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大学時代にもっとも何度も読み返した本だとおもう。山際淳司の初期作品。江夏の21球を含む名作。沢木ー山際と続いたスポーツルポライターの系譜はいまはどこにうけつがれるのだろうか?
江夏以外は、これといって有名なスポーツアスリートがでてくるわけではない。むしろ仕事と競技の狭間でもがいてる姿、周囲からするとたぶん滑稽にがんばってる姿を描く。
《ぼくは何者かになろうと思っていた。サラリーマンをやっていると、それがだんだん見えなくなるんだ。子供が大きくなる。家庭ができてくる。あ、このままいったらヤバイな、と思った。何の刺激もない。面白くもない》
肉体を投げ出した奴は肉体に復讐される。そういうものなんだ
スカッシュというゲームに淫しつつあった。 恐らく、彼の心の中には、誰もがそうであるように仕事だけでは埋められない空洞があるのだ。
最後に山際さんによるあとがき・・・
ぼく自身のことを、ここで語っておけば、ぼくは一度たりとその種の限界に遭遇したことのない、いわば、日常生活者である。肉体の限界に遭遇したいと夢見ながら、目がさめるとぼくは、哀しいかないつも観客席の立場にいるわけだった。
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スポーツと人の関わりを描いた話たち。
表題の他にも野球の話が多めだけど、高飛びやスカッシュ、ご存知ボートの話もある。どちらかというとスポットライトを浴びる人達よりも、陰日向で、また花開かないようばひとの話が多い。活き活きしていなくても、生きていくことの大切さだったり、スポーツの魅力を教えてくれる。
新宿紀伊国屋で購入したはず。一階感想も書いたはず?
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2013年9月16日に開催された番外編01ビブリオバトル対抗戦テーマ「スポーツ」で発表された本です。
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甲子園球児の夏、江夏の21球、バッティングピッチャーの悲哀など スポーツ感動シーンのノンフィクション短編集。この本の命題は「スポーツは 勝つことも 負けることも 含めた人生を教えてくれる」
特に バッティングピッチャーの悲哀を取り上げた「背番号94」の言葉に 心打たれた
「(自分の)部屋は〜ひそかに練習をするトレーニングルーム〜そんなこと誰も教えてくれない」
「シラけた人間から敗れていく」
学生時代に経験した 緊張感、高揚感、挫折感、倦怠感など、いろいろな感情を思い出した。それらを経験して、今があるので、確かに スポーツは 人生を教えてくれるかもしれない
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再読。
なぜか、表題作、すごくよかった。正面から菖蒲できなくても搦め手から攻めて勝つことができる、という勇気を出しもらった。
自分も、スローカーブを投げるような生き方をしたい。速いストレートを持っていないので。
シティー・ボクサーもよかった。
天才が一旦は挫折するもののまたリングへと戻ってくるという大枠が劇的だし。
ポスター、音楽、ヘアスタイルにこだわるというのは、自分と少し似ている。
ボクシングというスポーツの崇高さを感じた。
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登場人物が愛おしくてたまらない。スポーツ=スター選手はもちろん大事だし、期待しちゃうが、だって人間だもの。選手一人一人に人生があり、物語がある。著者の暖かい眼差しがいい。
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この本を手にしたのは、『「考える人」は本を読む』(河野通和)のなかで紹介されていたのが直接のきっかけだったけど、この本のなかに収めらている『江夏の21球』で話題になってテレビでも盛んにとりあげられていた大学生時代、読んでみたいと思いながら、そのまま忘れていた作品でもある。
この本のカバーの裏にある山際淳司さんの写真をじっと見つめていると、かつてNHKのサンデースポーツのキャスターをしていた姿が思い出されてくる。この眼鏡の下の鋭い眼差しが、ゲストにきたスポーツ選手から微熱を帯びた秘話を引き出していたのを思い出す。そして、その眼差しが、スポーツをする特定の人物を徹底的に掘り下げて、描写してくれたものを収録したのがこの一冊。
山際淳司の言葉は、スポーツを観る者の勝手な想像や、感傷で語られていない。それは、彼のその人物が身につけてきたすべてを見透してやろうという視線で、徹底的に取材した材料が勝手に語りかけてくるものを、拾い上げているような作業に感じられる。
だから、今語られてるシーンを軸に、いくつもの回想シーンが重なってその人物をより立体的なものとして、よりリアルなものとして感じてもらおうとして、語られる。
ドラマを観ているように読むことができる。
この短編の集まりのなかで、個人的にわたしが一番気に入ったのは『ザ・シティー・ボクサー』。この中でのいくつかの言葉を引用しながら、山際淳司の眼差しを感じてもらいたい
