紙の本
1人称視点で語られる小説の盲点をついた作品
2016/12/10 10:33
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コスモス - この投稿者のレビュー一覧を見る
前半はロマンスに満ちていますが、物語が進むにつれてサスペンス小説の色合いが強くなってきます。
物語終盤で語られる真相には驚かされました。
1人称視点で語られる小説の盲点をついた作品であり、
主人公を含めた様々な登場人物の言動に伏線が張り巡らされています。
読み終わった後には、もう一度読み返したくなると思います。
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アガサ・クリスティーの探偵が出てこないミステリー作品の一つである。
ミステリーというよりも、上質なロマンスといった雰囲気で、流麗な筆致で読み手を惹きこむ魅力ある作品。
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エリーとマイクが、立場の壁を乗り越えて、幸せそうな新婚生活を送っていたのに、2人を襲った悲劇ートリックというより、エリーの何気ないセリフも伏線になっていて、複雑な心理戦をうまく使われ、ミステリーを楽しむことができました(o^^o)
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ポアロでもマープルでもないクリスティーのミステリー。主人公マイクの独白で物語が展開される。マイクが、「ジプシーが丘」の樅の木立にたたずむエリーと会ってからすべてが始まる。ロマンスと夢が広がってゆく。恋愛小説のようで展開が読めないが、最後は予想を越えた結末。クリスティーに登場する人物はいつも魅力的。
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初めてのクリスティー作品。 これが代表作なのかは知らぬ。 謎解きはメインに非ず。 憧れの(逆)玉の輿結婚。 なるほど、競売と不動産に出会いのチャンスがあるのか。 斬新な婚活。
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クリスティーの著作を読むのはこれで30作品目だが、物語としての出来栄えに関してはこれまでで一番と言える。
事件はなかなか起こらないし、真相はクリスティー作品にありがちなもので、身構えて読んだ読者には予想しやすい真相と言えるだろう(私もこの真相通りに予想していたわけではないが、そのうちの一部の真相に関してはずっと疑いを持っていた)。
しかしながら、作品全体が醸し出す雰囲気や、人物配置の妙が素晴らしく、結末にも独特の味わいが残る。
人物では、マイケルの母親、建築家といった脇役の存在が光っている。
エリーの歌う「幸せとよろこびに生れつく人あり 終わりなき夜に生れつく人あり」という歌詞がもの悲しい。
結局、主人公は「終わりなき夜に生れつく人」であったということだ。
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「終わりなき夜に生まれつく」というタイトルに惹かれ読みました。
クリスティ作品はタイトルがほんとにかっこいいです!
作品はなかなか事件が起こらず
何かが起こることだけ匂わせて
日常と恋愛模様を主人公目線から描いていきます。
そして終盤からの締め方!
自分はほんとにびっくりしてしまいました・・!
でも、ほんとに終盤から締めるので少し無理矢理感がある気もしました。
二度読みたくなる作品です。
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タイトルに惹かれてよんだ
アガサ作品は読み終わった後タイトルをみてあぁーとなるのが多いし、それがいい笑
この作品も読み終わって再びタイトルを見て欲しいと思う
最初はぐたぐだ恋愛小説のようだったが終盤から徐々に雲行きが……
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本を閉じたあとも、いくつかの情景が頭から離れません。ジプシーが丘でエリーと出会う場面、海を背にした完璧な家での生活……「まるで愛してるみたいに」という台詞が作品の構造をぐっと引きたてています。アガサ・クリスティの書く本は本当に隙がなくて素晴らしいです。
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著者:アガサ・クリスティ(Christie, Agatha, 1890-1976、イングランド、小説家)
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実はマイケルはグレタと手を組んでエリーを殺害した犯人。莫大な遺産を受け継ぐのが狙いだった。果てなき欲望がもたらした殺人。けれどもエリーとの日々が一番幸せな時間だったと気づく。グレタも殺し、ただ自分は「終わりなき夜」にいる…と発狂したように囁き、この文章を供述書のかわりに書いた、という設定。
マイケルの独白という体なのに叙述トリックなのはどうなんだ? マイケルが読者を想定してわざわざエリー殺害の意図を隠していたのか、それともエリーとの幸せな日々を振り返るのに殺人の計画を思い出したくなかったからなのか。
全編マイケルの口を借りたせいか空想のような不安定で地に足ついていない語り口である。アガサ・クリスティ全作品に似たような傾向はある。
やけにマイケルがナルシストなのは、自分(=作者が)が死んでも相手の中で一生心に残る最後の人間になりたかった、というような願望からマイケルを魅力ある人間として書いてる気がする。私は読んでていけ好かない人物だと感じたが。
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アガサ・クリスティー後期の長編ミステリ、1967年。作中に登場する詩句はウィリアム・ブレイク『無垢の予兆』の一節から。
甘やかな喜びに生れつく人もいれば Some are born to sweet delight,
終わりなき夜に生れつく人もいる Some are born to endless night.
不定態・無軌道・全能感・傲慢、そんな青年の物語を、自分はもう読めないのではないか。
読者は作者の記述を通って読書世界に入っていく。則ち、作者の記述は読者にとって読書世界の限界をなす。
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ドラマではミスマープルもの扱い
原作は出てこない
読了
ドラマより知られていない殺人がもう1件
軍事訓練中同僚の競馬だかで当てた金目当てに殺人。もとはといえば暴漢に襲われたのだがとどめを刺して金を奪ったのはマイク。
あとはドラマがほぼ忠実。
どこにでもありそうな、今の時代でもありそうな人物描写が秀逸。
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春にして君を想うがとても良かったので、評判の高いこちらも購入。最後が読み応えがあると言えばそう。尾を引く話ではあるが、なんとなくすっきりしなかった。
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前にTVで見たことがあってその映像が頭に残っていた。丘の上に立つ大きな家、陰気な森、氷の下の時計、建築家、お付きの女性。原作はノンシリーズだがミス・マープルがいて、最後に家は焼け落ちたように思う。
だが読み始めるとこの一人称の「ぼく」にとても引き込まれた。「ぼく」はある意味やんちゃだがとても惹かれるものを感じたのだ、ほとんど最後寸前まで・・ お付きの女性は覚えていたのだが、真犯人はまったく忘れてしまっていた、この健忘症の頭のせい。
最後の最後で大どんでん返しである。最後になって思うと伏線はけっこうあったと思う。「ぼく」の回想記のようなので一体「ぼく」は今どうしているのだろう?と考えながら読む。実はここの「ぼくは今どこに」という感触が大伏線であったわけだ。
ジプシーが丘で出会った2人が登記所の事務員を証人に結婚、なんてクリスティ自身のことのようだ。すると「ぼく」は最初の夫で、おつきの女性は最初の夫の彼女か、エリーはクリスティか。
エリーがギターをつまびく様を見る「ぼく」に、「まるで愛してでもいるようね」と言うところは一番どきりとする所。しかし「ぼく」は一時エリーを愛してしまっていたのだ、とエリーの幻影を最後に見るところで言っているのだと思う。クリスティはこの作品で最初の夫はクリスティを愛していたのだ、と言わせたのではないか、と考えるのは考えすぎか? クリスティがお気に入りに入れている作である。
物語では貧しい男と金持ちの女の結婚の話で、互いのそれまでの生活の違い、結婚するまでのそれぞれの親族を振り切る、結婚してからもそれぞれの親族とのしがらみ、などが書かれ、結婚に対するクリスティの考えが文章にあふれている。
マープルの短編「管理人事件」と似ていると検索では出てきた。
1967発表
2011.10.10.発行(2004.8発行のを新訳にした) 図書館