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犯罪学,犯罪心理学の導入にはなる
犯罪学に関する学説にも,必要な限りで(若干)触れられているので,これをきっかけにもと専門性の高いものを探すきっかけにはなる
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精神科医の専門を活かした犯罪の解説。
それほど学術的な「心理学」ということはなく、あくまで初心者向け。それに1990年という古い本。
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中村 希明
1932年、福岡県生まれ。慶応義塾大学大学院医学研究科卒業。医学博士。専攻は、精神医学。国立久里浜病院、川崎市立精神保健センター所長、川崎市立井田病院精神科部長、明治大学法学部講師を経て、エルステ社会精神医学研究所所長。講談社ブルーバックスの著書に『怪談の科学』『怪談の科学PART2』『犯罪の心理学』『酒飲みの心理学』などがある
小平義雄に関しては、当時の東大精神科教授内村祐之によって、その血縁者が調査された。 それによると、小平の父方の血縁者には精神医学的に負因のある者が多かったが、義雄の母親は純情な男まさりのしっかり者で、子供をよく可愛がるまったく正常な人であった。また母親の兄(義雄の伯父) は裁判長まで務めた優秀な人物であった。 これに対して、義雄の父親はかなり問題があったようだが、しかし彼は、若い頃は物知りといわれ、所有する田畑も多く、商人宿を経営して景気のよい時期もあったので、その頃に見合結婚したものであろう。 義雄の父親は若い頃からの大酒家で、文字通り飲む、打つ、買うの放蕩を重ねた末、旅館と田畑のみならず、現代のトラックに当る馬まで売り払って、晩年は鉄索の油差しをして暮した。人に頼まれると、いやとは言えぬお人好しのところもあったが、飲酒すると立腹して家族に乱暴することも多く、アルコール中毒患者というより、一種の性格異常者だったとも考えられる。 その弟(叔父) は、若い頃村一番の乱暴者であった。酒乱で喧嘩は日常茶飯事、常に短刀を懐にし傷害で数回、賭博でも受刑している累犯者であった。その下の妹は、重い知的障害であった。 義雄の兄弟にも問題が多かった。 義雄の兄は高等小学校をかなりよい成績で卒業したが、勤労意欲のない人物で、放浪癖があり転々と職業をかえた。郷里にフラリと明治大学の学帽をかぶったり、巡査の服装をして現れたことがあったという。若い頃から手癖が悪く、窃盗を二度やったが、いずれも起訴猶予になる程度であった。 義雄の姉は、小学校は卒業したものの、当時としては就労困難な知的障害者であった。しかし、お喋りで 頓智 もきくので、一見したところでは知的障害者とはわからなかった。虚言癖があり、…
このような小平に対して、スポーツカーによる連続強姦殺人を起こしたOの場合は、精神医学者の福島章氏の著書によれば母方に犯罪者や性格異常者が多く見られたという。 母方の祖母は、女ながらに賭博と傷害の前科があった。その弟(Oの大叔父) は若い頃から窃盗、強盗傷害、殺人などを重ね、ついに獄死した 累犯 者 であった。 Oの母の父と思われる者(Oの母方祖父) も賭博の前科があり、母の異父弟の子供の一人は傷害事件を重ねた。Oの母親に犯罪歴はないが、自己中心的で虚栄心の強い性格であったといわれる。 父方には犯罪者はいない。父親は戦時中の闇米売りや交通違反で罰金を払ったことのある程度であるが、女癖の悪い人物であったとされている。 このようにOの母方に男の犯罪者が多く見られるが、これは精神医学的に見ると、性的衝動のたかまりによってその攻撃性が増加されたためであろう。
犯罪者のなかには、幼児���から動物や弱い者いじめがひどく、やや長じると、万引きなどの 虞 犯行為を行い、未成年期から窃盗、傷害、強姦をくり返す早発性累犯者となる者が時々いるが、小平は、この典型的な経過をとっている。 小平義雄は小学生時代から人の話を聞き入れない短気な乱暴者で、弱い者いじめをし、足をばたばたさせねば言葉が滑らかに出ないほどのひどい言語障害があった。 小平の通った小学校に残っている訓練簿をみると、彼が問題児であった経過がわかる。卒業時の成績は男子生徒二三人中の二一番であるが、操行はいつも丙であった。小学校低学年のころは、いつも鼻汁をたらした けんか のたえない落着きのない生徒であったが、小学校五、六年生の頃より、カッとなると学友の顔を切出しナイフでさしたり、級友の香典といつわって祖母から金をだましとったりしたこともある。
