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文豪作品強化中もしくは夏フェア本消化中。思いのほか読みやすかった。という言葉を文豪作品を読むたびに使っているのはさておき。昔の人が書いた。というだけで、敬遠していた作品が多くて、本当にもったいないことをしているなと思った。のもさておき。小僧の神様、真鶴は読みやすくて可愛らしい物語だった。一方で痴情や転生のような男女の機微をえがいた物語は、ものすごく大人の物語のように感じる一方で、特殊なフィルターがかかっているような不思議な雰囲気に思えた。
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「城の崎にて」を初めて読んだのが小四の時で、偶然九死に一生を得て精神的に弱っている時だった
小四ながら、弱った人間の感傷的な様子に何となく共感できて、印象に残った
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短編集なので読みづらいものがあってもなんとか進む。
割と夫婦の話か多かったような気がするけどいまいち記憶に残りづらい。何気ない昔の日常という感じでのっぺりしている印象。城の崎にてがやはり一番面白いし心に残りますね。
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「近代小説の神様」と呼ばれているらしい。そして、私の大好きな谷崎純一郎が「文章読本」にて、彼の「城の崎にて」を絶賛しているので、読んでみた。
でも、私には合わなかった。「母の死と新しい母」では、近しい人の死も人間は簡単に忘れてしまうこと、「正義派」では、義憤に囚われた人たちが、職を失うとなると、急に弱気になる話など、谷崎さんと同じで、人の認めたくない部分を扱っているのは類似しているが、より性質が悪い本質をさぐっている気がする。
それらをウンザリとし始めながら読み始めていて、「城の崎にて」に遭遇。これは、やはり有名になるだけあって、なかなか含蓄があった。
だけど、「好人物の夫婦」→「山科の記憶」→「痴情」→「瑣事」と続く自身の不倫話をもとにした話にはうんざりした。この人の作品は、女性を馬鹿にしていると思った。若干、不愉快である。
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「清兵衛と瓢箪」を読みたくて志賀直哉の短編集を読み直しました。暗夜行路を執筆した志賀直哉旧居は尾道にあります。志賀直哉は尾道に2年住んだそうです。尾道は大好きな町です。千光寺公園の山頂から続く文学の小道を文学碑を見ながらの散歩、そして、眼下に広がる尾道の市街地、尾道水道の絶景は瞼に焼き付いています。林芙美子の「風琴と魚の町」は尾道の様子をよく描いていますね。志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」は、なんとなくですが尾道だなという感じが漂ってます。(^-^)
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「城の崎にて」。淡々とした筆使いなのに、情景が鮮やかに起ち上がってくる。余計な言葉と感情は削ぎ落とされて、残ったものは表裏一体の生と死の存在。
自分はまだ死に対して親しみが湧いたことはないが、そんな機会が訪れた時に思い出すかもしれない。生きるも死ぬも必然ではなく偶然であることを。
普段読書はKindleなのだが、江戸切子のような表紙が美しいとの書評を読んで、角川文庫版を購入。正解だった。
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角川とてぬぐい店"かまわぬ"のコラボの和柄ブックカバーシリーズ。
私はてぬぐいコレクターでして家に100枚くらいあるのですが、これと同じ柄も持ってます。
さて。
志賀直哉は授業として習ったものと、「暗夜行路」しか読んだことはありませんでした。
