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イエスが布教し処刑されるまでの過程と、キリストの痕跡を求めてイスラエルを旅行する「私」、そして強制収容所で殺されたユダヤ人「ネズミ」の人生が3重に描かれた作品。短編「札の辻」が更に深化されています。(ロードムービー的に読むのも面白いかも)
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イエスは奇跡を起こさない。著者のこういう視点は確たる信仰心を持たない物にも理解しやすい。
親鸞にもそんなところがなかったっけ。
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知人にどうしてもと進められて読んだ一冊。
なんと行っても描写の素晴らしさに痺れました。私がイエスに抱いていたイメージが根元から変わってしまったような。
若い人にこそ読んでもらいたい。
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遠藤周作のキリスト有名三部作と薦められて読みました。
とにかくもう、切ない。やり切れないというか。
愛だけを唱えて死んでいったイエスの姿を群像の人々の視点から描いた作品。それと、キリスト教を信じきれず、その真の姿を探しにエルサレムにやって来た小説家<私>の巡礼の旅が同時進行で描かれています。
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確かに読みづらく、進みにくい。だけどこれが遠藤先生の原点とも思える作品だと思った。この本を読む前に「沈黙」「深い河」更に数冊遠藤先生の著書を読んで頂きたい。この本には遠藤先生ご自身の苦悩が描かれている。この苦悩がこれまでの作品を書いてこられたのではないかと思う。
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「巡礼」と「群像の一人」という小説が交互に入り乱れて登場し、それで1つの作品となっている。
「群像の一人」での無力なイエス。
「巡礼」での実はいつもそばにいるイエス。
イエスを考える1冊。
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私の知っている奇蹟と神秘のイエスではなく、1人の人間としてのイエスが描かれている。「役立たず」「何も出来ぬ男」とののしられ、ただ泪を流すだけのイエス。(何も出来ない人間は嫌われるのか?だったらこの世は生きるにあまりに辛すぎる。)疲れきったイエス。分かっている、分かっている。民衆を責めてはいけない。彼らは知らぬのだから。何が哀しいかって、私もその場に居たら、知らない民衆の一人になるだろうから。彼らと同じく、目に見えるものしか信じないだろうから。
熱心なキリスト教徒だと勝手に思っていた。その遠藤周作にこんな苦悩があるとは知らなかった。てっきりカトリックの洗礼も自ら進んで受けたものと。キリストとの関係が彼の心に重くのしかかる。この、矛盾で溢れかえっている世に堪えられなくて、僕も遠藤氏と同じく、キリストを風化させざるを得なかった。どちらが正しいのか分からなくて。僕はただ真実が知りたい。この世の真理を問いたい。僕はファウストにもイワン・カラマーゾフにもなろう。
‘死の匂い’人生のむなしさ、空虚さ、はかなさ、無力さ、わびしさ、そんなんで胸が一杯になる。神という絶対者の前に自分がどれだけ惨めで、か弱い邪悪な存在であるかを思い知らされる。後戻りができない。虚脱感が僕を襲う。そんな投げやりの人生観にすごく共感する。この死んでいく感じ、たまらない。灰色の世界観。
人間は貴女が思っている程悪い存在ではない − 最近やっと分かってきた。だから余計に自己嫌悪に駆られる。(イヤな俺、イヤな俺)30、偽善、人間性悪説・・・遠藤氏の作品に共感を覚えないではいられない。
「神もさびしいのだ」40、絶対者ではなく、人間的な神。決して強い存在ではなく、寧ろ弱い存在。共に泪を流してくれる存在。そうと知ったら優しくなれる。何か人懐こくて、温かいね。
強い原罪意識の中で壊れないはずがない。汚れ、穢れに惑溺しながら、悲しみ、哀れみ、蔑みの中で、狂人として生きていくしか術がない。だから、あなたにどれだけ救われ、慰められたか。
40「神は…辛い者のながす泪や、棄てられた女の夜の苦しみのなかにかくれているのだ」
88「神殿や祭りや神に羊を捧げる犠牲より大事なもの・・おのれの惨めさを噛みしめること」
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話の本筋覚えてないやー。