小平にくらべると、強姦殺人のスピード記録をつくったOの犯行には素因的影響をより感じさせるものがある。 前にふれたように彼は暴力犯が多かった母方の素因を多分に受けているように思われるが、虚栄心の強い彼の母親は、なぜか末っ子のOを盲愛した。 虐待された子が後年になって、犯罪をひき起こすことの多いアメリカにくらべて、過保護による甘え型の犯罪の多いのがわが国の特徴であるが、成人してまでも「ボクちゃん」などと呼ばれていた彼の犯罪はその代表的なものであろう。 子供の頃のOは、いたずら好きの元気な男の子であったが、学年が進むにつれて成績が下がり、英語と数学はとくに苦手で中学校は下の成績でやっと卒業した。 しかし、性的には早熟であって、小学校二年生のときから平気で 卑猥 な言葉を口にし、六年生のときは、女の子を麦畑につれこんで下着をぬがせるなどのいたずらをしたという。 中学校の評価を見ると、「口先がうまく、人をだます才能、短気、弱い者いじめ」などとあり、後年の彼の行動を予感させるものがある。
中学校を卒業したが家業の農業の手伝いに飽きたらず、その技術もないのに電気屋を開いてすぐつぶしたり、また牛乳販売店を開いたりしたのは、虚栄心が強く、行き当りばったりの彼の性格のあらわれであろう。
二六歳のとき知り合った女性と結婚して二人の子をもうけて、やっと安定したかと思われたが、三〇歳のときに開いた牛乳販売店がうまくゆかぬのを、近所の同業者のせいと難くせをつけ、恐喝罪で収監された。 収監されるとかえって強姦願望がたかまるのか、今度も釈放直後に強姦事件を起こし、これは示談にしたものの、一年後には短大生を強姦致傷して三年六ヵ月服役した。
第2章の結婚サギの項でふれる「アメリカ生れの青年医師ケニーさん」と同じ空想的虚言者でもあったOは、彼自身の空想の中では一流大学卒のロシア語、フランス語に堪能な文化人であり、山中にアトリエを持つ画家であり、山と自然を愛するロマンチストであった。スポーツカーやルバシカ、登山服、ベレー帽や詩集などは彼のフィクションの大事な小道具であった。 ただ、知能犯で女あしらいが上手だった「ケニーさん」が和姦に終始したのに、性急で短気なOの場合は、彼の空想劇に反逆した女たちに強姦と殺人という最悪の対応しかできなかったのである。 かくて、釈放当月の三月三一日���高校生( 17 歳) を、四月六日にウェイトレス( 17 歳)、一六日に県職員( 19 歳)、一八日に高校生( 17 歳)、二七日に高校生( 16 歳)、五月に入って三日に電話局員( 18 歳)、九日に会社員( 21 歳)、一〇日に家事手伝いの女性( 21 歳) をすべて殴り倒して絞殺し、車のトランクに用意したスコップで死体を山中に埋めたのである。
イギリスの精神医学者H・J・アイゼンクは、犯罪者に夜尿症が比較的多いことに注目して、次のような彼独自の説明をあたえている。
美しい「トロイメライ」を作曲したシューマンは後に分裂病となって入院し、見舞ったクララ・シューマンに、近頃よい曲が浮んだよ、と「トロイメライ」の一節を聞かせて夫人の涙をさそうシーンがかつての映画にあった。 シューマンと同じような分裂病となった作家にヘルダーリン、ストリンドベリイ、ガルシン、ネルバルなどがいる。 こういう研究領域を「病跡学」と呼ぶのだが、この研究の草わけは、一八九八年、文豪ゲーテにほぼ七年間の間隔で創作活動や恋愛などの精神の高揚期のあることを証明したドイツの精神医学者メビュウスである。 ゲーテのような躁うつ病の天才は作家よりむしろ学者に多く、進化論で有名なダーウィン、アレクサンダー・フォン・フンボルトなどが入るとされている。 てんかん気質の天才としてはジュリアス・シーザー、ナポレオンなどの軍人や政治家、ドストエフスキー、ゴッホなどが有名である。 薬物依存であった天才はエドガー・アラン・ポー、ゴーチェ、クインシー、ボードレールがあり、後年に進行麻痺、いわゆる脳梅毒にかかった天才に、ニーチェ、スメタナ、モーパッサンなどがあげられている。 以上にあげたような天才たちは、自分の異常な性格のために「自ら深く苦悩して」、芸術的境地や思索を深め、結果として「社会を益した存在」になったのである。
シュナイダーは精神病質者を次の一〇類型に分類しているが、一つの類型だけに当てはまらない、つまりいくつかのタイプを合併することが多いのがこの分類の欠点の一つである。しかし、なかにはピッタリと当てはまるタイプの人がいることも事実である。
