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酒を飲みながらソクラテスたちが愛とエロス(キューピッド)を賛美する演説をする。
昔の人間は丸い円形で両性具有だったがゼウスの怒りをかって二つに裂かれた。かつての半身が恋しくて恋をするという話はこれが元だったらしい。
ギリシアについての知識が不足しているのと哲学に慣れていないため難解だった。
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対話篇。哲学、神学。
宴の席で、神エロスを賛美しようということになり、何人もの有識者たちが演説する。
プラトンの師、ソクラテスも参加。
少年愛に対する、男に課せられたハードルの高さはボーイズ・ラブに汚れた頭を清めてくれること請け合い(笑)
どーも、これって、愛なのだろうけれど、肉を絡めた「子供」で「後輩」、そして常に自分を見つめ、保護しなければならない存在を手に入れた男は、それに見合う者でなければならない、ということのようです。
それこそ、美少年を手に入れるためには、奴隷のようにひれ伏して、手に入れたあとは、王侯貴族か伝説の英雄か名僧侶のごとくに、「清く正しく、勇敢に、そしてさらなる徳を積んで」その美少年に相応しい、男子たるものの御手本でいろと。
……えー、うーん。めんどうだから、無夜は美少年、いらないや(笑)
弟子(美少年時代の)に誘われたソクラテスは、けれど彼に手を出さなかったという逸話が出てきます。でも、会話のあちらこちらには、その弟子を慈しんでいることが、わかるよーな気がするので、すごいなぁ、普通のボーイズならここでやっちまって…下品ですね、すいません。まあともかく、そんな話です。
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死ぬまでに読んでおいても以下略。有名な部分の前後だけはぱらっと読んでたけど、最初から読んではなかったんよ。読んだっつってもさらっと眺めただけで、内容は理解してないよ、日本語でおk状態。
この年になってようやく気付いたけど、この系統は序説とか解説はすっ飛ばすべきだわ。本編に入る前になんじゃこら、ってなって結局読めないまま放置する。内容わかんなくても、とにかく本編を読むことに努めた方が全然ましだわ。
ええと、愛、エロスについてとにかく褒めまくる宴会のお話。
ちゃんとメモ取りながら読めばよかったけど、読み流したから、解釈違い、勘違いが多いとおもう。
ファイドロス、パゥサニヤス、エリュキシマコス、アリストファネス、アガトン、ソクラテスの順。
ファイドロスさんが言うには、エロスってすげー偉大なのよ、最古の神なのよ、少年を愛するのがそのエロスを得ること?なのよみたいな。
パゥサニヤスさんは、エロスってのは二種類あってね、天上の愛と万人向けの愛でね、天上の愛がすごいのよ、みたいな。
エリュキシマコスさんはお医者さんで、医学的見地からのエロス賞賛。エロスってのはいたるところで大切なのよ、みたいな。
アリストファネスさんの部分が有名だよね、人間はもともと顔を二つ、手足を四本持ってたのよ、完全なる一になるために、運命の相手を探すのよ、それを成就させるのがエロスなのよ。
アガトンさん、エロスってのは一番美しいし、一番幸い。
ソクラテスさんのお話は、ディオティマという女のひとから聞いたお話を伝えてる感じ。エロスってのは完全無欠じゃねぇよ、むしろ美しくもなく醜くもなく、善でも悪でもない、その中間にいるのよ。じゃないと、美しいものを求めたり、善なるものを求めたりしないでしょ。求めることが愛でしょ、と。
で、ソクラテスの演説が終わったときに、アルキビヤデスさんが乱入してきて、「みんな聞いてソクラテスってひどいひとなの、でもすごいひとなの!」とぶちかます、と。正直、最後の「僕はこんなにもソクラテスが好きなのにアガトンといちゃいちゃして悔しい!」っていうアルキビヤデスさんに全部持ってかれた感がある。
抜粋、ソクラテスの演説中のディオティマさんの言葉。
「(前略)こういう訳ですから、正しき意見〔ドクサ〕とは明かに智見〔フロネーシス〕と無知〔アマテイヤ〕との中間に位するようなものというべきでしょう。」
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再読。愛=エロスの本質を求めて男達が語り合い、愛の絶頂即ちイデアを求めて昇り詰めていく対話のエクスタシー。エロス、それは賢者と愚者の狭間であり神と人間の中間にいる神霊(ダイモーン)的存在。善きものの永久の所有を欲求するそれは肉体的不死/生殖へ向かい、それを心霊的生産へと向けることで徳へと至る精神を形成する。初読時には同性愛讃歌と思っていたが完全な誤読。とはいえ相変わらず恋愛体質で愛されボーイなソクラテスの口説き文句は絶好調。「こんなにオシャレをしたのは、美しい人の所へは美しくなって行こうと思ったからだよ」
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いつか読もうと思って古本で買ったまま積んどいたものをなんとなく読み始めたもの。しかし、疲弊していたからだとこころには予想以上に響いた。
多くの参加者が饗宴のなかでエロス讃歌を披露していくわけだが、最終的にはやはりソクラテス(とデュオニソス=プラトン)をして締められる。古代のものとして舐めているとしたらとんでもない。中でもアンドロギュネスの議論とソクラテスの問答がシビれるほど鋭く、本当におもしろい。これを機にプラトンの他の著作にに手を出したくなる名著だった。必読の一冊!
