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面白かった!
違う観点で宮崎アニメをみると、こうも奥深いものなのかと。
勝手に宮崎アニメはやっぱり自然と人間の共存であったり、その辺がテーマになってるんだろうと思っていたけど全く全然仕込まれている層が厚過ぎました。
もう一度見直してみよう!
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宮崎アニメに詳しい人、特にトトロやもののけ姫、千と千尋などにオススメ。
もっと宮崎駿監督自身の言葉が欲しかったというのがあります。
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五行思想や多くの伝承に見る宮崎アニメの深奥に対する考察。自然と人の相克を劇中に見る言葉の中からも紡ぐ。面白い。
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よくジブリ作品を見て消化不良になる人がいるけど、きっと深く意味を知ろうとしてる人なんだな、と改めて思った。
色んな歴史や伝説から読みといていくのは新鮮。
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2013年87冊目。
ジブリ作品の裏設定のようなものを著者が推測した本。
キャラクターのモチーフだったりが掘り下げられていて面白かったけど、
そこに込められた想いやメッセージはあまり分からなかった。
うんちくにはなるかな〜
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いわゆる、アノ都市伝説ではなく真剣に論考。
宮崎駿は単なるエンターテインメントではく、観る者の成長を促すという。
それは軽薄でも、真情あふれていなければならない。という。
では、その真情とはなにか?
絵が細かいとか綺麗とか、キャラが可愛いとかではない。
不可視の仕掛けにこそ、存在するという。
ケルトと五行思想
東洋と西洋
現代と中世
二重写しで、それは仕掛けられている。
場合によっては、端役に据えられた三重の意味を持つ真の主人公であったりする。
引用は豊富で、論文や漫画や童話や小説から明示。
さらに、世界最古の「ギルガメッシュ叙事詩」より遡る源流にまで及ぶ。
思考遊戯が楽しめる方に、お勧め。
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この本が会社務めの傍らに書かれたということにまず驚く。次いでは著者の関心領域の広さと統合力に。内容的には「深読み」とする感想が多いようだが、私は全面的にではないまでも、ほぼ著者の解釈に賛同する。特に評判の悪い五行説にしてもだ。宮崎駿自身の意図がどうあれ、その根底にある「自然」観は本質的には「自然」との合一をを指向する東洋的なものだ。「非対称」の原罪をも覚悟しつつ。そして、そうした論理からすれば『もののけ姫』を宮崎アニメの思想的な頂点とするのも当然だ。また、宮崎作品における「母性の不在」の指摘も新鮮である。
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僕は宮崎駿監督作品は結構好きなんです。特に監督の作る「世界」が好きで、それはどちらかというとキレイなものではなくて、いろいろな要素が詰め込まれているものです。ナウシカなら腐界、もののけ姫ならシシガミ、千と千尋では全体的にゴテゴテしてますよね。
本書を読んで、そうした詰め込まれた感覚っていうのは、案外的外れではなくて、実際さまざまな神話や思想、物語がまじりあっていると分析することも可能なようです。
あえて「可能」といったのは、監督にインタビューしたわけではなくて、著者の分析によるものだからです。ただ、さまざまなものの重なり合いがあるということは、私もそうだろうなと思います。
むしろ、監督の作品でも元ネタがある、という言い方が適当かわかりませんが、何もないところから出てきたわけではないのでしょう。個性だオリジナリティだとか言う人の中には、この辺を勘違いしている人が多いように思います。本当に発想出来る人も一つまみくらいはいるかもしれませんが。
ところで、「風立ちぬ」では堀越二郎の人生に、堀辰夫の小説を重ね合わせているといえます。当初、どうしたらこの二つを一つの物語にするという発想ができるのだろうかと不思議に思ったのですが、いろいろなものの重ね合わせが宮崎駿の世界だとすれば、これも監督にとってはそんなに突飛なことでもないのかもしれません。
本書をとおしてこんなことを思いました。話の多くはもののけ姫とラピュタの分析です。その真偽は不明ではありますが、それでも一読の価値は、宮崎駿のファンならあると思います。
