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うーん、夏を喪くすが一番よかったかな。人生の岐路にたつ女性の話だが、一瞬切なくなるもののW不倫だったりして、イマイチ感情移入ができなかった。まあ一気に読んだが。
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恋愛、結婚、仕事、出産、、それぞれ自分の人生生きてきた40代の女性が、ふと自分の人生振り返る時。過去の自分と、今の自分に向き合う瞬間。天国の蠅、ごめん、夏を喪くす、最後の晩餐、4つの短編集。
天国の蠅
変わったタイトル。。借金ばかりして、嘘つきで、挙句の果てに母子を置いて逃げた父を、あることがきっかけで思い出す。いまだから、という感じがじわっとくる。
40代、ちょっとだけ人生わかったような気がする頃かも。
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女性が読んだほうがよかったかな。
感動はするけど、なんか、その前に展開が読めていて
なんとなく、ふむ・・・で終わるような感じ。
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彼女の作品が大好きです。
その場にいて横でみているような感覚にとらわれます。
ここに出てくる素敵な女性に出逢いたい。
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【ごめん】を改題した本みたい
4つの短編だと思っていたら、中編集だって
40歳前後の女性が主人公で全て暗い重めの話でした
まぁ表紙と題名からして想像は付きますよね
一番最初に入っている「天国の蠅」が一番印象的でした
ダメダメな父親だけど、最後が意外だった
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現代を読み解く女性文学 原田マハ『夏を喪くす』試論 感想とレビュー それぞれの喪失に対してどう向き合っていくか
-初めに-
2012年1月に発売された山本周五郎賞受賞作品『楽園のカンヴァス』で一躍時の人となった原田マハは、2012年という年に、今までの彼女の執筆ペースからは考えられないほどの作品を発表しています。4月には『旅屋おかえりthe long way home』、7月には『花々』と『ラブコメ』、9月には『生きるぼくら』、10月には『夏を喪くす』、11月には『独立記念日』、年が変わって2013、一月には『さいはての彼女』と、怒涛のスピードで発表しています。一躍有名となったので、出版社がこぞって彼女の本を売りたがっているのかもしれませんが、ここまで出されてしまうと、追い切れません。私も原田マハの作品はほんの数冊しか読んでいません。ですが、今回論じる『夏を喪くす』は、『楽園のカンヴァス』や前回論じた『カフーを待ちわびて』を考えるうえで重要な視点をもたらしてくれると思います。
-『天国の蠅』-
『夏を喪くす』は、短編四編による作品です。『天国の蠅』『ごめん』『夏を喪くす』『最後の晩餐』の四編になります。
『天国の蠅』は原田文学の一つの着眼点でもある親子の縦軸の関係を考えるうえで大きな意味を持ってくると思います。『楽園のカンヴァス』では、早川織絵という女性と、その織絵の私生児であるハーフの娘との関係が描かれています。作品のほとんどはティムの視点に移るため織絵と娘の関係はあまり描かれませんが、作品のメーンは美術を巡る謎解きだとしても、作品の外部には親子の絆という縦軸の関係が作品を構成していることがわかります。織絵は自分の母と、私生児である娘という三人で暮らしていましたが、この複雑な関係が作品を読み解く視点にもなります。この『天国の蠅』は、三人称主人公視点の作品です。主人公は範子と呼ばれるごくごく普通の母親です。自分の娘の明日香が雑誌をリビングにおいていった場面から物語がはじまります。その雑誌には明日香が投稿した詩が掲載されていました。普段はなかなか親子の会話がないものの、娘の意外な側面を見ることが出来た喜びを感じたという作品です。しかし、その雑誌の他の詩を見たときに、範子は回想を始めます。そこにはかつて自分が知っていた詩が載っていたからです。
範子は現在母となっていますが、範子がまだ娘だった頃、父親は借金にまみれ、病弱な母親と暮らしていた貧しい過去を思い出します。自滅型の父親は、娘にいいことをしてやりたいと思いながらも、どんどん娘の信頼を失っていくことになります。太宰治型の父親といった感じです。娘のバイト代を掠めようとしたりします。しかし、最後の最後になって、父親は父親としての役割をはたして、娘の元を去ります。その後に度々会うことはないのですが、破滅していく父が最後に娘に残した思いが、時を経て再び母となった範子のもとへ訪れるという時間軸を巧みに操ることが得意な原田マハの作品構造がよく表れた作品です。
