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技術と人工に魅せられた主人公のほぼ独白のようなかなり変わった小説。澁澤龍彦の訳がかなり秀逸(癖はある)で、主人公の造る人工世界の悪魔的煌びやかさが過剰に展開されるべっとりとした小説。
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貴族ニートのデ・ゼッサントの偏執的な一人趣味が延々と語られる訳のわからない一冊。登場人物は基本的に一人。特にストーリーがあるわけでもない。
自宅の食堂の周りを水で囲んで海に行った気分になる。旅行記を読んで旅行に行った気になる。夕方に朝食を食べて夜に昼食を食べる。ラテン語文学にやたら精通している。モローやロイケンやルドンの奇怪な絵画を集める。女軽業師の男性的な逞しい体にうっとりする。女腹話術師にスフィンクスとキマイラのセリフをしゃべらせる。女性たちは愛想を尽かしていなくなる。頬はこけて髪は切らず目だけはギラギラしている。
こんな感じの描写ばかりがずっと続く。
共通しているのは、厭世的で、人工的で、自然体は退屈で、頽廃的なこと。これがデカダンスか。
なんじゃこりゃと思いながら結局読みきることができてしまって、面白かったかどうかもよく分からず、本当になんだったんだろう。
こんな本は読んだことがないのは間違いない。
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覚悟して読み始めたが、思いの外読みやすく、スッと入ってくるものがあった。(実情は作品真意の3割程度しか解釈できていないものだろうと思うが、理解できた範囲で感想を書く)
ストーリーは、主人公の
社会に対する絶望
↓
厭世的生活(美と頽廃の「人工の小宇宙の創造」。宝石を埋め込んだ亀、口中オルガンなど)
↓
病魔
↓
大衆社会への帰還
(ブルジョア社会•功利主義•芸術鑑賞の通俗化•宗教の商業化)
芸術、信仰、知性による救済の滅亡
↓
絶望
の流れを描いている。
一連の流れを通じて、現実を直視する当時のヨーロッパ的自然主義に一石を投じ、芸術、女、悪魔、神を崇める反自然主義を唱えた稀有な作品である。
科学万能主義とブルジョア道徳の19世紀にあって、中世紀特有の神秘的象徴主義を作品全体に再現したと言う点で秀逸。
教育は可能性を提示するものではなく、絶望を示すものである。無益な生殖による生存競争の辛辣さ。など、最近考えてる事がまさしく言語化されていて、やはり自分は、ゼッサントのようにどこか捻くれた頽廃的な人間なのかもしれない、と思った。
とはいえ彼も、聖職崇拝に想いを寄せたり、特殊でありつつも芸術に対する高い関心を示していたりと、何かに縋り、無意識のうちに自分を捉えるこの世にある嘔吐すべき事実から救われたいと願っていたに違いない。
それでいて、これらの救済措置がブルジョアによる功利主義によって完全に断たれた時、そこに絶望しかないのは当然だ。。
「信じようと欲して信じられない信仰者」を憐れみたまえ!
「たった1人で、夜の中に舟出していく人生の罪囚」を憐れみたまえ!
社会を批判し、ひねくれてるように見えても、実は誰よりも社会と繋がって、救われたいと願ったのがゼッサントだったのかもしれない。
•あらゆる不幸には、一種の曖昧な補償作用があって、不幸の均衡を取り戻している。(人生における幸不幸の総量→=?)
•魂は思案する時、己を苦しめるもの以外には何も見ようとしない。(自分を優しく見つめるものの存在を無視してしまう)
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絶対最後まで読めない、と思って読み始めたら、意外な程に面白い。
貴族ゼッサントの趣味を語るだけのお話なのに。何故か引き込まれて読める。
このゼッサントの、好きな空間で自分が認めるモノだけを愛でて生きていきたい気持ちは分からなくもない。
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世俗を厭い、人里離れた一軒家に自分の趣味を詰め込んだ理想郷を夢見た青年の話だった。
無邪気さを持っていたはずの少年が世の中を知るにつれ、いつしか偏屈な大人になっていた。資産はあるが孤独であったことが少なからず影響していると思う。
孤独で静かな部屋で語られているのに、その内容は何よりも刺激的で歪んだ情熱がある。文学や芸術分野において独自の講釈を垂れているけれど、終始人間味が感じられて好ましい目で見ていた。知らない作品の評価でも、その熱意によって読まされてしまう。
旅行に出ようとして、目的地に行かずに外食だけして帰ってきたときはちょっと面白かった。憎めないところがあるのだ。
次第に神経症が悪化して生きるか死ぬかという状態になり、健康的な生活のために街に戻るときになってやっと本心が見えるところが良かった。デ・ゼッサントは堕落した人間や組織が嫌いなだけであって、信仰心自体はあるのではないかと思わされた。
途中、サディズムについて語っているのが印象的だったが、デ・ゼッサントがこれまでやってきたことも、根底に信仰あってこそ神を汚す行為だったのではないかと思うのだった。