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・・・ソクラテスは、最後に立って、そのまえになされた演説者の華麗なエロス讃歌とは対照的に、いつもの対話の方法によって、まずエロスの本質そのものを想定し、そのうえで、巫女ディオティマから聞いたという「廉価井修業の奥義」を物語る。肉体的愛から精神愛へ、さらに美のイデアの感得へと究極してゆく、このソクラテスの話は、深い哲学的真実をひときわ美しく表現している・・・(扉紹介)
ディオティマによれば、『エロス(恋)とは、善きものが永遠に自分のものであることを目ざすもの』であるという。不死への欲求から人は肉体的に身ごもるが、それより上位に精神的に身ごもることがあると説いている。法律を産み出す、流麗な音楽を産み出す、荘厳な建築物を産み出す。これらは美徳を産み出している。つまりより偉大なエロスの結果である。
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「研究発表会」「討論会」を意味する「シンポジウム」という言葉は、古代ギリシャの「饗宴」に由来し、「一緒に酒を飲む」ことを意味しました。古代ギリシャ人にとって、飲み会が研究集会であり、研究集会が飲み会だったのです。
ジョージ・スタイナー曰く「劇作家としてのプラトンは、多くの点でシェイクスピアと互角と言ってもよく、さらに倫理的知性の強度ということになれば、ひとりプラトンの(あるいは双璧としてのダンテを加えてもよいが)独壇場である」「その人物としての厚みと存在感は、フォルスタッフやハムレットやアンナ・カレーニナについてわれわれが経験するところに、それを凌駕するとは言えないまでも、およそ匹敵するのである」。「その人物」というのが、プラトンの師にして、キリスト教以前のヨーロッパ世界における最重要人物と目されるソクラテスそのひとのことなのであります。
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プラトン読破マラソン2冊目。
古本で買ったため漢字が難しすぎてそこで障害あり。
内容としては宴の場に格式者がエロスの神を誰がどれだけ上手く賛美できるか競争をするという設定。
今風に言えば「マジでいい人」とか「美しさそのもの」とか「偉大なる将軍様」とか口当たりのいい言葉が飛び交う中、最後の発表者のソクラテスが「美しさなんて主観的なものだよねwww」と論理的にばっさばっさ切り倒す、そんなエキセントリックな本。だと思う。違うかな?