-『ごめん』-
『ごめん』は、通常の読者であっても腹立たしさを感じる人格の持ち主が主人公です。陽菜子が病院��居る場面から物語は始まりますが、何故病院にいるのかというと、陽菜子の夫である純一が建設会社で事故にあって植物状態になってしまったからです。一命は取り留めたもののほとんど回復の見込みのない状態でこれからどうしていくのかという問題に直面します。純一が事故にあった際、陽菜子は、自分の不倫相手である正哉とプーケット島のコテージにいました。正哉は陽菜子より10歳年下で同じ職場で働いています。同じ時期に同じ場所にいくことがバレるとまずいため、二人とも別々の場所に行くと言って旅行に出ました。そのため、純一が事故にあった際に、連絡が付かなくて結局最後にはばれてしまったという状態にあります。
病院では純一の母親にこっぴどく叱られ、酷い女だとなじられます。純一は真面目一筋が取り柄のような男で、遊びほうけている陽菜子に対して何も文句を言ったこともなかったような人物でした。ところが、その純一の口座から毎月定額振り込まれている謎のお金があります。この謎を解いていくというのが、この作品のメーンになります。この点は原田マハのミステリの要素を含んだ構成になっています。結局出てきた答えは、純一が一度だけ出張した先で一目ぼれした女性がいて、その女性が現在でも直向きに働いていたということがわかります。ここで考えたいのは、原田文学の特徴は、女性文学であると同時に、働く女性が生き生きと描かれるという側面です。陽菜子は一般的に考えても、悪い人間ですが、彼女もばりばりのキャリアウーマンです。むしろそのあふれ出るバイタリティーが純一だけでは満足できず、後輩に手を出すというスリルを求めたのかもしれません。パートナーがいたとしても、一人で働いているような女性、その女性が、社会から悪だなんだと非難されてももがきながら生き続ける。こうした側面に意味を見出す必要があると私は思います。
結局この作品では、自分に落ち度はないと感じていた陽菜子も、完璧な善人であった夫純一にも自分に隠していたことがあったということを知って、自分の今までの行為を見直し、反省し、今までむちゃくちゃを好き放題やらせてもらったお返しに、植物状態になった夫を介護して行こうと決心する若いの物語としても読めます。
『夏を喪くす』
作品全体のタイトルともなっている『夏を喪くす』は、それぞれ女性の在り方を見つめて来た作品のなかでも極めて働く女性という部分に着眼した作品だと言えます。主人公の咲子は、かつて勤めていた仕事場をやめ、先に他の職場に移っていた部下の青柳とともに起業します。地方の公共建設のコンペに出たり、リゾート開発に似た仕事をしたりと、仕事のために生きているような充実した生活の真っただ中にいます。特にパートナーはいませんが、妻と子供がいる渡良瀬一と不倫関係にあります。仕事に満足し、結婚したいとは思っているものの、それほど強烈な願望はないため、一応仕事と男とに充実した成功したキャリアウーマンとして描かれます。
自分の年齢の割にはプロポーションもよいと自認している咲子は、新しい建築計画の下見で来た海岸で、部下である青柳と他二人とバケーションを愉しみます。その間に咲子は自分の不倫相手である渡良との逢瀬や、そのことで発覚した胸の異変、乳がんのことの回想が入り乱れます。摘出しなければならないほどに進行していた乳がん。もしそのことを告げたらどうなるのか、自分と渡良の関係は今後どうなるのかが常に念頭にあるため、晴れない様子の咲子に、青柳は声をかけます。
この短編は特に内容が濃密なだけに、長編の容量がないとどうしても唐突すぎて不自然さが出てきてしまうのですが、この青柳という男も、近々失明するのだということがカミングアウトされます。何故この青柳が突然視力を失わなければならないのかが多少理解に苦しみますが、この作品はそれまで獲得しつづける人生にあった人々が何かをなくす=喪くすということに着眼すべきでしょう。前回論じた『カフーを待ちわびて』との類似点は先ず、前回の作品がリゾート開発をされる側の人間の視点であったのに対して、今回はリゾート開発をする側からの視点で描かれていることです。こうしたことからも、作家としての原田マハは、美術に造形が深いだけでなく、建築方面にもかなりの知識があるということが察せられます。また、『カフー』がすべてを失った人間が獲得しはじめるという方向に向かったのに対して、この作品はすべてを手に入れた人間がそれぞれの大切なものを失うということを描いている点です。このようなことからも、この作品が『カフーを待ちわびて』と対になる作品であると言うことができるでしょう。
