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[ 内容 ]
ある時は“コケティッシュ”な女、ある時は赤い三年子の金魚。
犀星の理想の“女のひと”の結晶・変幻自在の金魚と老作家の会話で構築する艶やかな超現実主義的小説「蜜のあわれ」。
凄絶なガン闘病記「われはうたえどもやぶれかぶれ」、自己の終焉をみつめた遺作詩「老いたるえびのうた」等、犀星の多面的文学世界全てを溶融した鮮やかな達成。
生涯最高の活動期ともいうべき晩年の名作5篇を収録。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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映画化されるのがきっかけで気になって手を出した 蜜のあわれのみ読了 全てが対話文で出来ている作品
小悪魔な金魚赤子、二階堂ふみぴったりだな映画が楽しみになった作品
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友達に勧められよんだ。「蜜のあわれ」会話のみの構成は斬新で言葉えらびやテンポがよい。ちんぴら赤子かわいい。二階堂ふみと大杉漣ははまり役!
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こちらも“変愛”帯で購入。
コケティッシュな『金魚』との交流を描いた『蜜のあわれ』(個人的には「蜜のあはれ」と表記したい)は正に『変愛』。『おじさま』『おじさま』という金魚が可愛い。読んでいると金魚が飼いたくなる。
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陶古の女人
蜜のあわれ
後記 炎の金魚
火の魚
われはうたえどもやぶれかぶれ
老いたるえびのうた
解説 久保 忠夫
作家案内 本多 浩
著書目録 室生 朝子
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老年の小説家“おじさま”と可愛らしい“金魚”との全篇対話形式で展開する短編『蜜のあわれ』が読みたくて。
金魚の一挙一動がとにかく可愛いです。
子供のようなあどけない口調に反して立ち振る舞いは艶っぽく、何気ない会話や仕草が妙に官能的、喜怒哀楽の豊かさはこちらも愉快な気持ちになり、こんな可愛らしい女の子が自分の周りをくるくると舞っていたら…そりゃあ老年のおじさまは夢中にもなるし翻弄されたところで本望でしょうと納得してしまいます。
生き生きとした光で溢れた“生”と、会話の端々で顔を見せる“死”の対比が美しい表情豊かな一篇でした。
「おじさまは、何時も、しんせつだから好きだわ、弱っちゃった。また好きになっちゃった、あたいって誰でもすぐ好きになるんだもん」
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4月17日、日曜日のFM「メロディアスライブラリー」で小川洋子さんが「蜜のあわれ」を紹介されているのを聴き、その日の午後、近くの本屋で入手。
室生犀星を読むのは初めて。
当然、「蜜のあわれ」から読む。
金魚が少女の姿で老作家の元に訪ねてくる。地の文がなく、会話だけで続く奇妙な物語。この金魚の娘がやたらお金を作家にせびったり、ポンポンと奔放な会話の応酬があり、昔の知ってた女の幽霊が現れたりという展開。小川さんも番組で笑ってたけど、お臀に夕栄が当たった美しさとか、お臀の上で首を縊りたいとか、馬鹿馬鹿しさが突き抜けたような印象。もう怖いものなんかないと開き直ったのか。
「火の魚」。蜜のあわれの表紙に金魚の魚拓を取らせた顛末。魚拓をとった折見とち子の作家への手紙は、フィクションのような印象。
「陶古の女人」陶器好きを語った文。殆ど一人語りで、小説ともエッセイとも取れない。まあ、この作だけでなく、「蜜のあわれ」以外は、殆ど老人の一人語りの繰り言、戯言のよう。内田百閒や吉田健一に似ているかな。不思議と馴染む。
「われはうたえど やぶれかぶれ」。随筆ではないな。小水が出なくて、夜中に何度も起きる苦闘が前半。後半は闘病記かな。でも、あまり詳しい説明がないし、やっぱり年寄りの戯言かな。でも、じっくり読んでしまった。
小川さんが番組で取り上げたのは、蜜のあわれが映画上映されたから。で、本を買った翌週に映画館へ。
紅いドレスをヒラヒラさせて、時折頬を膨らませる二階堂ふみさんは、金魚ぽかった。映画監督は監督で、作家の妄想をタネに更に勝手に妄想を膨らませていた。
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□陶古の女人
☑蜜のあわれ
☑ 後記 炎の金魚
□火の魚
□われはうたえども やぶれかぶれ
□老いたるえびのうた
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映画「蜜のあわれ」のコメントである。
DVDが見つからないのでここを拝借。
星は2つ
