投稿元:
レビューを見る
世代が近いので、全篇「あるある」状態。
ただ、私も音楽やってたけど、
ここまでハードな方々はいませんでしたよ。
これはジャズとニューウェーブの違いなのか…
何が楽しいって、この本の妙なテンションとご勝手な自己分析。
しかもかなり中二男子的。
それがフレンチのジビエだの菊乃井の懐石だの言ってるところが、
もう、切なくも堪らない気持ちにさせます。
結局ぐだぐだと積み上げた論理が、女子の一言で崩壊する様…
もう、ご愁傷さまです、としか申し上げようがありません。
んー、例えて言えばジャズ界の宇多丸@ライムスター、
って感じかな。表現形態は180度違うけれども。
宇多丸の映画評、J-POP評が好きな方には「おススメです」。
2009.0410-15
投稿元:
レビューを見る
音楽のことを書いていても、今日食べたものの話でも、女の子の話でも、自分の性癖の話でもどこかせつなさが変わらずあって、ひとつひとつはちがう話なのに、なぜか同じ物語を読んでるようなそんな気分になりました。こういうからっとしつつ、じめっとしたところのある人って最近いないなあと、嬉しく成ったので星四つ。ほんとは4.5つけたい。
投稿元:
レビューを見る
自身のことについて綴ったエッセイのようだが、小説として楽しむことができた。それは、小説のように人の頭の中に映像を残せるような文章で綴られているからだ。イメージが映像的に溢れており、これは菊地さんの音楽と根底の部分では同じことだと思う。
毎日を退屈に、そして退屈にしないような生き方が吐きそうなくらいわかる。「スペインの宇宙食」は、ある種の免疫がないと、アレルギー反応が出かねない禁書と言える気がする。
投稿元:
レビューを見る
とても清潔な育ちで薄っぺらい僕がこれを読んで世間知らずの憧憬に浸ってるのが恥ずかしいけどでも好きだ。
投稿元:
レビューを見る
vendome, la sick kaisekiを聴き倒していた時期があって、しかもそれはそれほど遠くない過去のことであって、菊地成孔という人物には興味がそそられたものの深く知りたくないという恐怖めいた自己暗示があったためにgoogleで検索すらしなかったくらいだ。でも、どうしても活字が読みたくて駆け込んだ書店で、すごくきれいに装丁された『スペインの宇宙食』を目にして、それが菊地成孔が書いたものだと知ったとき、これは読むしかないと思ったのだけど、その日は購入せずに店を出てしまい。その翌日、いてもたってもいられなくなって、またも書店に駆け込んでしまった次第。そういうわけで、わたしにとって本格的な菊地成孔デビューが叶ったわけで。ああ、こういう風にして菊地成孔はできあがっているのか、と納得しつつ、自分の中のタガが外れてしまったみたいで貪るように文章を追ってしまった。おもしろいなぁ、このひと。spank happyの魅力を教えてくれた友人に感謝しつつ、でもいずれ書店でこのひとに出会う運命にあったんだと心の何処かで思っている。
投稿元:
レビューを見る
「気取ってる方が良い。出来る限り気取り腐っていたい。」
このコトバにつきる。これぞ菊池成孔。
ぶっ飛んでてインテリでセクシーで変態でかっこよくて気取ってて。
独特の世界観と文章。惚れちゃう。
展望レストラン「光峰」がお気に入り。
投稿元:
レビューを見る
二十世紀の終わりと始まりのフィルム。愛と資本主義、哀しみと笑いのフルコース。過剰に気取りまくり、あらゆる幸福も不幸も喜劇も悲劇も苦痛もとびきり美しく甘い快楽に天国に仕立てて踊る男。美味なる宇宙食。
投稿元:
レビューを見る
絶賛しているイタイ子になるつもりはないので、あまり深く書かないが、好きだ。どーでも良くて、どーでも良くないことが書いてある。ある意味フルコース!また食べたい。
投稿元:
レビューを見る
最後のよしもとばななさんの解説の通りだ!
としか言えなくて、
頭の中に映像が浮かぶ文章だった。
読んでて苦しくなる部分もあったけど、おもしろくてhappyになれる要素もいっぱいで、特に岩澤瞳さんが出てくる文章が和んで好きでした。
投稿元:
レビューを見る
友人からの紹介で読んだので、菊地成孔という人間を全く知らない状態で読み始めましたが、それでも面白い。というか、美味しそう。
ああ、この方はミュージシャンなのか、と気付いて音源を漁り、インタビューを漁り、としていたら菊地氏のあのセクシーな声で再生されるようになって困っています。
文章に色気があって、(苦笑)が多くて、半勃起的な菊地氏が可愛くて仕方ないです。
投稿元:
レビューを見る
日本で屈指のグルメな美文家ミュージシャン、菊地成孔さんの初エッセイ集。
人生は官能と甘美というエッセンスが仕上げる悲しくも美しい一時の連なり、どこを読んでも芳しく濃艶なデギュスタシオンを召し上がれ。
投稿元:
レビューを見る
数度となく読み返しているが、食に関する文章が素晴らしい。明日のアラン・デュカスのレストランでのランチに備えて読み返したが、やはり上手い。
投稿元:
レビューを見る
私の知らない分野の話がいっぱいかいてあって面白かった。落ち込んでいた時期だったので読んで癒された。有り難い
投稿元:
レビューを見る
現実なのか妄想なのか、それとも巧妙なフィクションなのか、ジャズミュージシャンにして文筆家の菊地成孔氏が送る優雅憂鬱グルメエロティックサディスティックマゾッホ云々
投稿元:
レビューを見る
菊地成孔に惹かれる理由の一つは、彼のように真っ向から受容し格闘しつつ生きることができなかった自分自身の"あの時代”への郷愁と悔恨のせいだ。わけのわからない憂鬱と焦燥に覆い尽くされたアドレセンス。わずかな救いは遅れて生まれてきたことを嘆きつつ前時代への憧憬に浸ることで、ジャズ喫茶と映画館がシェルターだった。したがって菊地のダブ・セクステット=マイルスの60年代、DCPRG=70年代という符牒が21世紀の妄迷にジャスト・ミートしてしまったのだろう。欲求不満の地点への退行、固着だ。
80年代のマイルスは不思議な機械装置のようだった。その裏返しがウイントンで、どちらにも興味が持てず古いR&Bばかり聴いていた。新宿公演にも行く気すら起きなかった。
菊地という存在を知ったのは廃刊になった『エスカイヤ』という雑誌のラテン音楽特集号だった。『南米のエリザベス・テーラー』がリリースされた直後で、菊地とアート・リンゼイのミニCDが付録に付いていた。
自分なりには音楽遍歴に筋道はあるつもりでいるのだがなかなか身近な仲間にも理解されにくく音楽の宇宙の拡大に反比例してどんどん自閉が加速されてゆく。まるでペルソナとゼーレの関係のように。菊地は深い無意識の底から現れ出た元型なのかもしれない。