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正直いまいち
関ヶ原の戦い前後の時代をベースとした物語
ストーリとしては
黒田管兵衛(黒田如水)の様々な策略を語っている物語。
秀吉の殺害。
関ヶ原の戦いで、キリシタンの王国を造るべく九州での挙兵。
さらに、如水死後の後日譚。
そして、その時々の出来事を、最後いと女覚え書という形で、何が起きていたのかをいとに語らせています。
本作がいまいちと感じるところは、史実ベースに、その裏側を創作し展開していると思いますが、他の葉室さんの作品で出てくるような、登場人物の掘り下げや、武士や武将としての熱い想い、心に秘めた想い、貫く想いといったものが感じられず、淡々と史実やそれに絡めた創作が語られているところ。
なので、気持ちが熱くなることもなく、清々しく感じるところもなく、淡々と読み進めてしまいました。
ということで、ちょっと残念
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葉室麟さんの作品は大好きなのですが、この作品は読みにくかった~!
クリスチャンネームが山ほど出てくるのでそのたびにこの人は誰だったっけなあ、になってページを元に戻る。
信長から家康まで、戦乱の世の中の裏では日本をクリスチャンの世界にするという思いと動きがあったとする考察がこの作品の軸になっている。
いつ果てるかもわからない戦乱の世を、未来永劫平和な国にしたいという純粋な思いが天下人をも挿げ替えようとする膨大な計画に黒田如水はことごとく関わってくるのだ。
戦国時代の策士、名軍師としての黒田官兵衛のクリスチャンからの思いが伝わる。
教科書で習う日本の歴史の裏にはもしかしたらこのような流れがあったのかと思わせるし、この話だけでなく私たちが常識的に「知っている」と思っている事も実はその裏に流れるストーリーが隠れているかもしれないと心しておくべき。
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歴史小説の題材としてど真ん中の戦国時代を舞台としているが、キリシタンがキーワードの短編小説。
合戦の描写はなく、それぞれの立場の心の動きや思いを描き、なんとも物悲しい余韻に包まれる。
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信長の天下統一から家康の君臨までの一連の争いの裏にはキリシタンの存在が大きな影響を与えていたという説を唱える物語。福岡出身の葉室氏だけに、地元の英雄である黒田官兵衛に対する贔屓目があるのか、いつもの静謐な雰囲気が感じられなかった。
官兵衛が優秀な軍師のように書かれているものの、少なくとも自分には卑怯で姑息な人間としか思えない。
またキリシタンを美化していますが、一方で軽く触れられていたようにこの時代の布教活動は侵略の先鞭としての役割が強かったことは歴史が証明しており、純粋な信仰心を利用した罪は大きいと思う。
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「風渡る」の続編なのだが、「風渡る」はかれこれ2年以上前に読んでいた為全く記憶になく、ちょっと残念な気がした。やはり連続物は続けて読まないといかん…
内容は私が好きな武将の黒田官兵衛に纏わる話。
沢山のifで構成されていて、なかなか楽しく読み進められた。
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1592年太閤秀吉は朝鮮半島へ16万人の兵を進軍させた。進軍当初は連戦連勝だったが朝鮮の宗主国の明が援軍を送ってからは膠着状態が続いた。一年前には利休に切腹を命じ、また敗戦が濃厚になって来た朝鮮半島への進軍もやめず大名を次々と派遣した。
この頃の秀吉は信長に似て無謀で非道な決断が多くなって来た。
肥後のキリシタン大名である小西行長はこの戦争を明と和平し早く終わらせて秀吉にキリスト信仰を認めさせたかった。が法華経信者の加藤清正はこれを阻止しようとしている。
一方で筑前のキリシタン大名、黒田官兵衛は秀吉を朝鮮半島に引っ張り出して彼の地で抹殺を企てようとしていた。その事は細川ガラシャにも伝わって居り、亡き父が本能寺で主君を討ったのは官兵衛の策略で今回も秀吉を策謀すると知っていた。
その頃、インド・ゴアのイエズス会から長崎へ一つの指輪が送られてきた。''カンタレラ''だ指輪に細工が施して有り毒薬が仕込まれている。痴呆や異常な決断をする秀吉には側近石田三成すらも殺意を覚えて居た。
秀吉のあと目、天下人は家康か豊臣家のどちらかだが、官兵衛はキリシタンの天下人を望んで信長の孫秀信、岐阜城の大名を担ぎあけようと画策する。三成は戦の捕虜として諸大名の家族を大阪城で軟禁するが、ガラシャはキリシタン天下人の夢を遂げるべく身をもって貫いた。
官兵衛は関ヶ原の少し前に北九州の諸国を責めほぼ手中に納め中国毛利家に睨みを効かせた所、大阪城で家康と密約を結んでいた輝元は国の防備で帰国する。戦は家康が勝ったが官兵衛の謀で秀信を天下人にするという噂で家康は戦略を誤り、勝利の手柄の多くは豊臣家臣となり、輝元は大幅な減石、三成は斬首、全てのバランスを測る様に決着させた策謀だった。