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紙の本
卓袱台を使わなくなったのはいつからだろう。
2006/12/24 21:47
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ものごころついた時には卓袱台で食事をしていた。折りたたみの足は立て付けが悪く、ガラス窓をキーキー鳴らすような音が引っ張り出す時にするので嫌いだったが、塗りの悪い表面の塗料に螺鈿のような模様があって、そこを目印にして座るのが好きだった。
背表紙の卓袱台という文字に吸い寄せられて手にしたような一冊だが、ほかほかの家族というものが織り込まれているのかと思いきや「死」というものが隠れていたり、においが漂っていたりして、久世光彦ワールドの一端を見た気がした。
両親の世代と著者の世代が同じなので、すでに世を去った両親やその兄弟姉妹からの昔話を聞いているかのようだった。生活をした場所は地方と都市との差はあれ、人と人との間合いが保たれた時代だった気がする。
変に他家に乗り込まず、壁も作らずといった感じだろうか。
丸い卓袱台が家族を一つに構成し、卓についたそれぞれが等しく均等に顔を見ることができ、唯一、父親だけが少し別格だった。
この作品は久世光彦の幼少から青年時代までが綴ってあり、日本が泥沼の戦争にのめりこむ頃から高度経済成長に突入する前までの年代史的な要素も併せ持っている。
ふと、昔は近所のお医者さんが自家用車を運転して往診に来てくれたのを思い出した。一通りの診察が終わり、細い針の注射を打たれ、ガラスの小瓶の水グスリのときであったり、後で看護婦さんが届ける粉グスリであったりしたが、お湯を張ったアルミの洗面器で手を洗う先生を布団の中から見ていたのを思い出した。
最初の「願わくば畳の上で」という作品を読んでいる途中からこの病気の時の光景が現れてきた。
そして、虚無僧。
大阪駅前の交差点や巣鴨の参道で立っている僧は丸い笠をかぶっているので恐怖感はないが、時代劇に登場する虚無僧そのままは恐ろしく、玄関口に立たれると早くに帰って欲しいためにしぶる母親にせがんで5円玉を渡すことが多かった。
「ありがとう」のひと言も発せずに踵を返して立ち去る虚無僧をガラス窓の陰から本当に帰っていったのかどうかを恐々確かめていた。
久世氏はこの作品の中でも書いているが、小さい頃から記憶力が優れていた。
だからこそ、幼い頃から見つづけてきた変化の細部を余すことなく書き記すことができたのではないか。
そして、そこから生まれ来る父親の死というものと自身がやがて迎える死とを重ねあわせていっているが、行間と行間に潜む著者の「死」に対する思いを読み取ることができる。
卓袱台という文字にノスタルジックを感じている暇などなく、過ぎ去った恥ずかしき半生を思い出させる恐ろしいものだった。
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