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カント曰く「公法の先験的公式」から、公表性と一致しない政治的格率はすべて不正なのだそうですよ、安倍さん。
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興味深い作品ではありますが、如何にもモダンな進歩主義で自分の肌に合わなかったのでこの評価。あくまで古典であって、現役の思想ではないと感じました。
なお、自分にとって初のカント作品なので、理解が足りていない可能性は大いにあります。
国際的共同体が成立する必然性についての論証は、論理展開としては納得できるもので、瞠目します。
しかし、前提となる民衆の理性に対する期待が過度であること、社会と法の善性に期待しすぎている(付属における公表性の原則とか)ことから、論理的ではあっても現実的ではないのかなと考えます。(もちろん今後成立する可能性もなくはないですが)
この辺りは、絶対王政全盛期が終わり、フランス革命その他自由主義の潮流が盛り上がってきた時代の著作だからなのでしょう。
あと、予備条項で、戦争抑止のための具体的手段と自由についての規範的主張(人間の手段化の禁止)が混在している点は、非常に気に入らないです。
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個人的に、カントの集大成と言っても過言ではない……いややっぱり過言かもしれない。
デカルト及び批判哲学三部作をしっかり理解した上で読まないと迷子になる。でないと、彼の地球連邦的な政治観がよく分からなくなってしまう。
書いてあること自体は理想論、けれどもそれは、普遍の哲学を追求し続けたカントが、最後に求めた普遍の平和だと思う。
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永遠平和のためには無味乾燥な法律だけでなく、道徳的な哲学者の意見も政治に取り入れられるべきというカントの願いが込められている内容。哲学や道徳に対する重要性を改めて認識、確認することができました。
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第二章がかなり衝撃的。「自然状態は、むしろ戦争状態」「平和状態は、創設されなければならない」。おそらく「永遠平和」の理念、思想が、これらの言葉に凝縮されている。まるで第一次世界大戦と国際連盟創設を予言していたかのように。
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カントの実践哲学を現実の政治に当てはめて考えるとどのようなことを論じうるかを、カント自身が示した名著。
カント自身が本書のタイトルを「風刺的」と呼んでいることに象徴されるように、永遠平和など実現不可能な絵空事と見なされがちである。
カントはただ理想を語っているのではなく、人間の本性を「利己的」とし、法的状態が構築される以前の自然状態を「戦争状態」とした上で、地に足の着いた議論を展開している。
人間が利己的で、各国家が言語と宗教によって互いに隔離されているということは一見戦争の種であるように思われるが、カントはむしろ、そのような現実があってこそ、平和は構築可能だとする。人間の利己性は社会契約による共和的国家の樹立を促し、言語と宗教による隔離は、国家の規模を大きくなりすぎないように役立ったと。目からウロコであった。
「付録」では、政治と道徳の対立、すなわち利益と正義の対立について語られており、「前者が後者に従属すべし」というカントのリベラルな立場が簡潔に表明される。
薄いけど中身の濃い、素晴らしい本だった。
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どうもカントはお堅いイメージがまとわりついて離れないが、一哲学者として、かなりこの平和というものに思うところがあったに違いない。自身の築き上げてきた学問を土台にして緻密に、そして熱情をもって書き上げていると感じた。
真の平和とは何か。平和のために争う、その皮肉に対して、彼は命ずる。そんなものは平和ではない、汝の普遍的な格率に従え。そのための法だ。
道徳とは、平和とは、法律が与えるものではない。よく巷では、憲法改正だとか、なんだとかでデモをしているが非常にばからしい。そんなものが平和を守っているのではない。戦争したくないからしないだけなのだ。それは憲法でも法律でもなんでもなく、ひとりの人間の気持ちなのである。カントはこれを格率と呼んでいる。法律とは、そのような格率から生まれたものであるから、義務なのである。誰かが与えるのではなく、したくないことを無理にするのは不正であるから、してはならない、そういうものなのだ。したがって、義務とはおのずから生じるものであって、外から与えられるものでは決してないのだ。
