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母が骨折で入院中に南木佳士さんは心の拠り所、と言っていた事からこの作家を知り、芥川賞受賞作である題名の話を含む短編集というこの作品に触れる。カンボジア難民キャンプでの医療団であったと言う作者の経験がものを言う医療現場の実情を知る事が出来た事は、今まで漠然としていた難民や医療の問題に少しでも触れる事ができた気がして良かった。今後医療や生と死に関する出来事や問題にぶっかった時、これまでとは違う受け止め方となるのではないかと思った。
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命との向き合い方がテーマなんでしょうか。
医師として、タイ・カンボジア国境に行っていたという著者の来歴と、作中の人物たちの設定が重なります。まさに私小説・純文学という趣で、イロイロ考察させられますが、正直よくわかりませんでした……
例えば、ワカサギ釣りがやけに象徴的に描かれているように感じたのですが、何の象徴かよくわからない、みたいなところ。国語のテストで題材に出されたら、確実に点がとれない自信があります(涙)
そんなこともあって、なんだか国語の教科書っぽい作品だなぁ、という印象が強く残りました。
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地方の山の中の病院 カンボジアの難民キャンプに行っていた医師、
ダイヤモンドダストは看護師、老父親と保育園児を抱えて病院勤務 肺がんの宣教師と父親との交流、水車造り
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医師でもある筆者の目を通して描かれる医療の現場の状況はとても迫力があると感じました。
いろんな立場の人のいろんな視点での見方があり、正解がどれかを自分自身考えさせられるようなところもありました。
また、難民医療について、現場は機器も揃わないような過酷な環境であり、そうした生々しさというか綺麗事ではない部分も丁寧に描写されていました。
一気に読んじゃいました。
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寒さが厳しい田舎の病院に勤める看護士が主人公で、父親と、父親と同じ病室のアメリカ人の「死」、「幼馴染との再会」、「風車」をキーワードに繰り広げられる決してハートウォーミングではないけどもどこか読み終わって暖かい気持ちになる芥川賞受賞作。
はい。全然意味分かんないですね。どーも芥川賞作ってコメントが難しいことが多い。すっと読める中にもどこか深いメッセージ性を強く感じるんだけどそれを文字にするのが難しい。結局メッセージ性を拾いきれてないんですね。いやいや難しい。
作者がお医者さんということもあって結構看護士/患者の心理が細かく描写されてます。前述の通り「死」も物語の大きなテーマとなっているのにラストに不思議と暖かい気持ちになる作品です。興味あれば。
その他に短編が幾つか収録されていて、そっちはタイとカンボジアの難民収容所が舞台となっています。両国とも行ったことあるだけに、医療の悲惨な現場が鮮明にイメージできました。日本はなんだかんだ平和。
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タイ・カンボジアで難民キャンプでの医療ボランティアに3ヶ月従事し、病院へ戻った"ぼく"は、信州の病院に戻っても、調子の出ない日々が続いた。そんな中、終末期の患者として、千絵子が転院してくる。がんが転移し、弱った千絵子とは、高校のときに出会っていたのだった…。『冬への順応』
小説という形では有るが、おそらく医師であろう作者が経験した体験をもとに書かれている話が4篇。最後の表題作は、主人公は看護師であるが、医療と私生活という点では共通点が有る。
患者を上手くさばけず、山奥の診療所に移動して、元恋人の死に立ち会えない医師。難民ボランティアで、患者を助けきれず、そのわだかまりを持ったまま戻ってくる看護婦など、バランスの良い不満と挫折が散りばめられた作品群である。
個人的には最初の『冬への順応』の青さ、甘酸っぱさと渇れてしまった現実への絶望というあたりが好きである。そういう現実の退廃具合と、カンボジアでのひりひりするような体験のコントラストもよい。
ただ、ちょっとカンボジアの体験が前のめりになりすぎていたかなと言うところもあり、もう少し会話などで薄めてくれたほうが読みやすかっただろう。
最後の表題作は、登場人物を4人に絞ってしまって、死をイメージするような話で、芥川賞受賞作。こちらも熱さと渇れた部分のコントラストがよく読みやすい作品だ。
その中で戦闘機のプラモデルにしろ、水車のディテイルにしろ、少し余計な描写が挟まれていることで、登場人物像が豊かになっている部分などは良かった。賞を取るために肩肘ばって書かれていないということだろう。
芸術というものでも、とてつもないドラマがあるものでもない。ただ、なんか好きだなこれ。
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発展途上国へ医療派遣で行った医師が、その義務を終えて日本に帰ってからの話。
各章の話が少しずつ繋がりがあるのは面白かった。
途上国の医療の過酷な現場について理解が深まる。
