊の世代の子供世代だが、60年代のことは「団塊の世代が語らない青春時代」として、直接関係者や肉親などから聞くことがないので、各事件が繋がらない年表にはなっても、包括的なイメージは持てなかった。
その「語らない理由」、「命を懸けた青春」、「無言で働く父親たち」をなんとなく理解できた気がした。
いい時代なんかじゃなかった。死があり無数の敗北があった。だが、かけがえのない“われらの時代”だった。だれもが他者のことを考えようとした。ベトナム反戦は真剣だったが、平和で安全な地域にいることの後ろめたさが拭えず過激な衝動に身を投じた人達がいた。時に同志であったはずのその人達は、人を傷付け、犯罪者となっていった。
大きな正義と矛盾のなかで恵まれた環境にいることが、自分と他人を傷付ける原因になっていた。
そんな世代が自分たちを産み、育てたとはじめて実感した。
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安全地帯を抜け出して、自分が正しいと思う「ジャーナリスト」に泥臭く向かっていく姿・Kに疑問を感じつつも、それでも最後までKを信じる姿が青く、信じ続けたがゆえにKと共に落ちていくのがなんだか切ない。
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同世代でもさっさと就職して上手く世の中を渡ってきた人もたくさんいるというのに、不器用な人だなあ。若さゆえの純粋で、自分を曲げられない強さと脆さに痛みを感じる作品。
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ベトナム戦争反対運動・学生(全共闘)運動・安保条約反対運動・連合赤軍事件・・・・・デモ/バリケード/シュプレヒコール/ローリング・ストーンズ/CCRなどなど。
ここに描かれる1969年から1972年にかけた日本社会の出来事は、あまり一般的なことではなく、一部の人たちしかかかわっていない特殊なことだという意見がもしあるとしたら愚かなことです。
たとえ実際に行動を起こした人が数万人だったとしても、確実に時代の突きつけてきた問題に真正面から誠実に応えようと、中には命を賭して命を落とした人もいるわけですが、もし地域制・まわりの制約などさまざまな理由で実際の行動ができなかったとしても、心情的には同意して後ろの方から応援していたということこそが、同時代に生きていた人として、あるいは後年見知った遅れてきた者としてのそれぞれの真摯に生きる人間としての証であると思います。
あるいは、もし何か怠っていたことがあるとしたら、その部分が今になってツケとして大きく自分の身の回りに重くのしかかって来ているような気になるのは私だけでしょうか。
本書は元々1988年に河出書房新社から上梓されたものが今回の映画化を期に復刊されたというわけですが、当時、彼は映画と文学の評論を書いてちょうど25冊ほどになった時点で、不惑も過ぎたことでもあるし、ここらでひとつ、そもそも自分が物書きになった契機というか出発点になった、例のあのことを書き残しておかねばなるまい、などという感慨を込めて着手したに違いありません。
彼の書いたものは、映画論・文学論・作家論・旅行記などから、トルーマン・カポーティの『叶えられた祈り』や『夜の樹』などの翻訳まですべて読んでいますが、いつも自分を語るということがあまりありません。
そういう意味で、この本の中の出来事は、本人にとってのみならず私たち読者にとっても無視できない、文学と映画の新しい視点を持つ表現者として彼が登場するための、通過儀礼のような神聖な儀式だった気もします。
もし川本三郎が、ここに描かれているいわゆる朝霞自衛官殺害事件(1971年の秋、東京から埼玉にまたがる陸上自衛隊内で、自衛官が新左翼過激派=赤衛隊を名乗るグループによって殺害されるという事件が起こり、彼は指名手配中の犯人と接触して取材を行い記事にしたが、その際あずかった証拠品を焼却してしまって、犯人逮捕後に彼も犯人蔵匿と証拠隠滅の罪で逮捕され朝日を懲戒免職される)に関与していなかったら、朝日新聞社を首になってもいなければ、ましてやそののち映画評論や文芸評論に手を染めることもなく、ただ優秀な新聞記者としてまっとうしていくだけだったはずですが、人の人生とはどこにまったく異質な世界への扉が突然現れるかわからないもので、彼はその禁断の扉を開けてしまったのです。
当時の70年代は、新左翼過激派にとって武力革命が最優先の課題として浮上した時期であり、そのための武器の調達は必須のことで、この事件もそもそもの目的はそのことだったはずです。
でも、悲しいかな真の武闘派を目ざして切磋琢磨したわけでもないので、たとえ最終的には武器を使用するとしても、普段はむやみと人を殺さず、一撃のもとに気絶させて戦力喪失させるという、穏健な(?)方法を会得もしない素人ゆえに、殺害してしまったのです。
そののち、武器なら選り取り見取りの銃火器が沖縄の米軍基地に五万とあるぞと喝破したのは、平岡正明だったか誰だったか忘れてしまいましたが、何にしても無計画な半ば衝動的な中途半端なアマチュアリズムに満ち満ちていて、この3年後の三菱重工爆破事件などむやみやたらと人を殺害するだけのテロが横行していき、せっかくの革命が理想と希望への途ではなくなり、ただの野蛮な行為と化していくことになるのです。
全体を通して、読後もし何かロマンティックなものを感じるとしたら、あなたはきっと本質的には現実主義者でもリアリストでもなく、過去もしくは青春時代に悔恨の情を抱いているまったく誠実な人だというあかしなのだと思います。
というのも、どんなに一見ノスタルジックにみえようとも、彼はこれをそういうふうには書いていなくて、ただ過去の自分と死者への鎮魂として書いたのだと断言できます。
それから、高校生の時に初めて、卓越した都市論・文学論の『都市の感受性』と、楽しい映画エッセイ『ダスティン・ホフマンは「タンタン」を読んでいた』を手にしたときから密かに思っていたことですが、川本三郎の容貌って村上春樹にそっくり、似ていると思いませんか?
