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逃げて逃げて逃げるお話。
でも、一体何から逃げているのか。
奇抜なタイトルだなぁ、と思いましたが、読むと納得。
躁鬱のある主人公がリアルです。
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ろーどむーびーー。
基本的に旅が好きだし、旅番組も好きだし、それも
「ねずみーランドでなんとかマウンテンに乗って!」「いやあーーこの老舗旅館のこの名物料理が!」
ってんじゃなく、
ひたすら街を歩いていく映像のみを流すような国民放送の散歩番組とか、
ひたすら移動だけする北国放送のさいころ旅行とか、
ひたすら世界の不思議を発見する神的長寿番組とか、
が好きなわたしにとっては心地のよい、旅、の感。
国道で田舎をひた走るってのがいいよね。
そんでもって宮崎市を見つけた時の輝き!きらめき!
嘘のように便利で素敵な県庁所在市での生活!
そこには祭りの最中の興奮と同時に終わりを予感させるせつなさも、匂う。
なんかちょっと都合ええ話やな。
これまで作った罪、全部放ったまま、の彼ら。
その辺のわだかまり放ったまま、ハッピーな感じに終わらせちゃった、作者。
ちょっと「都合ええよな」って胸にしこりも残るっちゃ残るが、
ま、でも、いっか。
そんなことより「おもしろかったし。」
主人公が精神科の患者ってのがいいよな。
そこでぐっとおもしろさ増した。
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本書は「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞を受賞している作者の作品だが,今回この作品が『逃亡くそたわけ〜21才の夏』として映画化されるにあたり文庫化されたもの。初版は2005年とのこと。「イッツ・オンリー・トーク」は廣木隆一監督,寺島しのぶ×大森南朋で『やわらかい生活』として映画化された作品のはず。
前の日記にも書いたように,映画版『逃亡くそたわけ』を舞台挨拶の回で観,原作を読んで,もう一回観ようということで,ほとんど読むことのない現代日本小説を読むことになった。生きている日本の作家は島田雅彦くらいしか読まない。やっぱり駄目だ。台詞が次々と続き,ページを余白で無駄にするような小説はとても読めないのだ。日本映画も最近はそのほとんどが原作小説があるが,ストーリー的には大抵満足できる。でも,小説として読む読書体験としては別だ。映画はストーリー以外にも楽しむべき要素はいっぱいあるし。
本書は基本的に一人称の視点。すなわち,主人公の花ちゃんの語りからなっている。事実を説明する語りは標準語。しかし,「」で括られた台詞は博多弁。一応,語り手が第三者的視点に立つことはないようだが,こういういかにも的な文体はどうにも好きになれない。
それは映画にも反映されているが,この作品には私にも身近な思想家たちが登場する。マルクス,ウィトゲンシュタイン,そしてヘーゲル。身近なといっても,どの著者も1冊ずつしか本を読んだことないが(あ,マルクスは2冊か)。マルクスに関しては,花ちゃんが幻聴で悩まされていますが,その時の決まり文句が『資本論』の一節だという。ウィトゲンシュタインとヘーゲルに関しては,大学で西洋思想をかじったなごやんが,引用という形ではなく,非常に一般論として言及している。そもそも作者はこうしたものに精通しているのだろうか。『資本論』のその一節が有名であるかどうか,私には分からないし,ヘーゲルが主張したとされる考え方についても私は知らない。そもそも私はそういう入門書の類が嫌いなので,「だれだれは○○といった」という類の一般論は知らないことが多い。
作者は精通した上でこのような使い方をしているのか。あくまでも,なごやんの知ったかぶりとして言及しているだけなのか,あるいはそれらの言葉に何らかの意味を持たせたくて,入門書の類で学んだことを安易に利用しているのか。まあ,私は勝手に後者だと推測しているが,渡部直己なる人物による解説では,特にマルクスの一節にこだわってテクスト分析がなされていて,この種の作品解説にしては格別に面白い。むしろ,作品より面白いといっていいかもしれない。
まあ,ともかく邦画で,映画を観てから原作を読むという経験は初めてのような気がしますが,それなりに面白かったかな。やっぱり登場人物を俳優にあてはめて読んでしまうことはどうしようもないね。
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なんの救いになっているんだか、2人の関係が続くのかどうかもわからない。むしろあっさりと離れてしまいそうな2人だ。寂しい。でも、嫌ではない。
やっぱり 九州に行ってみたい。
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ジャケ買い、ならぬタイトル買い。
「くそたわけ」じゃなくて
「くそたーけ」が正しい発音かも(笑)
最初は名古屋を小馬鹿にした感じが、
どうしようもなくイラっときたんだけど、
徐々にそれだけじゃないって事が分かってきて、
違う。このなごやんの名古屋に対する気持ち、
私も持ち合わせてるじゃないか!と気づいた。
結構短い話なんですが、
読み終えると本当に九州を縦断したかのような、
不思議な達成感があります。
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初まり方ががエグそうな感じもしたけど
中盤から爽やか青春モノを突っ走った。
テンポが早いからあっさり読める。
