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ハンス・ギーベンラートはラテン語学校では群を抜いた秀才。絵に描いた俗物の父親や学校の凡才とは違う種類の人間であり、違う人性を送ると確信している。特筆すべきとすれば、「経験な善人」である靴屋の親方と、「自分もそうなるであろう」学究の徒である神父。しかし神学校入学の受験勉強の時点で一度精神の平衡を失いかける。
神学校では型破りの天才肌ハイルナーと信誼を結ぶ。それ故「よく出来る生徒」から「どうにもならない悪童」へと教師の評価は落ちて行く。ハイルナーが学校に残っているうちは友情で以て周囲の視線にも耐えられたが、彼が学校を抜け出し手紙も寄越さないと判って遂に精神の平衡を保てなくなr。
地元へ帰ってからは自殺を考えてみたり、女性に対して(全体を通して唯一女性が登場する件)不可解な感情を抱いてみたり、かつては見下していた作業場の労働者の生活を再評価してみたり。しかし何があったかはともあれ、彼の第二の人生は始まる事はなく、川に溺れて「少年の様な」姿で死体へと変貌する。
一般的な評価としては「多感な少年を破壊する学校教育」。
私が見たものとしては、気持ちが悪い程に過剰な自然描写。故郷や幼年時代に対する素朴な憧憬。級友や少女に対する謎の執着。
或いは自分でないものに対する興味の欠缺が原因か。
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見えない「将来」の為に我慢するよりも、生きてる「今」を大切にしたいと思わせてくれる。詩的な情景描写も◎
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前半の神学校篇はBL展開じゃないか!(笑
ラストについて。女や労働、酒という新しい刺激に楽しさを見出すハンス君だが、それはかつて少年時代に彼が見下していた「俗な輩」が好むものではないか?と。それに気付いてガーンときたのではないかなぁ、と。
でもハンスは最後に微笑んでいた。自分の中の俗な部分を受け入れたってことなのかな。
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読んでいて、すごくやりきれない気持ちになった。牧歌的な生活の描写と主人公の悲惨な生活の対比が、素晴らしかった。
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ハンスは若者の象徴のように思える。
頭がよくて言われたことは有無を言わず勉強する。インプットするがアウトプットする機会を得ない。
そんな彼がどんな結末になるかとても関心があった。まさか飲んだくれて死の結末になるなんて。
ひたすら勉強して学校に合格し、恋やら友情やらを味わい、没落の道を歩んで行った。
これはハンスだけの問題じゃない。周りのサポートのなさも影響していると思う。一つの道にしか与えず、その道をそれたはのけ者にする。
大人だって責任があるんだ。
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舞台は20世紀初頭ドイツ南部。
主人公は、田舎の村で優秀で、周囲から期待されていた少年。
遊びや友達付き合いを我慢して勉学に打ち込みエリート学校へ入学したのだけど、成績が落ち精神を病んで退学し、田舎に戻って機械工になって、、、という少年の挫折を描いた古典小説。
著者のヘルマン・ヘッセが彼自身の少年時代のことを書いた自伝的小説でもあるらしい。
たしかに、少年が不幸になった根本原因は、親や教師や社会のせいだ、みたいな恨みつらみが全編通じて詰まっているように感じた。
ヘッセがこの小説を書いたのは20代。
彼は退学して機械工をした後、作家という別の道を見つけることが出来たけど、まだ少年時代の辛い気持ちを忘れてなかったんだと思う。
正直、読んでいてそんなに面白い小説ではない。
今回始めて読んだけど、僕が学生の頃に読んでも、可哀そうだなということ以外に何も感じなかったと思う。
でも今、40歳で親になって読んで思うのは、子供に過剰な期待をして親の決めた人生を歩ませようとしても、幸せになれないんだろうなということ。
とはいえ一方で、子供の自主性に任せているだけでは、必要最低限の勉強もしないんで、そのさじ加減が難しいのだけど。