また、時を経て昔懐かしい人と再会する話があった。人と再会するというのは、嬉しさや喜びの溢れるものだと思っていたが、真逆のこともある。だから、偶然の再会も嬉しいけど、会いたいと思った時に自分から動くことも大切だと感じた。人はいつなにが起こるかわからない、それを改めて実感させてくれるお話だった。
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4編の短編からなる短編集。ダイヤモンドダストは芥川賞受賞作。
前半の3編は、タイでのカンボジア難民の医療支援に関連した物語。最後の1編は、脳卒中で倒れた父との晩年の物語。
死ぬまで運転士だった松吉と、ベトナム戦争にパイロットとして従軍したマイクの同じ病室での繋がりが印象的だった。
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芥川賞作品ということで読んだが、面白いという感じの小説ではない。
でもつい最後まで読んでしまった。面白いという感じではないが、面白くないというわけでもない。芥川賞作品ということで、そうなのかよくわからないが、最後まで読んでしまった。どこか実体験に基づいた小説なのだろうと思う。芥川賞全集14に収録されていた。少し心惹かれるような、感動はあった。
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この本を紹介するあらすじの素晴らしさに惹かれ、また現役の医師が書いたという興味から読み進めましたが、感動するまでには至りませんでした。でも普通に良い作品だと思います。芥川賞受賞当時に読めば違ったかもしれませんね。女性の描写に男性目線の妄想が書かれているのがちょっと引っかかりました。面白かったのは、巻末の対談です。やはり医師作家の加賀乙彦さんとのやりとりは、作者の優しさが垣間見えて興味深かったです。
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味わいがあって読みやすい。芥川賞なので勿論ドラマチックではありません。ただ、しっとりと文学の趣を噛み締めることが出来る良い作品です。大人とはこう言うことだろうと思う。わからぬように食いしばって生きてるんです。飄々とね笑。だからダイヤモンドダストが染みるんです。
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芥川賞とった頃に読んでいたと思っていたが、初めて読んだようだ。北軽井沢あたりを設定した病院のやもめの看護士の眼線で人の死をみつめた非常に静謐な冬の高原での人の見送りを書いています。四歳くらい南木先生の文章は丁寧で惹かれます。
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医療に携わる人たちを描く短編集。
全て自然の描写がみずみずしいというか、生き生きとした描かれ方で読んでいて気持ちが良いです。冬が好きな自分は「ワカサギを釣る」の心地よい寒さの描写が特に惹かれました。
「ダイヤモンドダスト」は生命が出入りしていく、自然の摂理の一瞬のきらめきのようなものを感じました。
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表題作のダイヤモンドダストについて。
主人公の和夫と今この文章を書いてい僕とでは、「死」との距離感がずいぶん違っているよなと思う。僕にとって「死」はまだ遠い存在で、祖父母を除けば自分とごく近しい人の「死」というものを経験したことがない。母方の祖母は「死」というものを理解できていないような時に亡くなってしまったし、2人の祖父の死はあまりにあっけなく、見送りもあまりに静かで、この世で長年生きたとしても最期は結局こんなものかという虚しさだけが残った。「生」の一番端っこにある「死」が虚しいのだとしたら、いったい「生」に何の意味があるというのか。「死」そのものよりも、「死」の前に流れる「生」の時間がかえって虚しく感じられてしまう。
和夫の「死」の経験値は僕と根本的に異なっている。幼い頃に母が死に、結婚して間もない妻が死に、そして看護師という仕事柄も多くの死と接してきただろうし、アメリカ人宣教師のマイクの死と向き合い、脳卒中で倒れながらも危機を脱してきた父の松吉も、最後は自ら作った水車が壊れると共に逝ってしまう。
和夫は僕と、「死」の経験値があまりにも違う。にもかかわらず、僕は和夫を遠くには感じない。あえて一つ共通点を探るとしたら、悲しみとか苦しみとかそういう感情は抜きにして、「死」というものを心理的にそんなに遠くに感じていないところだろうか。和夫は「死」の経験から、僕は生きることの虚しさから。
この物語で出てくる「死」はなにも人間に限ったことだけではない。松吉が運転士を務めていた田舎の小さな鉄道が廃線となる。皆で一緒に作った立派な水車も死を迎える。いろんな形の「死」がある。そしてすべてのものが「死」を迎える。どうしたって、人は死と向き合わざるを得ない。
この物語では、「死」というものがセンセーショナルに描かれているわけではない。日常の中で、当たり前のように「死」が存在している。そしてそれぞれの「死」が、松吉の死に向き合うときにダイヤモンドダストによってあたりが輝くように、悲しみはあるが、否定的に描かれない。大きな日常の中に「生」と「死」が同居していて、それぞれの「生」や「死」が否定されることなく、確かな存在感をもっているから、だから読後に安心感のようなものを得られるのだと思う。