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職業柄、精神疾患ものは、なかなか読むのが厳しい。
しかし、さすがは現役。
異論ございません。
本当に描写が美しく、
とにかく九州を旅したくなった。
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昨日1年半ぶりくらいに図書館に行ってきた。
先月公開された映画の原作で少し気になってた本とハリーポッターを借りてきた。
映画の原作本の方は絲山秋子の『逃亡くそたわけ』という小説。
九州を舞台にした、ロードムービーのような物語だ。
「二十一歳の夏は一度しか来ないのにどうしよう」
病院を脱走して銀行で逃亡資金を下ろし、ぼろ車の「ルーチェ」で南へと向かう。
博多、秋月、耶馬溪、中津、国東、別府、阿蘇、高森、椎葉村、小林、宮崎、鹿児島、指宿
出てくる地名はどれも聞きなれたものばかりだ。
その多くは僕も訪れたことのある町。
学校や駅ビルやカフェの名前まで実在するものでちょっとしたタウンガイド。
主人公の花ちゃんは福岡の方言でずっと台詞を話している。
なんだか身近な感じがした。
病院を抜け出して旅をする話なので、岩井俊二の『PiCNiC』のような雰囲気もある。
本当に久しぶりにハードカバーの小説を読んだ。
170ページ足らずの薄い本ですぐに読み終わった。
話も面白かったのかもしれない。
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前に図書館で借りて読んだらおもしろかったので、文庫を買って再読。「いきなり団子」、食べたことがあったのでなんだかうれしかったことを思い出した。方言がいいなあと思う。
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統合失調症の花ちゃんとうつ病のなごやんが精神病院を脱走し、博多から九州の先端指宿まで逃亡するお話。
逃亡するのは病院からというよりかは幻聴からの逃亡。逃げても逃げても追ってくる。統合失調症といってもまるっきり社会生活がおくれないわけではない。
花ちゃんはどちらかというと躁状態ではあるが自分の病状もよく理解できている。途中、ATMでお金をおろしたり、レストランで食事をしたり、ユニクロで買い物をしたり、結構ちゃんとやっている。ホテルにだって泊まれるし、ガソリンスタンドで給油だってできる。車が故障したら、修理だってやってもらえる。私よりよっぽどえらい。
阿蘇山の雄大さに富士山しか認めていなかったなごやんがショックをうける。いきなり団子食べたい。なごやんも食べてみたい。九州を縦断ドライブしてみたくなる一冊。
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<あらすじ>
「どうしようどうしよう夏が終わってしまう」
軽い気持ちの自殺未遂がばれ、入院させられた「あたし」は、
退屈な精神病院からの脱走を決意。
名古屋出身の「なごやん」を誘い出し、彼のぼろぼろの車での
逃亡が始まった。道中、幻聴に悩まされながら、なごやんと衝突しながらも
車は福岡から、阿蘇、さらに南へ疾走する。
<感想>
まさに小説版ロードムービー(ムービーじゃないか)。
犯罪に巻き込まれるとか、誰かを捜す目的とか特別大きな事件や目的などなく
精神病院から(ただ逃げたかった)躁症状の花ちゃんが、鬱症状のなごやんを誘い出し
ひたすら九州の南へオンボロ車で旅する話である。
特別な言葉で何かを得たとか、自分と向き合えたなんて表現がないところが絲山秋子さんの好きなところ。
「沖で待つ」も「海の仙人」も男女の友情的な関係が描かれていたけれど、恋心のない男女関係を描くのが
上手いなと思う。
この小説、第133回直木賞候補作品となっていたらしい。
読み終わって、最初に思ったのが、車でゆっくり九州を旅してみたいなーっと言うこと。
小説に出てきたところをまわってみたいと言う気持ちにさせられた。
躁鬱で苦しむふたりが主人公だか、あまり重い読感は残らなかった。
ある意味、そこれがこの小説の魅力ではないだろうか。
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ロードムーヴィ物。
躁病(双極性障害の躁状態)の描写に所々首を捻りつつ、主観と客観は違うと納得して読めば割と面白かったなと。
(臨床)心理や精神医学を囓った人は客観性を一旦忘れて読んだ方が楽しめるかもしれない。
2009.08.16読了
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以前読んだ2冊とは雰囲気の違う話。 こういう人たち、自分の周りに何人か居るもので、笑えないなあ。 それとも笑った方がいいのかなあ。
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するっと読めて、すーっとする読了感。
2人の掛け合いが自然で良かった。それぞれの思い。
一緒に九州を旅してるみたいな気持ちになりました。
元彼が九州の人だったので、方言読んででちょっと懐かしくなったり。
そしてピーズ!!!!
リアルだなーと思ったら、絲山さんご自身も躁鬱病を経験しているんですね。知らなかった。
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自殺未遂に理由なんか何もなくて、だから躁の自殺は怖い。
人間の精神は言語によって規定される。語りえないことについては沈黙するべきである。
鬱の治り際は案外長いから気をつけないといかん。何事も決めつけず焦らずのんびりだ。
人間の欲望は他者との相関性にしかない。
なんでも薬で解決できると思ったら、大間違いだよ。そこが一番間違っている。