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橋下さんは、民主主義者ではなく、徳治主義者。
「専制者が民意を吸い上げて、代わりに執行してあげる」という中国的な民主主義。「決定できる民主主義」は、西洋ではなく、中国的な民主主義。
与那覇氏の「ブロン」(日本と中国の双方の特徴が混じった結果、両者の欠陥を兼ね備えた体制になること)。星新一の掌編が語源で、「ブドウのように小さな実がメロンのように少ししかならない果物」の意。
人間関係の形態的にはネットワーク状になっていて、その点では「中国的」なのだけど、意思決定が全会一致的という意味では、江戸時代の村落コミュニティまんまのエートスが残っている。
科挙官僚というのは皇帝が絶対権力をもって命令する組織で、みんなで仲良く決めるしくみじゃないから、決める人がいないと無限ループしてします。そこに無駄に細かい大陸法を直輸入したものだから、日本の社会の実態と輸入した中国型の官僚機構と西洋型の法律が、最悪の形で結びついているわけです。ブロンどころか、3つの制度の悪いところが組み合わさっている。
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勢いで買った。明治維新がいかに無意味であったかというのは経済史の先生たちの間では言われていることのようだ。斉藤修先生によれば、1885年頃までの明治政府の経済政策(不換紙幣・インフレ基調・鉄と石炭)という原始的富国政策は、19世紀の諸藩と大差はないそうだ。まあこの本がそれを踏まえているかどうかはまだ読んでないんだけど・・・。
この本のテーマは現代を見据えているので、歴史そのものをどう読むかという観点よりも現在の政治状況などを思い返しながら読むほうが良いのだろう。10年経ってから読んでもそれはそれで面白そうな感じがする。
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池田氏と与那覇氏の歴史談義。従来の歴史観を変えるという意味では面白い本だが、今日本が直面している問題を扱う割には提言はない。結局、大昔から日本はこの状態であったというだけでは、没落していくのを指を咥えて見ているしかないという結論に思える。そういう意味で、だから日本はダメなんだよね、と茶飲み話をするのではなく、どうしたら良いのかという話が聞きたい。実現性は別にしても。
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池田さんは経済学者だが、最近は政治思想史にはまっている。対談相手は、中国化する日本、で話題になった與那覇さん。
いろいろ、批判のある二人だが、偏見なく読んでみると、結構おもしろい。
タイトルは、変な名前だが、日本史にずっと流れていた「古層」がおわるかもしれないという意味らしい。
このあたり、丸山真男の用語なので、丸山真男ワールドに一度はまった人だけの一人受け。
(1)與那覇:西洋の法の下の平等の観念は、神の前の平等が転化していった。それが確かに公正だといえるレベルまで育ったのはなぜかというと、神の権威を独占できる強い権力者が育たなかったという点は大きい。(p187)
中国は、皇帝が神様を兼ねていたので、法の下の平等という観念が生まれなかったということと対になっている。
(2)非西洋なのに19世紀に日本だけが工業化についていけたのは、日本は法の支配はかけていたが、「長期的関係に基づく共同体での相互信頼」はもっていたので、そちらで長期間にわたる約束を履行できたから。(p168)
今の中国の台頭は、スポット的な取引でも資本を提供する仕組みが資本主義の中で生まれていたからという。
(3)人間は、歴史の大部分において、150人ぐらいの同族集団と生きてきたので、その社会を離れて一人でいきることはできない。集団で生きるためのメカニズムが当然インプットされている。(p35)
これが、西洋化と中国化と江戸化。日本の村共同体を中心として、法の秩序でもない、皇帝でもない、宗教でもない秩序の守り方は、それ自体、特殊日本的なものと理解した方が、わかりやすい。
ここから、単純な西洋絶対視観も、中国絶対視観も排除した独自の日本のなあなあな政治体制の説明がうまくできるという話。
最初の数ページの立ち読みだけでもおもしろい。
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なるほど。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』から来たタイトルだったのか!対談形式なので、『中国化する日本』に比べてサクサク読めます。Kindle版で安めに購入しました。
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難しい ああ難しい 難しい 秀才二人に ついていけない
新進気鋭の歴史学者と日本を代表する経済ブロガーが日本の歴史をたどりながら、政治や経済で変われない日本人の原因がどこにあるのかを探って行く対談本なんですが、如何せんお話している二人の知的レベルがハンパなくて、凡人にはなかなか理解がおいつきませんでした。少し時間を置いて、再度読み返したら、少しはわかるかな?(^_^;)
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非常に難解。
日本はまれになく平和であり、法の確立も、専制君主もなりたたず
江戸時代から進化していない江戸化された世界
みんなが拒否権をもち法の確立がなされていない世界
橋下氏のやり方は中国皇帝のやり方。西洋化できていない
日本。でも江戸のままではなりたたず、今後中国化していく
という話。
どちらにしろとっても難解。
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いろいろ話題が多い池田さんと與那覇さんの対談。西洋や中国との歴史比較で政治経済、哲学、文明など幅広いテーマで日本を語ります。新鮮で刺激的な日本史のダイジェスト版になってます。お二人は民主主義を万能と思っていない。政治的に不寛容になっていく民主化の指摘が印象的だった。
