紙の本
禅に救いを求めてみたものの・・・
2007/09/25 00:28
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:MtVictory - この投稿者のレビュー一覧を見る
漱石自身、若い頃に鎌倉・円覚寺に参禅したことがあるそうだ。漱石の時代に、”禅ブーム”なるものがあったらしい。漱石も禅に興味を持っていた。ある禅の本に引用されていたこともあり本書を手にする。
しかし本書の主人公である宗助(そうすけ)が禅門をくぐり禅に接するのは、物語もクライマックスに近い18章から21章だけである(全23章)。直接的には漱石は書いてはいないが、宗助は学生時代、親友の妻・御米(およね)と不倫の恋に落ち、それ以降世間に背を向けるように、ひっそり暮らしていた。その罪を背負って生きていく苦しみから、とうとう知り合いの紹介で禅に救いを求めた。結論から言えば、悟りを開くところか、修行にも身が入らず、十日で東京に戻ってしまう。
従って、宗助が悟りへ至るというようなサクセス・ストーリー(?)ではなかった(ちょっと不満ではある)。
宗助が禅寺という世間とは隔絶した世界にいる場面以外は、特に積極的に世間と接するでもなく、横町で御米と二人、お互いの傷を舐め合うように暮らす様子が、ただ淡々と描かれる。派手な演出はなく、全般に地味な印象。明治の頃の話というイメージが最初から頭にあるからか、頭に浮かぶ映像は色彩は淡く、どちらかというとモノクロームに近い。
朝日新聞に連載されていたという(明治43年3月から6月まで)が、新聞小説向きじゃないような気がしたが、当時の読者はどんな感想をもってこの連載を読んでいたのだろう?中学以来久しぶりに読んだ漱石は大人の小説でした。
紙の本
妻を気遣う宗助の姿勢に心打つ
2021/03/07 21:59
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽめたん - この投稿者のレビュー一覧を見る
子どもが欲しくて欲しくて何度もトライする宗助と御米ですが、流産、死産と悲劇が繰り返されるという行が泣けました。御米を気遣う宗助の姿勢を見倣わないとと思いました。
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『三四郎』『それから』に続く、前期三部作最後の作品。親友であった安井を裏切って、その妻である御米と結婚した宗助が、罪悪感から救いを求める様を描く。
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深すぎて私ごときには全く理解できませんでした。というかそれこそ、この作品を真に理解すること=悟りを得ること、なんじゃないだろうか。とすると私のような俗な人間じゃ到底無理だー・・・。
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前期三部作と言われる三作の中では世間的評価が最も低いかもしれないが、それはこの作品が恋愛成就後の現実を描くからだろう。
二人は共犯者としての過去を共有するが、その罪をそれぞれに見つめた結果、ある意味最も遠い存在同士になってしまう。
それでも人生は容赦なく回り続けるため、その現実を受け入れ、慣らされていく(そして時に過去に慄く)。
この作品は決して諦めを描いているのではなく、生きるということの本質を抉りだそうと漱石がもがいているのだと思う。
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この作品は、『それから』のそれからといった感じで、代助夫婦を、宗助夫婦に置き換えて、その顛末を描いたような作品である。俗世の人間を厭い、婦人にさえも信を置けない宗助は、苦悩の末山奥の禅寺へ入門するが「我」を捨てることを躊躇い、山を下って元の生活に戻るという話しだ。僕は話しの筋よりも、冒頭から70ページぐらいまで続く宗助夫婦の生活描写に魅了された。これが抜群に上手い!
崖の上で世を忍ぶように生活する夫婦の姿が、小じんまりとしているがさもしくなく、二人が住まう静謐した空気とゆるりとした時間が、作品内に絶妙に息づいている。素晴らしい!これだよ、これ!! 後日、吉本隆明さんの『漱石を読む』を本屋で読んでいたら、吉本さんも同じ箇所を絶賛しておられた。小説を読んで、同じ箇所で心が動いたことが、何とも嬉しい。
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宗助とお米は、穏やかでお互いに思いやりを忘れずに暮らしている。
その所作や何気ない一言一言は、素直に理想的と思えるものであり、美しい。
そのようにしてふたりが深く結びついているのは、ふたりがふたりのみ世間と距離を置いて暮らしている、暮らさざるを得ないが故。
そんなふたりは、それでもなお、分かり合えない余白を残している。
その余白が宗助の不意の一言をきっかけに現れた時、人ごとで無いような怖さが湧いてくる。
夫婦の美しさと哀しさを感じるこうした描写が胸を打つ。
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漱石の前期3部作にあたる最後の作品。
表紙に書いてあるあらすじが割とネタバレだった。まだ読んだことのない人は見ない方がいいかも。
一度道理から外れたことをすると、それを一生背負い続けなくてはならない。因果関係のない不幸も、その過ちを原因だと考えるようになる。そういうこともあるんだなと考えさせられた。
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『それから』の「それから」の話が、『門』に繋がっていくのかと改めて思った。罪がどんなものか、詳細が語られていないのが謎で、少し難しい話だった。
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前期三部作、三作目…
三四郎、それからと大きく違うのは、最初から夫婦である、と言う点である。
ただ、略奪愛という面では、それからの流れを汲んでいる。
弟の進学問題など色々ありながらも、二人で慎ましくと暮らす夫婦。彼らには"罪"があり、あることがきっかけで夫は禅に救いを求めるが、結局上手くいかずに戻ってくる。そして…という。
夫婦の日常生活の描写がとても綺麗だなと思った。
ただ単に、仕事に行ったり食事をしたりとか、その辺をぶらぶらしたりとか、ありがちな生活を送っているだけなのだが…。
多分だけど、夫は元々、禅とかそういうのは興味がなかったんだと思う。
だけど、自分が親友の妻を略奪して結婚し、その親友の行方は知れず。でも、隣人から久しぶりに、かつての友人の名前を聞き、怖くなったんだろうね。
だけど、友人の名前を聞いたことを妻にも誰にも言えず、何かに縋りたかった。それが禅だったんだろう。
こういうのって、誰にでもあると思う…。私にもある。だから、この点は夫にちょっと親近感を覚えた。
最後の方で「鶯が鳴いているのを聞いたと誰かが言っていたよ」と弟と妻が話していて、妻が「もう春の兆しが来ているのね」と喜んでいたが、友人の件もあり、でもすぐに冬が来る…なんて言う。不穏な終わり方。
彼は、この先も不安から逃れることが出来ないんだろうな。
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略奪愛をテーマにした作品だったが、最後まで自分とはテーマが合わなかった。表現技法などには共感する部分も多々あったが、二人の関係性や心情など理解ができない部分もあった。
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なーにが言いたいのかわからんかった、
日常描いてるほのぼの作品なのかと思いきや、略奪愛?だの、禅寺だの終始宗介が何をやってるのか理解できなかった。