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心が弱い、疲れるのは「心が肥大化」しているということに衝撃。
「心の肥大化」を止めるには「精神」と「身体」を拡大すること。
「精神」を拡大するにはまず「型」からに納得。
精神論と言われると毛嫌いしてしまう世代だが、
習慣や型が心を強くすると言われるとすんなり受け入れられる。
精神を拡大して心に振り回されないよう
深みのある人間になりたいものだ。
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人間は、身体、心、精神の三脚から成り立つ。心の肥大化が心の病を産む。
私心を捨てて大きな課題に取り組むことが大事だと感じる。
謙譲の徳を積み重ねたい。
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タフな人になるには、精神と体を鍛えて、心の問題を減らすことが重要。子供に習い事をさせるなら、まずは体力向上だ。精神面は本を読んであげてればいいかな。
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【備忘録】
小林秀雄「無常といふ事」
吉田松陰「留魂録」
教育勅語
和漢朗詠集
平家物語
声を出して読みたい日本語
にほんごであそぼ(NHK教育)
道歌
「座右の銘」が必ず見つかる寺子屋の人生訓451
(藤原正彦)
戦前の唱歌
童謡
詩歌
文部省唱歌 故郷
白秋 からまつの林
藤村 小諸なる古城のほとり
藤村 朝はふたたびここにあり
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最初の方は僕が最近考えていたことと同じで面白かったが、最後の方は無理やりページ数を増やすためか?と思ってしまった…。
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現代人の「心」の肥大化を止めるには「精神」と「身体」の領域を大きくしてバランスをとる必要がある
便利すぎる代償として心の病が大きくなってしまった現代にこのテーマはかなり核心をついた内容なのではないでしょうか?
古き良き昭和の時代には「根性」と呼ばれていたものがいつの間にか「格好悪い」対象になってしまい合理的・効率的・科学的根拠・・・そんなものに囚われすぎているのかもしれない
この作品で言われている「心」は欲望であり「精神」は忍耐・我慢にも思える
後半の「身体」は正直不要にも感じてしまい「心」と「精神」の2つ間での精神バランス論でもよかった
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震災後に見るととりわけ興味を引かれるようなタイトルですが、近年の日本人の自殺率の高さを考えると、本当に私たちは外国人よりも心が強いのか、疑問に思います。
まずは、「心」と「精神」は似て非なるものだ、という説明がありました。
確かに私も、ほとんど一緒のように考えていたことに気付きます。
著者は日本語とのやわらかな付き合い方を提唱する斎藤孝氏。
現代は、便利な社会になったため、身体を使わなくなった分、心にかかずらう時間が増え、揺れ動く心を持て余す人が増えているとのことです。
職人的な手仕事という身体的な習慣と、必ず一定のクオリティのものをコンスタントに作り上げるという精神ががっちり結びついたところに、心の安定があり、穏やかな人生が定まるとのこと。
それはつまり、近代化の功罪ということでしょうか。
著者は漱石の研究家でもあるため、『こころ』が近代自我にさいなまれる主人公を描いたものだと考えると、心と精神のあり方に着目したことにも納得がいきます。
主人公の「先生」は、乃木将軍にならって、明治の精神に殉じて命を絶ったわけですから、完全に、当時近代的だった明治の心と精神の関係図式が提示されているわけです。
昨今は、個人の自由が保障されるようになったため、私たちは、過去の人々よりは何の外圧的縛りもない心でいられますが、逆に寄り処がないためにうまくコントロールできない状態になっているという著者。
たしかにそういう見方もできます。若者がへこみやすい、心が折れやすい、というのは、なにか安定したものが自分の中に見えないからなのかもしれません。
かつての日本人は、精神を鍛えて、強靭な精神力で心の浮き沈みを抑えたというのは、真実でしょう。
それを窮屈だとして、心の解放を目指した結果、人は漠然としたよるべない不安感を抱えるようになったというわけです。
そこでこの本は、精神を高めるべき方法を紹介しています。
著者お得意の名文を声に出して読みあげる方法や、身体のストレッチ、ツボ押しなども掲載されています。
これは著者が多くの既刊で説いている理論にストンと合ったテーマだと気がつきました。
戦後、GHQが剣道や柔道などを禁止しなかったのは、それを武術ではなく、作法と見做したからだということもなるほどと思いました。
確かに、戦いが強くなるというよりも、武道を通じて精神力は高まるもの。
その結果、心の浮き沈みに左右されることもないとのことです。
武道をやって体得しないまでも、日本語の名文を読み上げたり、日本の歴史を学ぶことで、日本人の精神が自分の中に取り入れられるそうです。