〜〜「いつものパンチとどこが違ったのか。スローモーション・フィルムを見るように思い返した。あのときはひらめきがあった。今、打てばいいと思うようより先に吸い込まれるようにパンチが炸裂した。インスピレーション。パンチを出した。手ごたえがあった。そして倒れた」〜〜
スポーツをした経験を振り返ると誰にでもあるこの感覚。“脳の反応を身体の反応が追い越してしまう”瞬間、でも、それってこうやって言葉にされてみて始めてその存在を確認できる。こういった掬い取りは随所にある。だから、キャスターとして、ルポライターとして、選手は山際の言葉に誘われて、奥へ奥へ、深く自分との葛藤の記憶を語りはじめてしまうのだろう。
〜〜「ものごとや世間が見えすぎてしまうことは、結局のところ、遠回りすることになってしまうのかもしれない。」〜〜
これも、山際の特徴的なところで、瞬間的に人生を語る言葉を挟んでくる。
〜〜「ぼくは何者かになろうと思っていた。サラリーマンをやっていると、それがだんだん見えなくなるんだ。子供が大きくなる。家庭ができてくる。あ、このままいったらヤバイな、と思ったり。何の刺激もない。面白くもない。」〜〜
こうやって、男たちの誰もが時折紛れ込む迷路の風景を差し込む。
〜〜自分は、格好をつけていないと生きてる気がしないんだなと納得した。いつもそうだった。あれはまだ小学校に通っていたときだろうか。新しくできた友達に、オレ、ボクシングやってんだというと、友達は目を輝かせた。その瞬間、友達の目が春日井にとっての鏡になった。鏡の中の自分は完璧でありたいと思った。人はいる、他者との関係のなかでしか、自分を支えられないときがあるし、たいていの人間はそんな風に生きている。
四年間のブランクと同じようにして残りの20分を費やしてしまうのが、彼にしてみれば不愉快だった。〜〜
ここはもう山際は主人公のボクサー春日井健の人生を一緒に歩んでいて見えている世界を描いている。
この本のなかに、誰でもお気に入りのドラマはきっと見つけられる。
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スポーツに人生の一部をささげてしまった人たちを、ユーモアや皮肉も交えながら、冷静に綴っている短編集。夏の文庫フェアでよく紹介されていて、ずっと気になっていた本だ。わかりやすい輝かしい瞬間だけではない、彼らの人生がこれからも続いていくと思わせる構成が好きだった。
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山際淳司は、1948年神奈川県生まれのノンフィクション作家。
1980年に、本作品集に収められた『江夏の21球』を、文藝春秋の『Sports Graphic Number』の創刊号に発表して注目され、以後、さまざまなスポーツをテーマにした作品などを発表。本作品集は、1981年に角川書店日本ノンフィクション賞を受賞した。
その後、NHKの「サンデースポーツ」のメインキャスターなども務めたが、1995年に46歳で急逝。
私は、ノンフィクションやエッセイが好きで、沢木耕太郎はじめ、多数のノンフィクション作家、エッセイストの作品を読んできたが、遅ればせながら手にしたこの作品集は、山際氏の比類ない、主題を見つける鋭い選球眼、それを安打にする高い技術力、そして、相手への徹底した取材という豊富な練習量の存在を改めて知らしめてくれる。
デビュー作にして代表作の『江夏の21球』は、1979年の日本シリーズ・広島カープ対近鉄バッファローズ第7戦の9回裏という、プロ野球史でも有名なシーンを取り上げた作品であるが(尤も、この作品があったために、よりドラマ性を増して有名になったと言えるのかもしれないが)、その他の7作品は、必ずしも一般の人々の記憶に強く残っている選手、シーンを取り上げたものではない。それでも、それぞれのストーリーには間違いなく必然と偶然が絡み合った綾があり、結果としての成功と失敗があり、それはまさに人生を凝縮したものであることを、山際氏は淡々としたタッチでさりげなく描いているのだ。
最後の作品『ポール・ヴォルター』はこうして結ばれている。
「ふと思い出した台詞がある。ヘミングウェイが、ある短編小説のなかでこんな風にいっているのだ。「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれるのだ。要するに・・・」といって、彼は続けていう。「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」悪くはない台詞だ。」
(2018年8月了)
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人の生活、人生とスポーツの絡め方が絶妙です(^^)人間模様が織り成すドラマに、読み耽ってしまいました
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「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」
この最後のページに集約されているが、メジャースポーツ、有名人に限らず、あらゆるジャンルの選手やその周辺の人物に光を当て、丹念に人生模様や思想を描く筆者の姿勢と文筆に引き込まれる。約20年ぶりに再読。その都度新鮮。
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「江夏の21球」目当てに読んだ本だったが、さすが、スポーツノンフィクションの金字塔と呼ばれるだけの事はある。
