紙の本
「夜の樹」の著者との出会い
2013/05/20 06:45
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投稿者:帝國グマ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジュンク堂池袋本店、での喫茶店はいったい何階だったか。
そんな記憶ももうおぼろげな、一瞬の出会いと化した。
なんたることだ。
松家仁之「夜の樹」の著者に会えたというのに。そう自分は17歳だった。しかし運命はあくまで皮肉だ。活字での出会いから、まさかまさかの35年という膨大なる時の濁流の経過でのうえでの再会でしかなかった。
また自分も何故かこの松家仁之という文学界新人賞佳作受賞者の名をよく覚えていたもんだと。
しかしまさかまさかの新潮社へ入社していようとはまあちらは早稲田大学第一文学部に在学中に次点とはいえ文学賞に残ると言う軌跡にも等しい行為を既に達成しうる文才の保持者、当然と言えば当然か。
とにもかくにも書かねば。おれも。
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新潮7月号を読みました。
浅間山が好きなので、そのふもとででの出来事。
ちょっと懐かしい感じもあります。
建築やデザインの好きな方にはお薦め。
後半の先生の言葉ひとつひとつに重みが感じられます。
アスプルンドの本、思わず購入してしまいました。
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淡々と、だけど丁寧に日常を描いた作品でした。
しなやかに流れるように言葉がつづられていて、読んでいてとても気持ちがよかったです。
ストーリーの派手さはないけれど、それがかえって良かった気もします。
建築やインテリアに詳しい方なら、もっと楽しめるんだろうなあと思うと、羨ましい気がします。
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ゆっくりと、静かに時間が流れていくような独特な雰囲気の中に、人の生きている姿を感じられる本でした。
大学を卒業したばかりの坂西は、尊敬する建築家 村井俊輔の設計事務所に入所した。坂西=ボクが、この物語の語り手。
この設計事務所では、毎年夏の間だけ、村井氏が設計した軽井沢の山荘「夏の家」で、数ヵ月を過ごしている。入所一年目の坂西も、村井氏と事務所の
メンバーとともに、軽井沢の事務所で暮らしながら、秋にある国立図書館のコンペに向けて大きな仕事をする。
夏の家での仕事、出会い、経験は、数十年後の、設計事務所や、そこのまつわる人たちの様子、坂西の暮らしが語られたときに、とても大切で、かけがえのない時間として、さらに懐かしく蘇ってくる。
夏の家での、建築、設計への考え方、自然、食事、季節の移り変わり、共同生活で感じる人の心情、そのどれもが優しく心に上品に響くのは、きっと言葉と文章のセンスのよさなんだろうと。上質な小説というのは、きっとこういった物語のことをいうのだと思う。
上品な世界観に静かな感動
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図書館を設計するってワクワクする。この話を読みながら、自分の図書館・図書室の記憶を手繰り寄せてみる。記憶にあるのは、まずまだバーコード化されていなかったころの図書室の記憶。誰が借りたかがわかる図書カードが挿入されていて、憧れの先輩が読んでいる本に出合うとドキドキし、図書カードに最初に名前が書かれると有頂天になっていた記憶がある。それから・・・大学時代の図書館。お気に入りの席があって、そこで院試や卒論の勉強を閉館時間までやっていたのは懐かしい思い出。全面ガラスで外の景色を見ながら、ぼんやりしたりしてたなぁ。なんてことを思いながら、読み進めた。
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老建築家が主催する設計事務所に入所した若き建築士が主人公。
老建築家は、故吉村順三氏がモデル。
舞台は約30年前の1982年の夏。
夏の間だけ北浅間の別荘地に移した仕事場を舞台に、
国立現代図書館の設計コンペの作業を縦軸に、