石井岳龍監督、港岳彦脚本、室生犀星原作、2016年作。二階堂ふみ、大杉漣、真木よう子、永瀬正敏出演。
<コメント>のみ
小説としてイマジネーションを働かせて読むにはいい作品かもしれないが、映画には不向き。
毎シーン、なんの意味?と思いながら、ついていくのにやっとな割に、最後まで見て面白みがまるでない。
原作は原作として尊重しつつ、映画では換骨奪胎を躊躇してはならない。誰にでもいい顔をしようとして、誰からも嫌われる駄作の見本のような映画。
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室生犀星の短編集。収録されている「蜜のあはれ」「火の魚」は数年前にNHKで映像化されている作品。
「蜜のあはれ」は金魚が主人公の作品ですが、読者の想像力で如何様にも楽しめる作品。「われはうたえどもやぶれかぶれ」は入院日記のようなものですが、作者のなげやり的な感じに笑える場面もあり、面白いです。
大胆ながら美しい、という印象を受ける文章が嵌まります。
金魚に興味ある方は、ぜひ。
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『蜜のあわれ』はやはり金魚の「あたい」が可愛い。コケティッシュな感じと言えば良いかなぁ。生き生きと動き回る金魚ちゃんと、おじさまと会えない(会わない)幽霊の対比がいい。地の文がない、会話だけで書かれている作品なのに、登場人物がとても生き生き動き回りますね。
あわせて収録されている『火の魚』は舞台裏話みたいなところもありますが、ここにも強い女性の姿が。
収録されてるどの作品を読んでも感じられるのは、犀星さん、ホントに女性が好きなんだなあ(いやらしい意味でなく、愛する対象なんだなあ)って事ですね。
<収録作メモ>
陶古の女人
蜜のあわれ
後記 炎の金魚
火の魚
われはうたえどもやぶれかぶれ
老いたるえびのうた
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老作家のおじさまと金魚の少女、赤子の日常を描いている小説。2016年に映画化されており、映像になるとより涼しさを感じられます。(I・K)
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'「つまり女が男について或る考えに、突然、取り憑かれてしまって手が動かなくなるのよ、ほんの少時といっても瞬間的なものだけれど、どうにも、身うごきの出来ないくらいに考え事が、心も身もしばりつけて来る瞬間があるのよ、あんな怖い鋭い時間ないわ、予感なぞがないくせに突然やってくるのよ、前後の考えに関係なく、不幸とか幸福のどちら側にいても、そいつがやって来たら動けなくなるわ、内容は種々あるけど、はっきりと分けて見ることは出来ないけど、それがやって来たら見事にしばらくその物が往ってしまうまで、睨んでいても、見過ごすよりほかはないのよ。」
「男にもその茫然自失の時がある、頭の中なんかでそいつに、取っ憑かれると放してくれない奴がいる。」
「名状すべからざるものだわね。」
「まさにそうだな。名状すべからざるものだ。つまり名状とまでゆかない生々したものだ。きみはそんな時どうする。」
「あたい、じっとしているわ、その考え事がすうと通りすぎるまで待つより外ないわ、来ることも迅いが、去ってしまうのも、とても素早い奴なのよ。」
「それ何だか判るか。」
「きょうという日が、あたいならあたいの中に生きている証拠なんでしょう。」
「そう言うより外に、言いようがないね、」
「それは嬉しいような場合がすくなくないわね、嬉しい事というものはそんなふうには、来ないものね、嬉しくないこと、つまり悩むということはからだの全部にとり憑いてくるわね。」
「そろそろきみの飯どきだ、時計が鳴ったぞ。」
「ヘンデルの四拍子ね、ウエストミンスター寺院のかねの音いろって、あまくてあたいには、恰度ねむり薬みたいに宣く効くわ。」'
金魚だのに、ひとになって、女のように、娘や孫のように、めくるめくって翻っていくように、姿を変える。
でも、やっぱり金魚だということに、勝手に得心する。
捉えどころがない。それは面と向かうこちらが、簡単に捉われることに、簡単に当てはめることに、纏わりつかれていることの裏返しでしかないのだから、そんなつまらない状態を軽々と翻してくれる存在に、何だか心地よさを覚えてしまうのだ。
金魚なのに、犀星と取り交わされる一丁前な問答が可愛らしくて、ずっと耳を傾けていたい、楽しさを帯びている。
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『蜜のあはれ』が読みたくて買った。すべてが会話文で書かれているコケティッシュな超現実小説。金魚ちゃんとおじさまのやり取りが可愛い。
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大学の授業で扱うため読みました。
ぬめぬめ、ぬらぬら、文章のテクスチャーが面白いです。
二階堂ふみの映画化もあるようなので、時間ある時に見ようと思いました。