では、平和というものはどうすれば実現するのか。カントに言わせてみれば、みなが平和を自身の格率として価値あるものとみなせばいい。それだけの話である。でも、現状、そういうばかりではないから、互いに公表し、相互に監視し合う体制が必要なのだ。それが国際連合である。今の国際連合とはまったく違う。こうした連合体制は、国家としてまとまりをもったものを前提としている。それが共和制であると、カントは言う。この共和制は、民主制や僭主制とは異なる。どういうわけか、プラトンの哲人政治とも異なると言っている。この点、カントの弱いところだと思われる。代議制を是認しているようにもとらえられてしまうからだ。カントにとって共和制とは、すべての人間が、もうすでに、普遍的な格率をもってその義務に従っていることを前提にしているのである。だから、代表者が無理に哲人でなくても問題などないのだ。プラトンに異を唱えているというより、プラトンのような想定をする必要がない状態についての国家を述べているのだ。アプリオリに法的状態にある国家があるとするなら、連合形態や述べてきた条項が望ましい、そういう話なのだ。
では、そういう法的状態というのは、いったいなんなのか。カントは付録で自然状態と道徳・政治について述べている。確かに人間は争わずにはいられない。けれど、争いを嫌悪し、それを裁こうと法律というものを定めるのもまた、人間の自然状態でもある。では、なぜそんな自然状態が政治や道徳と結びつかないのか。それは、そもそもそういう結びつかない政治や道徳というのがおかしいからだ。人間に義務が生じているとするなら、おのずと道徳と政治は分かたれないはずである。法に従うということは、外部から与えられた決まりを守ることではない。おのずと自分の中から生じてきたものに従うまでのことだ。だから、自分のしたくないことをするということは、それこそ不自然であって、道徳的ではない。だから、公表しても問題ないはずなのである。隠すということは、それ自体に後ろめたいなにがしかがあるからだということになるので���る。
哲学をする者にとって、平和とはかくも当たり前の話なのである。だからこそ、自由に哲学者がものを言えないといけない。哲学者のいうことが浮世離れしている、夢想の話をしているのではない。それを浮世離れしていると退けてしまう事の方が問題なのだ。彼らは現実をどうするかについて興味がない。現実というものが一体何なのか、そちらに興味がある。そもそものスタート地点が違うのだ。自分の従う現実というものに挑むからこそ、その現実を超えることができ、平和の意味が変わる。
平和だ戦争だ言う前に、そう言っている自分の胸に手を当てて同じことを問うべきだ。
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国連創設に影響を与えたと言われるカントの著書。
多くの人に読んでもらう為に薄い冊子にしたらしい。(と、授業では習った)
国際機構について学ぶなら読んどいた方がいいんですかね。
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1795年の本です。カントのこの考え方が、国際連合の元になったと言われています。
難しい命題ではありますが、薄い本で手に取りやすく、よくまとまっていて読みやすいです。
人が一緒に平和に生活するというのは自然ではなく、自然状態=戦争であり、だからこそ平和とは創設しなければならない
という考えが元であり、甘い理想論ではありません。
争いが起きる方が当たり前であり、「だから平和など意味がない」とするのではなく
「永遠平和」を実現するために漸次努力し近づけていくものという思考は、
闇雲に平和を叫ぶ現実的ではない平和主義者の思考よりも共感できました。
軍があるということは、他国を戦争の脅威に晒しているということになります。ならば軍がなければ良いのかというと、自衛手段がなくては攻め込まれる隙を他国に与えることになり、戦争を呼び込んでしまいます。
国を維持するというのは理想論だけでは当然運営できず、コストを考えての商業的な運営意識も必要になってきます。
平和条約は実は休戦にすぎないというのはなるほどなと思わされました。
「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、けっして平和条約とみなされてはならない。」。
平和とは、永遠平和のためにはどうしたら良いのか。自分なりに考えて求めていきたいと改めて思います。
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集英社版で池内紀訳と比較してみた.原文を見ていないが,見ても上手く読めないが,宇都宮さんはある程度原文に忠実に訳しているのだろう.ただカントはユーモラスな人で難しいことをやさしく記述できる素養を持っていたはずだ.その点からすると,宇都宮訳はやや読みにくかった.
