投稿元:
レビューを見る
プラトンの饗宴、これは愛についての対話だ。
あまりに多忙で感想を書く時間すらなかったこの1週間。
ようやく簡単な感想を書きます。
愛とは異性への愛だけだと思っていただけど、
プラトンのいうエロス(愛)は異性への愛はもちろん、家族愛、自然愛、
博愛などものすごく広義の愛をエロスと言っている。
エロスはそもそも神(全能)でもなく、無知な者でもなく、
中間の位置にあるダイモーンだといい、そして美を求めると説いている。
人間も実は、立ち位置としてはエロスと同じなのだ。人間は新しいことを常に欲求するし、
かといってすべてを放棄して何もしないということもしないからだ。
そしてプラトン自身の考える愛とは哲学(philosophy)の語源となったフィロソフィア、
つまり知への愛が愛の最終形だと説いている。
僕はプラトンのいう知への愛まで達していないのだけど、
少なくともまず女性と向き合い、女性を愛することができるのではないかと考えた
(注:今までの僕はかなり否定的でした。
そのうえであの婚活宣言をだした。
一番感動的だったシーンはソクラテスがアガトンの間違いを正していくシーン。
まるで推理探偵のように論理的に相手を論駁していくさまはものすごくかっこいい。
そして愛とは何かを自分が語るのではなく、
ディオティマという巫女が語ったとするところも説得力抜群だ。
自分が話したとするより、○○がこう語ったということを私が学んだということで、
すごく謙虚にもなっている。ソクラテスらしい対話の仕方なのかな。
饗宴は素晴らしい哲学書です。
これを皆さんにもぜひ読んでもらいたいです。
投稿元:
レビューを見る
池田さんの影響。1971版。読めない漢字が多くて大変だった…
こんな風にギリシアのポリス市民は宴会をしていたのだと思うと、こんな素晴らしい宴会はないと思う。
倫理か何かの教科書だったか参考書に、この本について「同性愛か異性愛どちらがすばらしいかについて対話している」みたいなことが書いてあったが、全くのでたらめだ。そんな小さな一手段を書くためにプラトンは言葉にして書き起こしたのではない。
演説として数名の人物が愛(エロス)について述べたところはなんだか難解で小難しく思われたが、ソクラテスの発言(ターン)になると途端にすっとわかってしまった。池田さんが書いていたように、ソクラテスは哲学そのものだから何度でも蘇る。
ソクラテスの発言で終わったかのように思われるが、最後に乱入(?)してきたアルキビヤデスによってソクラテスについて語られる。善く生きる彼の為人があますとこなく語られる。彼は考えたことをきちんとその魂で体現していた。徳孤ならず、必ず隣あり。とても言い当てている。
投稿元:
レビューを見る
ソクラテス先生 飲み会で友人達と愛について語り合うの巻。
ソクラテス四大福音書の一つらしい。
他の三つと違って友人の家で飲み会をし、
愛について語り合うという何とも楽しい内容だが、
大正時代に訳された原稿を50年前に書き直した物なので、
難しい言葉が多く、読むのはなかなかしんどい。
「愛とは不死のための欲求である」
というのがこの本で主張したいことなんだろうけど、
様々な人物に愛についての意見を語らせて、
最後にソクラテスが他者から聞いた話という形で、
結論を持ってくるという構成が見事。流石プラトン。
一つだけ毛色の違うこの本が、
四大福音書に一つに数えられているのも頷ける。
投稿元:
レビューを見る
2013 12/30読了。Amazonで購入。
元は「シュンポシオン(饗宴)ってなんだ?」という疑問から、その題がついている本を読んでみるべ・・・と思い手にとった本。
その意図は達成された。なるほど、宴会の余興に即興で演説やったりするんだね古代ギリシア。
ソクラテスが招かれた友人宅での宴会で、酒の余興として愛の神エロスを賛美する演説を一人ずつやっていこうという話になり、ソクラテスを最後に置いて7人がそれぞれ演説をぶつ。
最後にはさらにソクラテスに焦がれる若人が入ってきて、ソクラテスを讃える演説を打つ・・・という筋。
