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現代のあらゆる問題のすべては「自己肯定」にある気がする
そんなわたしも自己肯定がすごく足りないひとなんだけど
自己肯定は足りなくても、最低限生きていけるのに
足りないと、ひととしてたりないままだから怖いなと思います
たりないのはわかってるのに、自分で最初から肯定するのは難しいからなあ
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「健全な自己愛」という表現がしっくりきた。
別に他人が自分をどう思ったって良いんです。
大事なのは自分で自分を肯定的に捉えているかということ。
「自分大好き、その自分が傷つけられたり不安にさせられたりするなんて許せない」
そう思うとしたら、それはまだ他人の評価や行動に依存している状態。
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乙武洋匡さんの新書「自分を愛する力」、および、映画「だいじょうぶ3組」を観る。両方のネタバレが含まれますので、ご注意ください。
一般の方には、乙武さんの存在自体が「非日常」であり、「別世界」であろうと思う。 自分だって、病院や医療施設という枠の中でしか、彼らの存在を知ることはない。それでも、在宅に向けて必要なものを準備したり、キャンプなどを通して介護者の苦労や本人の日常的な困難を知ることもあり、これは貴重な体験になる。そもそも、人間は自分の理解できないものに関して不寛容になりがちであり、それは避けられないことだ。だからこそ、マイノリティーの困難を可視化する努力は続けられなければならない。
障がい者の自叙伝や半生を振り返る話はこれまでにもあった。しかし、乙武さんのすごい所は、スポーツライターを経て、「教育」の現場へ飛び込んでいったことではないか?もちろん、彼自身が普通小学校で身を以て味わった挫折感や人との繋がりの尊さ、感謝の気持ちなどを次の世代に伝えたいということは、ごく自然な感情のように思う。自分に不可能な世界への憧れや、一流選手に対する興味・関心の強さが、若い時分の彼にスポーツライターという職業を選択させたのも事実だろうし、そのような彼自身の成長の延長線上に「教育」があっても何ら不思議ではない。
映画の中でも、国分太一演じる白石が、「赤尾(乙武さんの役名)にしか伝えられないことがある」と言うように、彼の存在を生徒に対して「可視化」することは、生徒達にとって特別な体験となることは容易に想像できる。
至る所で言われることだし新書の中でも書いてあることだが、今の日本の教育では初等教育から「画一性」を要求される。乙武自身は「教師が子供達一人ひとりの個性を大切にできていない。それは、そもそも教師自身に個性が認められておらず、画一的であることが求められている」からだと述べる。桜の下での授業のエピソードが象徴的である。「他の組の生徒が望むから、そういう行為は慎むべき」なのである。遠足の場所選びもそう。少数のために柔軟に対応するということが難しい場所が「学校」なのである。
映画の中では、余貴美子演じる「校長」が素晴らしい。生真面目に、赤尾の勝手な行動を非難する安藤玉恵や田口トモロヲを軽くいなしながらも、ダメなものはダメという決定を下す。 しかし、本質的には赤尾の教師としての資質を深く認めているのだ。
私は、今の教師がクラスの生徒に対して示すべき姿勢は、この校長のような態度ではないかと思う。
では、どうすれば教師が「生徒」の資質を知ることができるのか?これが難しい問題だと思う。道徳の教育であったり、金子みすゞの詩から自分の長所と欠点を生徒に書かせる授業だったりというのは、根本で「自分を愛する力」を育てる授業なわけだが、一方で「教師が生徒のことを知る力」を気付かせてくれることにも繋がるのではないだろうか?理想論だが、教師は生徒のことをまず100%信頼すべきであると思う。理解は、そこからしか生まれないのではないか?子供は最初からひねくれてはいないはずだ。これは私の実感でもある。
不定愁訴で外来を受診する子供を、適当に検査して「精神的なもの」と断じて、「もう来なくていいよ」という医師の姿が重なる。症状があるということは、原因はともあれ「不具合がある」ということだ。親が子供のことを理解していない、勝手な(間違った)理解をしている、学校側の姿が見えない、などのケースがあるわけだが、病院や医師、心理士だけで解決できるわけではない。
新書の第三章で述べられるように、子の自己肯定感を育てるためには、親は子に「能動的な愛を伝えていく」ことに加えて、「ありのままの子供を受け入れる」という受動的な姿勢が必要である。この眼差しこそ、まさに「障害者当事者」の素直な気持ちだと思う。
我が子の苦しみや葛藤よりも、世間の常識や価値観をやみくもに優先してしまう。「少数派」になることを極度に恐れている。これは鋭い視点だ。
「偏見」は、ものすごく恐ろしいことだ。自分の一生を左右しかねない視点だと思う。 「世間を敵に回したって、嘲笑や冷ややかな視線を浴びたって、自分だけはこの子の味方でいる」という強い覚悟を持って初めて「ありのままの子供を受け入れることができる」という。
この感情こそが、「だいじょうぶ」なのだろう。映画の中で、乙武がアップで「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と呟くシーンは観る者に感動と、「安心」を与えてくれるものだった。この映画は理想でしかなく、現実の教育現場はもっと複雑だ。でも複雑だからこそ、忘れがちなシンプルな感情を心がけるようにしたいと思う。
