投稿元:
レビューを見る
メアリ・ウェストマコット名義のクリスティの作品は、読み返すほどに味が出てきます。読むたびに新たな発見があり、そこから自分の考え方が分かってくるというか。最初に読んだころから随分違う印象を持つようになりました。母と娘、愛しているからこそどんな犠牲も払う。それを決めたのは自分なのに、相手を恨めしく思ってしまう瞬間があるのです。その気持ちが段々胸に溜まっていって、自分でも訳のわからないモヤモヤになって・・・。ミステリの女王は人間観察の女王でもありますね。イーディスやデーム・ローラの台詞を読んでいると、目の前にクリスティがいたら心の奥底まで見抜かれそうな気がしてきます。
投稿元:
レビューを見る
若くして夫と死別したアンは、持てる愛情のすべてを注いで一人娘セアラを育ててきた。だが再婚問題を機に、二人の関係に亀裂が。
投稿元:
レビューを見る
私も娘がおりますが、一人娘でなくてよかった。
母と娘一対一だと密着ぶりが半端ないだろうと予測できます。
憎みあうときは際限なく、かといって娘は娘、やはり可愛いのです。
投稿元:
レビューを見る
ノン・ミステリーシリーズ。
母と娘という、一種異様な独特の関係を描いた作品。
憎むのも、煩わしく思うのも、心配するのも、反発するのも、愛しているからなんだと強く思いました。
読んでいる間、苦しめられ、振り回され、のたうちまわり、ラストは涙が止まりませんでした。
投稿元:
レビューを見る
アガサクリスティの3つの面がみごとに3人の女性として描かれているように思われる。
まず、未亡人の母親。
再婚をめぐる心の葛藤。
死別ではない、アガサクリスティからは、一番遠い性格のように見受けられる。
未亡人の母親の娘。
わがままだけど、反面大人びた考えの持ち主。
最後は、幸せを選択できるところは、一番アガサクリスティに似ているかもしれない。
未亡人の母親の友人。
著名人で、仕事上はアガサクリスティに一番近い役回り。
考え方、発言も、公式のアガサクリスティの言いたいことを代弁している。
それでも、未亡人の母親の性格の中に、ひょっとしたらアガサクリスティらしさが
織り込まれているような気がしたのは、設定のうまさだろうか、表現のうまさだろうか。
自分が選ぶアガサクリスティのベスト10に入れたい。
投稿元:
レビューを見る
ローラが!ローラが!かっこいいっ!!
んー、なんとも言えないこの家族関係。
ぼくも、自分の親子関係と照らし合わせて読んでいました。
この親子がしていることを普段何気なくしている人っていますよね、ぼくはわざとすることがありますが。
投稿元:
レビューを見る
親は子供にうるさく思われるくらいがいいのかもと思った。
放っておいても取り返しのつかないことは
実はそんなには無くって大体上手くいくものなのかもしれないが、
行動することで回避できるならそれに越したことはない。
投稿元:
レビューを見る
若くして夫を亡くし育てた一人娘も19歳になった。そこに再婚してもいいかと思う男性が現れた。ところが娘と男性はそりが合わない。娘は全力で男性を排除しようとする。男性には娘と自分とどちらを択るのか?と選択を迫られ、娘を選ぶ。まるで一人息子を争う嫁姑のような会話が展開される。
また女性が間にはさまり対立が異性という点では婿取り娘対実母と婿。これも間にはさまる娘は大変。自分がこの立場なので、対立相手は娘ではなく実母だが、この小説の未亡人アンが娘と愛する男との間にはさまり神経が摩耗する会話が実にリアルに響いてきて、読むのがつらくなるほどだ。
娘は母親が相手の男性を好きな事に気づかないし気づいてやる余裕も無い、という描き方だが19歳ならそうなのかなあ。あるいはクリスティ自身の再婚あたりの実情はどうだったのか。
娘は娘、A Daughter's a Daughter's 娘のために自分のしたいことを犠牲にした と思い娘のあやうげな結婚にも親身にならない。娘は相談した時否定して欲しかった、と最後に言っているが、修羅場とはこういうことか。
1952発表
2004.8.31発行 1018.7.25第3刷
投稿元:
レビューを見る
2004年発行、早川書房のクリスティー文庫。訳者あとがきあり。解説は児玉数夫(映画評論家)。第2章までが前振りで第3章で大きく物語が動く。第3章のきっかけは『愛の重さ』ほどは唐突でない。最後は主人公たちへの思いやりで終わり、うまくまとまったか、という感じである。
訳者あとがきあり。解説のタイトルは『クリスティー映画が日本の銀幕に初登場したころ』
投稿元:
レビューを見る
アガサ・クリスティーがメアリ・ウェストマコットの名で書いた母と娘の物語。
娘の名付け親であり、母の友人でもあるローラの言葉が良い。淡々と語るその内容は、アガサ・クリスティーの考えそのものなんじゃないかしら。
