紙の本
サド候の道徳講義
2002/07/30 12:02
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:影山 師史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内容は対話の形になっている。その中の登場人物は放蕩者の哲学を語るのである。私はサド候の著作が好きで、このマルキ・ド・サドコレクションはほとんど読んでいる。そしてそのマルキ・ド・サドコレクションの中で私は、この『閨房哲学』が一番好きである。『悪徳の栄え』や『ソドム百二十日』の繰り返しも面白いが、サドの哲学的な部分を表に出してきた『閨房哲学』が私にとってはサド像が描きやすいから好きなのである。
一般的にはサド候はサディズムの語源となったということで加虐趣味的な著作であると思われがちだが、私は、サド候の小説はその道徳に対する強い執着とそれを利用し快楽を得ようとする登場人物の傾向などから考えても、その書いてある内容を逆転させて道徳小説として読んでいる。なぜならそこにあるどれもが、道徳を前提としなければ得られない類の快楽であるからである。だから、その道徳を前提としそれを否定するような言動に直接焦点を当てたこの『閨房哲学』がサド理解に非常に重要になってくると思うのである。
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ドゥルーズはサディズムの論証的機能について論じているが、この書も『ジュスティーヌ』と同じく、その背徳の論証を登場人物に担わす。
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[ 内容 ]
快楽の法則の信奉者、遊び好きなサン・タンジェ夫人と、彼女に教えを受ける情熱的な若き女性ウージェニー。
そして夫人の弟ミルヴェル騎士や、遊蕩児ドルマンセたちがたがいにかわす“性と革命”に関する対話を通して、サドがみずからの哲学を直截に表明した異色作。
過激で反社会的なサドの思想が鮮明に表現され、読む者を慄然とさせる危険な書物。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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途中から長ったらしい文章に辟易してくるけれど、サドの思想を簡単に知りたいならこれを読むのが一番よかろう。
母親に対する仕置きにて、前門と後門を糸で縫う描写はなかなか。
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やっぱマルキ・ド・サドはすごい過激だね。
神を否定し、悪徳を奨励し、殺人をも肯定する。
普通の人が読んだらまず嫌悪感を示すと思われるが、そもそもそういう人はこの本を手に取ることなど、人生のうちでないだろう。
もっと物理的に性的な行為が行われるのかと思ったが、抽象的な過激な思想について書かれた本だった。かなり過激な内容に思えたが、同意するわけじゃないけど、サドの深い考え方に感銘を受けた。
これだけ過激な考え方をしてたら、そりゃバスティーユ牢獄やら精神病院に入れられるわ(笑)
この本読んでると、若い人たちがあいつビッチだなんだ言ってたり、ヤることしか考えてねぇのかよみたいな発言が非常に陳腐に思えてきてしまう。(もうこの時点で毒され気味笑)
とりあえずこの本は友達には読んでほしくないし、誰にも薦めたくはないな(笑)
自分の人生で閨房哲学好きとか、サド好きとかいう人間に出会うことはあるのだろうか。いたらめっちゃ会いたい。特に女性。
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「こうした偉大な思想にふれて堕落してしまうような輩には、用がない。哲学的見解の中からただ害悪しかつかみ取る事ができず、何にふれてもすぐ堕落してしまうような輩は、相手にならない!」(p.168~69)
と、本文中にもある通り、サドの残酷趣味の幻想だけを抽出して「サドはいいぜ」と言うような輩には、本書は用がないでしょう。ある意味、本書を通して読者はサド流の篩にかけられているというわけです。そして、「閨房」よりも「哲学」をたっぷり味わえる本書こそ、サド文学の真骨頂と言えましょう。
知恵と思想に富んだエロティシズムを! これは訳者の澁澤龍彦さんが説くところのエロスの信条にも適います。ドルマンセが様々な「美徳」をぶった切っていくのを楽しみながら、おのれが哲学を磨こうではありませんか!
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閨房哲学ってタイトルだけど、ほぼ哲学だなって思ってたら、閨房部分は澁澤さんがカットしてたらしい。
なるほど。過激すぎたのか。
そして、その哲学は意図的に歪ませている感じがします。
語るために語られた哲学のような。
あえて触れないで無視している要素がたくさんあるような。
例えばたったひとりと生涯を共にしたい人間の意思とか、例えば殺されたくない人間の意思とか。
それは否定して構わないものなの?
自分が殺される側になることは想定しているの?
そんな疑問が。
いいとこどりして洗脳かけるのは、作中で詐欺師と罵られているあの人と変わらなくなるんじゃないのかな。
ただ、それまでの概念を打ち破るべきだという意思を強く感じるのは、共和制になったフランスの未来を考えて、旧来の考えを捨てなけれならない、常識をまるっきり書き換えなければならないと考えていたからなのかなとも思う。