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ヘッセが1905年に発表した自身の学生時代を描いた自伝的な長編小説。初めて読んだのは、中学生の頃に新潮文庫から出ている高橋健二訳でしたが、今回は新訳で。しかし、100年以上前の作品が、今も読む度に新しい感動を生みだすという持っている力に本当に驚かされる。ハンスの周りにいた大人たちがもっと色々なサインに気づいていれば、彼は死なずに済んだんだろうと思うとやるせない気持ちになる。新訳はかなり読みやすいので多くの人に読まれると良いな。とは言うものの、四苦八苦しながら、あえて旧訳で読むという選択肢も面白いと思う。
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教育業界はいつの世も問題を抱えている。教育を受ける子供たちが苦しむのは不条理である。
大人はかつて子供だったのに、自分が子供だった頃を覚えている人は少ない。
子供に寄り添える、子供が手放しで心を見せてくれる、そんな大人になりたい。
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いたって普通、という感想しか持てなかった。
緩慢に人が壊れていく話。
人といっても、10代の真ん中位の少年だけれど。
共感も何もなかったのは、年を取りすぎたからか、元々心がないからか。
150717
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小学生の時、母親から、読むようにと無理やり押し付けられた本の中に「車輪の下」があった。たしかポプラ社から出てた小学生用に易しく翻訳された「車輪の下」である。当時、どうしてもその本を読む気になれず、そのまま年月は過ぎてたんだが、今回、新訳という事で「車輪の下」に初挑戦してみた。
読んでみる気になったのは、あるラジオ番組で、新訳で出された本書のことを褒めていたからだ。非常に読みやすい訳って聞いて、読んでみようと思ったわけだ。もっとも本書を購入してから半年近く積読状態だったんだが・・・。
ヘッセの自伝的小説とも言われる本書。おおまかな流れは、ドイツのある田舎町。町で一番の優等生ハンスは、神学校に入学するため友だちとの交流や遊びも犠牲にして勉強に打ち込む。ハンスは、まわりの同級生や労働者を見下していた。自分は彼らとは違うんだ、と・・・。
やがて2番の成績で合格したハンスは、神学校で型破りな少年ハイルナーと出会う。彼との友情を育みながら、ハンスは勉強以外にも楽しみを見つけるのだが、ハイルナーが退校処分になった後から、精神を病みはじめ、とうとう授業中に倒れてしまう。
故郷に戻ってたハンスは、エンマに恋愛感情を抱くが、その感情をコントロールする術もわからず、悶々とするうちにエンマは町から姿をけしてしまう。
職人の見習いとして働き始めたハンスは、それまで自分が見下していた人たちの生活の中にも、確かな喜びが存在することを知る・・・。
この本のテーマは、教育制度や子供を理解しようとしない大人への批判なのかなぁ。ただ、それだけでもないような気もする。読む人によって、それぞれの受け止め方が分かれるような作品だと思う。
神学校でのハイルナーとの口づけのシーンは、BL要素が満点だな。不安定な思春期の心の揺れをうまく表現してるんじゃないか?エンマとのシーンもなかなかエロティックである。自分の感情と欲望を上手くコントロール出来ない思春期特有のもどかしさ・・・。
また、全編を通して自然の描写が多い(くどいほどだ)だが、ドイツの風景が目の前に広がるようだった。
神学校の校長の言葉で、
「手を抜いちゃいかんよ、さもないと車輪の下敷きになってしまうからね」
と述べられている部分があるのだが、運命という車輪の下敷きになったハンスの人生を読んで、自分のこれまでの人生も想い返していた。
最後の場面、フライク親方の台詞が印象的だ。
「あそこに行く紳士方も」と彼は小声で言った。「ハンスが破滅するのに手を貸したんですよ」
「あなたとわたし、我々も、あの子にいろいろとしてやれたことを怠ったのではありませんかな?」
この話を小学生に読ませるのは無理だろ!いくら易しく書き直してるとはいえ、この本の持つ批判精神までは理解できないだろうな。と、自分の母親に呆れた・・・。
背表紙~
周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし厳しい学校生活になじめず、学業からも落ちこぼれ、故郷で機械工として新たな人生を始める……。地方出身の一人の優等生が、思春期の���独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。