改めて読んでみると実に素晴らしい文章。ただ何ということもない情景が、実直で淀みない言葉で語られる。小説の神様なんて言われるだけある。
『母の死と新しい母』
著者の実体験エッセイ。
妊娠中の実の母が悪阻が酷く寝込みそのまま他界した。
やがて父に後添いの話が来る。実母が亡くなったときに泣き暮らした著者だが、実母の死と新しい母が来るということは、徐々に事実として受け入れていった。
『清兵衛と瓢箪』
瓢箪が好きで小遣いを瓢箪に注ぎ込み暇さえあれば磨いている12歳の清兵衛。
そんな清兵衛と瓢箪との縁が断れて、その熱中を新たに絵を描くことに注ぐまで。
『正義派』
電車に轢き殺された幼い少女。
目撃した工夫は証言を申し出る。だが雇われ人である彼らも強いことはできない。
帰りに事故現場を通った。やりきれない、ああただやりきれない。
『小僧の神様』
秤屋で奉公する仙吉は、番頭たちの寿司話を聞いて自分も食べてみたくてたまらない。
使いの帰りに屋台の寿司屋に入るが、彼のなけなしの銭では一貫分にも足りなかった。
過ごすごと屋台を出るその様子をAという客が見ていた。Aは、この小僧にあまり目立たずに寿司を食べさせてやりたいなあと思うのだった。
『城の崎にて』
怪我の療養で城の崎を訪れた著者。
蜂、鼠、蜥蜴のような小動物の死を目の当たりにする。
普段は小動物を殺すことのあるし気にも止めないのだが、今はなんだか淋しい嫌な気持ちになってしまう。彼ら橋に自分が生きていることを感謝しなければすまないような気持ちだ。「自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ、死後の静寂に親しみを待つにしろ、死に到達するまでにああいう動騒は恐ろしいと思った(P53)」
だから滞在を早めて東京に帰ってきたのだ。
『好人物の夫婦』
秋の夜、夫婦の会話。
夫が気ままに旅行に出るということで浮気を心配する妻。
翌日妻は親族の病床に呼び出されて二ヶ月の留守をする。
家にいた夫は、若い女中の妊娠に気がつく。
妻も気がついたのだろうか、その場合自分が疑われるのだろうか…。
『雨蛙』
文学趣味の賛次郎は、妻のせきと行く予定だった知人の講演会に行けなくなり妻だけを送り出す。
せきは美しく健康的だが、溌剌とした光を持たない自己を持たない女だった。
翌朝宿にせきを迎えに行った賛次郎は、妻は別の宿に他の男女と泊まっていると聞き驚く。
せきに聞くべきか、聞いたら多分正直に答えるだろう。
そして賛次郎は、正直に答えたそのせきを愛おしく思うのだった。
===「暗夜行路」に別の結果を与えてみた、というかんじ。
『焚火』
山小屋での���話。
雪道を歩きながら眠りそうになっていた自分を母が「呼んでいる」と迎えを寄越したという話。
『真鶴』
少年は幼い弟と下駄を買いに来た。だが海兵に憧れる少年は小遣いを海兵帽に使ってしまい、さらに旅芸人の女に惹かれて跡を着いて行く。どうしようもなく兄に手を引かれて歩く弟。
遅くなり家に帰った母を見たときに、弟は本来の幼さを取り戻した。
『山科の記憶』
「Aという女がある。良妻賢母である。しかしこの女の一生でただ一度、はっきりとは意識せぬ恋を感じ、心をときめかしたことがある。それを良人だけがカンジダ、それと相手の男だけが感じた。しかし何事もなく、そういう機会もなく、そのままにそれは葬られた。Aという女も今はそのことを忘れている、Bという女がある、この女にも同じことがあった。しかしBという女はそのことを自ら意識さえしなかった」この場合、Bが妻だった。(P122)
『痴情』
女と分かれるように妻に言われた。
女がいても妻への気持ちは減らないと言っても納得しなかった。
女と別れて、最終の電車で家に帰った。
『些事』
京都まで仕事だといったが、本当は会いたい女がいたんだ。
===夫婦のちょっとした浮気心テーマが続くんだが、志賀直哉夫妻なにかあったのかな。
『堀端の住まい』
著者が山陰松山に住んだ時のことを書いたエッセイのようなもの。
隣の家の雌鳥が猫に殺され、罠にハマったその猫を殺すという出来事について少し考える著者。