カズや長友選手の明るいポジティブさが引き合いに出されていました。
気がついてみれば、タイトルは『日本人の心はなぜ強かったのか』と過去形。
今の私たちの心が強いというわけではなかったわけです。ようやく合点がいきました。
いまどき、精神について語るのは、アナクロ的な風潮がありますが、心と精神はどちらも大切で、片方だけでは健やかな思考は成り立たないものだという著者の意見は興味深く、読みやすさもあって楽しみながら読めました。
ところで、間宮林蔵は隠密で、3~4日で江戸から津軽半島辺りまで踏破したといわれるそうです。
それはたいした隠密ですね。驚きました。
隠密の名を海峡名にする当時の日本の大らかさにも引かれます。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』は、悲惨な内容だろうと避けていましたが、著者いわく「精神の記録」ということで、今度その精神を汲み取るべく、読んでみようと思いました。
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江戸・明治の頃の日本人像から、日本人は本来 強い心を持つ民族と解説。そして現代で強い心を持つ方法を紹介。人は「身体」「心」「精神」のバランスで生きているという論に目から鱗。現代の日本人は「心」だけが肥大して、生き方が迷妄している。良書。
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著者は、戦前に比べ日本人の心は格段に弱くなったと主張する。たとえば自殺者は、もう13年連続で3万人を超えている。その背景の一つには、心の肥大化があるのではないか。この本の副題は精神バランス論である。心の肥大化とは、心と精神と身体(習慣)のバランスが崩れて、心の働きが相対的に大きくなり過ぎたことをさす。
心と精神はまったく別物だ。心は個人的だが、精神は、共同体や集団によって共有される。民族の精神のような大きなものもあれば、会社や学校の精神もあり、多かれ少なかれその精神は、所属する個人に内面化される。
人間は、心と精神と身体(習慣)の三つにより成り立ち、それらがバランスよく伸びることで真っ直ぐに成長できる。
ところが昨今は、心の問題がバランスを欠いて大きくなり、思い悩んだり仕事が手に付かなくなったり、体調を崩してしまうことも多い。逆にいえば、それだけ日本人は、精神と身体が弱っているのだ。精神や身体もしっかり機能していれば、心だけが異様に大きくなって余計なことで思い悩むことは少なくなる。共同体に共有される精神や、身体に身に付いた習慣にまかせておける部分が大きいからだ。つまり心の土台がしっかりするからだ。
日本人の心が肥大化したのは、敗戦を境にして、かつての精神や身体の継承が途絶えたからだといわれる。「日本的なるもの」の多くが捨て去られ、以前は共同体によって共有されていた諸々の精神は失われ、個人的な心が肥大化した。頼るべき精神がなく、悩みやストレスばかりが大きくなるところに日本人の心の危機がある。
戦前の日本人の精神性を圧倒的に担っていたのは儒教だった。戦前の教育の柱とされた「教育勅語」にも「父母に孝に、兄弟に優に、夫婦相和し、朋友相信じ‥‥」など、儒教的道徳観が盛り込まれていた。過度に神聖視され国家主義体制のために利用されたが、内容的には道徳心を説いた部分が多い。ところが戦後になると、過去の「忌わしい記憶」として全面的に排除され、これに限らず日本古来の「精神」はおしなべて国家主義と批判された。
しかし、言うまでもなく儒教的精神そのものが好戦的でナショナリズムに結びつくわけではない。儒教的道徳心が浸透していた江戸時代が軍国主義だったわけでもない。江戸時代の子どもたちは寺小屋で『論語』を素読し、その精神を感じ取っていた。が戦後は、素読自体が頭ごなしの非民主的な教育とされた。『論語』を中心とする儒教教育全体を捨てたことは、精神の半分以上を捨てたことになり、儒教教育の喪失は日本人にとってマイナス面の方が大きかったと齋藤はいう。
儒教や武術のように古来から精神の形成に一定の役割を果たしてきたものを禁じられると、その結果、個人の感情や気分が一気に肥大化する。共有できる精神を持たない民族は弱い。それが露わになったのが、経済成長が一段落した1970年以降だという。戦前の教育を知らない世代は、精神や身体といった土台が緩んでしまい、その分、心が膨らんでしまった。日本人は概しておとなしく、不安定な心を抱えるようになったというのである。
かつての日本人は、精神の領野と身��(習慣)の領野を切り離せないものとして発達させていた。禅の修行でも、座禅ばかりではなく、作務と呼ばれる日常の作業のなかで無心を学ぶことが大切だといわれる(日常工夫)。また、手作業が心を和らげることは、最近の研究でも実証されつつあるという。体内にあるセロトニン神経系が、リズムカルな運動によって活性化され、心を安定化させるというのだ。
職人の仕事もそれぞれに固有のリズムを持っている。職人気質で一つの仕事に徹する人生も、人の心に深い安定を与える。それが○○道として自覚されれば、禅的な求道の「精神」を生きることになり、心の安定はさらに深まる。職人がその「道」を究めようとする姿勢は、日本文化の深い「精神」に通じており、これも日本人の心の強さを形づくっていた重要な要素だ。