あまり知らないマイナースポーツでも魅せるチカラが宿っている。
強いて言えば、ある一定の古い年代に偏っている事だけが難点。
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山際さんのスポーツに対する切り取り方が画期的だったと思う。
スポーツ、とくに頂点を目指す人間をいかにもスポーツマンというキラキラした世界に閉じ込めず、もっと人間らしいというか痛い部分を描き出している。
もちろん皆と違う頂に登る人間は、それはストイックでいろいろなものを犠牲にしている。だけどこの本の登場人物はそれがその人間のあたりまえだった(よくも悪くも)のだなぁと思い当たらせる。その人たちはその人たちのあたりまえを生きてそこに立った。それしかないというか。
最後の「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」っていうヘミングウェイの言葉がすとんと腑に落ちる。
普通のスポーツ・ルポでは切り込まないようなどうしようもなく人間臭いところをみせる山際さんの本はほんと好き。
第八回日本ノンフィクション賞受賞作。
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1980年前後の取材からおこされた、それぞれのスタンスで孤独と向かいあう男たちを描く、八つのスポーツノンフィクション作品集。著者の思いが多分に投影されるフィクション寄りの作風でもあります。「江夏の21球」が有名ですが、久々の通読でも表題作が抜きん出ていると感じました。以下は各作品の概要、印象に残った一節の引用などです。
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『八月のカクテル光線』
1979年夏の甲子園、星稜高校と箕島高校の試合。
延長16回裏の落球からはじまり、試合に臨んだ選手と監督たちを描く。
本書中ではもっとも全体になじまない作品に感じる。
『江夏の21球』
本書のなかで、そしておそらく筆者の著作として、最も知られた作品。1979年11月4日、近鉄と広島の日本シリーズ最終戦。9回裏のマウンドに上がった江夏豊の心中に沸き起こる葛藤を中心に投じられた21球を振り返る。。
「誰も、江夏の自尊心にナイフを向けようとしているわけではない。にもかかわらず、マウンドの上の投手は心に傷を作っている。」
『たった一人のオリンピック』
「ある日、彼は突然、思いついてしまう。オリンピックに出よう、と。」
ごく普通の学生だった津田正男は突然の思い付きからシングル・スカルのボート選手としての人生を歩みだし、5年の歳月をボート競技に注ぎ込む。思惑どおり日本一になった彼を待っていたのはオリンピックボイコットの不運だった。
「≪結局は≫と、彼はいった。≪自分のためにやってきたんです。(中略)自分のため、ただそれだけです。≫」
『背番号94』
高卒からジャイアンツへの入団後の5年目、バッティング・ピッチャーを務めるクロダ投手が見たプロ野球の世界とそこでの挫折を描き出す。
「ほんの数年前の夏にはたしかに自分のものだった夢や希望は、夏という季節をとおりすぎるたびに、その暑さに負けて溶けてしまったように思えた」
『ザ・シティ・ボクサー』
自分を限りなくカッコよく見せようと努める、ナルシスティックなボクサー、春日井健。四年のブランクがありながらも彼はプロボクシングの世界に挑む。
「≪ぼくは何者かになろうと思っていた。サラリーマンをやっていると、それがだんだん見えなくなるんだ。子どもが大きくなる。家庭ができてくる。あ、このままいったらヤバイな、と思った。何の刺激もない。面白くもない≫」
『ジムナジウムのスーパーマン』
日本のスカッシュ競技世界で10連覇を達成した坂本聖二は、自動車メーカーの優秀な営業マンでもあった。
「おそらく、彼の心の中には、誰もがそうであるように仕事だけでは埋められない空洞があるのだ。彼の場合、その空洞はスカッシュのボールの形をしている」
『スローカーブをもう一球』
甲子園常連の強豪校などとはほど遠い、ほぼ野球経験がない飯野監督率いる高崎高校野球部は、なぜか春の甲子園出場を目前にしていた。
≪それにしても、なぜ、ここまできてしまったんだろう≫
高高(タカタカ)が擁するのは、これまた本格派エースのイメージからは程遠い、努力が嫌いな丸顔の川端投手。そんな��の得意とする球種は「ゆらゆらと本塁に向かっていくボールがまるで自分のように思え」るスローカーブだった。
「≪ピンチになれば…≫と川端俊介はいった。≪逃げればいいんです≫」
『ポール・ヴォルター』
恵まれない体格ながらも日本記録を更新した棒高跳び選手である高橋卓己は、体育教師として赴任した高校の放課後の誰もいないグラウンドで、ひとりポールをにぎる。
「≪むなしさ≫という言葉を見つけてしまったのだと彼はいった。」
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「二度読む本を三度読む」に取り上げられていて読みたくなった.1980年代初出のスポーツノンフィクションの草分け的な本.野球,ボート,ボクシング,棒高跳びと取り上げられる競技は多彩.
少年の頃のわたしが同世代の人たちと一緒に見ていた野球の話が一番心に染みる.「江夏の21球」はあの頃のプロ野球を熱心に見ていた人ならば,そのときめきを思い出すことができるだろう.