自分のプロポーションにも自信があった彼女にとって、乳房の摘出という衝撃は計り知れません。この点男性である私には本質的に理解することができるわけはないのですが、当然夏場にビーチに水着で出ることもできなくなるのでしょう。愛人である渡良との関係もどうなるかわかりません。渡良には家族がいますし、咲子と逢瀬を重ねる理由は肉体的なことが大きな目的であることは誰が見ても明らかです。もしかしたら渡良との関係は終わるかもしれない。それにもう一人の女としては男性に接することができなくなるかもしれない。そうした中でこれから自分はどうしていくのか。仕事を続けるのか、家庭を築くのか、そうした人生の転換期を迎えた中年の女性の心理が水水しく描かれています。
-『最後の晩餐』-
原田マハ自身キュレーターとしての経歴を持つ経験を生かした作品が話題になった『楽園のカンヴァス』でした。美術業界の裏側に精通していなければとても書けない、日本では原田マハ以外にはかけない我々がまだ触れたことのない新鮮な世界を紹介してくれた作品です。この『最後の晩餐』は『楽園のカンヴァス』に登場する織絵のような女性キュレーターである麻里子が、アメリカニューヨークへ訪れた際の数日間の記録といったところです。織絵のその後と考えることもできるような作品ですので、まるで私たちも美術界の一員となった感じで美術界の裏側に入っていけるような感覚に襲われます。
この作品は、ニューヨーク近代美術館、MOMAで働いたことのある作家原田マハが9・11に対してどのような思いを抱いているのかを少しうかがわせる内容にもなっています。9・11の後帰らなくなったルームメイトのクロ。あの事件から何年も経った今、まだクロとの思い出のアパートの一部屋の家賃を払い続けている人間がいます。事件ぶりのニューヨークで昔の知り合いに一人���つあって、過去の話に花を咲かせ、現在の状況を話し合い、そうしてあのアパートの家賃を払っているのはあなたではないかということを繰り返す麻里子。多くの旧友と話しているうちに、クロとの記憶が回想してきます。
クロは女性ですが、どこか麻里子とは同性愛的な関係があったかもしれないという可能性も捨てきれないと私は思います。肉体関係はなかったかもしれませんが、非常に濃密な関係であったことがうかがえます。美術界の人間ですから、登場してくる人物はそれぞれ個性的な人間が多く、オカマっぽい人物もいれば、きれきれでハンサムでも腹黒い人物もいたりします。この小説は、クロが死んだことを誰もが認められないという心の傷をどうやって癒すのか、クロが消えてしまったことによって空いた空洞をどうやってうめるのかという問題が描かれているのだと思います。
クロは9・11後から行方がわかっていませんが、遺体も見つかっていません。普通に考えれば亡くなったと考えるのが最も妥当ですが、当事者であるほどクロは死んでいない、生きているかもしれないというように思いたがるものです。そうしてそれを信じるかのように、払い続けられるアパートの家賃。その家賃を払い続けているのが誰なのかを探すという、原田文学特有のミステリ要素もあります。
-終わりに-
この短編四編は、それぞれ失うということがテーマになっています。失うことを、ここでは「喪」ということばを当てて喪くすと表現されています。『天国の蠅』では父親との関係や、少女として踏みにじられた心などの失われたものを「今」になって送られてきた詩によって向き合うということになります。『ごめん』は、普段気が付かなかった夫の気持ちや大切さというものを失って初めて気が付くということがテーマになっています。
『夏を喪くす』は女性として女であることを失うことにどう立ち向かっていくのかという女性の最大の悩みを描いた作品です。『最後の晩餐』は、失われてしまったものとどう向き合うか、亡くなった人間を生きている人間はどう考えて行けばよいのか、現在の3・11震災にも通じる普遍的な内容が描かれています。
何かをなくしたり得たりするということは相対的で、常に起こり続得ることです。人類の初めから終わりまである課題です。それにどう立ち向かうのか、それを考える一つの指標になると私は思います。
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ハードカバー『ごめん』読了済み(文庫版改題、「夏を喪くす」。共読本に反映させる)範子「天国の蝿」・陽菜子「ごめん」・咲子「夏を喪くす」・麻理子「最後の晩餐」4つの短編集。大切なものを喪失した重い女の物語・・・表題作「ごめん」広告代理店に勤務している陽菜子は、出張と偽り同僚と海外へ浮気旅行に出ている最中に、建設会社で働く夫純一が事故にあい植物人間となる。義母に浮気がばれ、同僚の若い浮気相手とも気まずくなり別れた。荷物の整理中に夫の通帳を発見し秘密を見つけた・・・ 高知まで出かけ振込先の相手に会うが・・・おんな つよい。立ち直れる・・・。