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半分くらいからもうついていけなくなった。はじめから2、3人くらいまでの演説者の言っていることはまずまず理解できた
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『いけない、いけない、あの人は放っておいた方がいい、それがあの人の癖なんだから。所かまわずどこかへ、人通りを避けて立ち続けることがよくあるのだ。が、いずれまもなく来るだろうと思う。だから邪魔をせずに、放っておいてくれたまえ。』(アリストデモス)
『実際人は次のようなことを熟思するべきである。明らさまに愛するのはひそかに愛するものよりも美しく、しかももっとも高貴にもっとも優秀なものを―たとい彼が他のものよりは面貌が醜いにせよ―愛するのは特に美しいといわれていることを、さらにまた、万人が恋する者に与うる異常なる―しかも何か醜悪な行いのあった者にはけっして与えられぬごとき―鼓舞を、かつ恋愛における成功は誉とせられるが、その不成功は恥辱とせられる、慣習はさらにまたその勝利者となるためならば異常事を行うあらゆる自由を愛者に与え、しかもそれに対して賞讃を受けることすら許している。』(パゥサニヤス)
「お前達の願うのは多分こんなことではないのか、でき得る限り最大限度に一体となって活き、夜も昼も互いに離れずいたいというような。それが本当にお前達の念願なら、俺は喜んでお前たちを一緒に鎔かし、一体に鍛接してやろうと思う、そうすればお前たちは二人が一人となって、生きている限りは、ただ一人の人間として生を共にし、死んだら、後世の冥府でも二人でなしに一人として生き、死においてもなお結びついていることができるだろう。さあ考えて御覧、これがお前達の希望なのか、またこうなればお前達は満足するのか、」と。(ヘファイストス)
『ソクラテス(と彼は答える)、僕は貴方に反対することができません。あなたの仰っしゃる通りでしょう。』
『いや、むしろ真理に対しては(とソクラテスはいう)、親愛なるアガトンよ、君は反対するができないのだよ。ソクラテスに反対するのは何もむずかしいことではないのだから。』
「さてもし愛が常にそういうものへ向かっているとすれば(と彼女は続けた)、これを追求するに当って愛の名に値するほどの熱心と熾烈な努力をする示す人はどういう途を進みまたどういう行動を採るのでしょうか。それはいったいどういう風な活動なんでしょう?答えられますか。」(ディオティマ)
「生がここまで到達してこそ、親愛なるソクラテスよ(とマンティネィヤの女友達はいった)、美そのものを観るに至ってこそ、人生は生甲斐があるのです、いやしくもどこかで生甲斐があるものならば。」(ディオティマ)
「そんなに自若として彼は味方と敵とに目を配っていた、それでいやしくもこの男に手を触れる者があったら、彼はきわめて手強く防戦するだろうということは、誰にでも―非常に遠方からでも―明らかに看取されるほどであった。」(アルキビヤデス)
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平易で楽しい哲学書。ただの読み物としても面白い。
内容は酒をのみながらみんなでエロスの素晴らしさを語るものだ。性の問題で悩む若者、BL好き、セックスレスカップルはまずこれを読め!
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良いこと書いてあるんだけど、なんだかんだで、少年愛がらみの記述に目がいってしまう、ついつい。普遍的な価値について語ろうとするギリシア人たちが、こと「その話題」のときだけは、特殊な文化的背景にもとづく性癖を擁護しまくりというのがね。それが、苦笑をとおりこして、可愛くみえてきた。
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「エロス」について智者たちが各々の能力の限りをつかってプレゼンテーションする。
最後に登場するのはもちろんソクラテス。
演説教本として使えそう。
ちなみに、ソクラテスの考えるエロスとは・・・
「それはすなわち地上の個々の美しきものから出発して、
かの最高美を目指して絶えずいよいよ高く昇り行くこと、
ちょうど梯子の階段を昇るようにし、
"一つの"美しき肉体から”二つの”へ、
二つのからあらゆる美しき肉体へ、
美しき肉体から美しき職業活動へ、
次には美しき職業活動から美しき学問へと進み、
さらにそれらの学問から出発してついにはかの美をのものの学問に外ならぬ学問に到達して、
結局美の本質を認識するまでになることを意味する」
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饗宴・・・まあ、今風に言えば「飲み会」でしょうか。
それで、酒を飲んで酔っぱらいながら、「エロース」(恋、恋の神)について真面目に(?)哲学していくわけです。
といっても、当時のアテナイの恋の対象は美少年(!)
