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訳者の酒井昭伸氏はSFではハイペリオン以来、あまり作品に恵まれていないような・・・。
今回の作品は新作ではありませんが、今までたくさんのアーサー・C・クラークの著書を翻訳してた故山高 昭氏の旧約本と比較してどうでしょうか?
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このSF小説は、宇宙に散らばっていた人類が作っていた「銀河帝国」の崩壊によって、その時代の人類が故郷の星「地球」へ向かう中の主人公たちの謎体験。
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人間を含めたあらゆる物質が管理され、究極的に快適に完成された都市。その外側には何があるのか?と疑問をもつストレンジャー。彼の疑問すらも計算されたもの?という大きな謎がストーリーの根幹です。
唯一の欠点は、10億年の進化を経て登場人物のビジュアルが現生人類とかけ離れてしまっており、映像としてイメージしづらい点。
終盤、人類が地球から宇宙へ再出発を目指します。実はこれは古代文明のお話しで、この人類の子孫が我々である…というスジかと期待しましたがどうやら外れたようです。
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終わってしまった世界の話は、壮大ではあるがあまり楽しむことができなかった。もう少し年を重ねれば違う感じ方になるのだろうが。
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NHKの100分de名著で取り上げられるということで、積読を消化したのですが、予想以上の面白さにビックリしました。古典SFって思索的なイメージが強かったのですが、この作品はそのイメージにプラスして、冒険小説のようなワクワク感があるのです。
物語の舞台となるのはダイアスパーという都市。そこでは人間の誕生や死の概念すらも、現代とは全く違います。生まれてくる人間は、始めから成人の身体。不老不死となった人間は、死のタイミングも自ら選ぶようになり、その記憶はメモリーバンクに保存され、新しい身体へ移されます。そして、その記憶は概ね20才前後で蘇る。
そんな人間の誕生から、都市のシステムまで全て管理しているのが、政府や国家でななく、ダイアスパーにある巨大コンピュータ。このコンピュータの管理により、ダイアスパーは完全・完璧な都市として常に機能し続けているのです。
こうした設定が70年前のSFで既に書かれていたという事実……。改めてクラークのすごさを実感します。
この作品の主人公となるアルヴィンは、そんな完全・完璧な都市に違和感を持ちます。そして、都市の外の世界に思いをはせます。しかし都市の他の人々は、外の世界に対し恐怖心を持っていて……
そしてアルヴィンは徐々に都市の秘密に迫っていきます。謎の怪人物の登場、都市の地下に眠る巨大な地図、そして都市の外、他の惑星への誘い……。
アルヴィンの強い好奇心に読者である自分も感化されたのか、都市の秘密にアルヴィンが迫っていく描写が、どうしようもなくワクワクするのです。何より都市の地下に潜る場面は本当にワクワクしたなあ。映画のインディ・ジョーンズを観ているようというか。
アルヴィンの冒険はついに都市の外へ。未知の惑星、文化や自然、超能力。しかし、クラークの想像力はまだまだ終わりません。物語は際限なく広がり、アルヴィンの冒険は、これまで何千年と続いてきた都市や文明の関係性を揺るがす事態にまで、発展していきます。
作品を読み終えた段階で、これはSFの何のカテゴリに当たるのかな、と少し思いました。それほどこのSFで使われるギミックや設定は多いのです。未来社会、テクノロジー、管理社会、宇宙、ファーストコンタクト、超能力、異生物、ロボット、コンピュータ、そして神……
こうした様々な要素を使いこなし、際限なく広がる世界観や作品のビジョンを表現する。本当にただただ圧倒されます。
しかしそうした圧倒的な物語、世界観、ビジョンが展開され示されるなかで、人間の普遍的なものの素晴らしさを謳いあげている作品であるようにも思います。
未知のものに対する好奇心
外の世界を恐れない心
アルヴィンのこの心と行動が、文明、そして銀河系の新たな胎動となるのです。それだけ壮大な物語でありながらも、その根底にあるのが人間の誰しもが持つ心にあることに、クラークの人間観が表われているように思います。
クラーク作品のイメージは『幼年期の終わり』のような思想的な作品のイメージが強かったのですが、困難な状況の中で人の強さや技術の可能性を描いた���品であったり、ジュブナイルを描いたりと、人に対する熱さや暖かさを感じる作品もあったことを、この作品で思い出しました。
思索的な部分もありながら、人間の可能性を強く信じた作品でもあり、ジュブナイルもののような冒険、そして成長物語でもある。様々なSFの要素を、そして様々なクラークの側面を楽しめる贅沢で、そして面白い傑作でした!
