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やっぱり、樋口さんの本はぶっ飛んでますねぇ~
もう大好きです。
題名も題名なんで中盤までは官能小説です…もちろんマニア向けです。
まぁその程度の作品であれば過去にもいろいろ似たようなモノがありました。
でもこの物語は違います。
欲望の虜となって事故に巻き込まれてからの展開が素晴らしいんです。
人を愛する事、その形、成り立ち…千差万別で正解も不正解もないそんな曖昧な
感情。倫理的理性的である必要なんて無意味であり、肉体と精神の快感 を貪っ
て貪って貪って、身体的な機能が与える悦楽の大海で、漂泊する精神の大解放が
もたらす愉悦の極限…を謳歌する一人の女とその亭主の物語。
そんな二人がある事件に当事者として巻き込まれてゆくことで物語は急展開を迎える。
性に開放的である…という事、秘め事を開けっぴろげにすることはこの国では禁忌の一つで
あろう。本音では誰しもが羨み、己もそうでありたいと願っていることでもある。
しかし恥の文化と云われるこの島の中では、出る杭となった者を容易く見逃したりしないし、
許す筈もない。妬んで嫉んで貶めようとする。
裁判の件、世間に嬲られ、刑事、政治家、後輩など下衆どもが陥れようと
身悶えしながら迫り来る中を憤りと恐怖に駆られながらも己の知力を最大動員して戦い続けた
主人公 容子の辛辣な世間評や反論には、社会や人間の歪みを切る男らしさとも言える
真っ当さがあった。読んでいて共に怒り、共に世間の怖さを垣間見たような気がした。
想う人を愛する方法を考えさせられた。
愛する相手にとって最大の支援者となり、無私の気持ちで向き合うこと…
純粋にその人を思うこと…とても難しい。
本作の中で容子が佐藤を回想する場面がいくつか出てくるが、自分の言いたいことをベラベラと話す佐藤に対する容子のすこしポワンとしたような優しくてあったかい心情がとても好きでした。
出来るだけ早いうちにもう一回読んで、「容子」にまた会いたい気持ちになっています。
それだけいい女が出てくるいい本でした。
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裁判前の前半は圧巻であった(驚)、紀元前500年頃に生まれた古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの著者『歴史』に登場するカンダウリズム王の名前に由来した病気(?)を発症した夫婦の痴態は言葉に絶する(笑 一時、投稿写真雑誌がはやった様だが、今は場所をネットに移し狂乱の宴は終わることはない。
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作者の努力、やりたいことは伝わった。性にまつわるトラブルを、性描写ありできちんと丁寧に描きたかったんだと思う。そして本当に、スワッピングの文化と、それに伴って個人が巻き込まれるドラマをちゃんと描いている。
しかし文章力がないのが残念。視点変更がありすぎて、何が本当に起こっているのかがわかりにくい。1つの文の中で、主語は第三者からの観察なのに、述語が主観みたいなのが多発している。言葉の誤用も目立つ。
また不必要にエリート批判を入れてくる。「日本のセックス」みたいに前衛的な題名の小説を書く人が、今更使い古された東大卒批判を入れてるのは陳腐すぎないかなあ。
文章には問題があるけど、物語は面白い。「なんてこった!」「マジで!?」って言いながら読んだ。
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『さらば雑司ヶ谷』そして『雑司ヶ谷R・I・P』と読んで、樋口ワールドにどっぷりはまり、次に手に取ったのがこの本。 まあ、タイトルからわかるように青少年におすすめできる内容ではない。エログロ&バイオレンスで、性的倒錯者の乱交ぶりが延々続く。マニアの世界にドン引き。読んでてちょっと気持ち悪い。SMの描写はめちゃくちゃ痛そう。良く言えば奔放な性、悪く言えば鬼畜。というわけで人によっては嫌悪感から前半で読むのをやめるかもしれない。
しかし、書いているのは樋口毅宏。ただのエログロ小説ではない。
「カンダウリズム」という言葉があるらしい。
現代のトルコである古代アナトリア半島のリュディア地方を治めていたカンダウレス王は、自分の王妃があまりに美人だったため他人に自慢したくなり、彼女が着替えているところを護衛のギュゲスに覗かせる。それを知った王妃は激怒し、ギュゲスに命じてカンダウレスを暗殺させる。ここから転じて、自分の恋人が他人とセックスするのを見て悦ぶ性的倒錯者を、カンダウリズムと呼ぶようになった。
主人公の夫婦、佐藤(夫)と容子はカンダウリズムの関係で、佐藤は容子が他人と性交しているところを録画して性的興奮を得る。相手はネットで募集したり、マニア雑誌で素人モデルの仕事をしたり、スワッピングパーティに参加したりして得る。