やべwwおもしろいんだけどこれ。
それでいて真面目で美しいお話。
エロースというのは、どんな性質の神であるかについてみんなで意見を出し合っていきます。
ソクラテス、最初召使が呼んでも、外でたたずんでるwww。彼の悪い癖だって。
まずは、エロースというのは偉大な神であり、驚嘆すべき神であるということ。
醜いものに関して恥じ、美しいものに対しては功名を競う心。
次に、少年への恋(パイデラスティアー)に関するものと、愛知やその他すべての徳に関するものと、この二つを合わせてひとつのものにしなければならない。
エロースの肉体的なものと、精神的なものに対する二面性が語られる。
ここで、医学について。
美しい恋と醜い恋を診断し判別する者が医学に最も秀でた者である。
一なるものとは、弓やリュラ琴の調和(ハルモニアー)のごとく、分裂抗争しつつもそれ自身それ自身と一致合一しているようなものであること。
エロースとは何か。
本来の姿が二つに断ち切られたので、皆それぞれ自分の半身を求めて一緒になったということ。それは人間の昔の本然の姿へと結合するものであり、二つの半身を一体にして人間本来の姿を癒し回復させようと企てるものである。
完全なものへのこの欲求と追求に、恋(エロース)という名がつけられた。
エロースは、一番幸福で、美しく高貴で、年若い神である。
では、エロースは何ものへの恋(エロース)でもないものか、あるものへの恋なのか。
あるものへの恋である。
エロースが欲求し恋求めるのは、その対象を持っていないときのものである。
欲求するものは自分に欠けているものを欲求するのか、あるいは欠けていないときには欲求しないのか。
彼らが現に持っているものはすべて、かれらは欲求すると否とにかかわらず必然的にそれを持っていなければならない。
つまり、エロースは1.あるものに対してであり、2.自分に欠けているものに対してである。
どんどん謎が深まっていく。
エロースは、美を欠き美を持っていないということになる。
では、美を欠き美を所有していないものを美しいというだろうか。
エロースが何者であり、いかなる性質のものか。次にその働きについて。
エロースは偉大な神であり、美しいものに向かう。それでいて、エロースは美しいものでもよいものでもない。
しかし、神はすべて幸福であり美しいものである。
では、エロースは神でないのか。
死すべきものと不死なるものの中間にあるのだ、という。それは偉大な神霊(ダイモーン)である。
エロースは、美である女神アプロディテに従い仕える者となった。生まれつき美しいものを恋する者であり、しかもアプロディテそのものが美しい。半面父の血を���けて美しいものとよきものとを狙うものである。
恋(エロース)とは、よきものが永遠に自分のものであることを目指すものとなる。
また、妊娠、出産という行為は、神的な行為である。死すべきものである生物のうちに、不死なるものとして内在しているからである。
死すべきものは、永遠に存在し不死であることを、出生において求める。
肉体に関する美は些少なものとなる。
目的は、永遠に存在して生成も消滅もせず、増大も減少もしないもの。また、あるところでは美しいが、あるところでは醜いというものでもない。
恋の道は、つまり地上のもろもろの美しいものから出発して、絶えずかの美しいものを目的として上昇していくが、その場合階段を使うように、ひとつの美しい肉体から二つの美しい肉体へ・・・最終的には、ほかならぬ美そのものを対象とするところのかの学問に行きついて、まさに美そのものを遂に知るに至る。
・・・あとは、なんかみんな酔っ払ってべろんべろん・・・なような気がするのは私だけ?笑
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ソクラテス『アガトン 君は「エロースとは美を求める美しい神」といった。エロースとは、何かに対する愛なのだろうか?それとも、どんなものへの愛でもないのだろうか?』
アガトン『もちろん何かへの愛です。』
ソクラテス『それではエロースは愛するその対象を欲求しているのか、いないのか?』
アガトン『もちろん欲求しています』
ソクラテス『欲求するというのは愛するその対象を持っている時かね?それとも持っていない時にかね?』
アガトン『どうやら持っていない時です。』
ソクラテス『だれであっても 欲求する人は手元にないもの 現にないものを欲求しているのでありつまり【欠けているもの】を欲求するのだ』
アガトン『まったくそのとおりです』
ソクラテス『アガトン きみはエロースは美を求めるといった。とするとエロースは美を欠いていて美を持っていないことになる。美を持っていないものを君は【美しい】と言うだろうか。君はエロースが美しいと同意するだろうか?』
アガトン『私はおそらくソクラテスよ先ほど語った事柄について何一つ知ってはいなかったのです』