(1) 意志薄弱者 飽きやすく、持続性がなく、学校を中退したり、転職をくり返す傾向がある。生活に困ると容易にコソ泥や、女性であれば売春などをくり返すタイプである。
しかし、ここでも持ち前の虚言癖はおさまらず、一流大学出身で助教授までしたと称する彼の出まかせの経歴をすっかり真に受けた妻の 胆 煎りで、食堂の二階で英語塾を開く頃から、また、彼の持病の寸借サギが始まった。
ああ、サギ師がその情念をこめて描き出す夢のなんと怪しい魅惑に満ちて感動的なことか。サギ師とは、相手の心に潜む夢を巧みに引き出して、それを心の中に極彩色に拡大してみせてくれる〝職業〟なのである。 サギ師にはこのように「仮象と現実とを混同する」あるいは「させる」才能があり、自己顕示的性格の持主が多く、虚栄心が強いために自分を実際よりよく見せようと見栄をはり、見えすいた噓や、スタンドプレーをするのである。
新学期になると決まって学生相談室には、まんまと英会話の教材セールスにひっかかって金が払えなくなった大学生が青い��で相談にあらわれる。 初回払いがわずかなので、つい契約書をよく読まずにサインしてしまうことが多いためだが、なかには総額数十万円のセットで、しかもクーリング・オフの期間も過ぎてしまったため簡単には解決せず、さりとて親にも話せず、さんざん悩んだあげくに自殺した大学生の記事が新聞に出たことがある。
コカインの薬理作用は、わが国で流行している覚せい剤と酷似している。その強烈な高揚感から疲労回復剤、セックス剤として使用されるが、切れると、その反動で別人のような無気力状態が訪れる。 教授のジキル・ハイド現象は、コカイン常用で助長されたものに他ならないのだが、奇しくも小説『ジキル博士とハイド氏』を書いたスティーブンソンもコカインの愛用者で、コカインのもたらす高揚状態のなかで、『ジキルとハイド』の原稿を二日二晩で書き直したと伝えられている。つまり、小説に出てくるジキル博士の秘薬とは、コカインのことだったのである。
麻薬の恐ろしさが知られていなかった当時の文士でアヘンやコカインを愛用していた人は多く、コナン・ドイルもまたコカインの愛用者であった。しかし、その絶筆になった『シャーロック・ホームズの失踪』になると、コカイン精神障害の特徴である追跡妄想が現れている。 くだんのコールガールも、教授との最後の旅行中に黄色いフォルクス・ワーゲンにつけられていると再三訴えているし、また、しばしば攻撃的になって教授を責めたて、ついに殺されたのは、コカインによる性格変化がひどくなったものである。
四七年には結婚して、人なみの家庭の味が味わえると思った途端、彼の妻が精神病院に入院したため、生れたばかりの子供を施設にあずけて離婚、あれほど夢みた幸福な家庭はあっけなく崩壊してしまった。 心の張りも目標も失ったYは、土木作業員として各地の飯場を転々とし、事件当時は住所不定の日雇い労働者をしていた。しかし彼には律義なところがあって、子供をあずけた施設にギリギリの生活費から捻出した四、五万円もの金を送金することもあった。彼の唯一の楽しみといえば、安いコップ酒をあおることであった。
もとの同僚などの話によると、Kにはスシ職人と呼べるほどの腕もなく、愛想が悪くしかも粗暴なので、ちょっと見ただけで採用を断られることが多かったが、Kはなぜかスシ職人としての就職にこだわった。これは彼がスシの本場、東京の築地のスシ屋に就職して、一流の職人を目ざしたプライドによるものであったろう。
精神鑑定の結果によると、犯行直前に深川の商店街を通る人々がお互いにしめしあわせて、ひそひそとKの悪口を言っていると感じる「敏感関係妄想」があったことがわかった。
覚醒剤の後遺症でもっとも多いパターンは、Kのように周囲の者が自分のうわさをしたり、しめしあわせて何かたくらんでいるような被害感を生じるという分裂病によく似た症状である。ひどくなると、周囲を敵にすっかり囲まれたような被害妄想にとらわれるために、架空の敵に反撃を加えようと、Kのように無差別殺人事件を起こしてしまうのである。
また、覚せい剤を連用していると怒りっぽくなり、どの仕事についても長続きしないという性格変化が起こる。Kは中学生ま��はおとなしい内気な性格だったというから、覚せい剤による性格変化が強かったのであろう。
変態性欲には、ホモやレズのような性対象倒錯(インバージョン)、小児愛(ペドフィリー)、サディズム、マゾヒズム、 窃視症や露出症などの性行為倒錯(パーバージョン) などがあるが、二人はこのいくつもが混合した重症の性行為倒錯者であった。