もうひとつ。朝日新聞論説委員の外岡秀俊との対比。9歳違いで1976年に同じ東大法学部在学中に書いた小説『北帰行』で文藝賞を得たあと筆を断ち、朝日の記者になり紐育・倫敦の特派員を経て欧州総局長だった人と絡めて、報道と文学をめぐる断章(仮題)みたいなものを夢想しているのは私だけだと思いますが。
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22年前に一度世に出て忘れ去られていた本だが、ある映画人の目に止まり映画化されることになり、陽の目を見た復刻版だ。初めにお断りしておくけれど、この本は万人向けではない気がする。ある年代以上の人にとっては、何がしかの苦い思いと共にその時代の記憶を甦らせるメモワールだけれど、、、それにしても60年代の安保闘争から全共闘による大学紛争、そして連合赤軍による浅間山荘事件に至るまでの間というのは、実にドラマチックな時代だったと思う。どのシーンを取っても、何とか映像化してみたいという気持ちが分かる。
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内閣府参与だった松本健一さんと仙石副官房長官、川本さんは東大の同期と聞いた。あの時代への痛みを最も背負っているのは誰だろう。もちろん菅総理には何も残っているものはないだろうが。
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60年代という未知の世界が記録された本。映画とはまた違った感慨があった。事件の記録と、当事者の記憶。50年後に今を振り返ったら著者の気持ちがわかるだろうか?
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記者の気持ちはわかる、同じ立場なら間違いなく私も足を掬われただろう。けれどやっぱ軽率だったと思う。人を信用し過ぎ。興奮状態だったんだろうな。私も同じタイプの人間だから冷静な判断をしないと…と自戒でいっぱいです。日常生活で犯罪に染まることはないけども。
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私にとって全共闘、安保反対は歴史の中の出来事ですがその時代の空気を感じられるスピード感のある青春ストーリーとして興味深く読みました。アメリカのことに詳しい評論家、翻訳家として川本三郎さんのことは知っていましたがこんな過去があったとは驚きでした。
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兄は、職業上のモラルが重要なことはわかるが、今度の事件の場合、その政治グループは、君がジャーナリストのモラルを持ち出してでも守らなければならないことをしているのか、自分にはただの殺人事件にしか見えないが、といった。
それから兄は、私の顔を見てゆっくりといった。「だって君、人がひとり死んでいるんだよ。何の罪もない人間が殺されたんだよ」
(略)兄は最後に「あの事件はなんだかとてもいやな事件だ。信条の違いはあっても、安田講堂事件やベトナム反戦運動、三里塚の農民たちの空港建設反対は、いやな感じはしない。しかしあの事件はなんだかいやな気分がする」といった。(p178-p179)
この兄の言葉は、映画では巧みに違う脚本に書き換えられているが、重要な言葉であった。
私は今年の6月、山下監督の「マイ・バック・ページ」という映画を見て、最初は川本三郎をモデルとする妻夫木が全共闘運動に全面的に寄り添っており、それを映画でも追認しているというふうに捉え、反発した。しかしながら、今は違うと思う。
映画はこの本の中にある一つのエピソード、高校生モデルの保倉幸恵との本の少しの「触れ合い」を大幅に膨らませたものになっていた。その視点は、その保倉に「あの事件はなんだかいやな気分がする」と語らせたことで、明確である。私は映画の「視点」を支持する。
そしてこの本の中にあるように、
「わたしはきちんと泣ける男の人が好き」(p41)
と、保倉に言わせている。
これが見事に効いていた。
映画では、「きちんと」かどうかは観客に委ねられているが、妻夫木は最後に男泣きをするのである。
今年100本以上映画を見たが、邦画のベストワンはこの映画になると思う。
一方、本を読んでわかったことは、川本三郎は結局この朝霞自衛官殺害事件だけは「間違った方向」であったことは認めているが、全共闘事件全般は、ぜんぜん間違っていないと思っているということだった。
69年から70年にかけて日本の反体制運動は次第に過激になっていった。爆弾闘争も始まっていた。70年の3月には赤軍派による日航機よど号ハイジャック事件がおこっていた。今にして思うと、こういう過激な行動への傾斜は"世界のあらゆるところで戦争が起きているというのに自分たちだけが安全地帯に居て平和に暮らしているのには耐えられない"という、うしろめたさに衝き上げられた焦燥感が生んだものではなかっただろうか。"彼等は生きるか死ぬかの危機に直面している。それなのに自分は平和の中に居る"。この負い目を断ち切るには自ら過激な行動にタイピングするしかない……。(p106-p107)