一般常識からいえばただの「変態」。
しかしである。夫婦の愛が真実かどうかを、その行為の一般性から論じていいのか?という問いがここで投げかけらる。
そして、ある事件から物語は一転してシリアスな法廷劇へ。前半と後半では同じ著者が書いているとはとても思えないほどの変貌ぶり。
「変態」との烙印を押して佐藤夫妻を悪者にしたい司法と裁判員たち。そこには異質なもの=悪という排除意識が垣間見える。しかし善悪の判断はノーマルかアブノーマルかで決めるものではない。果たして裁かれているのは被告なのか、それとも常識のフィルターを通して愛を裁こうとする司法と裁判員、そしてそれに与する読者なのか。
古代ギリシャでは、肉体は精神を閉じ込める牢獄、という物心二元論の哲学があった。肉体という牢獄に囚われて、精神を見失っているのは佐藤と容子なのか、それとも司法なのか。
前半のエログロからは想像もできなかった深遠なテーマをこの小説は秘めている。
最後に佐藤がとった行動に、なんだか切なくなった。
ほんとに、予想外の結末だった。
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まもなく31歳を迎える佐藤容子は、彼女がほかの男とセックスしているのを見たいという夫の誠のリクエストにこたえて、マニア向け雑誌の企画やスワッピング・パーティに参加することになります。
彼女は、ストーカー男につきまとわれたり、トラウマを抱えたセックスの相手の暴走に巻き込まれてケガをしたりするなかで、子どもっぽい夫や、アウトローを気取っているものの一皮むけば単なる俗物にすぎないヘンタイさんたちにあきれ、同時にそんな彼らの巻き起こす事件のなりゆきを眺めている自分自身の空虚さに気づきながらも、それを変えるようなアクションを起こすことはありません。
ところが、夫の運転する車がかつてのストーカー犯をひいてしまう事故を起こしたことで、彼女と夫を取り巻く運命は大きく変わっていくことになります。裁判は思いもかけない方向へと動いていきますが、ときに激情に駆られることはあっても、つねに傍観者的な位置に立ちつづける彼女の姿勢は変わることはありません。
たしかに過激な描写も含んでいますが、それ以上に、著者の好きなものや思いつきことを詰め込めるだけ詰め込んだオモチャ箱のような乱雑さが印象的でした。
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40歳を前に初めて官能小説を買ってしまった・・・・かと思うくらい冒頭から中盤まではエロ中心。通勤電車で読むのを躊躇うくらい。じっさい混み具合によっては覗き込まれるのを懸念して読まない時もあったし。
でも後半にかけてはエロもサァーっと退いて、主人公達の裁判や生い立ちやマニアに至るきっかけやらてんこ盛りに楽しめました。
でも、カバーを外して読む勇気は出ませんでした。
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愛子の所業に充分に留飲の下がる結末があるのだが、それにしても前半のとんでもないエロさからまさかのミステリーどんでん展開にものすごい本を読んでしまった感がある。
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とんでもない本。最初は単なるエロ小説かと思わせる内容で始まって、ホラーバイオレンスになって、裁判ミステリーになったあと、どんでん返しものになって、恋愛小説になる。好き嫌い別れるだろうなぁ。色んな分野へのオマージュも満載。
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一気読みだった。主人公である妻を他人に抱かせて興奮する夫とともに参加したスワッピングパーティー、あれよあれよといううちにラストまで突っ切った、凄まじい勢いだった。
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先日読了した「出会い系サイトで70人と実際に会って…」で一番最初に作者の花田さんがオススメされていた本。そこでの書評が気になったので読んでみたら、確かにこれは花田さんのオススメ通り、とんでもない稀代の傑作、奇作、怪作だった。
タイトルから想像通りの官能小説かと思いきやSM小説、バイオレンス小説と姿を目まぐるしく変えていき、日本人論に踏み込みつつ法廷劇が始まったかと思えばラストは純愛小説の様相を見せるという、なんともアクロバチックな作品だった。
まるでジェットコースター小説。それも考えつく限りの回転と捻りを加えたジェットコースターだ。
最後はなんとも小説らしいというか、事実よりも奇なりと言うべき因果が明かされるけど、それでも興が冷めることもない。
ラストの数章は、純愛小説のジャンルも超えて、なんて形容していいか分からない展開。或る女性の決意。謎の感動。
こんな本が10年も前に出ていたなんて。10年前の若造だった時に出会ってたら今以上に衝撃を受けてたと思う。
