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3編ある。
三人称、一人称、二人称と視点を変えて、
それぞれ物語の登場人物たちが
修復、別離、自己批判を超然と受け止める。
順を追って文学性が高くなって読者にも
幅をもった解釈が必要になってくる。
果たして最後に絲山女史は何を伝えたかったのだろうか。
例え文学の行き着く先が
いかがわしい廃棄物や
音さえもない滅びであったとしても、
絲山女史は凡庸な読者など差し置いて
どんどんと文学の高みへ駆け上がってゆく。
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再読
夫の浮気に気づいても超然としていられるはずだった「妻の超然」
下戸の僕はNPO活動を酒好きの彼女に強要される「下戸の超然」
腫瘍手術を控えた女性作家の胸をよぎる自らの来歴「作家の超然」
傑作中編集
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小説のような、絲山氏の主張を込めたエッセイのような、とにかく言いたい放題の作品でした。
絲山氏らしくて良いです。
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妻の超然、下戸の超然までは、面白く読んだ。
でも、作家の超然がよく分からないまま終わってしまった。読後感はいまいち。
下戸の超然、女性の身勝手さがすごくうまく描かれている。まるで自分を見ているかのようだった。
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超然、とは。超然とはなにかなんて、普段は全く思い至りもしないのだけれど。あえて超然を選び、超然であるということについてとことん追求するということ。その前衛性の素敵さにくらくらとする。3つの超然がててくるが、表題の妻の超然は実験的な手法もあり、はっとさせられるような鋭さがあり、これこそがわたしの愛する小説であり。作家の超然における、突き放した二人称がとても楽しい。作家であるおまえは、と突き放すひとそれ自身が作家であるという構造のおかしみとストーリーの痛切さ。とにかく素敵な。
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この著者の本は初めて.
歳をとるごとに諦めが人生を覆い,超然とならざるをえなくなる.そうならないためには膨大なエネルギーがいる.
そういうことを実感してしまうと,この小説はやりたくもない復習をしている感じ.そういう気持ちにさせてしまうほど,うまくかけてることなのかも.
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超然と題して三作品が収録されている。「妻の超然」では、男という小さな生き物が、妻の手の内で転がっているさまが可笑しくて可愛らしい、実際には、妻には何もバレてないと思っているんだけど、妻はそれを知っている、それでいて冷めきった夫婦生活を過ごしている。「下戸の超然」は一番共感できた。やりたいことを押し付けてくる人っているよね、それを分かってあげることが出来ないと(分かっていても同調できないこともある)自分だけが被害者の様になる。無理なものは無理だし、言われなくても挑戦している。ポジティブな不毛とは上手くいったなと思う。下な話、そういう関係に限って、そういう事は熱心にやる。最後の「作家の超然」は難しかったけど、作家が書いた作家の超然っていうのは内心を描いている様で、作家の一面を垣間見れた気がした。
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一気に読了。描写力というか表現力というか少ない言葉でも伝わってくるのは流石だ。すごくよくわかるなあ。
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超然という意味を知らずに、ばかものがおもしろかったので読みました。
それぞれの超然とする様はみっとも無いような、意地っ張りのような居心地の悪さがとても読みやすかったです。
伝わるとすればせいぜいそれは愛想だろう。
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収録されている「下戸の超然」がいい。美咲の危うい感じとか、二人の関係が壊れるぞ壊れるぞってゾクゾクさせられる感じとか。巧いなー。
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2016年、11冊目です。
絲山秋子の小説です。
彼女の作品は、過去「沖でまつ」「逃亡くそたわけ」などを読みました。
我々のそぐそばにある日常を舞台に、僅かに周りの人との間にある齟齬が、
歩む道筋に大きな影響を与えていく。でもそこでたどり着いた先は、
渇して無意味なものでなく、少し心が軽くなる着地点にたどり着きます。