『論語』などの素読も、リズムカルに声を出す「作業」であると同時に、古典の「精神」を呼吸することにつながり、日本人の心を強くしていた大切な要因で、これはとくに齋藤が強調する方法だ。彼の本『声に出して読みたい日本語』はベストセラーになったから知る人も多いだろう。
このように、それぞれの「精神」を生きる手段を豊富にもっていた日本人は、もともと強い心を持っていた。だったらそれを取り戻せばよい。一昔前の日本人がふつうに実践していたことを復活させればよい。それだけで日本人は元通り強くなれると、著者はいう。
本の後半ではそのためのノウハウがいろいろ紹介されている。ただこの本は、コミュニケーション論など彼の他のの著作に比べると、具体的な方法の部分が少し魅力に乏しい感じがする。他の本では、これはと思えるような画期的なノウハウがいくつも紹介されているが、この本にはそれが少ないのだ。その点は少し残念だったが、今の日本人の心に何が欠けているのか、充分な説得力をもって語りかける本だ。
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日本人は心ばかりが肥大化し、精神と身体と心のバランスが昔に比べて崩れてしまっている、と著者は指摘する。
心の肥大化に関しては自分のことを言い当てられた気がしました。感情や気分そのものを自分自身と勘違いしてしまうのは現代故の現象なのだと思いました。
近代以降の文明は精神中心の文化だ、と一般的に言われるが、もしかすると中心になってきたのは精神ではなく、心なのかもしれない。
精神を強くするために提示されたことは、自分の興味(心に煩わされないもの)と自分を支える読書に集約される思う。
10秒間体操については、呼吸法と肩甲骨、拍手くらいは意識してみようと思いました。
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衝撃的な読書だった。
心が肥大化。なんて恐ろしい発想。すごい説得力。
夏目漱石が描く人物ってこのタイプ多いよなと思う。
漱石のそういう、ひとの複雑で繊細な内面を怖いくらい見事に現す筆致をずっとリスペクトしてきたのだけれど、その漱石が「幕末の志士のように生きたい」と云っていたことをこの本で初めて知って、共感と切なさでなんかもう泣きたくなった。
私も幕末がしょうもなく好きで京都巡りしたり萩旅行の計画を立てたりしているのだけれど、心の弱い自分ではなれないからこその憧れなんだろうと、ずっとどこかで意識していたので。
それにしても、文化的な趣味も読書習慣もそこそこ持っているつもりなのに、何故私の精神はこうも軟弱なのか…気分にふらふら流されて嫌なものだ嫌だと思ったらもう動けない、隙あらば仕事をせず家に引きこもっていたい、私こそ精神薄弱の見本のような人間だと思う。
これはもっと強い精神の見本を探すか、身体(習慣)も鍛えなければならないのかなぁ…。
しかし、第2章で紹介されている昭和の象徴「昼休みにバレーボール」や昨今復活しているという「社内運動会」にはドン引きを通り越してゾッ…としました。
呑み会も徹底辞退するほど嫌いなのに(労働時間外に社内の人間と顔を合わせねばならない意味がわからない)、ようやくの昼休みにすら強制参加で動かされるなんて、私だったらそんな会社即刻辞めるし日本にそんな企業しかなかったら海外移住する。
学生の頃は逃げようがないから運動会でもなんでも参加させられていたけれど、じゃああの頃精神は強くて幸せだったかと考えると、まさか、とんでもない。
あの頃は死んでいたのと同じでしたとはっきり云える。
今と比べ物にならないほど不幸だった。
大人になったらもう、己が精神くらい己で作るなり選ぶなりしたいものです。
さらっと読める本だけれど、いろんな意味で熱い読書でした。
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2015/1/19図書館から借りてきた。
作者には、現代人の心が扱い難く落ち着かないものであるようだ。
2015/1/25図書館に返却。
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斎藤孝さん、TVでご活躍、本も沢山出版されてます。TVは見る番組がほぼ決まってますし、本は横目で見て過ごしてますので、今回初読みです。「日本人の心はなぜ強かったのか」、2011.9発行。共鳴した箇所は「昼休みのバレーボールこそ昭和時代の象徴」という文言でした(^-^) あぁ、確かに。強制のようで強制ではない。昼飯を数分で食べ終え、しょうがないなーと心でつぶやきながら、結構楽しんだひとときでしたw。
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へぇ、面白いなあ、と思うことばかりだった。
現代人は精神の支柱となるものが無くなり、精神がブレているから心の問題が多いらしい。
たしかに精神の支柱となる人物や作品、趣味、仕事などを持っている人は精神的に安定していて強いと思う。物事をするかどうかいちいち迷うのは確かにストレスだから、職人のように自分の気分に関係なく淡々とするっていうのはやはり真理だと思う。