他の6人が専ら、愛によってもたらされるものとか、こんなに凄い、というようなエピソードを盛ることで演説をするのに対し、ソクラテスは愛とはなにか、その真実を述べるとして話はじめていく。
ソクラテス自身もまた別の女性との問答の中でそれを教えられてきた、というエピソードを語り、そもそもこの宴の様子も宴そのものの描写ではなく、数年後に参加していたある人が語った話、という演出がなされていて、もちろんそれらすべてプラトンが人々の口を借りて、ソクラテスを描写しつつ自説を述べるものでもあるわけで・・・と複層の入れ子になっている。
・愛=善いもの(美しいものも=善)を永久に所有したいという欲求
←・欲求とは現に自分が持たないものに対するもののはずなので、エロス自身は美しくも善でもない
⇔・美しくも善でもないことは醜く悪しきことを意味しない、中立、真実と誤りの間にはどちらともはっきりしない「意見」がある
・神は美しく善であるはずなのでエロスは神ではなく神霊
・少年愛が当たり前、かつ善きものとして扱われていることに慣れてないと読んでてぎょっとするかも。シーンを想像するとエグく思えるのだが、それもまた偏見
投稿元:
レビューを見る
言葉が難解過ぎて頭に入りにくかった。
ディオティマのソクラテスに語りかけるシーンは印象的だった。
ソクラテスも、戦争に出向いていたのがビックリ。
なんだろう、よく聞く勇気あり、仲間想いなセリフ、自分よりも他人を評価してくれという姿勢、そういう徳の原点。あらゆる物語の英雄の徳の要素の原点といえるソクラテスの徳の話が見えたと思う。
他の訳でまた、読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
酒飲みながらでも恥ずかしい内容(愛がどうとか、おまけに永遠の生だもん。)の話で、もし居酒屋で出くわしたら…と思うと舌噛んで死のうかと思ってしまう。節操が無いと評判の会社帰りのサラリーマンでももう少し節度のある内容の話してるよ。
投稿元:
レビューを見る
【本質的な恋愛論を語る】
『饗宴』は、パイドロス、パウサニアス、エリュクシマコス、アリストパネス、アガトン、ソクラテスの6人が、ギリシア神話のエロス神を称えるという形で進んでいく。
アリストパネスが説く恋愛論は、元々男女一緒だった肉体だったが、神によって引き裂かれ、その片割れを探すために恋愛をし続けるものであるが、フィクションチックであるものの、面白い。
http://shira-chan.deviantart.com/art/Plato-s-Symposium-298480016
ソクラテスは、生殖の目的は不死のためだという。自分の分身を作り続けることで、滅びるものは生き続けることができる。だからこそ自分の分身を守るためには、自分の身を投げ捨てることを厭わない。
恋愛については、「肉体美→精神美→思想」へと考えを巡らせていくことが大事だという。思想へ恋愛が至った時、本質的な「愛」を理解し、本当に愛する人を見つけ、一生愛することができるとする。
現代に言い換えれば、「かわいいなぁ/抱きたいなぁ」から入ることはなんら悪くない。しかし、その後相手の精神/教養までにも美を見出し、それを抽象化させ「愛」の思想へと発展させる必要がある。思想まで辿り着いた時、「他人になんと言われようとこの人を愛している」という状況が出来上がる。
投稿元:
レビューを見る
ギリシアの哲学者ソクラテスの弟子プラトンによる、愛と知をめぐる対話。学生時代に熱心に読んでいたが、ひさびさに通読。
少年愛という習慣があったギリシアで、対話のしめくくりは、ソクラテスに横恋慕する弟子の登場でしめくくられる。文学性が高いとされるが、そのあたりはよくわからない。
ただ、ディオティマとの対話を引き出して、ソクラテスが「エロスとは美や善そのもの」と信奉する若者を論破していく下りは、知の遊びとしておもしろい展開。AはB
である。しかし、AはBとは反対のCでもある。という矛盾した対立項をおさめるために、親の話に例えるとは。