そこで芽生えたほのかな恋愛を横軸に。。
いやあ、うまい小説でした。
建築家・建築設計というとても珍しく、難しい小説設定で、
どうせ、ちょっと格好いい主人公がナニしてナニする話だろ、などと
買うのもためらったのですが、、いやいやトンデモナイ。
読んで良かった。
建築設計の仕事(30年前の)や、モデルとなった吉村氏の建築の持つ雰囲気、
建築の意義など、とても丹念に描かれている。
北欧の建築家アスプルンドの話など、逆に勉強になってしまった。
そもそも小説中の言葉の使われ方が丁寧。
季節ごとの風景、動植物の描写も、しっかりした描き込みで、
これが氏の処女作とは思えない。
コンペ作業の描写(そもそもこんなシーンを描いた、日本の小説ははじめなのでは?)が、
家具の設計に重心が当てられていたのには、
若干、物足りなさを感じるものの、
老建築家は言う「建築は、芸術ではなく、現実なんだよ」と。
終盤、年齢を重ねた主人公が、かつての夏の家(仕事場)を訪れるシーン、ここは、いい場面です。
「建築は、記憶」でもあるのだな、と痛感させられた。
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新潮」2012年7月号に掲載された当時から、その完成度の高い内容で評判となっていた作品。
品格のある文体と言葉遣い、しっかりした骨格のストーリー展開。散りばめられている情景描写も細やかで、30年ほど前の出来事が、いまそこで展開されているかのように錯覚する、、、
長い長い思い出語りの後に迎える最終章の驚くべき展開には、小説の真髄を味わう喜びがある。
それもこれもしっかりとした描写力があるからだろう。
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これがデビュー作というから畏れ入る。編集者という経歴のなせるわざか、よく彫琢された上質の文章で綴られたきわめて完成度の高い長編小説である。
1982年、大学卒業を目前にした「ぼく」は、村井建築設計事務所に入所がきまる。所長の村井俊輔は戦前フランク・ロイド・ライトに師事した著名な建築家。事務所は夏になると、スタッフ全員で浅間山麓にある山荘「夏の家」に転地し、そこで合宿、仕事をするのが慣わしだった。今夏は特に参加を決めたばかりの日本現代図書館のコンペに向け、そのプランを練ることになっていた。
建築設計のコンペという新鮮な題材を基軸に据え、季節によってうつろう北軽井沢の自然を背景に、若い「ぼく」の仕事と恋愛を描く。仕事といっても入所したての主人公は、先生や先輩たちから学ぶことばかり。下界から高地へ転地した青年が、先人から教育を受けるという点で、トーマス・マンの『魔の山』に似た設定を持つ。登場する車がすべて外国車だったり、暖炉のある山荘に似合った食事のメニュだったり、ある種の富裕な階級を感じさせるあたりも共通する。
北軽井沢という避暑地を舞台に選んだ時点で、小説は日本とは異なるいわば異国情緒を漂わせることになる。長期にわたって本拠地を離れた山荘で過ごすことのできる人種とは、芸術家、大学教授、著述業といったハイブロウな人種に限られる。当然のように当時、下界で起きている出来事などは、小説の中から慎重に排除されている。会話のほとんどを建築や家具を中心とした審美的な話題が占めている。作中で「先生」は「建築は芸術ではない」と語っているが、そういう意味で、この小説はある種の芸術家小説の相貌を帯びざるを得ない。
いわゆる生活臭のようなものが徹底的に排除されているという点で、読者は醜いものや見たくないものから完全に隔離され、趣味のいい食事や車、音楽、暖炉の前で交わされる心地よい会話に囲まれ、知らぬ間に時を過ごしている。『魔の山』にいる間は時が止まっているように。
鉛筆やナイフといった小物からヴィンセント・ブラック・シャドウなどという旧車のバイクにいたるまで選び抜かれたブランド名が頻出する。カルヴァドスやグラッパなどのアルコールにしても詳しい者には愛飲する人物の個性を示す表象になるだろうが、その方面に不調法な者には鼻につくきらいもあろう。評価の分かれるところかもしれない。