最後に蛇足だが、出生前診断の議論について。議論することはいい。賛成派も反対派、もお互いがお互いの立場を理解しようとするものならば。しかし、議論する前にぜひ、この映画に登場する「ダウン症児の名演技」を見て欲しいと思う。
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多分親になったらまた読みたくなる本だと思います。
その時の共感度の高さを込めて今はあえての☆3つ。
チューリップの詩と逆上がりの話が私はとても印象的でした。
乙武さんが父として出来る事…らへんも好きでした。
一番印象に残ったのは…
たしかに、僕には、ほかの父親と同じようにはできないことが多くある。でも、そのことで子供たちが何かを学び成長してくれているのなら、それでいいじゃないか。
本当にそうですよね。
「何をしたか」じゃなくて「何を感じ取ってもらえたか」
意外と自分で「何をしたか」「何を出来たか」って自信を満たしたいためがかもしれない。全てが全てそうじゃないと思うけど。
やっぱり相手が何を感じたかでそれって子育て以外の話にも共通的に大切な感じ方な気がするのです。
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フィラデルフィアという映画化もされた作品があって。僕にとっては、それまで漠然としかコトバにできなかった「人権」の意味を腹に落としてくれたものでした。 愛され認められることで、人ははじめて愛し認める術を手に入れるのではないかと思っています。
同じ年代で、超個性的と自負される乙武さんが本書を書いてくれて、自分の腹に落ちた、愛され認めることに対する認識が真実かを確かめる機会を貰えたし、本書読んでいて、そっと手を添えてくれたような温もりを感じて文字が滲むことも少なくなかった。
こんな記事も見つけて、愛語に囲まれる春。ほんとうに、本書にはありがとうと言いたいです。
http://president.jp/articles/-/910
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すごい人だ。すごい家族だ。こうありたいドストレートな人だ。
教育に携わる人、自分が嫌な人は是非読むといい。わたしは読み返し続ける。
自分を愛することの何が悪い。子供を愛することの何が悪い。
欲望ではなくて、愛なら大丈夫さ!
この子を伸ばしたいという気持ちが大事。
良い方向、なんて時代が変わればすぐ変わる。それよりも自分で生きていけるように、めげても立ち上がれるように、愛して土台を固めてやりたい。
成績が悪くてもよくても、愛情過多だとしても、自己肯定できるかできないかは人によって変わってくるのだな。
反抗期と自己否定のちがいは見極めなくちゃならないなあ。
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「自己肯定感ってどうすれば得られるだろう?」と思って読んでみましたが、どうすれば自己肯定感を持つ子供に育つか、といった子育て論的な感じの本といった印象。世のパパママは読んでみると良いかも!
五体不満足は読んだことないのですが、読みたくなりました。
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面白かった!
予想通り、読みやすい文章。
一見とんでもないコトを言ってるようで、筋が通る話し。
スッキリしました。
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他所でレビューを見て、興味を持ったので購入。
購入直後に電子書籍版も出ていることに気付いてがっかり。ちゃんと確認してから買えばよかった。。最近は電子書籍を優先して買ってる。
さて、本書。ものすごく荒っぽく言ってしまうと、乙武氏が述べているのは「自己肯定感を持つことの重要さ」だ。自分を卑下するのではなく、自分を肯定し、愛してあげられれば、もっといい方向に物事は進む、という内容。
コレは確かにそうだと思う。僕自身の体験からも、自分のことが嫌いだった時期よりは今のほうが遥かにマシな人間になったんじゃないかと思ってるし。学生時代の自己否定は酷かったからなー、我ながら。
ただねぇ、乙武氏の場合は、非常にレアケースなんじゃないかと思うんですよね。先日『セックスボランティア』という本のレビューでも書いたが、乙武氏のような『レアケース』をモデルケースとするのは、非常に危険なことだと思うんだよね。
とここまで書いて、障害者のことだけを書いているわけではない本書のレビューには相応しくない内容になってきたので、軌道修正。
どうやって自己肯定感を持つか、ってのは、非常に難しい。そこには他人からの承認ってのが絶対的に必要だから。ごくごく稀に他人からの承認を必要とせずとも自分のことを信じきれる人ってのがいるんだけど、その人も結果を出していくことで、自己肯定ができるようになるし、結果が出なくて周囲から避難され続けたら、ほとんどの場合は折れてしまう。
乙武氏の場合は、両親がそれを果たしてくれたから、幼い頃に自己肯定感を持つことができて、それが今になっても続いてるんだろうな、と思う。
同時に、乙武氏は周囲の人間(身近な所で言えば、奥さんとか)を承認してると感じた。周囲の人のことを承認し、肯定する。ここが1つのポイントになるんじゃないだろうかね。
