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朝日が海から昇り、夕日が海に沈むまで海と空に向かって座っていたら、人間なんて、この3つの海の砂粒よりももっと微小なもののような気がしてくる。昇る日や沈む日に向かって祈りを捧げるインド人たちだけが、宇宙の生命の神秘に通じ、宇宙の生命の言葉を聴き分けている選民のように頼もしく見えてくる。
魂は永遠でこの世で愛し合った魂は互いに覚えていると答えてもらいたかったのだろう。
夢を見たんだろうね、死ぬってことは死に切ることで、死に切った人間は生き返ったりはしない。仮死状態から覚めるとき、みんな夢を見るんじゃないだろうか。
生きていく意味ねえ、そんなものんしっかりわかって生きている人間なんているのかしら。わかったとたん、それこそ生きていくのが阿呆らしゅうなるんのとちゃいますろか。
南無阿弥陀仏の六字念仏は宇宙の生命への暗号であり、もっと平たくいえば宇宙の生命と人間をつなぐ宇宙語である。
この世もあの世もひと続きよ。
命も地位も名誉もカネも愛人も無常と思わないからこそ、われわれは目の色変えてとりつき、それを話すまいと執着するものです。ありとあらゆる欲望の対象が常にわれっわれを縛るのです。この呪縛から解き放たれること、これこそが悟り。
人はどうせ孤独と頭ではわかっていても、なかなかそれを気持ちで納得することができない。
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色っぽい一冊。一遍上人の歌人としての信念、踊念仏に代表される、あまねく衆生が救済されるという想い、救われた気がしたのを覚えている。
捨てても捨てても捨てきれないもの。評者にも見つかるといいなあ
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時宗祖一遍の歩みと主人公が出会った僧侶の歩みを母の情夫であり、自分の元彼氏が残した作品からと僧侶から送られてくる手紙を書かれている。
最初の僧侶と出会う場面と最後に主人公が人生を決めるところは良いが、中盤のストーリーが読みづらく感じた。
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踊り念仏の一遍上人に魅了された3人をめぐるあれこれ。純文学って言うにも何だし、ジャンルが難しすぎる。
のっけから、京都の女性が、四国の道端で坊さんを拾う。いきなり寂聴ワールド突入で若干ついていけていない。
しかしその坊さんも、いろいろと人生波乱万丈なあたりは面白く、のちにインドに行ってからの手紙でもなんとも言えぬ味を出してくる。
それに引き換え、主人公の女性の人生が特殊事例すぎることも有り、今ひとつ入り込めないんだよなあ。
仏教の教えのありがたさと性と死を盛り込み、そこに一遍の数奇な人生をたどることで重ねていく、なんていうとカッコは良いけど、そんなにかっこいい話ではないし、かと言ってつまらないわけでも、内容がないわけでもない。
ああ、寂聴ワールドだなあ、というのが正直な感想。
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追悼。でも評価低くてすんません。トヨザキさんが全作品制覇を勧める谷崎賞受賞の作品。初の瀬戸内作品としては打ってつけかな、ということで。当たり前かもしらんけど、やっぱり宗教の話が深く絡んでくる。本作においては一遍。現代と、その主人公たちの過去、更に一遍の時代を自在に往来しながら、それぞれの物語が進行していく体。ふと気が付くと時代をまたている、みたいな酩酊感が、良い人には良いのかもしらんけど、自分にはまるでダメでした、やっぱり。ちょっと”仮往生~”が頭に浮かんだりもしたんだけど、同作も自分は受け付けんかったもんな~。
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趣味と実益上、一遍がらみの本は学術書も宗教書も小説も目を通しているが、やはり出色の一冊。著者が時宗での得度を望んでいた、とのフォークロアにも納得した。この話、くれぐれも平尾弘衆尼と間違えないでね。全体のトーンが何となく、栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』に通底している気がする。付、インドからの手紙の件、要りますかね。