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音大を目指していた主人公。彼の通う高校に、天才ピアニストと名高い少年が入学してきた。
少年は指が切断されたのに、のちに海外でピアノを弾いていたという話から始まって、女子高校生がプールで殺されたりなので、ミステリーのカテゴリーにはいってるみたいだけど、実際には「シューマン論」だった。
うん。「シューマン論」としては、ものすごく面白かった。
で、入れ子の入れ子みたいなことなのだけど…。
どこまでを曖昧模糊にするかっていうのが、微妙。
つか、これを<ミステリー>にカテゴライズしないといけない、曖昧のままでおいてはおけない、というのがむしろに今の出版業界の苦悩が感じられるのだが…。
ともあれ、こういう類のもので、良作である証拠は読後<聞きたくなる>ということだと思う。
で、めっちゃ聞いた。
でもって、やっぱりピアノソナタ第2番、以外はあんまり好きじゃない。
ごめんね、シューマンww
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音大をめざす高校生が主人公。
結局音楽の道に進まなかった現在、過去を振り返って語る。
昨年の夏に読んだ『船に乗れ!』と同じ構造。
しかし、目には見えない音楽を目に見えるように、本からは聞こえない音楽を聴こえるように、感覚としてわかるような描写が魅力だった『船に乗れ!』とは違い、楽典の講義を受けているような(受けたことないけど)論理と言葉で音楽を語るこの作品は、読んでいて大変疲れました。
物語半ばに殺人事件の被害者が突然出現したけれど、だからと言ってミステリに引っ張られることもなく、音楽を軸に結ばれた仲間たちの話は淡々と続く。
残り50ページから殺人事件の真相を暴くことに筆が向かったように見えるけれど、やっぱりあくまでも主眼は音楽なんだと思う。
作者が書きたかったのは音楽家としてのシューマンであり、自我の分裂に悩む人間としてのシューマンだったのではないか。
そう思いながら解説を読むと、この読み方はまんざら外れてはいないらしい。
とはいえ、ミステリとしての体裁をとっている以上、ネタバレになりかねないことは書けないので、これ以上書くことはないんだなあ。
クラシック音楽、特にシューマンに興味のある人は読んだ方がいいと思うけど、ミステリと思って読んだらちょっと肩透かしかも。
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この手の感じ、あまり好きじゃない。
音楽評論みたいで読みづらいなと思ってたら、
妄想の”お話”だったなんて。。。
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おもしろかったー。とりあえず通り一遍にしかシューマン聞いてなかったので、改めて聞こう。
ラスト近く、かなり耽美~な、てかBLつかジュネ?な展開で、あれま!と驚いたw いや、まあアリですが。
他の方のレビュー読んだらわりと不評が多いのですな。うーん。音楽については、興味はあってもさっぱり詳しくない私に特に違和感なかったんだけど。ミステリーについては、ぶっちゃけこれまで読んだ中でうなるようなうまいのて、ごくごくめったにしかないからw 別にこれが批判に値するとは思わなんだ。
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初奥泉作品。恩田陸の音楽モノを読んだ後ってことで、このタイミングで読んでみることにしました。純文学作家が書いたミステリ、っていう認識で読み始めて、途中までは”いやいや、普通に純文学やん”って思いながら頁を繰ってました。まああながち間違いでなく、実際三分の二くらいまでは、シューマンを軸にした音楽論みたいのが繰り広げられています。残りの三分の一で、指の謎が次第に解き明かされるんだけど、それに関しては『まあそんな感じですか』くらい。最終的には、それなりに楽しめました。
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クラシック音楽、とくにシューマンに関する記述がとても多い。
シューマンを語るために書かれた物語といってもいいくらいだ。
多くの参考文献を読み込み、吟味し、そのうえで書かれたものだろうと察せられる。
音楽は必ずしも「音」にならなくてもよいのだ。
修人が繰り返し述べる音楽論が、彼が持つ独特な価値観や性質として強い印象を残す。
好みが分かれる物語かもしれないけれど、興味深く読むことができた。
高校時代に起きた女子高生の殺人事件を追うミステリーとしても、音楽に造詣が深い物語としても、楽しめる一冊ではないだろうか。
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やれやれ。すごい小説だとは思うものの、いろいろ性に合わなかった。シューマンの音楽の描写や、音楽の演奏についての考え方、BL展開...。私もシューマン好きなんだけど。
一点、殺人の夜に、音楽室でピアノが魅惑的に弾かれるシーンが魅力か、、
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本題に入るまでがあまりにも長く、久しぶりに途中で投げ出したくなった。ミステリ特有の「なんとなく大事そう」なフレーズも分かりにくくて、かつオチも急展開過ぎてついていけなかった。苦手。唯一、装丁だけは好き。
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天才ピアニスト少年、永嶺修人。右手の指を失ったはずの彼が30年後、再びピアノを弾いたと伝え聞いた語り手。再生した指の謎。そこからの語り手による高校時代の回想は、修人とのシューマン談義が延々と続き、正直、読むのが大変だった。後半、語り手の高校卒業の日の殺人事件から話は動く。全ての謎は語り手が閉じ込めてきた記憶が手記という形で蘇ってきた。受験でピアノを弾くシーン、語り手だけが修人のピアノや文章を通じて微妙な変化を感じたりするところがゾクゾクした。衝撃のラストの後のさらなる衝撃。そしてさらに…最後の最後までおもしろかった。歪んだ世界感が印象に残った。
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自己満足文体。最終章を読むと、だからね、と僅かながら思うが、それを最後まで読まされる身としては辛い。音楽が文字から聞こえるタイプの話ではなく、ひたすらシューマン取り巻く蘊蓄。目が滑る。
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シューマンに対する知見が全くない僕でも、一種のシューマン論評を読んでるかのように魅力的な音楽性、フラジールな人物像を学んでいるという感覚。前半は特に。
これはミステリーになりうるのか?と思ったら急に殺人事件。後半はあれよあれよと畳み掛ける展開で一気に読み進めてしまった。
それでも音楽を文字で表現するときの幻想的形而上的言葉の紡ぎ方が心にじわっと染み込む感覚が好き。後、言葉のチョイスも深遠で幅広くて、比喩表現も巧みで好みな文章だった。
総じてストーリーとしてはどんでん返し系。こんだけ語り尽くした物語がまさか。。。って驚きは初めてでやられた!というか推理はもう諦めてた!