主人公は二十四歳。事務所ではいちばんの新入りだ。その人物を話者に据えた一人称限定視点での語りで、日本語で文章を書けば、一般的には周囲の人物には敬語を使うことになる。呼称の場合、名前の後に「さん」がつくのが普通だ。ところが、自分より三歳年長者である先輩の雪子と先生の姪に当たる雪子と同い年の麻里子にだけは最初から地の文で呼び捨てになっている。
回想視点で語られている以上、現在の主人公が過去を振り返っても、呼び捨てで語ることのできる関係に、この二人の女性はいるわけだ、とそんなことを読みながら考えていた。どこまでも神経の行き届いた書きぶりである。
そんな中でひとつだけ気になったことがある。全体を通して「ぼく」の一人称限定視点で語ら��ているこの小説の中で、一箇所だけ麻里子でなければ知りえない感情を直接話法で書いた部分を見つけた。重要な場面だけに気になった。故意にだろうか。もしそうだとすれば、ロシア・フォルマリスムでいう「異化」作用を意識した心憎い演出である。次回作に期待のできる新人の登場である。
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愛おしい物語と静かで丁寧な語り口に深く魅せられた。読み返し必至。今年読んだ中で最良の小説。読みはじめからクレストブックス感を感じていたのはどうも本当に当たりらしい。
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懐かしい場所が舞台!この本について語りたい人はもういない。
一週間手術で入院した。600枚の長編をベッドの中で読み終えた。
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この設計事務所にはモデルがあるようだ。
夏の間は拠点を火山の麓に引っ越していく設計事務所。そこでたくさんのことを学ぶ若い設計者の卵。
一昔前の物語のようなしっとり感がある。すがすがしく美しい。じわっと心に沁みる佳作。
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村井設計事務所に入所した坂西徹は良き先輩に恵まれ順調に技術を身に付ける.東京の青山から夏の間だけ「夏の家」に移動して仕事をこなす.村井先生が包容力を持って坂西を見守り、井口・小林・河原崎・内田なども坂西をうまく育てる.先生の姪の麻里子と良い所まで行くが、先生が脳梗塞で倒れ頓挫する.浅間山のふもとでの出来事が淡々と綴られていくが、377ページがあっという間に終わった感じだ.
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読み終えてしまった。
こうした小説に出会うために、本を読むのだ。
耳をすませるようにしてかすかな脈動を読み取る読書だった。
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キレイな小説。
時間をかけて少しずつ読んだ。
若い建築家の仕事と恋を通して長い”季節”が描かれる。
あまりに自然でふんわりとした空気感。
心地よく浸れる実に気持ちのいい小説。
描かれているのが図書館の設計だったりするので、非常に親近感をもった。自分も新規で本屋の設計に関わったりするので。 そんな時にやりとりする設計事務所の人たちもこんな風に仕事してるんだろうなぁ。きっと。
ともあれ、本当にキレイで心地いい読書だった。
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上手いよ。人物描写も情景描写も、それから立ち現れる物語と抒情も言うことないよ。
しかし、上手いな~凄いな~と思うだけで特に感動はないんだな(私だけかもしれないが)。建築家を志す青年と、「先生」と呼ばれる老建築家。建築事務所の先輩たち。青年と恋仲になる先生の姪。
師弟関係も「先生」といえば漱石の「こころ」だけど、そんなに深くもなく(先生の恋愛は描かれているが)、恋愛もどろどろは全くなくてスタイリッシュで、ちっとも切なくない。
有名建築家についての薀蓄、避暑地の自然、集う文化人、乗ってる車は皆外車、音楽も食べ物も洗練されていて、まことにおしゃれなんだけど、魂の深みに降りてくるようなところはあまりない。
なんだか成功したインテリが褒めそうな小説だった。
書評は皆べた褒めだけど、いいの?これ。ホントに?
純文学ってもっと魂を揺さぶるものであってほしい。