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よく書けている一冊(というとエラそうだけど)。 宮崎駿本人、ジブリ側に確認したわけでもなく、著者の思い入れ、片思いな考察なのが残念ではあるが(いずれ対談とかインタビューして確認してほしい。宮崎駿が応えるかどうか分からないけど)、宮崎駿の作品に込められた「真情」(作品の意図、込められた思いを本書では、こう記す)が、自然との一体感というか、五行説に代表される東洋的な思想に根差しているというのは、ジブリ作品のファンとしても嬉しい考察。手塚治虫の作品にも通じるものがある。
でも、その「真情」が作品の裏にこっそり隠されているなら、こうして解説されて理解するのもいかがなものかという気もする。美しい自然の景色や、生き物のありのままの姿を見たとき、ただただ感動することがあるが、ジブリ作品もそうして“感じる”ものでいいんじゃないかな。そうして、何気なく見てるうちに、知らず知らずのうちに何かを受け取り、人として成長していれば、それが宮崎駿が作品の理想形とする“入口は広く低く、出口は高く浄化されていなければならない”を体験できたことになるのだと思う。
作品の構図、モチーフにいろんな隠し絵的な意図が含まれていると紐解くけど(過去の作品へのオマージュだったり、絵画のモチーフを取り入れる等)、それは宮崎駿に限らず、古今東西いろんな映画監督もやってきたことなので、それを“暗号”として詳らかに拾ってくところはちょいと余計だったかな。薀蓄としては面白いけど。
ともかく好きな映画を通して、いろんなことへ興味を持って、自分の知識や思考を広げていっている著者の姿勢は素晴らしと思う。彼自身が宮崎作品の広く低い入口から入って、高く浄化された好例なのかもしれない(人として、どれだけ成長してるのかは見えないけど)。
旅の道中、軽くさっと読むには良い本でした@電子書籍
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おそらく出版経緯としては「千と千尋」の便乗本。
とはいえよくある「謎解き本」とは一線を画し、論として成立している。
トトロとナウシカを導入にして2割、もののけ姫論が6割、本のまとめとして千と千尋2割。
かなり読み応えのある作家論・作品論。
■序章……面白かったんだけど……とわだかまり。「通俗作品は、軽薄であっても真情あふれていなければいけない」。気づかれづらい「仕掛け」が真情を生み出す。
■第1章 『ミツバチのささやき』と『となりのトトロ』……父母姉妹、都会から越してきた一家、研究者の父、母の不在。妹の失踪。オマージュとジェラシーで換骨奪胎。自然……季節と風土は正反対。キリスト教化以前のケルト文化。大地への信頼。地下空間。木々の少なさに、ローマ帝国による森林伐採の痕を幻視。昭和30年頃の日本の風土は、ローマによって伐採される以前のスペイン。
1 都会から越してきた姉妹と母の不在
2 フランケンシュタインとトトロの近似
3 「すごい映画」へのオマージュ
4 正反対の風土に秘められた意図
5 神近き子供たちの夢想
6 地下空間で転換する物語
7 存在しない風景の再現
8 宮崎曼荼羅
■第2章 欧州史の地層という「隠し絵」……スペイン、堀田善衛の影響。腐海はケルトの聖なる森。ケルト人もローマ人に森の人と呼ばれていた。文明と自然の対立。ヨーロッパ中世は、森の海の中に散在した無数の島。植物の波濤に飲み込まれそうな。大開墾運動、産業文明を経て、森に聖性を感じるセンスを失った。ナウシカは魔女。ジャンヌ・ダルク。実はキキや湯婆婆は幻想の魔女。現実の魔女はナウシカやサン。サツキとメイもお化けを見ることができる幻視者=少女。そしてドルイド。
1 教会の下に眠るスペイン史
2 ケルトの森と腐海の森を繋ぐもの
3 腐海の森はなぜ増大するのか
4 もはや森を畏怖できなくなった人間
5 ナウシカの魔女的資質
6 ジャンヌ・ダルクの面影
7 ドルイドとしてのナウシカ
■第3章 ファンタジーに「真情」を吹き込む中国思想……アリストテレスの四大元素、土、水、風、火。しかし宮崎にとって大事な「木」がない。そこで陰陽五行思想。火・水・木・金・土。色との対応も。トトロのバス停の色や、ナウシカの金や青や。もののけ姫において、産業文明は火。人は金属を使って大地=土を痛める。人類はそもそも自然に祟られている。石火矢は相克の縮図のような兵器。ボディは木、推進力は火、銃弾は金属。土地にカミが宿ることと、アニメに真情が宿ることは相似形。
1 失われた「カミ」
2 王蟲を呼び起こした色
3 「青き衣」と「金色の野」に潜む意味
4 シシ神の森を包む五行思想
5 人間が避けられないタタリ
6 相剋の縮図がもたらす大地の死
7 “モノの気”に存在感を生む理由
■第4章 『もののけ姫』と宮沢賢治……土神の住む湿地は、山砂鉄をとった跡。かつて土神は、産鉄の神として人間に信奉されることで環境破壊を容認していたが、鉄資源枯渇とともに人間はいなくなった、だから��の木は土神を恐れる。エボシ御前は、金屋子神の生まれ変わり。ケルトのブリギットという女神は、鍛冶や火を司ると同時に、医術の神でもある。こういうイメージの重ね合わせ。もののけ姫で思想は極まった。
1 『土神ときつね』から何を読み取るか
2 タタラ場の創世神話
3 土神・金屋子神の生まれ変わり
4 エボシ御前はなぜ美女に描かれたのか