『転生』
あるところに気の利かない妻を持つ男があった。男は常に妻への不満を持っていたが、だがそれなりに彼ら夫婦は仲良く二世を誓いあった。次の世では、夫婦仲の良い狐になるか、それとも鴛鴦(おしどり)になるか。やはり鴛鴦になって仲睦まじく暮らそうと誓う。
先に死んだ夫は鴛鴦になり妻を待った。しかし妻は、自分は狐になるべきか、鴛鴦になるべきかを忘れてしまっていたのだった。
===笑っていいの?いいよね(笑)
『プラトニック・ラブ』
私は昔通っていた芸者がいた。旧友にかけたはずの電話に出たのは彼女だったのだ。
今更名乗るわけにもゆかず切ったが、なぜ彼女に電話をかけてしまったのか?この十五年ぶりのプラトニックラブに笑ってしまう。次に彼女と触れ合うのはまた十五年後だろうか。
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『城の崎にて』
電車に跳ねられた「自分」は怪我で東京病院に入院後、兵庫の城崎温泉に赴く。
そこで生きている蜂の中で虚しく死んでしまった蜂を見ては、誰も気にはしないんだなと虚しくなる。
次に「自分」は首に串の刺さった鼠が石を投げられ逃げ惑う所を目撃する。その後水に落ちるもどうにか助かろうと一生懸命に泳ぐ。その必死に逃げる様に「自分」は寂しい嫌な気持ちになる。
脊椎カリエスになることを怯えながら生きる「自分」が、あの蜂や鼠に重なり「生」と「死」は必ずしも両極端なものではなく、隣り合わせなものだと「自分」は気づく。
生き物一つ取るにしろ作者の情景描写が秀逸であり、鼠が死に対し逃げ惑う所は生々しく目を背けたくなった。でも、正直何故この作品が有名なのかが凡人の私にはわからない。
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母の死と新しい母、清兵衛と瓢箪、正義派、小僧の神様、城の崎にて、好人物の夫婦、雨蛙、焚火、真鶴、山科の記憶、痴情、瑣事、濠端の住まい、転生、プラトニック・ラヴ。
山科、痴情、瑣事が浮気のことですね…
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9.25~9.29
高校の現代文で城の崎にて を勉強してから 少しだけ近代文学に興味があった。最近の若者は読書をしない。読書をしなさい。と父母、先生更には国語の評論文にも。流石に耳にタコができるわ!と思い何でもいいから1冊、と思って手に取ったのが志賀直哉。
ある日から読書に抵抗を持つようになっていたが、冒頭の小僧の神様を読んで一変した。主人公が少年、面白い内容。年齢に親近感も湧き、一瞬でした。
次の清兵衛と瓢箪。お金持ち、ということは聞いていた為書くことも上流階級なのかな…と思い…
少年の持っていた瓢箪、買った瓢箪って一体幾らなんぞや?と思い、簡易的に換算して衝撃を覚えたり…
ある意味、近代文学を読むにあたって簡単に時代ごとのお金や価値の勉強をしたら面白いなぁ…と。
和解も頑張って読みました。最初の1.2はほんとに読むのが辛かった…でも3あたりからだんだん面白い展開に。もちろん目を瞑りたくなるような場面もあった。でも最終的に和解を読み終えた時、どこか温かい気持ちになった。
主要にこの3つを紹介したかった。とにかく、何も読書をしなかった私に1歩踏み入れさせてくれた本だ。
他の近代文学も読んでみたくなった。
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小僧の神様は、小僧に黙って密かに奢ってやる人物の人間としての心理がよく描かれていて、興味深いかった。
しかしながら、この短編集、浮気の話がよく出てきた。
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城の崎にて
いたずらに命をうばわれていくねずみ。なにげなく投げた石でイモリの命を奪ってしまった、とりかえしのつかない気持ち。作者が小さな命をみつめながら、自分の命をも見つめ直す繊細な描写がよかった。