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"イマヌエル・カントさんが1796年に出版した本。
第一章 国家間の永遠平和のための予備条項を含む
第一条 将来の戦争をひそかに保留して締結された平和条約
第二条 独立している国家も、継承、交換、買収または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない
第三条 常備軍は、時と共に全廃されなければならない
第四条 国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行してはならない
第五条 いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない
第六条 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない
第二章 国家間の永遠平和のための確定条項を含む
第一確定条項 各国家における市民的体制は、共和制でなければならない
第二確定条項 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎をおくべきである
第三確定条項 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない"
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先日防衛政策に関する本を読んだ際に引用されていたため購入した。NHKの「100分de名著」でも2016年に紹介されていたそうで、副読本として同出版社のテキストも参考にした。岩波青を自分一人で噛砕く気力が無いのが情けないが、以下の感想は多分に同副読本の解釈に依るものが大きい(副読本に引っ張られてしまうなら、一度前知識なしで読んだ方が良かったかもしれないな)。
平和主義と聞くと、どうしても理想主義的な印象を纏っているように見える。例えば核の廃絶を唱えれば、必ずと言ってよいほど核により世界大戦が起こっていないとする、パクス・アトミカ(核による平和)が反論として帰ってくる(妥当性は私には分からないが)。
しかし、カントの説く「永遠平和」への道筋は、現実が性悪説を根底に置いた『リヴァイアサン』的な社会を前提に置いている。そして、そこから「善い人になりなさい」などと啓蒙的な主張をすることなく、人間の利己的な側面をうまく往なすことで「永遠平和」を樹立するという手段を採っている。
今まで、例えば国防に関する言説について、現実主義⇔平和主義という二律背反的な考えを持っていた。しかし、本書を通じて現実的平和主義とでも言えるような、単なる折衷案ではない真の平和を希求するものの考え方があることを知ることができた。「あちらを立てればこちらが立たぬ」と悩むことは、平和に限らず非常に多い。そんなときに、本書のような考え方を応用できたならば、問題解決の糸口が見えてくるのかなと思った。
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2019/01/21 読み終わった。
永遠平和のためには、今現在戦争状態でないことに加えてら今後も起こる可能性が無い状態も必要だと、書いてあった。なるほどと思った。
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三批判書で有名なドイツ哲学者イマヌエルカントの平和論。「目的の国を目指しましょう」というような啓蒙的内容を想定していたが、むしろ政治哲学的な内容であった。本文では、永遠平和のために求められる条項が解説とともに挙げられ、補説・付録で永遠平和の実現可能性や道徳と政治の関係性について語られている。割と難解で、自分も1周目では完全な理解は得られず、読了後ざっと読み返してようやく理解出来た。読解に労力を要するので、今回は「本書を読まなくても内容を把握できるように」というテーマでレビューを書くことにする。本書を読むにしても、本レビューを参照してから本書に取りかかることによって理解の助けになると思われる。
まず、本文について。
第一章では、予備条項と題して6つの禁止条項が挙げられている。具体的には、常備軍の廃止、他国への暴力的干渉の禁止、卑劣な敵対行為の禁止、などといった内容であり、戦争に発展し得る要素を排除するという、いわば"消極的な"施策となっている。一方、第二章ではより"積極的な"平和への施策として、国法、国際法、世界市民法のそれぞれの観点で3つの確定条項が挙げられている。
第一章は決してMECEではなく、むしろ思いつきで語っているような印象を持つ。著者の観察において戦争の要因となったと考えられる、もしくは今後なり得ると想定されるものを挙げ、それを禁止したというプロセスであると考えられる。それに比べ第二章の方が個人的に興味深かったため、以下に少し深掘る。