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西洋の法律と中国の科挙システム•徳治、昔からの村社会のキマイラが日本の現状だという。なるほどね、そういう見方があるんだ。
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今が終わりで、その先は?ということにはまだならない。つぎつぎとなりゆくいきおひの先がどうなるのかは、グローバル化だというが、それはどういう状況なのだろう?処方箋なしでもすごく楽しかったからいいけれど。
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池田信夫・與那覇 潤共著。
2人の趣味で書いたでしょって感じの本。
多分1回じゃわからん。
日本史を西洋基準でなく、中国基準で見直しましょう。
それはシステム1(本能的な感情)とシステム2(抑制する機構)の存在で、システム1は全世界が持ってて、システム2は戦争しまくった西洋しかもっていないっていう考え方。
メモ
・約350年間(薬師の変から保元の乱)、「国家の首都で政治的理由による死刑が執行されなかった」期間としては世界最長。
・五十代十国の状態が宋という王朝によって統一されず、中国大陸が分裂したままだったとしたら、ヨーロッパと同じになったかもしれない。
・日本の実際の有罪率は世界平均だけど、検察が有罪・無罪を決めて裁判所はそれを追認するだけというように三権分立になってない。
・日本における反対運動[江戸化](独り占めはさせない)[中国化](法治よりも徳治)
・平和ということはそれ自体に重要な価値がある。
うん、これはもう一回読まんとわかりません。
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西洋化・中国化・江戸化の3類型の違いを政治・経済・文化の観点から歴史的に解明・定義していくという内容で、読み物としては結構面白い。自分は歴史に詳しくないし、本書を批判する程の知見はないので、言われてしまえばそうかもなあと納得してしまいそうになるし、世の中いろんな見方があるものだと感心させられる。日本万歳でもなく、自虐でもなく、総じて客観的・相対的に書かれている印象。良くも悪くも日本(人)とは何か?を考えて、その中で自分がどう生きるべきか?という指針にはなる。印象に残ったのは「勤勉革命」で、この革命には参加してはいけないなとか、やはりフリーライダー戦略が正しいのかなとか。
が、所詮は対談本なので話が飛ぶし、論理構成も弱いし、(P287の表1つでこの本の説明は殆ど終わるような)本著でいろいろと気づきを得たなら、関連書籍にあたってみるというブックガイド的役割なのかなと思う。
そもそも池田氏は他著で「対談本には価値はない」とか言ってたのに、こういう本を出したのは何故なのだろう?あと、「遺伝子」という単語が結構出てくるのだが、政治・経済・文化においては環境的継承性はあっても、遺伝性はないので、そこを信じているのはどうかな?って気がしたけど。
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対談に名作なし、は読書家の定評(?)だが、池田信夫ということで手に取ってみた。
対談のもう一方の相手の與那覇潤は、『中国化する日本』という本を書いた気鋭の歴史学者らしい。池田信夫も学者といえば学者なので、学者系の対談にあるようにやたらと文献が出てきて、あの本の中ではこう言われていた。あれはこう解釈することができる、といったような対談にありがちな流れになる。丸山眞男とかドゥルーズ、マックス・ウェーバー、サンデルも出てくるし、『失敗の本質』も出てくる。この辺りはある程度知識はあるので付いていけている気がするが、そもそも『中国化する日本』を読んでおくべきなのかもしれん。
副題に、「変わる世界、変わらない日本」とある。対談が行われた頃は、民主党政権への失望感が溢れ、原発問題やTPPや普天間の対応がぐだぐだになっていた頃。「決められない政治」が今以上に痛烈に批判されてもやむなしな状況であった。
この「決められない政治」は、明治維新や敗戦を生き延びて江戸時代以前から続く日本人の「古層」から来るものであるとする。つまり「空気」によって支配される共同体が、法=ルールベースの政治や経済の実現を阻んでいるとの見立てである。そのことが、グローバル化において、日本が必然的に地盤沈下していく理由の大きなひとつだとする。
もちろん、ある意味それはひとつの解釈だ。
西洋化も歴史上先行したというものでなくひとつの類型であり、中国もひとつの類型、そして日本もそのひとつだと。経済成長はこれまでの産業革命などの説明と違い、資本蓄積が進むと成長し、やがて止まり人口増加以上の成長が望めなくなるというルールに結局したがうのだというのが著者らの視点だ。
フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』からタイトルを取ったということだが(歴史=世界史)、「日本史」(そういう意味で教科の日本史とはちょっと違う)はもはや終わるべきだがなかなか終わらない、というのがタイトルが寓意するものではないか。
結局、二人は意見が合っているのかいないか分からんかったな。対談ものは難しい。
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読み物として、とても面白い。実際に日々の生活の中で感じる組織や社会、文化に対する疑問に、意外な角度からヒントを与えてくれる。自分の思考を深めるための、導入的な対談だった。
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在野の経済学者、池田信夫さんとネット歴史論壇の旗手、与那覇潤さんの知的刺激あふれる対談集。
この本を読んだ後には、司馬史観で「お前も大志を抱いて励め」と諭す上司に一言いいたくてしょうがなくなるかもw
曰く、「明治維新後、西欧化を図り、わが国は世界に類を見ない高度成長を遂げた」という歴史の通説は幻想であり、実は日本がいまだに江戸時代から進歩していないというのが、両者の共通認識。
全国300もの藩が別々に法律や武力を保持し、ムラ社会の掟で問題解決するシステムが、内向きで縦割りの社会構造を生み、全体戦略や強いリーダーが現れない原因を作り出したのだと指摘する。