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「都市」は地球文明の象徴であり、「星」は未来の象徴。
さらに、ダイアスパーは都会の、リスは田舎の象徴だと思う。田舎の人は、テレパシーで会話する。
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話の運びも細かく設計されている感じがするので、読みやすいし、起承転結もはっきりしている。個人的には『幼年期の終わり』の方が話のスケールは大きくないのかもしれないけど、イメージが大きく揺さぶられる感じがして好きだけど。
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12年振りのアーサー・C・クラーク。コロナの影響でどこにも行けないゴールデンウィークだからこそ、ハードSFでどっぷりと世界観に漬かりたいと思い読むことにした。
タイトルからは内容の想像が湧かないが、主人公である少年、アルヴィンの冒険譚といったところ。ただし、少年の冒険とそれを通じた成長を描くだけではなく、物語は人類の今後と宇宙の終焉まで見据えた壮大な物語へと発展してゆく。そのダイナミズムに圧倒される上に、人生の歩み方に関する哲学的な問いまで吹っ掛けられる心地にもなり、視覚的にも精神的にもガンガン揺さぶりをかけてくる、長期休暇に持って来いの小説だった。
この物語の舞台は、超絶凄いコンピュータに都市の全てをコントロールされ、あらゆる苦痛から解放された都市「ダイアスパー」から始まる。管理される世界というと、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』、オーウェル『1984年』、ザミャーチン『われら』、ハスクリー『すばらしき新世界』……と、ディストピアと称されるSFを想起する。
私もこのジャンルは大好きでよく読むのだが、読んだ感想として必ずといってよいほど思うのが、「この世界はこの世界で、幸せはあるんじゃないかな」ということだ。自由という言葉の意味などは相対的なものなのだから、自分の周りの社会や、直近の過去や容易く想像できる近未来と比較しているのに過ぎないのだと思う。そうであれば、これから先に上述したような小説の世界観が到来したとしても、それがあまりにも急激な変化でなければ、自明のものとして受容できるのではないか、と。
で、本小説においてはその思いが極めて強かった(まあ、ざっと調べる限り、ディストピア小説なんて呼ばれていないのだけど)。ディストピア小説でよくある設定として、しっかり管理している体だけど結局崩壊する、といった世界観がある。ソ連崩壊的な。
これと対照的に、本小説の都市「ダイアスパー」では、実に十億年もの気が遠くなるような年月を、綻びもなく維持し続けている。もちろん、不穏なことも書いてはある。そこには子どもが存在せず、失意や悲劇という過剰がない故に失われてしまった「想い」がある。都市の外に出ることに恐怖感を植え付けられている。それでも、人はそうした揺りかごですやすやと眠るような幸せの中で生活しているのだ。ユートピアと呼んでさえ良いと思う。この均衡を崩す存在としてアルヴィンがいるが、その存在すらも都市の成立時に意図して組み込まれたものであり、人類はアルヴィンのような人物が現れないダイアスパーを作れた、ということになる。
小説の終盤でアルヴィンが自分の行動が本当に正しかったのかと自問自答する描写があるが、これも尤もなことだと思う。彼が行っているのは、見方によってはユートピアの破壊であるし、十億年単位で平和を維持できるシステムなど、現実には未来永劫出現しないかもしれない。
巻末の解説には、「宇宙に広がり、より高度の知性を身につけようとすることこそが知的生命の証なのだ」(p.476)とあるが、そもそもこうした前提自体に違和感をおぼえてしまう。
でも、この物語を一人の少年の物語と見るならば��アルヴィンは、心の持ち方や生きていく指針を探し求めているだけだ。ダイアスパーとリスを繋ぐことの是非は置いておくとして、彼のそうした気持ちは素敵だなと思う。アルヴィンは確かにユートピアを破壊してしまったのかもしれないが、既存の社会を最適解だと考える必要はないのだし、完全なユートピアなど望むべくもない現実世界においては、こうしたエネルギーこそが世界を動かしてゆくのだろう。
この物語において、アルヴィンは子どもの象徴として描かれる。子どもがこうした気持ちを持つものだとするのであれば、子どもが生まれ続ける限り……生命が受け継がれてゆく限り、生命は変化し続けることを運命づけられているのかもしれない。
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文庫本で500ページ程度と、とても長い訳ではないが内容ら非常に濃い。主人公と小説の世界観を一緒に旅したような、感覚となった。
生きる意味、理想の追求の果てに何があるか、という哲学的な問いも考えさせられる一冊。