カントはまず自然状態として、ホッブズが想定したような戦争状態を想定する。この敵対行為によってたえず脅かされている状態から平和状態を創設するためには、民族が国家として集結し、立法状態を築く必要がある。この立法状態として、社会の成員が自由かつ平等であるために最も理想的なものが共和的体制であり、これにより国民の一般意志が国家の意思として統合されることができる。君主制による専制的統治においては、戦争によって直接的負担を受けにくい君主が戦争の意思決定をするため戦争の決断が容易にとられるのに対し、共和制では戦争の回避を望む国民の意思が反映されるため、戦争に発展しにくいとされる。
続いて、国家間の関係について考察される。共和制の下に統一された国家は国民の一般意志が国家の意思として反映されているため、国家を一つの個として考えることができる。したがって、国家同士の関係についても前述の通り戦争状態から平和状態への移行として立法が求められる。しかし、国家形成の場合と異なり国家間の関係においてはさらに大きい国家への併合、すなわち諸民族合一国家の形成はいずれの国家も望まないし、また同時に、望ましくもない。なぜなら、法は統治範囲が拡がると共に重みを失い、無政府状態に陥ってしまうためである。このとき、立法状態を構築するための消極的代替物として、国家間の連合形成が提案される。
これだけではまだ議論は完全ではない。国家内では国法による統治がなされ、国家間では国際法による一定の安定が期待されるが、国家内の個人が他国家の個人と国家を通さずに接触する場面が考えられ、こ���状態にもなんらかの法による秩序形成が求められる。この場面としては具体的に、現代的な観光による他国への訪問だけでなく、近海に近づく船を略奪する、漂着した船員を奴隷にする、といった状況が想定されている。これらの場面に置いて、外国人というそれだけの理由で敵意をもって扱われるべきではない、というのがカントが考案する世界市民法である。地球の表面は球面であり、地表は有限であることから、人間は並存し互いに忍耐しなければならず、地上のある部分について他人よりも多くの権利を所有するということはないと考えられる。この事実から、他国に存する者に交際を申し出るという訪問の権利が保障されるべきであるとされる。この世界市民法の理念が国法や国際法に書かれていない法典を補足することができ、この条件の下でのみ永遠平和にむけて前進することができると述べられている。
以上が本文である。続く補説は、世間に対する反駁のような内容となっている。すなわち、第一補説では「永遠平和は空想にすぎないのではないか」という反応に対する反駁が述べられ、第二補説では哲学者への弾圧に対する反駁が述べられている。第二補説は哲学者の意見は有益であるといった内容で、第一補説がメインとなっている。以下概要。
「永遠平和は空想にすぎない」という文言に対してカントは、人間の義務や理性、道徳に着目する議論ではなく、自然の摂理が永遠平和に向かっているという議論をする。具体的には、自然は人間が地球上のあらゆる地域で生活できるように配慮し、それだけでなく戦争を用いてあらゆる地域に分散して生活するように仕向けた。そして、同じく戦争を用いて、人間が法的関係に立ち入り国家を形成するように強制し、また、民族間に言語と宗教の違いを設けることにより、諸民族一国家ではなく国家間で生き生きとした競争による力の均衡と平和の確保に導いた。さらに、戦争とは両立し得ない商業精神の導入により、個人の利己心を通じて諸民族を結合し、民族の安全を保証した。これらの観察により、永遠平和は空想的ではなく現実的なものとして確実性を確認することができ、それに向けた努力の意義を感じることができるのである。
最後に、付録について。付録では、道徳と政治の関係性について述べられている。多くの政治家は、道徳を実践から乖離し浮き世離れした理論的な概念に過ぎないと批判するが、カントによると、両者の間に矛盾や対立は存在し得ないとされる。なぜなら、カントの考える理想的な政治は、国家の繁栄や幸福といった目的を設定した後にその達成に向けて前進するものではなく、定言命法を基礎として純粋実践理性の実現と正義を積み重ねることにより自然と目的の達成に導かれるものであり、これは道徳の実践に他ならないためである。
ここで、定言命法については明確に定義されているが、そこから積み重ねるべき正義とはなにであろうか。カントは、政治が道徳と一致しているかの基準として、「格率が公表性と一致しないものはすべて不正である」と規定する。これはつまり、公表できない格率、および公表することによって意図の実現が失敗する格率は、その格率が人間のアプリオリに理性にもつ規準に反していることを意味し、すなわち純粋理性に反する��とが明らかになるためである。
以上が本書の要約である。本書の価値としては、人間の利己性を前提としてなお永遠平和の実現可能性を指摘しており、さらにそれに向けて求められる体制を予備条項、および確定条項という形で建設的に議論した点である。1795年出版であるため、現代から振り返ると具体性に欠ける記述や世界大戦を通して反証された記述も少なくない。それでもなお、困難と考えられる永遠平和の実現について現代人に一筋の光を与えてくれる作品である。
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永遠平和のための3大要件:①常備軍をなくす、②各国における共和制採用、③国際社会における全ての人間の訪問権の確保