5 『もののけ姫』で頂点に達した思想
6 五行思想を用いる理由
■第5章 シシ神に投影される神々……文明と自然の座標軸。エボシとシシ神、の線上に他のキャラは配置される。ではシシ神とは。中国の麒麟。宇治拾遺物語の五色鹿事。それを花輪和一が漫画化した「護法童子」は絵的元ネタ。木霊の元ネタでもある。そしてゴヤの「巨人」。宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」。キリスト教化以前の有角神。ケルトではケルヌンノス。インドではパシュパティ。メソポタミア「ギルガメシュ叙事詩」ではフンババ。すべて金属以前のカミ。フンババは金属製の桶に入れられる。
1 大地の中心から生まれた幻獣
2 重なり合う神話や物語
3 花輪和一『護法童子』
4 ディダラボッチとゴヤの『巨人』
5 人間の手によるものとの対比
6 生と死を司るケルトの神
7 破壊と再生を体現するインドの神
8 最古の文学の中のシシ神
■第6章 シシ神の森の真実……以上。シシ神=動物の王は、大陸の東端から西端へと横断する汎ユーラシア的動物の王の連続。時代で並べれば、中世から古代、鉄器、青銅器へと遡る。数万キロと数千年をカバーする神話的時空が、シシ神の背後に存在する。さらに遡れば文字以前、トロワ・フレール洞窟の壁画「呪術師」。もののけ姫は一見中世日本が舞台に見えるが、その舞台上で演じられたのは、特定の地域や時代や史実に寄りかからない、動物の王神話とでもいうべきグローバルな象徴劇であった。人と森、人と動物を仲立ちする存在。を繋ぐ糸の結び目は、森に寄ったときには半神半獣として、人に寄ったときにはシャーマンとして生まれる。そもそもそこに差はなかったが、現代人が囚われる視座のせいで差異が生まれる。もののけ姫には地底行は一見描かれないが、クレタ島ミノス王がダイダロスに命じて作らせた迷宮(ラビュリントス)、その深奥に閉じ込められた牛頭人身のミノタウロスを、英雄テセウスが退治するが、ここで本作は地底行の代わりに迷宮行が描かれる。駿はピレネー山脈の洞窟を根こそぎ引っこ抜いて、日本的風土の上に展開させた。洞窟の迷宮性は失われず、木々に作られた迷宮が地表に広がる。意識、技術、言葉が、我々と人間以外の全てのものとの間に懸隔を作り、阻害している。
1 神話的時空を超えて
2 それは洞窟の奥で眠っていた
3 シシ神は「呪術師」である
4 解き放たれた太古の動物たち
5 人と森の生命を繁ぐシャーマン
6 原始の森という迷宮
7 殺神劇
8 そして大地は崩壊した
■第7章 水の物語『千と千尋の神隠し』……ピーター・ウィアー「ピクニック・アット・ハンギングロック」。卓上台地。女校長と湯婆婆は似ている。「ノスタルジア」の地下聖堂に、千尋親子が入った異界の入り口��似ている。そしてどこまで行っても水浸しの世界。それまでは母なる大地→千と千尋では母なる水。駿作品すべてキャラとしては母は存在感が薄い。子宮。
1 崩壊した現実の先に広がる世界
2 タルコフスキーとの共通項
3 母の不在を埋める原初的「母性」
4 無化された「仕掛け」
■終章 宮崎アニメの深層……筋の底に神話や思想を沈め、真情を確保。もののけ姫では仕掛けは物語より優先された。本書冒頭の「真情あふれていなければいけない」、実は「あふれて」+「いなければ」。あふれる場所は「うつろ・空ろ・虚ろ」。カオナシも。我々と「生」の間に広がる裂けめに、うつろは滲みだしてくる。それが現代人。そういう社会にした原因への呪詛。唯一神と科学への怒り。自然と人との非対称性こそが生きづらさ、原罪。宮沢賢治はあらゆるものと共振できた。
1 「真情」に壊されるエンターテインメント性
2 「あふれていなければならない」
3 子どもたちが失ったもの
4 二つの「神」に対する態度
5 「非対称性」への異議
6 宮沢賢治との共振
7 『春と修羅』の意味
8 森と共に生きる
主要参考文献
図版出典
索引
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パーツパーツで読むと面白いのだけど、著者が訴えたい事を全体的に整理するとなると‥‥❓難しい。宮崎アニメとキリスト教以前の土着信仰との関係、また中国の陰陽五行説との関係など興味深く読めた。
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タイトルの感じから、もう少し気軽に読める本だと思ったのですが、意外に内容が深かったのでビックリしました。
中国の五行思想なんて、私は全然知らなかったので、これを機会に少し触れてみたいです。
残念なのは、『もののけ姫』に関する記述が多いこと。他の作品にも触れてはいるものの、もう少し他の作品での分析も聞いてみたいです。
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オマージュ作品は返歌、変奏曲
P71中国の五行思想によれば「赤色」は大地の精霊を呼び起こす色である。また、狐は大地の精霊の「遣わしめ」であり、それが登場するとき大地に大きな動きの兆しが見える。