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文庫の棚にあって、なんとなく借りてみた本。表題作とほか3篇。最初の「天国の蝿」は、なんだか萩原葉子の『蕁麻の家』あたりを思わせるものがあった。
単行本のときは表題作であったという「ごめん」で、"遷延性意識障害"と文中に出てきたのが、一番印象にのこった。「ようするに…」と注釈はあるものの、小説でもこの言葉は使われるようになったのかと(といっても、私が小説で見たのはこれが初めてだが)。
▼「けれど、意識はありません。遷延性意識障害、といって……ようするに、植物状態です」(p.118)
この話のなかで、"遷延性意識障害"とは、意識がない、なーんもわかってない状態だということになっているようで、そのように書いてしまってええんかなとは思った。そこのところは、ちょっと引っかかりつつ、高知弁がまじる会話は、亡くなったi先生を思い出させて、ちょっとしんみりした。
なんというか"恋も仕事も大充実"風の主人公の、きらびやかな鼻息の荒さのようなものが、私にはちょっとついていけない感じだった。でも、そういう人が、諸々の事情で40を過ぎたあたりでちょっと立ち止まるところは、わかる気もした。
(3/24了)
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四つの短編、それぞれに読みながら旅をしている心地。
どの景色も、行ってみたくなるような
旅心そそられる情景描写で、
そして、その中で起ることは、
事故、介護、病気、死への恐れ、
生きるつらさ、裏切り・・・と
人生の厳しい局面で。
一つの場所にいても、景色が次々に
変わっていくように、
人生も美しいときもあれば、
悲しさや、怖さを感じさせるときもあり。
読み終えて、ふと、人生と旅の景色が
交差していたような、
いくつかの旅で、さまざまな景色をみて、
目に見える景色も、見えない景色も
少しだけ見方が変わったような
不思議な感覚・・・。
本を閉じたとき、帰宅してほっとしたような、
「ただいま」の気持ちになっていることに気づいた。
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全体的に少し重たい。
駄目な父に振り回され苦労した母と娘。
不倫に安心して気付いた時には、夫との距離はずっと遠くに…
人はいつも孤独で、時に過去を思い出す。
作品の中の女性たちが、今後どんな人生を歩むのか、その先が気になる。
2013.5.26
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ここに出てくるキャリアウーマンは、仕事もバリバリして、結婚もして、年下の不倫相手なんかいたりする。
こんなに人間て強欲かしら。
でも自分のしたいようにしてきたツケ、みたいなものがどの話にも現れてくるので、そりゃそうでしょうよ、と、思って、だったら最初から問題を起こさなけりゃいいのに、とも思うんだけど。
激しい人生と波風たたない人生、どっちが幸せなんだろうね。
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短編集。
夏を喪くす、を目的に買った。
また原田マハは言葉を操った。
うまいなぁ〜と感心。
最後の一話。
ラスト・サパーは、涙が溢れてきた。
作品に引き込まれなければ途中でなにかおかしいな?とか思ったのかもしれないが、引き込まれてしまった。
悲しい。胸のざわつく話だった。
恋は気をつけてしなければ。
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「ごめん」という話が一番良かった。天国の蠅は途中で読むのをやめようかと思ったが、何とか読んだら後味が悪く・・・
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このさき行く道すらも白く煙らせて
雪よなぜそんなにも降るのだ
もう二度と飛べない蠅を
天国にすら行けない蠅を
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「天国の蝿」と花のつぼみ、やっぱり蝿でも子の親で良かった。嘘つきと「ごめん」といいの、ラスト三頁の色の広がりは絶品。ベンチャー企業の二人を襲う各々の病魔、「夏を喪くす」。ツインタワーとともに消えた親友への思い、「最後の晩餐」。恋に仕事に充実した日常…少女も悪女もキャリアもスーパーレディも、絶頂期から下り坂の後期への唐突な転機~受け入れ~そして決断。彼女たちの夢、現実の儚さと巻き戻し等それぞれの断面を、さりげなくも凜と描かれる。