訳者のあとがきで触れられているのだが、この「車輪の下」、本国のドイツよりも日本の方が、毎年10倍売れているそうだ。わかる気がする・・・。
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‹内密紹介より›
周囲の期待を一身に背負い猛勉強の末、神学校に合格したハンス。しかし厳しい学校生活になじめず、学業からも落ちこぼれ、故郷で機械工として新たな人生を始める……。地方出身の一人の優等生が、思春期の孤独と苦しみの果てに破滅へと至る姿を描いたヘッセの自伝的物語。
ーーーー
受験に耐え抜き、エリート学校に進学したハンス。
そして神学校での勉強についていくために必死で勉強をつづけましたが、次第に無理がたたって精神的な不調をきたすようになります。
現在で言えば「学校不適応」ということになるのでしょうか。
時代が時代であったためか、学校側の支援も保護者の理解も得られず、追い込まれてゆくハンスはついに学校を退学して「機械工」として社会復帰を目指します。
ホワイトカラーとして社会のトップ層として人生を送るつもりだったのに、今までの努力(余暇、青春を犠牲にしてきたのに)が水の泡となったことを感じつつ、新たな環境に適応しようと努力してきましたが、そこでも「今までの価値観」との差に悩み続けるハンス。
進学校の中学生・高校生には少し「厳しい」小説になるかもしれません。
推薦する生徒を選ぶ作品では、とも思います。
教職員としては読んでおいてよかった作品だと感じます。
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中学生の頃に母親がこの本を買い与えてくれ(訳者が異なりヘッセ翻訳者として高名な高橋氏であったが)、読んだのが初めての記憶。しかし読んでいる途中は主人公のハンスがかわいそうでならなかった。その感想は今も変わっていない。
好き嫌い関係なく、そしてなんの疑問も持たない(持てない)子供に勉強をさせるのが本当に正しい教育の姿なのだろうか…
私自身も親からの期待を裏切れずに過ごした塾漬けの毎日に嫌気がさし、勉強嫌いになってしまった人間だからそう思うのかもしれない。
やはり今でも読んでいて辛い物語で、結果的にヘルマン・ヘッセという素晴らしい作家を10年以上も遠ざけてしまうことになったのは残念でならない。少なくとも本書はヘッセ諸作の中で、中学生に読ませる本ではないのではないか。親が子供に与える本の大切さはもっと認知されてしかるべき問題だと思う。
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昔大学生のころだったと思いますが。。
そのころに付き合っていた人に紹介してもらった
と思う本。
そのころは読まなかったのですが。
その時にこの本を読んでいれば、どう思って
どうなっていたのか?
もういまとなっては、そんなに重くは受け止めることは
ないですが。
やはり、自分のことを考えてしまう内容だったと思います。
だれでもある感情だとは思いますが。
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2018年43冊目。
「穏やかな川沿いにある牧歌的な水車の車輪のそばで繰り広げられる青春物語」かと勝手に想像していたのだけど、全然違った。「そば」じゃなくて、車輪の「下」。ドイツ語で「車輪の下敷きになる」という言い回しには、「落ちぶれる」という意味もあるそう。エリート教育のなかで瑞々しい感性が奪われ没落していく様を見て、牧歌的だった車輪のイメージが恐ろしいものに変わってしまった。逆に、肉体労働の歯車のなかに入ることで慰みを見出すシーンも印象的だった。「車輪」という言葉のなかに、絶望感と希望感が両方込められている作品なのだと、読み終えて気づいた。ヘッセの本は、『デミアン』以降の、精神世界や東洋思想に傾倒していった後のものしか読んだことがなかったので、新鮮な感覚だった。
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思春期の少年の、細かな心の動きをしつこく客観的に描いた作品。
10代の頃に出会っていたら、すごく救われるか図星すぎて直視できなかったか。
思春期って命がけなことを思い出した。
それとは別に季節と風景の捉え方が秀逸。