こういうふうに一連の事件を曖昧に「擁護」している。「過激な行動」を「焦燥感」という「個人の問題」に摩り替えているところが、特徴である。
川本三郎は朝霞事件で自らの証拠隠滅の罪を認めた直後に起きた浅間山荘事件については、「事件のことを話すのもいやだった。自分の事件のことも、連合赤軍のこともすべて忘れてしまいたかった」と思考停止の状態になっていることを告白している。おそらくこの本を書くまで15年ずっと思考��止だったのだろう。
だからその15年後に、全学連議長の山本義隆や京都の滝田修を評価しているのである。
私は79年に大学に入った。いわば、10年遅れた世代、しらけ世代全盛のときに人生で最も重要な選択を迫られた世代である。だからこそ、私は彼らに詰め寄る「資格」があると思っている。
あなたたちが「全共闘運動とはなんだったのか」真に「総括」しなかったから、(もちろん力不足だったことは否定しないが)私はついに「活動家」になることができなかった。活動をするにはほとんど孤立無援に陥った。「あなたたち」とは誰か。その責任の「一端」は全共闘にだけではなく、そのシンパとして周辺に居た川本三郎たち、あなたたちの未だにこのようなことを言っているところにもあるのだ、と。
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学生運動華やかなりし時代の空気が感じられます。村上春樹の『ノルウェイの森』に感じた死のにおいを、この本にも感じました。
それは1967年10月8日に起きた一人の学生の死、通称10・8(ジュッパチ)ショックを経験した人たちが共有する「死」のにおいなのかもしれません。
生きることを深く考えたいときに読み返そうと思います。
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映画を先に見ていた。あの時代を知らない世代が原作に誠実に一つのストーリーとして映像にしたことがよくわかる。あの時代の熱、若者たちの思い、筆者の傷。もう一度映画見たくなった。
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ジャーナリストを志していた青年が、
その取材対象に、垣根を越えてこころをゆるしてしまう、
そのきっかけがあまりにさりげなく、せつなく、
そして映画や音楽、カルチャーを愛するその青年の、彼なりの指針にどうしても感情移入してしまう。
映画でもその場面が印象に残った。
どんな人間か信じるにあたって、
CCRや真夜中のカーボーイ、そして宮沢賢治がどうしても心の裾をひっぱったこと。
活字で残る事件は壮絶だけど、その最中にいた人間は、
私となんの変わりもないのだとそう思うと震えがとまらない。
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今はやりの若手有名俳優では、果たして、60年代後半の時代背景が、うまく伝わるかどうか、期待できないので、原作を読むことにした。「連帯を求めて、孤立を恐れず、力尽くして挫けることを恐れないが、力尽くさずして、挫折することを拒否する」、「自己否定、日常性の否定」「実存をかけているか」,等等、未だ、二十歳前後の自分が、感じていたことが、そのまま、自分自身に、その言葉達は、襲いかかってくる。奥浩平(青春の墓標)、高野悦子(二十歳の原点)高橋和巳(邪宗門)、吉本隆明などを、読んでは、模擬試験の後で、京大生博昭君の死の知らせを聞いた翌年には、当時、何も出来なかった自分と、死んでいった同世代の若者との違いは、どこにあったのかを知ろうと必至に、遅ればせながら、参加した。入学後、米軍資金導入阻止、産学協同粉砕、学費値上げ反対、等、一連の団塊の世代は、全共闘運動へと、なだれ込んでいくことになる。4.28,6.15,10.8,10.21,等、葉隠れを読んでは明日は、本当に、死ぬ覚悟が出来ているだろうか等と、友人の下宿や、喫茶店で、しゃべり、批判し、批判され、本を読み、議論し、思想と行動を、総括する胸に、棘さすことばかりの日々だった。書斎の本棚に、目をやれば、その時、読んだ本達が、あたかも、見返してくるようである。時代の先を読む力、見通す能力からか、その運動の先行きに、何の展望も、見いだせずに、安田講堂、よど号ハイジャック、連合赤軍リンチへと、一連の総括の間もなく、自壊しながら、あるものは、銀行へ、マスコミへ、広告業界へ、或いは、政治家へ、社会へ、又、あるものは、ドロップアウトして、みんな、社会の中へ、多少のずれはあったが、旅立っていった。並木座の映画館で、見た俳優の拳を丸めて、出て行くときの仕草を今も、どういうわけか、自然とやってします今の自分、長年の仕事のストレスから、少しづつ、解放される日々の今の初老の自分と、明日が来ることを、毎日、苦しく思っていた二十歳の頃の自分と、読後、改めて、ガラスで、負傷した手の平を見つめると、これからの人生、如何に、生きるべきか、60年代後半のあの時の自分が、改めて、問いかけてくるような気がしてならない。我が家の老犬は、それでも、幸せな様子で、目も、耳も、不自由になりながらも、こちらをじっと、眺めている。