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地球のはるかな未来の姿、人類の行く末を哲学的な啓示で見せてくれる。SF的手法で思いもつかない未来の都市や人類を垣間見るだいご味を味わえる。今の感覚からいえば自然的には荒廃の極みの地球と、停滞した人類の中から、アルヴィンという未知への探求心に満ちた少年を主人公に、やはり前向きに進もう、という方向でしめくくる。それが、やっぱりそうでなくちゃ、と心地よい。
アルヴィンの住むダイアスパーが人類がコンピュータに生も管理されるという描写は映画「マトリックス」を思い浮かべる。実際文中でアルヴィンが中央コンピュータの前に立つ場面では「都市のパターンは、永遠に凍てついた状態でメモリーバンクに保存され、・・・壁面に埋め込まれた構成情報(マトリクス)と連動している」と表現される。
宇宙へ行ったその後の人類は不死を得、人工知能に管理され、あるいはテレパシーで意思疎通をしているが、新たな発見は無く、停滞している。はるか先の世界で争いの無い世界での停滞、というのは「幼年期の終わり」でも描かれている。はるか未来の地球が現在の感覚からすると「停滞」というのはクラークに限らず、映画でも多く描かれている。これはどうしてなのかなあ。
そして人類の進化の行き着く先は、物理的実態のない「意思の世界」というのも「幼年期の終わり」と同じく描かれている。
確か小松左京の「果てしなき流れの果てに」や手塚治虫の「火の鳥・宇宙編」もそんなだったような気がする。
文庫解説より「銀河帝国の崩壊」「都市と星」経過
1937「銀河帝国の崩壊」の原型となるものを執筆開始
1940 第1稿が完成
1948「銀河帝国の崩壊」の原型となる小説、米雑誌「アスタウンディング」4月号に発表
1953「銀河帝国の崩壊」改稿したものを単行本で発行
1954「銀河帝国の崩壊」を「都市と星」とする作業開始。ロンドンからシドニーへ渡る船上で。(スキューバダイビングに行く途中)
特に情報理論の発展により原子力がもたらしているよりさらに深い革命の起こることが暗示されていた”ため改稿してそれを織り込みたかった。
「銀河帝国の崩壊」を「都市と星」として改稿して発表
1956発表
2009.9.15発行 2020.2.15第3刷
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サーガ、マスターコンピューターなど今のVRやスマートシティーに繋がる発想とそこに対する警鐘を感じることができる一冊。
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遙か先の未来、人間から死が失われた何千年もの生を何回も享受することができるダイアスパーと、テレパシーを発達させ自然と共に生きるリス。アルヴィンがダイアスパーから出て、リスを訪れ、さらに宇宙にまで飛び出る物語で、後半に差し掛かったあたりからはぐんと面白くなった。アルヴィンは久しぶりに誕生した子供ということで、勝手に小さい子供かな?と思っていたが、青年でした笑
普通に面白かったのだけど、もっと思索しながら読めたら良かったなと反省...なかなか言語化が難しい感情を引き起こしてくれた作品です
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銀河宇宙に進出した人類はその後滅びの道をたどり、地球にただひとつ自己完結型のユートピア都市を建設してその殻に閉じこもった。十億年の停滞を経た後、未知への探究心をおさえられない一人の若者が、ついに外の世界への扉を開く。
冒頭からVRゲーム?が出てきて面食らった。唯一都市の設定が面白く、人間のデジタル化、千年の寿命、心象の視覚化システム、オンライン通話などなど、これが1956年の小説であることに驚くばかり。地球全土は砂漠化しており、都市の外には何があるのか。主人公に共感して興味がおさえられないまま物語は引っ張られていく。探索の舞台はやがて星々の世界に広がり、人類の精神性とその進化にまで言及される。巨匠の先見性と想像力に度肝を抜かれっぱなしだった。脳みそが拡張されるような感覚を味わえる、とにかくクッソ面白かった一冊。
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中盤辺りまでワクワクして読めたが、後半は説明的に過去が語られ、少し残念だった。キャラクターがあまり掘り下げられておらず、作者の背景設定を見せるための存在という感じがした、
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もう決して出会うことがない筈だったダイアスパーの人とリスの人という全く異なる成長を遂げた2種属の人たちが、異端である主人公の活躍によって手を取り合うようになるという話。「もしも自分たちの性格や人生が気づかない内に全て生まれたときから定められていたら」といったことを想像することができて面白かった