映像化して欲しいけど難しいだろうな。
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花田菜々子さんいわく
「すごい人が現れたな」と思った。初めて読んだとき、まったく新しい言葉と世界観の持ち主だと感じて心がざわめいた。内容は、スワッピングの世界へ足を踏み入れる夫婦の話で、最初はただのエロ小説のようなのだが、途中からバイオレンス小説になり、裁判小説になり、純愛小説として終わる、というその荒唐無稽さが面白く、まさにジェットコースターのような作品。
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いやあ、すごい小説でした。驚きました。
冒頭のハードコアエロに若干興奮してしました。この勢いが続くのかと思いきや、急展開。公権力の暴走の恐怖は本作に新たな魅力を与えます。そして最後に問われる、人。結局、人、って何なのか。人と分かり合えるのか、どのように理解するのか。そんなほんのりした展開で終わりました。
タイトルに違わず、エロいところもあります。しかし、タイトルに留まらない深さも包含した佳作ではないかと感じました。
・・・
冒頭の40%はハードコア・エロ描写。
主人公容子は、才色兼備も人とは距離を置くタイプ。夫の佐藤(なぜか苗字呼ばわり)は妻を他人に抱かせることで興奮するタチ。
冒頭にどこぞの作家の引用があり、『自分のものであるからこそ他人に与えることが出来る』云々の記載がありました。澁澤龍彦氏の翻訳とあるので方向性は推して図るべし。
ということで、このパートは、すごい。乱交だったり、スワッピングだったり、本の世界です。本といってもエロ本だけど。
そして、容子が佐藤に連れられて行ったスワッピングパーティーで事件は起こります。そこで容子は心身共に傷を負います。
・・・
そんな失意の中、ほとぼりの醒めてきた佐藤のハードコア欲がむくむくともたげる中、なんと容子と佐藤はひき逃げ事故を起こします。
ここから二人の人生は、坂道を転がるかのように状況が悪化します。佐藤の逮捕、佐藤の解雇や容子の退職、加えてマスコミに面白おかしく取り上げられアブノーマル嗜好の暴露され、挙句過失致死ではなく殺人として起訴されることに。
公権力たる警察もマスコミとタッグを組んで佐藤と容子を貶めにかかります。同時に、佐藤についても、容子の知らない犯罪などがホイホイと知らされ、容子の心理的ショックも読んでいて伝わってきます。
最終的に、佐藤は当初見込まれていた以上の量刑をくらい、失意のうちに拘置所で自殺をしてしまいます。
こうした急展開が実に秀逸でありました。容子の心理描写、刻々と悪化する周囲の状況。当初の享楽さ加減から、ズドンと落とされたその落差と謂ったらありません。
容子は、警察の悪意に辟易とし、応援しているはずの夫すら、実はなにも知らなかった、と。そして今は亡き父、あれほど嫌っていた父を、実に今よく理解できてしまう自分。そうした自分に自己嫌悪を覚える。
容子さんどうなってしまうのかと、ハラハラしながら読みました。
・・・
そして終盤、容子は振り返ります。
自分が夫に隠していた秘密を、夫たる佐藤は分かっていた。佐藤はそのうえで、当初容子が気づかない形でへらへらとメッセージを伝えていた。ストレートではない、死んで気づく夫のやさしさ。
このあたりのストレートでない表現、伝わりづらいんだよって個人的には思うし実際にされると私はいやですが、物語としてはありです。結局人ってどこまで分かり合えるのか(本当に分かり合えるのか?)みたいなことを読者にもほんのり投げかけます。
・・・
とい���ことで、樋口氏の作品でした初めてよみました。すごかったです。
この作品を女性がどう読むのか見当がつきません。容子が夫の『もの』のようにコントロールされている様に過剰に反応する方も出てくるように思います。
しかし、展開の急転直下ぶりやその後の公権力の怖さなど、エンターテイメントとしても十分その展開を楽しめました。要はただのエロ小説としてくくれない広さと深さ。
90年代の音楽シーンや諸々の引用はそこまで響きませんでしたが、かつて読んだ『ブルータス』ではこうした時代の切り取り方を高く評価していました。
あ、でも、佐藤が単館映画館(渋谷のシネクイントかどこか)でモギリをやっていたのはちょっと響きました。嫁をしょっちゅうユーロスペースに連れて行き、イラン映画だロシア映画だと見に行った挙句、二人して爆睡ってのをよくやっていました。四半世紀以上前の話です。
ということで、過激な性描写含め、心の広い方にはお勧めできる作品です。
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氏の小説をここまで3冊読んだが、本作が一番好き。バイオレンスとインモラルに覆われた下には、日本や男性への怒りが隠されている。いや、隠されていない。堂々と書いてある。
女性からの評価が高いというのも理解できる。
ただ家族には薦めづらい。