自己肯定感を得るために周囲から承認されたかったら、まずは自分が周囲を承認して回る。承認しまくる。それがまわりまわって自分への承認につながるんじゃないかな、と感じた。
日本人って、自分以外の他者に対しては非常に厳しい人間が多いし、社会的な意識としてもそういう方向へ加速する傾向が強いから、周囲を肯定し承認することを、自分自身が始められたらいいんじゃないだろうか。
あら、レビューっぽくなくなったな。。
以下、追記
障害者の現実としては、自分の子供であったとしても、障害を持つ子供に対する差別をすることがあるのだから、いわんや他人をや、という感じだ。自分とは血のつながりも何もない障害者に対して、差別的なことをせずに済ませられるのか。自分がそうだと思っていなくても、当人にとってはそれが差別的なことになるかもしれない。
例えば、小学校などで先生が「この子は障害を持っているのだから、みんなはそれを考えて、この子に優しくしてあげなさい」なんてことを言ったとする。先生は真にその子の為を思ってやっているが、逆にそれが他の生徒の「腫れ物に触るよう」な態度を助長することがある。それは一種の差別になりえるよね。
そんな状態、社会環境で、障害者が自己肯定感を持つのは非常に難しいのではないか、乙武氏の両親のような存在は、めったにいないのではないか、そう考えてしまう。
そこで大事なのは、健常者を障害者と同じように扱うこと、なんじゃないかな、と思った。分かりにくいのだが、『障害者を健常者と同じよう』に扱おうとするから難しいのではないか。逆にしてみたら、もっとやりやすくなると思う。
「障害は個性の1つ」として見なす考えがあるが、それに近い。例えば、障害者に対して通りやすいように扉を開けたまま手で保持することあるよね?同じことを健常者にもやればいいんじゃないかと。普通に次に通る人のためにしばらくの間、扉を開けたまま保持する。重たい荷物を持っていたら手助けをしてあげる。そんなところからやっていくのがいいんじゃないかな、と。
まあ理想論かもしれないけど、そういう意識があると、もっと良い社会になると思うんだけどなぁ。
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読みやすい本ですし、載っているエピソードは思わず涙してしまうものもあり、おすすめの本です。特に子どもを持つ親に読んでもらいたい内容です。
筆者は「自己肯定感」がこの本のテーマだといっています。
息子として、教師として、父親として、乙武さんがどのような考えで行動してきたか。具体的なエピソードを紹介しつつ持論を展開していきます。
心に残った内容は沢山ありますが、その中でも特にいくつか挙げます。
・自身の小学校入学の条件について
・涙のリレーの話
・黒いチューリップの話
・みんなちがって、みんないい
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「何をしてあげたか」よりも、子どもたちが「どう成長したか」が大切
という言葉が印象的でした。
子どもの成長のために、大人として何ができるのかを考えるきっかけになりました。
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mixiのお友だちに良い本を紹介していただきました。自己肯定感、健全な自己愛、人が生きていく上で最も大切なもののひとつですよね。思春期の頃、自分の中に嫌いな所がいくつかあった。それって苦しい。外見はともかく内面は少しずつでも変えられる。自分が納得できる自分になりたいって今も思う。自分との葛藤に悩む人、そして親をしている人にも手渡したい一冊だと思う。
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乙武さんがいかに「自己肯定感」を持つようになったのかがわかる本。
親や教師の関わり方の重要性がひしひしと伝わってくる。
適度な距離を保ち、子供を信頼して見守ることが大事で、過保護や親の言うことを聞かせようとする関わり過ぎが、子供の自己肯定感を阻害する可能性があることもとても勉強になった。
これは乙武さんからの読者への「自己肯定感」のパスの書である。
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著者の自己肯定感は母親に寄るものが全てではと思っていたのだが、やはりそのようであり、その偶然による一時的離別、出会いがそのようなものであったとは。
・全体的に、良い面を伸ばそう的な考え方。
・氏の「非」教師的視点からの見解がタメになった。
・他の方(の著書)と同様というか共通する事柄が多数。
(現在の閉塞的な時代の「個」に於ける最適解?)
・あまり感動しない自分であるが、
教え子との触れ合いの部分で感動してしまった。
・その身体的境遇から、他からの感謝や優しさを目一杯感じられているだろうとは思っていたが、p.170の、自分から「する側」の苦悩は読んで初めて知った。
前提に本編が有っての事ではあるが、
個人的には巻末の対談部分が非常に良かった。
(メンタルがムラ社会)
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五体不満足の乙武氏が、息子、教師、父親の立場から自尊感情について述べている。乙武氏の生き方から子どもに自尊感情をつけるには、どうしたらよいのか、ヒントが得られる。