愛情とはなにかについて、あらためて考えさせる一冊。もちろん抽象的にすぎないきらいはあるが。愛情があったればこそ、ソクラテスは悪法にも暴君にも従ったのであろう。しかし、それは悲しき諦念でもある。
投稿元:
レビューを見る
説明 原題の「シンポシオン」とは「一緒に飲 む」というほどの意味。一堂に会した人々 がワインの杯を重ねつつ次々にエロス(愛)讃 美の演説を試みる。最後に立ったソクラテ スが、エロスは肉体の美から精神の美、さ らには美そのものへの渇望すなわちフィロ ソフィア(知恵の愛)にまで高まると説く。さ ながら1篇の戯曲を思わせるプラトン対話篇 中の白眉。
投稿元:
レビューを見る
欲望というものを如何に考えるか、という対話篇で、
いくつかの主張が各論者によってなされる。
ソクラテスのものは美そのものを観取するのだ、というイデア論の先駆け的な主張。
最後に、アルキビアデスの乱入が描かれたのは、
アルキビアデスとソクラテスの関係性を書き換え、ソクラテスの立ち居振る舞いをポジティヴに描きだそうとした、というようなプラトンの政治的意図があるか。
投稿元:
レビューを見る
学生時代に読んだっきりの本書を再読。
さっと読むと普通に「ふむふむ」だったところも、今読むと「え、それは飛躍だろう」と思うことがちらほら。
二千数百年前の本を今読んでなんやかや考えることができるなんてすげえなあ、と、内容に関係ないところで感動する。やるなプラトン。
投稿元:
レビューを見る
エロス(愛)について書かれている対話篇であるプラトンの「饗宴」ですが、概ね次のような事が書かれています。
「本質的な美そのもの」に到達するためには順番がある。最初は人間で美しい人―美しい肉体―を求めていくこと、しかし肉体的な美だけを追い求めるのではなく、次には職業活動、制度のうちにある精神的な美を求め、最後には学問に至り、永久的かつ独特無二の存在である美そのもの、美のイデアを求めていく、という具合に。そしてそれぞれの段階―美しい人を求める時、職業活動、制度のうちにある美を求める時、美そのものを求める時、そこにはある原動力が働いている。それがエロスである。エロスは美しいものを追い求める愛である。美を求める人は、自らが欲する美が欠けているからこそ、それを求めるのである。そしてエロスは美を求める人と美の中間にいて、目的の美へと導いていくが、欲すれば、最終的には美のイデアへと連れて行くのである。
私事ですが、10年前に本書を興味本位で購入しました。それまでに哲学の本を読んだこともなければ知識もなく、当然ながらエロスやイデアのことも知りませんでした。結果、内容が全く理解できず、そのまま本棚にしまいこんでしまいました。10年経ち、久々に読もうと再度手に取りまして、読了までに哲学史の本や哲学用語集などでソクラテスとプラトンの人物像や言葉の意味を、ある程度は理解した上で本書を読みまして、やっと上記のことがわかりました。失敗談として参考までに記載させて頂きます。
投稿元:
レビューを見る
愛について
恋について
最近読むのは
何か、
かたちを探しているからで
自分の中で答えを定義したいから
ヘドウィッグに涙して
思い出して読んだプラトンさんは
やっぱりプラトン
お酒の席での
こういう話は昔から
あるのね
と親近感。
投稿元:
レビューを見る
フィックションだが、登場人物がリアルすぎて、しかも紀元前。本当の話のように…
この中で出てくる、ソクラテスの雄弁さと説得力ある講釈、その弟子プラトンも侮れない…
エロースとはをテーマに書かれる愛=人間⇨智慧。
投稿元:
レビューを見る
もっと難しいのかと思っていたけど、読んでみるとそうでもなく、面白かった。ギリシャ語がわかれば、詩的な面白さもわかるんだろうけれど…翻訳の限界。序文は解説なので、本文を読んでからのほうが理解しやすい。プラトン、というかギリシャ古典をまともに読んだのが初めてなので、ここから周辺へ広げていきたい。
しかし、どうしても、閉じられたサロンでの机上論、と見えてしまうが、ソクラテスは実践してた人らしいので、やっぱ当時としても特別というか変わり者だったんでしょうね、だからすごいんだけど。