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蘊蓄がわたしにはtoo nuchすぎて、途中から端折って読みました。
オチがあんまり好きじゃない。
つまり、あわなかったんだなぁ。
2019.3.16
44
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ミステリというより純文学?丁寧で繊細で美しい文だった。表現の仕方が好き。緩やかに繰り返し語られ日々の思い出も不穏さも、音楽に詳しくないからこそ魅力的に思えたし想いを馳せながら曲を聴いた。
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面白かった。小品しか知らない「シューマン」という作曲家をこんなに愛する人がいるのか、シューマン論に打たれた。
その上、ミステリで、青春の追憶で、最後まで読まないではいられない、手法、物語の巧みさに、何度も読み返したくなる本だった。
図書館に返してしまったが、文庫になれば買ってもう一度読みたい。
作者のシューマン論は、音楽の雰囲気を楽しむだけの、ただの音楽好きの私には、こういった楽譜やコードについての分析はわからないままだけれど、それなりに音楽の世界についての知識を深めさせてくれた。
この物語は、読んだ後になって、納得できる部分が少なくない。
そしてシューマンの生き方や、音楽論の中に、作者の深い意図が隠されているという、素晴らしい構成になっている。
ドイツに留学した友人からの便りで始まる。
右手中指の先を失った長嶺修人が、シューマンを演奏するのを聞いたというのだ。その上指が揃っていたのを確かめたといってきた。
それを契機に語り手の回想が始まる。
まるでシューマンの生まれ変わりであるかのような長嶺修人は、すでに名のあるコンクールで優勝もし、公にも知られる存在だった。
長嶺修人が指を失った事件が起きる。
彼が美青年で天才であるに関わらず、あまり見栄えのしない彼女を連れていた。
そして、師事している先生とは男色関係にあると思われた。
彼と同じ高校で私は、彼に傾倒し、彼への関心はある意味で狂気を帯びていた。
長嶺修人のシューマンを三度聞いた、と何度も延べられる。
高校の音楽室で長嶺修人の弾く「幻想曲 作品17」を窓の外で立ち聞きする。
そのときプールで女学生が殺される。
後年、便りがあったように、無くなったはずの長嶺修人の指はどうなったのか、肉体再生の秘話なども披露されているが。
このプール脇の殺人のあとは、犯人当ての楽しみも生まれてくる。
「シューマンの音楽には、いつも違った世界が響いているような気がする」という意味の言葉を含め、長嶺修人と私の、一時期の濃密な交わりが詳細に記されていく。
それは、二人のピアニストがシューマンにとり憑かれた物語である。
回覧して、いつか本にしようとした5冊のノートの後、途切れていた記述は、6冊目になって私の最後の文章で埋められていく。
一度だけでなく読み返したい、優れた音楽小説でありミステリだった。
実に素晴らしい謎が、重層な物語になっている、これを作り出した、同じ作者のものもっと読んでみたいと思った。
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芥川賞を獲った「純文学」の作家が、ミステリに転向した、なんて騒がれた作品だったような。
正直、ミステリーは苦手で、その楽しみ方もいまひとつわかっていない。
同じ事件についての解釈が何通りも語られていくのだけれど、結局、最後に出てくるのが「正解」でいいの?と当惑しているありさまだ。
だから、というわけでもないけれど、この作品は文体を楽しむ作品だ、と思って読んだ。
主人公、里橋優の高校時代の友人堅一郎が優に宛てた手紙、優自身の手記、そして最後は優の妹恵子が、優の高校時代の美術教師吾妻先生に宛てた手紙で構成される。
謎めいた美少年で、天才ピアニストである長嶺修人に導かれ、音楽の道に進んだ優の手記は、錯綜していて、追いかけるだけでも大変だ。
優が修人を追いかけてシューマンの生涯と音楽に迫っていく部分は、精緻な文体で音楽学の研究書を読んでいるかのよう。
しかもそれが、彼らが高校生だった時に起きた女生徒殺人事件にも関わっている。
犯人は誰か、優はなぜ音楽の道を捨てたのか、指のけがでピアノが弾けなくなったはずの修人がなぜツヴィカウでコンチェルトを弾いていたのか、そして今になってなぜ優は自らの指を切って失踪したのか。
「音楽はいつも、そこに、完全な形で存在するのに、どうして不完全な演奏で汚さなければいけないのか?」という修人の音楽観に、服従的な立場に居続けた優が、それを乗り越えていくところが感動的だった。
音楽は完全な形で存在するのだから、不完全な演奏であっても壊れるはずがない、と。
それにしても、何かこの作品、道具立てが萩尾望都の漫画とか、『ガラスの仮面』とか、昔のドラマや少女漫画の世界に近い匂いがする気がする。
デモーニッシュなものへの憧れとか、そういう類のもの。
不思議な読後感がある。