「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の3つの小編から成っています。
「妻の超然」では、50歳前後の子供のない夫婦で、夫が若い女と浮気を
している。妻は気付いていて、夫との関係を”超然”と捉えて知らないふりをしている。
しかし、最後に、超然といって相手の考えていることを考えることをせず、
同じ時間を生きようとしない自分の生き方は、”超然”ではなく、”怠慢”なのではと気づく。
確かに、超然や諦観は、ある種の無関心から成り立っている精神状態だと思う。
”超然”という言葉の解釈やその役割は多様だが、思惟するにはいいきっかけだ。
「下戸の超然」は、お酒を飲めな男性の生き方を、恋人との出会いと別れの流れの中で描いている。
私自身も”下戸”であるため、作中の主人公の心境には、共感できるところも多い。
会社生活で苦労した点も類似している。私の場合は、加齢による病気もいくつかあり、
多種類の処方薬を服用するようになったので、飲み会の席でも、
”酒飲んだら死んでしまう”といって、お酒に口をつけなくて済むようになりました。
主人公は、下戸であるが、彼女が酒を飲むことには全く抵抗がない。
それを非難することもしない。彼女は積極的なボランティア活動をしており、
下戸の彼を引きだそうとするが、彼自身は、そういったことに感心も無く、彼女に合わせようとも思わない。
この辺りが下戸の超然立つところなのだろが、
「恵まれない子どもたちに幸せなバケーションをプレゼントする」という彼女の参加する
ボランティアの目的には文句のつけようがない。
けれども「疑いようのないこと」というものに僕はなにかうつろなものを感じてしまうのだ。
これが、主人公の下戸である彼の超然なのだと感じた。
最後の「作家の超然」は、主人公である作家が、首の腫瘍を摘出する手術の前後で考える
人間関係や社会と自分との関係性を描いている。
ちょうど私も手術直前に読んだので、なにか他人事のような気がしませんでした。
こんな一説がある「今は、病気がおまえを生かしている」。
まさに、自分でなく、これからは”病気が自分というものよりも優先されるものになっていくんだ。
まさに超然かもしれないですね。
おわり
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妻、下戸、作家と3つの超然が含まれた作品集。
絲山作品に触れるのは3作目(登録はしておりませんが、「エスケイプ/アブセント」を読んでおります)ですが、あれ?こんなに軽い文章を書く方だったっけ?と驚いた。
しかし読み進めていくうちに、行間からにじみ出る主人公の冷ややかさがあり愕然とした。
あー、これが絲山節なんだな、とすとんと腑に落ちました。
プロの方に申すのも大変おこがましいですが、やはりある意味すごい作家さんです。
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馬込の豆腐屋の娘である妻とニアミスしているような気に
絲山さんの話がやっぱり好きだ。
「一人グーグル」とか、第一球「一体、どういうことなの?」とか。しっくりくるなぁ。わたしに。
そして、TOTOの営業として全国を駆けずり回った経験から来る、土地土地の描写。
今回たまたま住んでいた街が出てくるものだから、そのイメージが瑞々しく脳裏に広がりました。
路地、坂道。西馬込はあかるく、馬込はどこか、ツートーンくらい、暗い。
日当たり以外にも、その土地、場所の明るさ、暗さがあると思っていて、ネットでは確認できないその道々の照度こそを、私は内見で確認しているような気がする。
そのことに気付かされてくれたのが、馬込と西馬込というふたつの街なのであった。
そんな私が、馬込の豆腐屋の娘である妻とニアミスしているような気にながら、読み進めていきました。
三作入っているけど、言葉遣いとかがやっぱり、女性主人公ものが好きだわと、後2作の男性主人公作品を読んで思いました。
はぁ、またイッツ・オンリー・トーク読もっと。
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楽しみ読み進めました。
読みやすいのですが、「超然」というテーマに沿って書かれた短編という挑戦をしているのに、楽しみながら読み進めることができるもので、作家としてのチャレンジ精神にも感服します。
文体がとてもリズミカルで読みやすいように感じるんですよね。毒もあるので読んでていてスッキリするんです!
しばらく絲山秋子さんの本を読み漁ろうと思っています。
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世評は高い作品ですが、どうも楽しめませんでした。
とても文学的。でも、私にはチョット過ぎるようです。
裏表紙に『「超然」とは何かを問う傑作中編集。』と書かれている通り、「超然」がテーマなのでしょうが、その「超然」と私の相性が悪いのでしょうね。
まあ、そういう事も有るさ、と読了。