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英語の間合いや背景知識の不足からディベートが苦手、言いたいことが言えないと感じる人が多い。そもそもそんなに自己を主張しない日本人という時点で、このような理由による英語の苦手意識はより強くなる。語訳の恐ろしさ、語学の学習方法など。小学校での英語教育を導入すればするほど、英語ができる人、できない人に二分化されていくのでは、という論。
英語をまともに使うには少なくとも8000語が必要らしい。これは意識的に暗記しない限り獲得できない数だそう。
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英語を使って仕事をするってどういうことなのか.
筆者の意見を交えて論じられています.
特に英語を学習することの動機づけに関してはよく納得できました.
「学びにおいては努力と報酬の関係の相関を示してはならない」
子育てにおいてもいえる大切なことだと思います.
また大学でやたらとTOEIC対策の授業が多い理由も分かったし,そのことが危惧すべきことであることも分かります.
知的創造でアカデミックな場である大学においてTOEICの対策授業なんて必要ないはずですね.
英語で仕事するってどういうことなの?
そう思った方はぜひ読んでみてください.
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企業のグローバル化と切っても切れない関係のある「英語」の問題。「国民全員がバイリンガルになるのは無理」「TOEIC900点でも「論議になると、相手の言うことに反論しかつ自分の論を進めることができない」が16%」など、自分の中のビジネスと英語の問題に一定のケリをつけてくれた本。
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「英語公用語」は何が問題か・・・そのタイトル通り,問題が様々な形で取り上げられる。しかし,1つ1つの議論が深くない。全体として広く,浅く,「英語公用語」に関連するトピックを話題にして,英語力を重視する企業のデータ,TOEICの試験形式・内容,TOEFLとの違い,ALTをJETプログラムが雇用する問題,日本人教師の役割,英語力+αの問題等について言及しつつ主に著者の私見を披露している形だ。深い議論が見当たらない。「英語公用語」には,言語政策,言語計画等の社会言語学的な理論や枠組み(考え方)がつきものなのだが,本書では一切それらが扱われていない。つまり,そもそも論として,著者は,言語政策としての「英語公用語」を論じてはいないのだ。その点を誤解して読み始めると落胆させられる。言語政策,言語計画としての公用語論は他をあたるしかない。
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ほとんど異論違論の湧かない内容だった。
つまり、予想された通りの、言い尽くされたような論述だった。
というかまだ英語公用語が積極的に実施されてないから、
検証とかのしようもないのかな。
面白かった点としては、
「日本と海外の外国語教育についてのトピック」が、
印象に残った点としては、
「抽象的なことを英語で話せるかどうかが重要であること」が
挙げられる。
この本の書き方で印象に残ったのが、
参考文献や引用が多種多彩であったこと。
ブログとか週刊誌とかテレビ番組とか、
「そんなの根拠大丈夫か?」みたいな元もあったけど、
多面的なアプローチでそれはそれで良いと思う。
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就活や企業内の昇進にTOEICが使われること、日系企業内でのコミュニケーションに英語が使われること。グローバル化とは言ってもなんでもかんでも英語使えばいい訳ではないという警鐘を鳴らしてくれた本。敢えて英語ができる人に読んでほしい。
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・シャドーイングについて。英語の音に注意を向けさせることで聞き取れるようになることはあっても、漫然と繰り返しているだけでは効果は薄い。
・リーダー自身が英語を話せるかどうかより重要なのは、言語戦略(どの方法でコミュニケーションをとるか)を選ぶ判断力ではないか。
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このころはたしかに「英語公用語化」論争盛り上がってたな。全体的には内容は散漫。英語を学んできた身としてはごもっともな話ばかりでそれほど新しい発見はなかった。やはり「英語公用語化」を叫ぶ人々は、逆に英語、または語学がわかっていない。文部科学省、そしてその背後の多くの日本国民もそう。第5章「英語教員はもっと発信を」は耳が痛いが、ではどういう発信を目指せばよいのかはっきりしない。p.137「英語を使えないという個人的なうらみつらみが<世論>を形成し、「仕事で使える英語」への転換を後押ししたことは間違いない」そうそう。そしてそのうらみつらみは学校の成績が優秀だったのに英語が話せない「エリート」たちが特に厄介だと思う。英語が話せないのは頭の悪さや教育の非効率性ではなく、その人が十分な時間と労力をかけていないというだけのことだ。もちろん他教科、スポーツ、芸術と同じで、学校外の自分の時間の中で、ということだ。企業の「公用語化」騒ぎはすっかり聞かなくなったが、人々の英語に対するメンタリティーは変わっておらず、文部科学省の「教育指導要領」の中にしっかり残っている。