人間は結局のところ、自分自身しか道連れはいない、女は中年から開花する、仕事は自分自身から逃避する有効な手立てだということ、一つ一つが身に染みる。
投稿元:
レビューを見る
娘は娘
アガサ・クリスティ
メアリ・ウェストマコット名義のクリスティ小説⑤
*☼*―――――*☼*―――――
この母娘、「娘は娘」というか「母が母なら娘も娘だな」っていう、どっちもどっちというのが最終的な感想だけど、2人が良ければそれで良しなのかは疑問。
第1部
娘が居ない3週間で恋に落ちて結婚を決めるって、帰ってきた娘にすると反対もしたくなる気持ちは分かるけど、結局はセアラが何と言おうとアンが決めることで、セアラとコールドフィールドの喧嘩の中で彼はアンが逃げていると言ったけど、結婚相手である当事者のアンが話の中に入らないのはやっぱりおかしいと思った。
第2部
アンが喋ってるだけで終わってった。なんか読んでるだけでちょっと疲れたし、セアラを放ったらかしで毎晩遊んでるアンが心配だと思う反面嫌いだった。第1部から好感のあったローラやイーディス、芯があってとても良い助言をしてるんだけど、この2人を蔑ろにしてるのは、読んでて気分が悪くなった。
第3部
セアラのせいでコールドフィールドと別れたのだという、子を持つ母が再婚に踏み切れない理由としてはありがちなようだけど、ただ気に食わないだけで反対してたのならセアラも悪い。ただアンは人のせいにしすぎだし、人が全部やってくれて決めてくれて楽をしようと言うのがローラやイーディスとの会話で分かってる。第2部からアンがセアラについて無関心かと思える程だったので、例え喧嘩になっても話し合えて良かったと思う。
第1部でアンが結婚を決め、セアラが戻ってくる時に「先に結婚式をあげておくべきだった」というイーディスの言葉が私の中ではすごく残ってる。娘が居ない間に勝手に?という思いもしたけど、その後の2人の関係を思うとイーディスはこれを予期してて、長年仕えてきて当事者以上に分かってた。この話の中でイーディスが1番好き。
2022/07/19 読了(図書館)
投稿元:
レビューを見る
依存と書いてあったが、共依存というものなのだろうか。
麻薬依存を断つことができたところで、母親への依存も断ち切れた。
母娘の依存を断ち切る過程がさらっと書かれているのが、物足りなく感じた。
再読したい。
春にして君を離れが気に入ったので、こちらも読んでみた。
今回は意外にハッピーエンド。
という事は、春にしてもハッピーエンドなのかもしれない。
NHKBS番組の作家達の感想を見てからだったので、人は簡単に変われないと勝手に私がラストを決めつけてしまっていたのかも。
殺人はおきなくても、普通にその辺にいる人達だけで充分怖い。
投稿元:
レビューを見る
これはまた、『春にして君を離れ』とは違う意味で痛い本でした。
何事もなければ胸を張って言えるのですよ、「自分のことより子どもが大事」。
でも、つかず離れずを装っていながら、実は互いに相手の存在に頼っていた母と娘のどちらかが、違う世界に踏み出そうとしたとき、自分のもとに引き留めようとしたくなるのは自然な流れ。
だけどお互いに自覚がないから、自分のためではなく娘(母)のために、何かをしてあげている気になっている。
寂しさや絶望をその瞳に浮かべている相手のことなんて、見もしない。
”家の整頓、使い走り、(中略)そうしたこまごまとした用事をアンは当然のことのように忠実に果たした。娘は両親に仕えるために生きているので、その逆ではなかった……(中略)子どもが親に仕えようが、親が子どもに仕えようが――人間対人間の根本的関係にはいささかの変わりもない。”
だが、アンが娘のために再婚を諦めた途端、娘のことがかわいいけれども憎い存在になったっていうのはわかる。
何といってもセアラはまだ19歳。
大人ぶったって大人ではない、とアンは突っぱねるべきだったけど、現代っ子の娘とおとなしい母親は往々にして親が意見を引っ込めがちだ。
だけど、再婚したいほど好きな男性を娘のためにあきらめた…娘のせいであきらめざるを得なかった…というのは、本人が思うよりも傷が深い。
セアラはセアラで、なぜ母が自分を憎んでいるかのように接するのかが理解できない。
自分が結婚をぶち壊したこと、当初こそいいことをしたと得意になっていたが、すぐにそんな事すら忘れてしまう。
母に見捨てられたかわいそうな私は、誰かと結婚でもしてこの家を出て行かなければならない。
拗れるにいだけ拗れた母と娘の仲だけど、一度腹を割ってぶつかったらあら不思議。
憎しみはどこへやら。
だって何があっても、娘は娘だもの。
めっちゃ刺さるわ、この話。
でも、今どきは親子の間とはいえ、一方的に仕えるのは無理筋だと思う。