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あの、地味な「病床六尺」をまんがにするというから、どんなものかと読んでみたけど、「病床六尺」って子規の一代記でしたっけ。
絵はやたらと顔のアップが多くてうっとうしかったです。もっと引いたカットを多くして欲しかった。
妹や母の造型もとおりいっぺんで「もう一度痛いというてみよ」という母の言葉が迫って来ません。
ストーリーでなく状況情景情念を書いた病床六尺。エッセイ漫画風にすればよかったか?
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【原作】既読
どんな名作も185ページにまとめてご覧に入れましょう、って趣きの「まんがで読破」シリーズ。当たり外れも大きいけれど、そのギャンブル性が堪らなくて、ついつい濫読してしまいます。
『病牀六尺』といえば、正岡子規の死の2日前まで新聞連載された随筆ですが、こちらの「まんがで読破」版『病床六尺』を『病牀六尺』のコミカライズと言ってしまうのはちょっと抵抗がありますね。
国語便覧の子規のページに載っているような内容がかなりの割合を占めており、その中にちょいちょい『病牀六尺』の記述も盛り込んだ感じ。
子規の俳句論・美術論まで解りやすくカバーしようとした点は秀逸だと思いますが、やっぱりコレは「まんがでわかる文豪・正岡子規編」では。
現代文の試験範囲に近代文学史が入ってるんだけど全く頭に入ってこなくてマジ泣きそう、って高校生が気分転換に読むにはうってつけ。
全然関係ないけど虚子と碧梧桐がめっちゃ男前です。
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『病牀六尺』は、正岡子規の死の2日前まで新聞連載された随筆だそうだ。
私事だが、大学時代の同級生が数年前に病気で他界して、その彼がフェイスブックに時折「病床六尺」と併記していたのだが、その時の苦痛や苦悩を重ね合わせて想像した。
自伝的構成だったが、子規の生きる姿勢と文学者としての意思を感じることができたと思う。
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まんがで読破を読破するシリーズ。
正岡子規が死ぬ2日前まで書いていた「日本」連載の随筆。
のぼさんの生涯は、坂の上の雲を読んだり、松山にある記念博物館に行ったりして知っているけれど、これはその最後の六尺の病床に伏せてからの想いに中心を置いたもの。
書くために生き、生きるために書いたその証。
結核で自分の進路に制限をかけた故に、全精力をかけて極めることが出来た美術、文学としての俳句。ちょうど今日(5/19)の日経には、病気になっていなければ違う道で大成していたのではないかなんて書かれていたけど、そうなったら、俳句の確立も遅れたんだろうなと思う。
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正岡子規が34歳という若さでこの世を去るまでの闘病生活を綴った随筆。それが『病床六尺』である。
現代でこそブログやSNSで自身の闘病生活を描くことは簡単にできるようになったが、正岡子規が生きた時代にはかなり難しかった。執筆の道具ひとつ取ってもそうだが、何より表現の場所が極めて少なかったからだ。
『病床六尺』を読めば、こうやって書評を自由に書けることがいかに恵まれていることか、多くの人に見てもらえる環境がどれだけ幸せか、より一層感じることができる。
本書は、正岡子規の自伝的な一冊になっている。死の淵に際してもなおひたすら書き続けた人間が、何を思い、どう考えていたのか。
そこにはありのままの人間らしさがある。『病床六尺』というタイトルからは、まったく想像できない心地よい潔さ(いさぎよさ)が表現されていたように思う。