だけど、キリストを特別な力を持った偉大な人物ではなく、他人に対するやさしさのあるごく普通の人間として描いていたのが良かった。
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ボクが買ったのは、箱入りハードカバーの上製本だ。
周作さんでは、最も影響を受けたのがこの『死海のほとり』で、特に「アルパヨ」の章は鮮烈なイメージを受け取った。
(この項、書きかけ)
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奇跡など起こせない無力なイエス。弟子からも見捨てられながら、愛のみを語って惨めに死んでいったイエス。
信仰に躓いたがゆえに求め、探し当てたイエスの姿は、福音書に書かれた力ある救世主とはかけ離れたものだった――。
福音書の脇役たちが見た「何もできぬ男」イエスのエピソードと、「私」がイエスの足跡を求めて死海のほとりをさまようエピソードや学生時代の回想が交互に語られる。バラバラに見えたエピソードは次第に像を結んで、最後には『同伴者イエス』を浮かび上がらせていく。
それはまるで、著者のクリスチャンとしての葛藤と悟りとをそのまま表しているようだ。
三部作である『イエスの生涯』『キリストの誕生』と共にお勧めしたい。
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「わたし」の聖地巡礼の旅と、イエスの生涯が交錯するお話。
イエスを人間らしくとらえ、描いている。
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p31
「おいきなさい、触れませんから」
p84
「そばにいる。あなたは一人ではない。」
p99
(俺に何の関係がある。俺はもう、あの人から離れたのだから)
p101
あの人の運命を気遣うよりも、あの人に従った自分に累が及ばぬかという不安のほうが先に胸を走った。
p149
大工が言っているのはただひとつ―結局、私のような老人には時には世間知らずの若者たちが口にしすぎるために肌寒く響く、あの愛ということだったのだ。
p152
大工の生涯は、結局、一人の人間もつかまえることができなかったのだl
p244
「これでも俺、この国に来て随分、勉強したんだよ。」
p288
「私のことを・・・・忘れないでください。」
p310
その声はもう聞き取れなかったが、彼が何をつぶやいているのか、百卒長だけが知っていた。
p341
「いいさ、俺は今日、食べたくないのさ、とかれは恥ずかしそうに呟きました。」
いやー、やっと読みました。・・・・重い。最初から最後までずーっと同じテーマで、どんどん重く深めていく感じでした。考えさせられる。時々気恥ずかしくなってしまうけれど。
心に刺さる。
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日本人の視点からしか描けないキリスト像。奇跡など起こせず、みじめな、まさに人間以下のものとして死んでいった「駄目な人」として描かれている。キリストが残した「愛」の形とは何か…。それが分かったとき、キリスト教への考え方が変わった。
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「死海のほとり」遠藤周作
「エルサレム市の裏通りにある倉庫のようなホテルで戸田を待った。ながい間、会わなかったこの学生時代の友人は、ローマから出した葉書を受けとってくれているなら、今日、私がこの国に着いたことを知っている筈である」
かつて神父になろうとまでした戸田は「まだ、あんた、あの男のことが気になるの」と皮肉をもって私を迎える。聖書学を続けている戸田の信仰は、学生の頃と比べ純粋さを失った。私も同じだ。しかし同様にイエスにこだわっている。
そんな調子で思い出話をしながら、気だるくイエスの痕跡をたどる二人に復活は訪れるのか、みたいな作品です。結構ガツンときます。おすすめです。
04 けいじ
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人間なら誰しも経験する思考の壁。
殉教者としてのイエス、人間としてのイエス、宗教者としてのイエス。
いずれのイエスも高尚な魂ではなく、地面を這いずって力を振り絞って見つけた姿である。
巡礼者として、現代の死海のほとりに立ち、古のイエスの姿を追う遠藤。
だれしもが一度は心のほとりに立つのではないだろうか。
哲学書にも思える小説なのだが、強いカリスマ性はなく、むしろ弱い心の中を行き来する人間の弱さを見つける旅かもしれないと思った。
次に続く、イエスの生涯やイエスの誕生を読み合わせて、初めてこの人間の迷い、イエスの迷いの心がわかる気がした。